その程度で私が満足するとでも?
たまに書きたくなる、スーパーテンプレ物語。
クロディーヌ・マルクイーズは、自分の婚約者第二王子シモンズとルイーズ・バロー子爵令嬢が恋仲になっていることなど、もはやどうでもいいと思っていた。
二人の婚約が決まったのは、二人が五歳の時。侯爵家の後ろ盾と金銭的援助を狙った側妃ルシアと、王家と縁を持ちたいクロディーヌの父マルクイーズ侯爵の思惑が一致したまでの事。家の都合で押し付けられた政略結婚など貴族のデフォルトだ。
二人は会った時から互いが気に入らなかった。怠惰ないばりんぼと勝ち気なプライドの塊は少しも歩み寄る気はなく、妥協を覚えるどころか年を追うごとに関係はギクシャクし、互いを無視することで平静を装っていた。同じ学校に通っていても顔を合わせることはなく、数少ない夜会の同行さえ入場と退場だけ共にし、後はお互い好きなようにしている。結婚前から既に仮面夫婦だ。
互いに干渉しないことで成り立っていた二人の関係に大きく亀裂を入れたのがルイーズ・バロー子爵令嬢、シモンズが言うところの「真実の愛」のお相手だ。
明るく人懐っこく、シモンズの一挙一動に感心し、褒めまくり、励ましてくれるルイーズ。少しドジなところも可愛げがある。睨まない、呆れない、バカにしない、クロディーヌと正反対なルイーズをシモンズは気に入り、学校では時間があれば行動を共にしていた。二人の関係を周知したいのか、最近では恥じらうことなく人前で堂々といちゃついている。
何をしたところでクロディーヌは動じないが、周りはクロディーヌを気遣えと言う。ルイーズとの仲が深まるごとにシモンズはクロディーヌを邪魔者だと感じるようになった。
間もなく卒業だ。卒業すれば一年以内に結婚が待ち構えている。
シモンズはどんな手を使ってでも卒業までに婚約破棄してやろうと意気込んでいた。
ライオネル伯爵家での夜会に招待されたシモンズは、クロディーヌに一人でも必ず参加するように命じた。クロディーヌは元々家ぐるみの付き合いがある家なので言われなくても参加する気はあったが、命じられると不快だった。しかしそろそろ何かしでかす頃だろうと思っていたので、命令に従うふりをした。
夜会当日、クロディーヌは兄のエスコートを受け、会場で知人との会話を楽しんでいると、シモンズとルイーズがそろいの装いで会場に現れた。シモンズはちゃんと会場に来ているクロディーヌを見つけにやりと笑った。
クロディーヌはこの後の展開を想像しつつ、王子に向けて礼の姿勢を取ったが、シモンズは完全に無視し、突然大声で叫んだ。
「クロディーヌ! おまえのような心の醜い女と、これ以上婚約関係を続けることはできん! おまえとの婚約は破棄する!」
来た!
クロディーヌはワクワクする気持ちを抑え、冷静を装った。
傍らにいるルイーズはシモンズの腕にしがみつき、
「私、もう我慢しませんから! クロディーヌ様、今までのこと反省してください!」
と強気で訴えた。
ここは夜会。学校ではない。
一言も話をしたこともない子爵令嬢ごときが侯爵令嬢を名で呼び、王子の威を借りて命じてくるなど、礼儀を知らないにもほどがある。
会場はざわつき、好奇の目を集めながらも、クロディーヌは気にすることなく挨拶の礼を終え、二人をしげしげと眺めた。
「ごきげんよう、シモンズ様、本日は欠席ではなかったのですね」
「おまえなど、同行する価値もないということだ」
価値あるのは自分の愛するルイーズだけとでも言いたいのだろう。
「ごきげんよう、バロー子爵令嬢。今までのことを反省しろ、とはどういうことかしら?」
クロディーヌはルイーズに尋ねたのだが、シモンズはルイーズをかばうように一歩前に出た。
「とぼけるんじゃない。おまえがルイーズに嫉妬して数々の嫌がらせをしたことくらい、わかっているんだ!」
「…全く身に覚えがないですわね。一体どんなことをしたとおっしゃるのかしら」
全く動じる様子も見せず問い返したクロディーヌ。いつもながら可愛げのない様子に、今こそ恋人への罪深い悪事を暴き、この場で断罪してやると、シモンズは意気込んだ。
「おまえは中庭の池にルイーズの教科書を投げ入れただろう! 目撃者もいるんだ!」
