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縁カウンセラー朝日奈恋九郎〜愛と運命を導くタロットカード〜《不生不滅の蓮華姫スピンオフ》  作者: 慈孝
《塔(The Tower)/XVI》の章 藤原沙耶

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太陽の予感(後編)「選ばなかった恋、選び取る未来」

 春の光は、だんだん白くなる。

 プロジェクトが軌道に乗るころ、

 藤原沙耶はもう「婚約破棄された人」ではなくなっていた。


 会議での言葉は明快で、笑顔は控えめだけど温かい。

 服の色味が淡くなり、声の高さが半音上がる。

 彼女が笑うたび、職場の空気まで少しやわらぐ――

 そんな変化を、本人は気づいていなかった。


     *


 その午後、社内の打ち合わせ室。

 窓際に並んだ資料の束が、光を受けて白く光る。

 悠が手元のノートを見つめながら、ふと口を開いた。


「藤原さんって、最初のころよりずっと楽しそうですね」


「え?」


「いや、前は“頑張ってる”感じだったけど、今は自然に笑ってる。

 ……見てて元気になります」


 思いがけない言葉に、心が一拍遅れて動いた。


 悠の視線は、真正面からぶつけるでもなく、ただ、まっすぐ。

 その誠実さが、胸の奥の柔らかい場所に触れた。


 (褒めの先出し……今度は、私がもらう番か)


「ありがとう。そう見えてるなら、よかった」


 悠は照れたように笑って、資料をめくる。

 その笑顔に、不思議と光が重なって見えた。

 胸の奥で小さく鳴った音を、沙耶は気づかぬふりをした。


 ――“善縁はキャッチボールで育つ”。


 恋九郎の声が、微かな残響のように浮かぶ。

 投げたものが戻ってくる。それは、縁の証。

 その瞬間、胸の奥に、かすかに温い風が通った。


     *


 週末、Kokū Counseling。

 いつものように扉を開けたとき、

 恋九郎は机の上の書類を片づけていた。


「藤原さん、ようこそ」


 視線が合う。

 彼の目が、ほんの一瞬止まる。


 今日は髪を結わず、

 肩にかかるラインで切るように下ろしていた。

 自然光が髪に反射し、琥珀色の影を作る。

 恋九郎は、咳払いをして椅子を引いた。


「お変わりありませんか」


「ええ。少しずつ、忙しいけど楽しくなってきて」


「いい傾向です」


 そう言いながら、彼の呼吸がほんのわずかに揺れた。

 目の前の彼女の声色に、心が掴まれる。


 ――もう、誰かのものになるかもしれない。

 その予感が、胸の奥に小さな痛みを走らせた。


「最近、よく眠れてますか?」


「はい。寝つきが早くなりました」


「それは何よりです」


 恋九郎はカードを切りながら、視線を落とした。

 指先に集中していなければ、

 感情が表情に出てしまいそうだった。


 一枚目。《星 The Star》――正位置。


「希望。過去の涙が、未来の光を作るカードです」


「綺麗ですね」


 彼女の声が柔らかく響く。

 その響きに、心の奥の糸が微かに震えた。


 二枚目。《恋人 The Lovers》――再び。


 恋九郎は手を止めた。


(また、このカード……)


 深く息を吐く。


「“選択”のカードです。あなたの前にふたつの道が現れたとき、

 どちらを選んでも構いません。

 大切なのは、後悔しない選び方をすること」


 沙耶は少し考えて、静かに頷いた。 


「……最近、誰かが私を見てくれてる気がするんです」


 恋九郎の心臓が、ひとつ跳ねた。


「見てくれてる?」


「うまく言えないけど……仕事で頑張ってる私を、

 ちゃんと認めてくれる人がいて。

 それが、嬉しくて……怖くもあります」


 彼の喉が、乾く音を立てた。

 問いかけたい名前を飲み込む。


「その気持ちは、悪いことではありません。

 嬉しさと怖さは、縁が動くときの証拠です」


「……そうなんですね」


 沙耶が笑う。その笑顔があまりにも綺麗で、

 彼はほんの一瞬、目を逸らした。

 その横顔に、淡い焦燥が滲んでいた。


     *


 夜の帰り道。

 沙耶が帰ったあと、恋九郎は窓を開けた。


 沈香の残り香に混じって、

 彼女のシャンプーの香りがまだかすかに残っている。

 自分の指先が、その香りを覚えているような錯覚。


「……いけない」


 彼は自嘲気味に呟き、椅子に沈んだ。

 惚れやすい自分を笑うつもりが、笑えなかった。

 彼女の笑顔を見るたびに胸に湧く熱は、

 癒しでも救いでもなく、もっと個人的なものだった。


 “行動が縁を変える”――それが自分の教義。

 だが、もし彼女の行動が、別の男との縁を結ぶものだとしたら――?

 その問いの先に、言葉は見つからなかった。


     *


 数日後、プロジェクトの成功報告会。

 会場には社員たちの笑い声と拍手が響いていた。

 沙耶は壇上で発表を終え、拍手の中で一礼する。

 隣の悠が、マイクを握って言った。


「僕がここまで来られたのは、藤原さんのおかげです。

 ……それと、好きです」


 一瞬、世界が静止した。

 会場のざわめき、部長の視線、元婚約者の硬直。

 すべてが遠くのノイズに変わっていく。


 沙耶は目を見開き、微笑んだ。

 その笑みの奥で、胸の奥が波立つ。

 ――今、この言葉を一番に伝えたい人は、別にいるのに。


「ありがとう。……でも今は、仕事を頑張りたいの」


 それが精一杯の誠実だった。

 悠は一瞬だけ目を伏せ、それから真っすぐに言った。


「分かりました。待ってます」


 その言葉が、奇妙に胸に残った。

 誰かに待たれることの重さと、

 誰かを待ちたいと思う気持ちの両方が、胸の内で静かに揺れた。


     *


 夜、海沿いの道。

 沙耶はKokū Counselingの前で立ち止まった。

 窓の奥に灯がともり、恋九郎の影が机の前で止まっている。


 入ろうか迷って、結局ノックしなかった。

 代わりに、小さく呟いた。


「ありがとう、先生。……私、ちゃんと“今”を選びます」


 室内。

 窓の外で誰かの声がした気がして、恋九郎は顔を上げた。

 誰もいない。

 けれど、胸の奥が温かい。

 机の上のカードの山を手に取り、一枚だけめくる。


《太陽 The Sun》。


 思わず笑みがこぼれる。


「……あの人、きっとまた風を変えたな」


 窓を開ける。夜風が頬を撫でる。

 街の灯が波に映る。

 その中に、黄色い光がひとつ、ふっと揺れた。

 まるで彼女の胸の太陽が、遠くから応えているようだった。

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