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縁カウンセラー朝日奈恋九郎〜愛と運命を導くタロットカード〜《不生不滅の蓮華姫スピンオフ》  作者: 慈孝
《塔(The Tower)/XVI》の章 藤原沙耶

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風を選ぶ日(前編)「二つの風、ひとつの太陽」

 春の風が、少しずつ形を持ちはじめる。

 空気の縁に、夏の輪郭が混ざり始めたころ――


 藤原沙耶は、また少し早く目を覚ました。

 カーテンを開けると、朝の光が机の上のラナンキュラスに落ちる。

 花びらの端がわずかに透け、黄色というより白に近い光を返した。


 花の寿命が近いのかもしれない。

 けれど、その少し疲れた色に、奇妙な愛しさを覚える。


 (私も、少しずつ変わっているのかな)


 コーヒーを淹れて、窓を開ける。

 潮の香りがかすかに混じった風が、頬を撫でた。


 その風の中に、ふと恋九郎の声を思い出す。

 ――「行動が、風を変える」。

 それは、彼が何度も言ってきた言葉。

 今の私は、その“変わった風”の上に立っている。

     *

 昼休み、会議室の窓際。

 悠がコンビニの紙コーヒーを差し出した。


「藤原さん、これ。前に好きだって言ってましたよね?」


「覚えてたの?」


「はい。……あとで返さなくていいです」


 その笑顔が、まっすぐすぎて、少し目を逸らした。

 ――彼の優しさは、嘘がない。

 だからこそ、怖い。


「この前のこと、驚かせてすみませんでした」


「ううん。……ちゃんと伝えてくれて、ありがとう」


 言いながら、心の奥で波紋が広がる。

 悠は、少し間を置いてから言った。


「返事はいつでもいいです。ただ、誰かを本気で想うと、

 その人が誰を見てるのかを、知りたくなるんですよね」


 その言葉に、呼吸が止まる。

 見透かされたようで、何も言えなかった。

 代わりに、指先で紙コップの縁をなぞった。

 熱が指に残る。

     *

 その夜、Kokū Counseling。

 沈香の香りが、雨の匂いと混じって漂っていた。


「最近、空気が変わりましたね」


 恋九郎は、彼女の顔を見るなりそう言った。


「会社で、何かありましたか?」


 いつもの穏やかな声。

 けれど、その下に、わずかな緊張が滲む。


「プロジェクトが終わって……告白されました」


 恋九郎の指が、一瞬止まった。

 カードの束の上で、親指がかすかに震える。


「そうですか。……どう感じました?」


「驚きました。でも、嫌ではなかったです」


「“嫌ではなかった”」


「はい。けれど――」


 彼の視線が、自然と彼女を促す。


「……誰かに見てほしいって、

 思ってしまう自分に気づいたんです。

 仕事でも、日常でも。

 あの人はそれを、ちゃんと見てくれる。

 でも……」


 言葉が止まる。

 その沈黙の中で、恋九郎は小さく息を吸った。

 “でも”のあとに続く言葉を、彼もわかっていた。


(自分の名が、続くとわかっているのに――聞けない)

「……迷っているんですね」


「はい。どちらが正しいとかじゃなくて……

 “選びたくない”って思ってしまう。

 どちらも、大切にしたいんです」


 恋九郎は頷いた。


「それは、とても誠実な迷いです」


 そう言いながら、彼は心の奥で痛みを感じていた。

 “誠実”という言葉を選んだのは、祈りのような防御だった。


 一枚、カードを引く。


《吊るされた男 The Hanged Man》。


「“保留”。今は動かなくていい時期です。

 焦って選ぶより、心の向きが自然に傾くまで見つめてください」

 沙耶は、そのカードを見つめながら小さく息をついた。


「先生も、迷うことってありますか?」


「……あります」


「どんな時ですか?」


「誰かの幸せを願うほど、その人が遠くへ行く時」


 彼は笑ってみせた。

 だが、その笑みは、少し滲んでいた。

     *

 帰り道、雨上がりの風が街の明かりを揺らしていた。

 傘を閉じ、少しだけ立ち止まる。


 ビルの窓に映る自分の姿が、以前より穏やかに見えた。

 (迷うことも、進むことの一部なんだ)

 胸の奥で、誰かの声が重なる。


 ――“風は選ばない。ただ流れたい方へ吹く”。

 沙耶は微笑み、歩き出した。


 風の向こうに、ふたりの面影が重なって見えた。

 どちらの風も、やさしかった。


 けれど、そのうちのひとつは、

 心の奥に火を灯すような、温かい風だった。

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