2.裏切りと再会
夏休みは受験勉強に専念した。
若林くんは頭がいいから、きっと地元で一番の公立高校に行くはずだ。頑張ってわたしも同じ高校に通えたら、一緒に自転車通学とかできるのかな?
毎朝、待ち合せて「ごめん、すみれ。待たせちゃった?」「遅いよ、修治くん。また寝坊?」とか言いながら・・・デヘヘ~。
そんな妄想は、わたしの勉学へのモチベーションを高め、毎日、朝からひとりで塾の夏期講習に行き、遅くまで自習室で勉強するという地味な夏休みにも耐えられた。
また、塾の帰り道には、決まって駅前の古書店に寄った。
「この本、若林くんが好きそうだな~」とか、「この展開、きっと驚くだろうな~」とか妄想しながら本を選ぶ時間は、毎日が勉強に塗りつぶされた中3の夏休みの中でのわずかな楽しみとなり、気づけばわたしの本棚には若林くんに貸す予定の本であふれていた。
また、古書店では新たな出会いもあった。若林くんに借りたアルスラーン戦記のコミカライズ版を見つけたのだ。コミカライズ版は小説版にも増して面白く、毎日少しずつ立ち読みしていたが、ある日、若林くんに借りたところまでストーリーが追い付いてしまい、悩んだ挙句、そこから先を読み進めるのを止めた。「やっぱり一番最初は、彼から借りた本で読みたいよね!」とか純情なことを考えて・・・。
そんな感じで中学最後の夏休みはあっという間に過ぎて行き、最終日となった。
この日は塾がお休みで、一人で家でお留守番をしながら勉強していたのだが、突然雨が激しく降り始めたことに気づき、洗濯物を取り込むためベランダに飛び出した。
急いで洗濯物に手を伸ばすと、団地の端の方にピカッと光るものが見えた。
「雷かな?」と思い、そっちの方を見ると自転車置き場の庇の下で、山本メグさんが強烈な光を放ちながら雨宿りをしている様子が見えた。誰かと一緒のようだがそちらの顔は見えない。
「ああ、急に降られちゃったんだ、かわいそうに。」と思っていると、山本さんは急に頭を下げて隣の人に顔を近づけた。
「えっ?あれ・・!?キスしてるよね!!」
彼女が放つ強い光のせいでよく見えなかったが、たぶん間違いないと思う。
「うわ~っ!すごいもの見ちゃったよ~!」と大興奮しながらも、洗濯物が濡れてしまうので、急いで取り込んで部屋に投げ入れる作業を優先した。
洗濯物の取り込みが終わり、ベランダに戻って自転車置き場を見ると、そこにはもう山本さんたちはいなかった。
ただ、一本の傘に二人で入りながら歩いていく後ろ姿が見えた。
一人は山本さん、もう一人は、うちの中学のジャージを着た、山本さんよりも少し背が低い、それでいて山本さんと同じくらいギラギラした光を放っている男子だった・・・。
★★
「あれはなんだったんだろう・・・。」
新学期が始まってから数日間、わたしは自席で本を広げながら、頭の中ではずっと同じ自問自答を繰り返していた。
新学期が始まっても、若林くんはわたしに声をかけて来ることはなかった。わたしも彼に声をかけることはできなかった。夏休み明け初日から、若林くんは、一人の時でもずっとギラギラした光を放っており、とても近づくことはできなかったからだ。
一学期に始まった本の貸し借り、わたしの勝手な気持ちの盛り上がり、夏休み最終日に見た裏切り。その全部について思う。
「あれはなんだったんだろう。」
この胸の一部を失ったかのような喪失感はなんだろう。わたしは何を失ったというのか?ただ以前の自分に戻っただけなのに・・・。
もともと何もなければ、いまごろこんなにモヤモヤと悩むことなく、平穏な学校生活をおくっていたはずだ。
「ウソつき~!!」
「勝手に期待させといて、ひどい!裏切者!!」
「騙したな、だましたなァアアアアアア~!!」
「わたしの初恋をかえせ~!」
毎日、お風呂の時間に湯船に顔を付けて、お湯の中でわたしの思いをいろいろな言葉にして叫んでみるが、どれもしっくりこない。叫ぶたびにかえって気持ちが落ち込んでしまう。
「悔しい~!見返してやりたい!」
ある日、湯船の中で、初めてわたしの心にぴったりとはまる言葉が降りてきた。
そうだ。わたしは見返してやりたい。みんなにとって特別な人じゃなくて、自分にとって特別な存在がいいとか言って、さんざん期待させたわたしを裏切って、結局は美人で強い光を放つ、みんなにとっての特別を選んだ、あの若林修治を!!
