取り返しのつかないことをした。
わたしの性格が悪いんじゃない、人生うまくいってないから人を妬むんだ。そう言い聞かせてぐっと言葉を飲み込む。
「……そうだね、大坪さんとは毎日連絡しあってるんだ。それとね、最近取引先のイケメンにデートに誘われちゃって」
「えー! なになに、めちゃくちゃ楽しそうじゃん!」
「オフィスもね、すっごいんだよ。とにかく広くてきれいで。車も高そうだし、都会のお金持ちーって感じ」
すごく、感じ悪いことを言っているってわかるけど、止まらない。こうでもしなきゃ、いい人でいられない。
椎葉さんのインタビュー記事をスマホで見せる。
「すご。めちゃくちゃかっこいいじゃん。普段キラキラしてるから、夏芽みたいな普通っぽい人が新鮮なのかな?」
「……まあ、そうかもね」
普通っぽい人。あらためて言われるとなんだかバカにされている気分になる。
わたしだって幸せそうに見られたい。わたしだって羨ましがられるような人生なんだよ。
有名な保険会社の女性と友だち。お金のあるイケメンからデートに誘われた。肩書で紹介していることに寒気すらしてしまう。でも、少しでいいから羨望のまなざしで見られたかった。
「そういえば、年下イケメン上司はどうなったの?」
「日光までハイキングに行こうって予定立ててたんだけど、向こうが風邪ひいちゃって。それから予定は立ってない」
「どうして?」
責められるような口調に、わたしは口ごもる。
「え……大坪さんがいつ遊びに来るかわからないし、椎葉さんからいつデートに誘われるかわからないし……」
馬鹿正直に答えると、千尋はさっきまでの笑顔を曇らせた。自分で言っていても最低なことだとわかっているから、千尋の心も手に取るように分かる。
『最初に声をかけてくれた人をないがしろにするのは良くないんじゃない?』
大人になった千尋は、わたしに物申すこともしない。自分の意見も言わない。ぶつかり合わない。お互いの痛いところをつかないように、手探りで避けあって構築しているギリギリの友情。
「言いたいことがあるなら、言ってよ」
わたしの震えた声に、千尋のきれいに描かれた眉が歪む。
「別に、ない。夏芽には夏芽の考えがあるでしょ」
ふい、と千尋は顔をそらした。しばらく黙った後、ぼそりと口を開く。
「夏芽だって、なにか言いたそうなのいつも我慢してるじゃん。そっちこそ言いたいことがあれば言えば?」
「……千尋には千尋の人生があるから」
千尋と同じような言葉を吐いてから、唇をぐっと噛む。
ここで何かを言ったら終わりだ。
せっかく、ふたりして大人の仮面をつけてにこやかに関係を続けてきたのに。子どもの頃と違って、ケンカして理解しあうという段階はとうに過ぎた。今ケンカをしたらもう戻れない。でもどうせ、海外移住したら会わなくなるんだからいいんじゃないかとの思いも湧いてくる。
千尋に嫌われたくない、千尋を失いたくない。
でもそのうち疎遠になるなら言いたいことを言ってもいいのではないだろうか。
頭の中で、ぐるぐると言葉が渦を巻く。
そのとき、千尋が大げさに「はぁ」とため息をついた。
隣に座るわたしを、大きな瞳でじっと見つめてから口を開いた。
「昔の夏芽は、なんでも思ったことを言ってくれてたのにね、残念」
「それはお互い様でしょ!」
反射的に、わたしは大きな声を出してしまった。
言いたいことを言わなくなったのは千尋もそう。いつも腹の底に言葉を押し込めて、他人事のように境界線を引き、笑顔を貼り付けているのはどっちだ。
お互い様、という言葉に、千尋はまたきれいな眉を歪ませる。
「私は別に、なにも我慢なんて……」
「この家に初めて来たとき、わたしが『明日どうなるかもわからないから、早めに終の棲家を買った』って言ったときに、言いたいことを我慢してたよね。きっと『そんな先のことをを心配してどうするの?』『相変わらずネガティブだね』って言いたかったんじゃないの」