「一度や二度じゃないんです。大切なおばあさまの形見のペンだって取り上げられてしまって…」
周囲は聞き耳を立て、「ひどいことを…」とつぶやく人もいないではなかったが、多くはただ成り行きを見守っている。ルイーズはうっすらと目に涙を浮かべていたが、
「…ふうん? それだけ?」
とクロディーヌは全く応えていない。
「私の制服にインクをかけたり、スカートを切り裂かれたことだって!」
「ああ、かわいそうなルイーズ!」
被害者である恋人の決意の告白を勇気づけようと、シモンズは大げさな身振りでルイーズを抱き締め、ルイーズもシモンズにしがみついたが、クロディーヌは白けた顔であくびをこらえていた。
いじめたという内容は、去年流行した小説で使われた手口だ。平々凡々、オリジナリティがない。
「…他には?」
「他には、だと⁉ この悪魔めっ」
「人の見ていないところで押されたり、転ばされたり、…階段から突き落とされたことだって! ほんと、…怖かった…。ううっ」
「何でひどい女なんだ! おまえのような女が王族になるなどもってのほかだ! おまえとの婚約は破棄だ!」
シモンズの怒号にシーンと静まった会場。
シモンズがクロディーヌを指さし、のばした腕がプルプルと震えるほどに長い間を置いて、クロディーヌは、ふう、とため息をこぼした。
「婚約がなくなるのはやぶさかではありませんけど、バロー子爵令嬢への嫌がらせは事実無根、認める訳にはいきませんわ」
「何をいまさら、しらばっくれても無駄だ!」
シモンズは拳を振り上げて怒りを見せた。どうやら令嬢の言葉をそのまま信じているらしい。しかしクロディーヌは近づこうとするシモンズを前に扇を掌で受け、ぴしゃりと音を立てた。それだけでシモンズは足を止め、周囲にいた者までびくりとおののき、姿勢を正した。
「嫌がらせをするとして、この私がそんなつまらない程度で済ませるとお思い? 教科書なんて水に沈めたところで学校に予備がありますし、学生寮に行けばどなたかのお古がいくらでも転がっていますわ。大して困りもしない地味な嫌がらせをして何が面白いのかしら。水に沈めるなら、バロー領を流れるクリーグ河をせき止めて街を沈める方がよっぽど愉快。そうね、ハロル周辺の岩場を崩し、上流から材木でも流せばあっという間に中心地は水浸しかしら? あなたの家も間違いなく水に浸かるでしょうね。ふふふ」
クロディーヌが愉快そうに語るのは、ルイーズの父親の領で最も栄えている街の水没計画だった。領の地形も把握されている。あまりに突拍子もない話に唖然とするルイーズ。地名を聞いてもピンとこず、首をかしげているシモンズはそっちのけで、クロディーヌは話を続けた。
「制服のスカートを切り裂かれたの? あなたは切り裂かれたスカートからご自慢の足を見せびらかしながらお帰りになったのかしら? それとも着替えくらい用意していたかしらね。バロー領は紡績業で有名だもの。学園の制服の縫製も手掛けてらっしゃるとか。制服の一枚や二枚、汚そうが駄目にしようが大したダメージはないでしょう。いっそ紡績工場を廃業に追い込めば少しは堪えるかしら? 生糸を買い占める? 王都につながる道路を閉鎖する? 工場を買収する方が手っ取り早いかしら」
「ば…、買収?」
会場にいた大人達がざわつき始めた。
「マルクイーズ侯爵は買収するつもりなのか?」
「そういえばあの工場の株主だったな…」
学校の中のいじめ話より、投資の話に興味が広がっている。
「それにあなたごときをつき飛ばしたりつまづかせたりして何が面白いの? 学校で階段から落ちたという割に噂にもなっていないわね。どうせやるならもっと人目を引かなくては。私なら夜会の日に婚約者を裏切る男と誘惑する女を王城の城壁に宙吊りにして、皆様にも見ていただくわ。昔から罪人は見せしめにしてからお仕置きって決まってますもの。きっと退屈している皆様にもお楽しみいただけるわ」
城壁からの宙吊りを楽しそうに語るクロディーヌ。その笑顔が無性に怖く、ルイーズはシモンズにしがみつき震えていた。しかしシモンズもまた小さく震えていた。