勉強ができるのが自慢のあいつよりも、絶対に高いレベルの高校、大学に行ってやる!
それで20歳の集いで再会した時に、今と見違えるようにキレイになってて、素敵な彼氏もいて、「あ~!こんな才色兼備な人を・・・逃した魚はでかかった!」とか後悔させてやる!!
こんな子供じみた誓いだったが、わたしの心の支えになってくれた。
すぐに彼の志望校である地元の公立高校よりも偏差値が高い、しかし家からかなり離れた私立の女子高に目標を切り替えて猛勉強した。
お母さんは、お風呂で毎日奇声をあげ続けた挙句、急に猛勉強をし始めたわたしを心配したのか、お弁当にわたしの好きなおかずを作って入れてくれるようになった。今日も鶏肉の磯辺巻が入っていて思わずニヤケてしまった。
こうして頑張っていると、時間が早く流れて行ってくれるのはありがたい。
秋が過ぎ、冬が来て、年が明けて、わたしは志望校に合格し、いつのまにか卒業式の日が来ていた。
卒業式の最中、わたしは不覚にも涙を流してしまった。みんなとの別れを悲しんだわけではなく、この半年間よく耐えたよと自分で自分を褒めたら、感極まってしまったためだ。
★★
高校時代については特筆すべき事項はない。
毎日、マンガを読みながら長時間電車に揺られて通学し、帰りには長すぎる授業と多すぎる課題で有名な鉄緑会に1年生から通った。
楽しみと言えば、配信されるアニメの鑑賞くらいだ。あいつに借りたアルスラーン戦記がアニメ化していることを知って、軽い気持ちで観たらドはまりして、そのまま同じ作家の作品、おすすめの作品とはしごしているうちに、すっかりオタクになってしまった。
こうして、わずかな楽しみを除いて、わき目もふらず頑張り続けた結果、無事に最難関の大学に合格できた。
合格発表の次の日、先生に報告に行くと、ずっと高校で一番だった子が落ち込んだ顔で報告に来ていた。事情を聞いたら、予備校で知り合った男子と付き合い始めて一緒に頑張っていたのだが、彼だけ合格し、自分は不合格になったと泣きながら話してくれた。
「あ~あっ!わたしは恋愛になんかうつつを抜かさなくてよかった~!!」
その日ばかりは、お風呂の湯船に顔を付けながら快哉を叫んだ。
★★
4月、わたしは大学入学前のオリエンテーション合宿に向かうためバスに揺られながら感慨にふけっていた。
思えば遠くまで来たものだ・・・。今思えば、ちょっと本の貸し借りをしたくらいで、『騙された~!』『悔しい~!』とか、わたしも大人げなかったよね。若林くん、どうなったかな?あんな強い光を放つ山本さんの側にいたんだよ。きっと身を焼かれちゃってとても勉学に集中することは無理よね。どこまで落ちぶれてるかな~?それで今のわたしの姿を見たらどう思うかな~?デヘヘ~ッ!
