だだっ広い道って怖いよね
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椎葉さんとチャットやオンライン通話で打ち合わせしつつ、アプリ開発は進んでいった。とにかく仕事が早くて、わたしがいつものペースでやっていると間に合わないくらい。
とはいえアプリ開発の期間は長い。まねきおかネコのアプリ規模でも三ヶ月はかかる見通し。アプリ開発って、基本的にすっごく時間がかかるらしい。
アプリ開発と他の業務を並行して行うのは大変だけど、毎日充実していた。
千尋のことはずっと気になっているけれど、なにを謝ったらいいかわからなくて、放置している状態。千尋は一体、何に怒っていたんだろう。
「今日、あの野郎……じゃなくて椎葉さんとデートですね!」
相変わらず椎葉さんを敵視している亘理さん。今日は自分で握ったという巨大おにぎりみっつを用意してきていた。いきなりお弁当作りは難しいからと、とりあえず毎日おにぎりを作ることにしたらしい。
「そうなんです、緊張しちゃって」
亘理さん、本当に自炊を始めるとは。絶対、やらないと思っていたのに。どうせ人なんて変わらないと思っているけれど、何歳になっても少しは変われるのかもしれないな、などと思ってしまう。
わたしはいつものように、おかずを差し入れる。今日はブロッコリーのチーズ焼きだ。亘理さんへの差し入れは、
もう少し続きそうだ。
「いただきます!」
亘理さんは自分の箸で、ブロッコリーのチーズ焼きを口にする。
食べ方も、幾分上品になったみたい。どういう心境の変化なんだろうか。
「ほんと、夏芽さんの料理はおいしいな。自炊して改めて、偉大さが身にします」
しみじみと、噛みしめて食べてくれる。そんな大したものではないけれど、そう言ってくれるのはありがたいし、うれしい。
「ところで亘理さん、わたしの今日の服、大丈夫ですかね……?」
新しく買った服は、地味なネイビーのワンピースにグレーのジャケット。正直、金曜の夜にデートをするわりには地味。でも、椎葉さんは落ち着ける相手がいいっていうし、華美なものよりも良いのではないか、とさんざん迷って決めた。
節約生活中に、新しい服の購入というのは非常に痛い。
いつもは通販で数千円の服ばかりなのに、わざわざ駅ナカに行って数万円のワンピースを買っちゃった。
でも、素敵な椎葉さんの隣に立つには、ちょっといい服くらい着ないと、と思って頑張った。
「素敵です!」
亘理さんは、親指をぐっとあげてくれた。まじりっけのない笑顔に、なんだか癒される気がした。
「いつもの夏芽さんぽくていいです。夏芽さんは、いつも通りでいいんです」
唇に海苔を貼り付けながら、亘理さんはひとりうなずいた。
「あ、ありがとうございます……」
最近、亘理さんはめっちゃ褒めてくれる。自炊の件と合わせて、中身が入れ替わったのか? というくらい変わった。
「あっら~夏芽ちゃん! おしゃれしちゃって~!」
個包装になっているわらび餅を手に、佳代子さんが目ざとくわたしの服装を褒めた。
「椎葉さんとデートぉ? いいわね」
「お恥ずかしい……」
わたしがへらへらしていると、佳代子さんはお昼休憩だというのに鋭い目つきになった。
「アプリ制作はまだまだ先が長いから、気まずくなるのだけは勘弁ね」
佳代子さんはするどい言葉を投げかけると、すぐに表情を柔らかくしてうふっと笑って去っていった。
……めちゃくちゃ釘をさされた。
それはそう。椎葉さんは仕事を依頼している会社。
変な感じになって、アプリ制作が頓挫したら……えらいことだ。
だんだん、不安になってきた。
椎葉さんは、どういう気持ちでわたしを誘ったんだろう? わざわざ会社にまで来て、みんなの前で宣言するようにして。何か、騙そうとしているとか? いや、ここまで公にしてまで騙すなんてしないか?
………………ま、いいか。
だって、わたしをだますメリットなんて別にないもん。大丈夫。
定時で仕事を終えると、椎葉さんからのメッセージで『正面玄関前にいます』とあった。同じ時間に、大坪さんからも『今日、デートですよね、楽しんできてください!』とのメッセージとともに、北海道の景色が送られてきた。相変わらず有給消化を満喫しているらしい。これだけあちこち旅行できるなんて、さすが大手保険会社勤務だっただけある。
大坪さんが応援してくれていると思うと、勇気が出る。
一度トイレに寄ってメイクを整え、アクセサリーをつける。普段はなくすのが嫌でつけないイヤリング。今日はわたしに自信を与えてくれるアイテムになって!
ファンデーションを軽く直し、ピンクベージュの地味なリップを塗る。
地味な顔に地味なメイク。千尋みたいに華やかな赤いリップが似合わなくて落ち込んでいたときもあったけど、今はこの地味で落ち着いた顔が誇らしくもあった。
呼吸を整えてオフィスビルの一階正面玄関前に行くと、あの高級そうな黒い車が鎮座していた。その隣に、椎葉さんが立っている。
「お待たせしました!」
駆け寄ると、椎葉さんは笑顔で出迎えてくれた。
「走らなくていいですよ」
助手席のドアをあけてくれる。なんというエスコート!