傍らでライオネル伯爵がシモンズとルイーズを睨みつけていた。今日の夜会の主催者だ。王族に対し、隠すことなく憎悪を向けている。クロディーヌにではなく、シモンズ達二人に。
日程が近かった、それだけの理由で選んだ夜会だったが、この場所を選んだのは失敗だった。察しの悪いシモンズでさえ気がつくほどに、その場の雰囲気は険悪になっていた。
「ご安心なさって、シモンズ様。私、嫉妬するほどあなたに興味はありませんの。もちろん、バロー子爵令嬢に私が直接手を下すなんて、そんな憎しみどころか、関心ありませんわ。一切、全く」
クロディーヌは目の前の元婚約者に優雅に退出の礼をした。
「ごきげんよう。あ、そうそう、婚約は二日前に解消されてましてよ。残念ながら婚約破棄ではなく、解消ですけど。ご希望には沿ってますわよね?」
話が終わるのを退屈そうに待っていたクロディーヌの兄ファビアンは、すがすがしい表情で胸を張る妹をエスコートし、共に会場を後にした。
夜会の二日前に、シモンズとクロディーヌの婚約解消が決まっていた。
隣国の第三王子からの縁談を第四王女が頑なに嫌がり、それをクロディーヌが引き受けることでようやくシモンズとの婚約を解消することが許されたのだ。
王家も侯爵家も双方合意ではあったが、慰謝料の名目でマルクイーズ侯爵家からルシア妃にバロー領の紡績工場の株券が譲渡されると、渋っていたルシア妃も承諾した。
侯爵家からすれば、できの悪い自国の第二王子より隣国の第三王子の方が領のためにも娘のためにもなるという算段だった。
側妃の側から見ても、シモンズは思いのほか出来が悪すぎて、王太子になれる見込みは壊滅的だった。後ろ盾になる家は減っていき、公爵位を得るのさえ難しいのではないかと言われている。
マルクイーズ侯爵家には跡取りがいて、このままクロディーヌと結婚しても侯爵家を継ぐことはできない。
その一方で子爵ではあるがバロー領は紡績業でかなり潤っており、バロー子爵には後継の男子がいない。バロー家を伯爵に引き上げたうえでシモンズを婿入りさせれば何とかなると踏み、ルシア妃はシモンズの結婚相手を切り替えることにしたのだ。あれほど入れ込んでいるルイーズが相手なら、きっとシモンズも納得するだろう。
あんな騒ぎを起こさなくても婚約はなかったことになっていたのだが、何故かシモンズの元にその情報は届かなかった。伯爵家の夜会で婚約者だった侯爵令嬢を貶めるような騒ぎを起こしたシモンズは王の怒りを買い、王位継承権をはく奪された。
しかしルイーズとの結婚は許され、王族との婚姻に格を合わせるためバロー子爵家は伯爵位を与えられ、婿養子となったシモンズが将来領を継ぐことが決まった。
学校を卒業すると、クロディーヌは隣国へと旅立った。
どんな相手でもシモンズに比べればはるかにましだと思っていたが、隣国の第三王子の初見の印象は悪くないどころか、期待以上に良かった。
第四王女には秘密の恋人がいたとはいえ、あれほどまで嫌がった相手だ。警戒心を緩めないように自分に言い聞かせながらも、比較基準があまりに下の下過ぎて、簡単に好感度が上がってしまう。
そう簡単に私が満足すると思わないでいただきたいわ。
つんとすましてみたところで緩む口元が心中を物語っていた。
数年後、バロー領の紡績工場は機器周辺のほこりに引火して火災を起こし、工場は全焼した。
追い打ちをかけるように土砂崩れを起因とした川の氾濫が起こり、バロー領の中心地は水浸しになった。被害は甚大で、平地の中心部に家を構えていた伯爵家も床上浸水にあった。
復興に手間取るうちに、すぐ隣のヴィラール領に最新機器を導入した紡績工場ができた。バロー領で縫製業を営んでいた者達は軒並みヴィラール領に移り、繊維産業の中心地はバロー領からヴィラール領へと移るのにそう時間はかからなかった。
その状況があまりにもクロディーヌが夜会で語った内容に近く、人々はこの災害はかつての婚約者の呪いなのではないかと噂した。
領民たちは次期領主夫妻が王城の城壁に吊り下げられる日が来ないことを祈った。
お読みいただきありがとうございました。
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