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絶望したので、38歳で余生を謳歌することにします。   作者: 武田花梨
第五章 絶望は続く

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一時間でいい、わたしの話を聞いて

   *


 今の会社に入ってから、体調不良で休むのは初めてだった。


 月曜の朝、会社に連絡してすぐベッドに横になる。

 熱はない、お腹の調子はちょっと悪い、食欲はゼロ、眠れない。

 思いのほか、ショックだったみたい。

 大坪さんとのことだけじゃない。椎葉さんのこと、そして千尋のこと。

 いろいろなことの積み重ねは、なんだかんだと心身をむしばんでいたのかもしれない。今日はもう、動きたくない。


 弱っていると、ひとりで生活していることが無性に心細くなる。実家なら、特別会話はなくてもお父さんの生活音が聞こえてくるだけで安心できていたんだと、今更ながら気付く。

 こんな調子で、これからもひとりで生きていけるんだろうか。孤独に耐えられるんだろうか。

 だから、友だちが欲しかった。すてきな恋人が欲しかった。でも全部、うまくいかなかった。わたしって、本当になにもうまくいかない。失敗してばかり。世の中の人って、どうしてみんなうまくやれているの? わたしだけが、生きるのが下手なの?


 動画も音声も何も受け付けない。ただ静かな家の中で、わたしは丸まって目をつぶり、時間が過ぎ去ることを祈るしかできなかった。




 ふと目を覚ます。スマホの画面をつけて時刻を確認する。うとうとしていたみたいで、いつのまにかお昼を過ぎていた。

 一件の通知メッセージに気付く。相手は佳代子さんだった。


『体調どう? ひとりで困ってない?』


 お昼休憩の時間に送られたものだ。

 家を買ってひとり暮らししていることを知っている佳代子さんの気遣いがうれしい。

 孤独な世界にぽっと明かりがともったような気持ちになる。


「ありがとうございます。買い置きもあるし、大丈夫です」


 ベッドに横になったまま、それだけを送る。

 うっかり騙されて病みました~なんて、恥ずかしくて言えない。明日には、仕事ができるくらい回復しないと。社会で生きていくためにはこんなことでへこたれていられない。負けない。

 明日目が覚めたら、身体だけは元気になっていますように。




 遠くで、インターフォンの音が聞こえた。気のせいかと目をつぶったまま寝返りを打つ。

 また聞こえた。どうやら現実らしい。

 目を開けると、すっかり外は暗くなっていた。夜はまったく眠れなかったのに、昼間は眠れる。これじゃあ、今日の夜は眠れないじゃないか。

 ピンポン。ピンポン。ピンポピンポピポピポピポ……

 インターフォンが連続して鳴る。

 女のひとり暮らしだと、ちょっとしたことが恐怖だというのに。ピンポン連打はだいぶ怖い。

 おそるおそるインターフォンの画面を見ると、見慣れた男性が。


「亘理さん?」


 どうして亘理さんが? 不思議に思いつつ、応答のボタンを押す。


「どうしたんですか、亘理さん」


『あ、夏芽さん! よかった、中で死んでいるのかと思って心配しました!』


 勝手に殺すなと思いつつ、明るく元気な亘理さんの姿に心にもうひとつ明かりがともった。


「とりあえず、中へどうぞ。鍵空けますね」


 玄関に向かい、ドアをあける。寝起きだから、髪も顔もひどい状態であると、今更ながらに気付いた。時すでに遅しだけど!