たかだか数万円のワンピースじゃ足りないくらいだ。
シートベルトをして、車が発進する。すっかり闇に包まれた街の灯かりがサイドガラスにきらめく。
少し前には思いもよらなかった景色だ。
人生って、あっという間に変わっていくんだな。
「今日は、高邑さんと行きたいところがありまして。お時間大丈夫ですか?」
「はい」
明日は休みだから、遅くなっても……なんて思っていやいやと首を振る。先走りすぎだって。
「今日は、きれいな夜景をお見せします」
「うれしいです!」
夜景の見えるレストランかな。こんなこともあろうかと、わたしはテーブルマナーについて情報収集してきた。またファストフードが進歩がない。
静かになった車内。ふと、椎葉さんが口を開く。
「僕、高邑さんと出会えて本当に幸せです」
驚きと恥ずかしさのあまり、思わず「ひぇ!」とおかしな声が出そうになる。ずいぶんストレートに、そんな……。
「わっ、わたしも! すごく楽しいです」
世の中、変わり者っているんだな。婚活をしていたときは一度も感じなかったときめきを、こんなに浴びることができるなんて信じられない。こんなにかっこよくてスマートで、それでいてこんなにもときめかせてくれるなんて!
ドライブ中も、椎葉さんはいろいろとお話をしてくれた。たわいない話題ばかりではあったけど、楽しそうにしゃべる椎葉さんはかわいらしくもあった。
車のナビを見ていると、どうやら有明方面に向かっているみたい。東京湾を眺めるレストランかな。
車は有明を通り過ぎ、どんどんと人気の少ない道に入っていく。車道は広いのに、全然車の通りがない。倉庫街だから、昼間はトラックの往来が激しいのかもしれない。
……このあたりに、夜景の見えるレストランなんてあったかな……。
なんだか、嫌な予感がしてきた。やっぱりわたし、騙される!?
「ちょっと、コンビニ寄りましょう」
「あ、はい」
巨大な駐車場を有するコンビニに車を停める。
「高邑さんもここで夕飯買っちゃいましょう」
椎葉さんは白い歯を見せて、車を降りる。わたしも慌てて車を降りる。
ここで、夕飯?
理解ができないながらも、とりあえずついていく。
店内に入った椎葉さんは、おにぎりをいくつかかごに入れていく。わたしはわけがわからないままサンドイッチを手に取った。
「僕が買いますよ。ホットコーヒーも飲みますよね? すみません、ホットコーヒーのMをふたつお願いします」
椎葉さんはわたしの手からサンドイッチを取り、そのまま会計を済ませた。ふたつの紙カップを手にコーヒーサーバーの前へ。
がごがご音をたてるコーヒーマシンの前で、わたしは無意識に砂糖とミルクを手にする。頭が混乱していても、いつもと同じ行動をとれていることに驚いた。
「はいどうぞ」
「お金、出します」
「いいですよ、これくらい奢った奢られたの部類にも入りませんから」
榛葉さんがコーヒーをわたしの前の台に置いてくれる。手にしていた砂糖とミルクを黒い液体に混ぜると、ぼんやりと黒と白が混ざってゆく。
「買っていただいて、ありがとうございます」
気前よくおごってくれた椎葉さんにお礼を言いつつ、車に戻る。
「もうすぐ着くますからね」
椎葉さんはシートベルトをしめると、うきうきしたように車を発進させる。
着く、とは。一体?
今更どこに行くのかと聞くこともできず、ヘッドライトに照らされた人気のないだだっ広い道路を見つめた。
コンビニを出て数分後、目的地についたみたい。
街頭の灯かりをたよりに駐車券をとり、車を駐車場に入れる。
看板を見ると、どうやら公園みたい。夜だというのに、他の車も何台か停まっていた。
「到着です。お疲れ様でした」
「椎葉さんこそ、お疲れ様でした」
車を降りると夜の秋風がワンピースの裾から入ってくる。ジャケットを羽織っているとはいえ、かなり寒い。
そこに、ふわりとコートがかけられた。
「寒いですよね、すみません事前にお伝えしなくて。僕のコート着てください」
「ありがとうございます」
手触りが良すぎるコートにおののきつつ、ありがたく借りることにした。
ふわりと、良い香りがした。香水なんだろうけどあまりに自然なその匂いに椎葉さんの上品さを感じる。厚手のコートだからすごくあたたかい。
それはいいとして……ここはどこ?
夕飯が入ったコンビニ袋を腕にかけて手にコーヒーを持ち、椎葉さんが「こっちですね」と歩いていく。
靴はちょっと前に買ったばかりだから、とケチって正解だった。新しい靴だったら靴擦れするところだった。
しかし、こんなところでなにをするんだろう。変なことされない、よね?