「小林さん・・・大丈夫?」
隣に座った素朴な顔だちの女子が心配そうな顔をしている。おっと、いけない。顔を引き締めないと。
「ううん、大丈夫。ちょっとバスに酔っちゃったかな?フフッ。」
わたしが清楚に微笑み返すと、その子は安心したのか通路を挟んで反対側に座る男子との会話に戻って行った。
わたしはその姿を横目でチラチラ見ながら、心の中でほくそ笑んだ。
「彼女くらいであんなに男子に関心を持たれるなら、きっとわたしはモテモテで選び放題だ!!」
中3の初恋は裏切られた。高校の3年間は女子高で勉学に打ち込んだ。だから大学では素敵な恋愛をしてみたい。
そう思い髪を伸ばし、メガネもやめてコンタクトにした。しかも今日はいとこのお姉ちゃんに入学祝いに買ってもらったおしゃれなシャツとスカートで武装している。完ぺきだ。女子が極端に少ないこの大学ではチート級の強者のはず。
素敵な恋ができそうな人がいるといいな。でも、誰でもいいわけじゃない。せめてあいつを見返せるくらいの人じゃないと・・・。
宿舎に着いた時、わたしは見つけてしまった。あの若林くんと同じような淡い優しい光を放つ人を。
きっとこの人だ!近くで見ようと駆け寄りかけて、すぐに気づいてしまった。
「こいつ、本人だ・・・。」
合格の余韻も、感慨も、新生活への浮ついた気持ちも、すべて吹っ飛んでしまった。わたしは恋愛を含むすべてを捨てて勉学に打ち込んでやっと合格をつかんだのに、こいつは美人の彼女と楽しくやりながら同じ結果かよ・・・。不公平すぎる・・・。
わたしは静かに若林くんと距離を置き、入学してからも接点を持たないようにした。
★★
「あ、あの・・・もしかして小林すみれさん?武富中学校にいた。」
わたしが若林くんに大教室で話しかけられたのは、4月も半ばになった頃だった。
わたしは、とうとう見つかってしまったかと思い、フッと一息ついた後、冷静を装って笑いかけた。
「うん。そうだよ。若林修治くんだよね。久しぶり。」
「やっぱりそうだ~!!よかった~!ひさしぶり~!!」
若林くんは弾けるような笑顔を見せておおげさに喜んでくれた。声が聞こえたのか近くの席の友達もチラチラとこちらを見ている。
「声をかけようと思ってたんだけど、自信が持てなくて・・・。小林さんは気づいてた?」
「うん・・・あっ、でもなんか声をかけそびれちゃって・・・。」
気づいていたけど、実は避けていたなんて言えない。
「懐かしいよね。こっちに地元の友達が全然いないから心強いよ。あっ!よければLINE交換しようよ!!」
彼は、いかにも手慣れたという感じでスマホを取り出してきた。
わたしは、内心ではためらったが、ニヤニヤと視線を送る友達の目もあったので表面ではにこやかにIDの交換に応じた。
その日の晩から、若林くんからLINEでメッセが届くようになった。『授業なに取ってる?』とか、『連休は帰省するの?』とか、どうでもいい内容ばかりで返信が面倒だ。
また、キャンパスを歩いていると若林くんに声を掛けられることも増えた。たまに学食で一緒にご飯を食べながら愚痴をこぼし合うこともあった。あ~あ、断り切れなくて迷惑だな~とか思いながら・・・・。
あっ、ちなみに山本メグさんとはとっくの昔に別れたらしい。だからってわたしとは何の関係もないけど・・・。
★★
「この本、ずっと借りたままで・・・ごめん。」
5月の連休が終わったある日、大教室での授業後、若林くんが近づいてきて、懐かしい本を差し出してきた。
「あっ!狼王ロボだ!懐かし~!!」
子どもの頃にお父さんに買ってもらった大事な本と再会できて素直に嬉しかった。そうか、見なくなったと思ったら、こいつが借りパクしてたのか・・・。
若林くんは、わたしが本を見て喜んでいる様子を見ながら、何か言い出したそうにもじもじしている。わたしが本から彼に視線を向けると、おずおずと口を開いた。
「中学の時、ごめん。一方的に本の貸し借りを止めちゃって・・・。」
「ああ、うん。いいんだよ。」
反射的にそう言った後、思わずわたしは若林くんをじっと見つめてしまった。その表情には後悔と反省が浮かんでいる。