千尋は何も言い返さず、目をそらした。やっぱり。
「さっき、年下イケメン上司の誘いを断ったと聞いたときもそう。『最初に声をかけてくれた人をないがしろにするのは良くないんじゃない?』って思ったでしょ?」
「……わかってるなら、どうして不義理なことをするわけ? ひどいよね、都合のいい時は誘いを受けて、他の人にちやほやされたら捨てるなんて」
「捨てたわけじゃ……!」
亘理さんに関しては、捨てるも何も仲の良い同僚というだけだ。もともと同僚と仲良くするつもりがなかっただけで、千尋が勝手に盛り上がっているだけじゃないか。
わたしがまた言いたいことを我慢している様子を見て、千尋はわたしから距離をとるように座る位置を変えた。
「こっちも言わせてもらうけど。わかってるよ、夏芽が私のことバカにしてるって。子どもがほしいから、海外に移住したいからって、よく知らない年上男とあっさり出来婚したなって思ったんじゃないの?」
「そこまでは思ってない」
「やっぱ、少しは思ってるんじゃん」
思わず言葉に詰まる。わたしたちは、どちらもウソが苦手でごまかせない。
わたしは、自分の人生のためにきちんと合理的に行動できる千尋はすごいと思っている。たしかに、理解しえない部分はあるけれど、それ以上に尊敬している。それなのに、口から出てくるのは毒素を含んだ鋭いものばかり。
ひとつ口にしてしまえば、流れを止めることは難しくなった。
「わたしが思っているのは結婚のことだけじゃない。両親を捨てるの? 千尋は一人っ子なのにひどいじゃない。わたしたちの親って、もうわがままを言える相手じゃない。わがままを聞く相手なんだよ」
わたしの言葉を聞いた千尋は、顔を真っ赤にして立ち上がった。手でお腹を抑えている。それが、怒りによるものだと気がつくのに、少し時間がかかった。さっきまで、言葉を選びながらケンカしていたのに、今の千尋は怒りに震えてうまく言葉を発せないように唇をわなわなと動かしていた。
「……千尋?」
「うるさい! 夏芽は口出さないで!」
20年以上の付き合いでも聞いたことのない、大きな声だった。あっけにとられるとともに、妊婦を怒らせてしまったと今更ながらに気付く。
「親のこと、なにも考えてないわけないじゃない! ずっとずっとずっと、私をバカにして楽しい!?」
荒い息遣いが聞こえてきて、わたしもパニックになる。
謝らなくちゃと思うのに、あまりの剣幕で言葉が出てこなかった。
どうしてこんなに怒っているの? ここまで怒るようなひどいことを言った?
わからない。
でも、さっきまでの怒りとは、いくつもレベルが違う。学生時代からケンカはよくしていた。口喧嘩くらいは何度もあった。
でも今の千尋の怒りは、絶縁という言葉が頭をよぎるほどだった。
千尋は、すぅと息を吸って、目を血走らせて、お腹に手をあてたまま叫んだ。
「夏芽はいっつも、自分だけが不幸みたいな顔して! 人のことなんだと思ってるの!」
なんだと思っているのかという問いかけの意味がわからなくて、わたしはますます混乱する。
でもとりあえず謝らなくてはいけない、と口を開こうとすると、千尋はバッグを手に大きな足音を立てて家から出て行ってしまった。
そんなに、怒ることだった? 両親のことを言われたくなかったの? 結婚のことよりも?
わからない。
けど、わたしのことを「自分だけが不幸みたいな顔してる」って言うのも、どうなの?
そういう傾向はある、と思うけど……。
ソファから立ち上がってウロウロと考えてみるけれど、あんな怒り方をするようなことをわたしが言ってしまったことだけはわかる。
取り返しのつかないことをした。