「ど、どうも」


「お邪魔します、すぐに帰るんで!」


 亘理さんは、わたしの姿をじろじろ見るわけでもなく、玄関先でコンビニ袋をわたしに差し出した。


「体調どうですか? いろいろ栄養のありそうなもの買ってきました!」


 コンビニ袋の中は、栄養ドリンクやゼリー、そしてグミやチョコレートといったお菓子が入っていた。


「ありがとうございます。わざわざこれを?」


「佳代子さんから、今ひとり暮らししているって聞いて! 心配になって来ちゃいました。では俺はこれで」


 亘理さんは、そのまま靴も脱がず帰ろうとした。


「あ、待って。お金……」


「いいっす! たいした額じゃないし」


 亘理さんは、すぐに帰ろうとする。


「せっかくいらしたのに、お茶の一杯でも……」


「いやいや、体調悪いのにダメです、寝ててください!」


「違うの。あの……」


 帰らないで、もう少しここにいて。

 それを言う資格、わたしにはない。亘理さんにはさんざん冷たくしたのに、弱っているときだけ頼るのは良くない。


「……なんでもないです。ごめんなさい引き留めて。これ、ありがとうございました」


 強くならなくちゃ。ひとりで生きていかなくちゃ。がんばらなくちゃ。


「それじゃあ、俺はこれで」


 亘理さんは背を向けて、玄関のドアをあけた。

 ああ、帰ってしまう。まだ行かないで。

 わたしは思わず、その手をとる。

 思ったよりもごつごつしていて、大きな手だ。


「夏芽さん?」


 手をとられた亘理さんは、不思議そうにわたしを見た。やってしまった。でも、どうしても、もう一人ではいられなかった。

 人に頼る時も、必要。甘えたっていい。


「わがまま言わせてください。一時間でいいので、わたしの話を聞いてもらえませんか」


 わたしの言葉に、亘理さんは目を丸くする。

 そして、いつもの太陽みたいな笑みを浮かべた。


「いいすよ! なんだ、もじもじしてないで最初から言ってくださいよ。俺、察することできないんで!」


 ガサツなところが好きじゃなかったけど、今はそのガサツさに救われる思いだった。


「ありがとうございます。すみません、ちょっとリビングで待っていてください」


 わたしは洗面所で最低限の身だしなみを整える。顔を洗い、高速で歯磨きをしてクシで髪をとかす。適当に化粧水をつけてから、キッチンに戻ってお湯をわかした。


「何飲みますか? コーヒー紅茶緑茶があります」


 季節も進んで寒くなったし、千尋が来なくなったというのもあり、水だしの麦茶は作らなくなっていた。


「コーヒーお願いします。砂糖とミルクください」


 ぴっと手をあげて、亘理さんが注文する。子どもっぽい仕草が今日はかわいく見える。

 コーヒーをいれ、リビングに持っていく。亘理さんはソファに、わたしはラグの上に座る。


「一軒家、いいすねー」


「いいですよ、一軒家。ヒマな時は歌って踊ってって自由にできます」


 その瞬間、亘理さんは「えー!」と大げさに驚いて、コーヒーを混ぜる手を止めた。


「夏芽さん、踊るんですか?」


「……そういう日もありますけど?」


 なんか文句あるか、と亘理さんを見ると、いやいやと首を振った。


「俺が知ってる夏芽さんのイメージって、ほんと一面だけなんだなーって思いますね」


 熱そうにコーヒーをすする。


「そりゃそうです。わたしは会社で自我を出さないようにしていますので」


 同僚と仲良くなりすぎない。嫌われたくないし、面倒なことになりたくないから。


「まあでもそうですよね。俺もそうです」


「亘理さんも?」


 いつもあけっぴろげで、自分を開示していると思っていたけど……。

 亘理さんは、にやりと笑った。


「これでもだいぶお行儀よくしてます。誰だってそうじゃないすかね」


「それは……そうですね」


 ちょっと叱られたみたいな気持ちになって、わたしはコーヒーをごくりと飲んだ。すきっ腹にはちょっと刺激が強い。

 自分ばかり不幸な顔して、とわたしに言い放った千尋。きっと亘理さんも、言葉にしないけどそう思っているのかもしれない。


「夏芽さん、俺でよければ話を聞きますよ。大人の友だち第一号ですから」


 ねっ、と明るい声で言われる。

 この人に話したら、きっとわたしの心は軽くなる、ってわかる。不思議な人だ。


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