そうか・・・。わたしが勝手に騙されたと思い込んでたけど、若林くんも気にしてくれてたんだ。もう許してやってもいいかもな・・・。
「じゃあさ、代わりと言っては何だけど、一緒に狼を見に行こうよ!上野動物園とか行ってみたかったんだ!」
なんでこんなことを言ってしまったのかわからない。この授業の前に生協で立ち読みした雑誌に載っていた上野公園特集の記事が頭に残っていたからだろうか。失言に気づいて慌てて取り消そうとしたが、時すでに遅し。
「うん、いいよ!いつ行こうか?」
優し気な声と魅力的な笑顔での誘いに打ち克てるほど、わたしの精神は強くなかった。
ーー
「もしかして、これはデートというやつでは・・・?」
この日はお互いに取っている授業が午前中しかなかったため、大学から一緒に上野公園に向かったのだが、人生で初のデートだと気づいてから、ずっと心臓がドキドキしている。
そんなわたしの内心の動揺を知ってか知らずか、若林くんはのんきに会話を進めてくる。
「上野動物園ってパンダもいるんだよね。」
「う、うぇっ・・・。あっ、ああうん。あの、知ってる?パンダって中国からレンタルしてて、レンタル料は年間1億円超えるんだって。外貨稼いで愛国心強いよね~。」
「へ~、よく知ってるね。パンダも狼も初めてだし楽しみだよね~。」
焦ってよくわからないことを言ってしまったわたしとは対照的に、若林くんは落ち着き払っている。わたしと違ってデートに慣れているんだな、と思うとなんか憎らしい。
上野動物園にはロボと同じ種類の狼はいなかった。パンダもこの日はお休みだった。
ああ、わたしが下調べせず誘ってしまったせいだ・・・。きっと若林くんもガッカリさせちゃったかも。さっきからずっとスマホ見てるし。
「小林さん、もう動物園出ても大丈夫?まだ動物見たい?」
「ああ、うん。もちろん。帰ろうか?」
そうだよね、わたしと動物見てもつまんないよね・・・。ああ、人生で初デートは苦い思い出になったな・・・。
「もう時間ない?もし時間があれば国立科学博物館に寄って行かない?調べたら、そこでは狼とか見られるみたいだよ。剥製だけど・・・。」
彼がスマホで見つけてくれた国立科学博物館は楽しかった。
「見てこれ、南極物語のタロジロのジロだって!こんなとこにいたんだ!」
「意外に大きいね~!」
なんだ、最初からこっち来ればよかった。
他にも二人でいろいろな動物とか科学展示とかを見て「すごいね~!」とか「知らなかった~!」とか言って素直に大興奮した。
それ以降、若林くんはわたしをちょくちょくデートに誘ってくるようになった。スカイツリーにも行った
「高いね~。あ~。歩いてる人が見えるよ。」
「見たまえ!!まるで人がゴミのようだ~!」
「・・・・・。」
あっ!しまった。ノリを間違えた、いきなりムスカのモノマネは受け止めきれない。そう思った瞬間だった。
「バルス!!」
「うわ~、目が、目が~!!」
アニメ好きなわたしのノリにも瞬時に合わせてくれた。優しい・・・。
恋愛小説の映画にも誘われた。周りがカップルばかりで圧倒されたのだが、チケットを買う時にさらに驚いた。あいつは何のためらいもなくカップル割を選んだのだ。
「うぇ、カップル割!?」
思わず変な声を出したわたしに対しても優しく微笑んでくれた。
「カップル割だと特典があるし・・・。ダメかな。」
わたしはブンブンと勢いよく首を振った。
そうか・・・わたしたちはもうカップルだったのか・・・。
彼は、わたしのオタク趣味にも理解があって、聖地巡礼にも付き合ってくれた。下北沢に行ってさんざんモデルになった場所を歩き回った後に、ハンバーガーショップでいかにそのアニメの作画が素晴らしいか2時間にわたり熱弁した時も、まったくひかずに微笑んで聞いてくれた。
こうやって一緒に遊びに行くのも楽しかったが、何より、二人だけの時に彼から放たれる淡く優しい光と温かい声は心地よく、わたしを幸せな気持ちにした。
いつのまにかお互いに名前で呼ぶようになったし、もう付き合うのは時間の問題だろう。あとは告白されるのを待つだけ・・・。
この頃のわたしは、こんなおめでたいことを考えていたのだが・・・。