俺のこと忘れないで
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「ほらだから言ったじゃないですか! 夏芽さんひとりじゃ心配だって!」
土日をはさんだ翌週の月曜、健康を取り戻して出社した亘理さんに椎葉さんのことを尋ねられて正直に答えたところ、怒られてしまった。
「なんで亘理さんが怒るんですか」
「俺は! 夏芽さんが心配で!」
鼻息荒く怒ってくる亘理さん。そういえば、最初から「夏芽さんは俺が守る!」とか言ってたな。
「椎葉さんのこと知ってるんですか?」
「ぜんぜん知りませんけど!?」
「じゃあどうして」
「男のカンす!」
要領を得ない会話に、わたしは苦笑する。
「午後の業務に間に合うよう会社に送ってくれただけだし、いい人ですよ」
アプリ制作者なのかエンターテイナーなのかわからないふるまいだったなと、非日常だったあの日を思い出して心がわくわくする。手を取って立たせてくれるだなんて! そんな人生があるなんて思いもしなかった。余生、謳歌しているな。
「は? いい人ぉ~?」
気に入らない、という言葉を飲み込むように、お湯を注ぐだけでカレーライスができあがるジャンクフードをがつがつと口に放り込む。わたしは、ほうれん草のおひたしをそっと差し出した。これあげるから、もう椎葉さんとのことに口出さないでほしい。
「今日も優しい夏芽さん!」
紙のミニカップに入ったほうれん草のおひたしは、一口で消えた。
わたしは焼きおにぎりを口にしつつ、わずかな時間のドライブデートを思い返してにやにやする。もちろん仕事の延長であり、椎葉さんの気分転換に付き合っただけなのはわかっている。
でもここ十年ときめく出来事がなかったわたしからしたら、なんだか夢みたいな時間だった。
デスクの上に置いたスマホが震える。何かしらの通知だと思って画面を見ると……大坪さんからだった。
『有給消化でヒマなので、ひとりで江の島に来てみましたー!』
きれいな風景と、おいしそうなパンケーキの写真が送られてくる。
いつのまにかわたしたちは、普通の友だちみたいに近況をいろいろ送りあう仲になっていた。
千尋とは密にやりとりすることは減ったから、なんでもないことをあれこれ連絡しあえる関係の人ができたことがすごく幸せだった。
「椎葉さんですか?」
また不機嫌な様子の亘理さんがちらちらと見てくる。
「違います、カメリア保険の大坪さんです」
「カメリア保険の……ああ」
思い出したように、亘理さんはうなずいた。
「なんか意気投合しちゃって友だちになったんです」
わたしの言葉に、亘理さんはにこっと笑う。
「良かったじゃないすか! 友だち見つかって! 同世代女性がいいって言ってましたもんね」
「ありがとうございます」
亘理さんが自分のことのように喜んでくれてうれしい。というか、38歳にもなって、友だちができて喜ばれるのもなんだか……ではあるけど。
「でも、俺が夏芽さんの大人になってからの友だち第一号ってことは忘れないで欲しいすね」
「その節は、どうも」
ドヤ顔の亘理さんが、ちょっとかわいらしく見えた。でもそのドヤ顔が即座にしぼむ。
「夏芽さんの友人として、先週末にお出かけできなかったことが本当に申し訳ないんすよ」
「朝から何度も謝らなくていいから」
日光に行けなかった件についての謝罪はもう十回くらい聞いた。
「埋め合わせ! します! 夏芽さんに合わせますんで!」
「そうですね」
口ではそう言ったけれど、わたしの頭の中には大坪さんと椎葉さんが占めていて、亘理さんとお出かけしたいという気持ちの優先度は低かった。
大坪さんのように上品で穏やかな同世代女性と話したり、椎葉さんみたいにおしゃれでかっこいい人とドライブしてしまったりしたから。
「アプリ制作が落ち着いたら、また」
あいまいな返事をして、終わらせてしまった。
「絶対ですよ! 新しいお友だちができても、俺のこと忘れないでください!」
必死な姿に、わたしは急に悪いことをしている気分になった。
「もちろんです」
ずっと、わたしにポジティブな声をかけてくれた亘理さんを裏切ったみたい。でももう、心ここにあらず。週末は大坪さんを招く前に家の掃除をしたいし、椎葉さんからいつ誘いがあるかわからないからできるだけ予定は開けておきたい。
亘理さんが嫌ってわけじゃないけど……。あまり心は進まない。
それにしても、ここ最近良いことずくめだな。ブラック企業にいたときや千尋がカナダに行くと聞いたときにそれぞれ絶望していたけど、なんだかんだ状況が良い。人生、プラスマイナスってあるんだな。よかったー!
ほくほくした気持ちで、デザート替わりのプチトマトを口に入れて弾けさせた。




