1.出会いと期待
「え~っ!おめでと~!!」
「すごいね~!!よかったね~!!」
わたし、小林すみれが4月に入社したばかりの保険会社の同期飲みで、大学卒業前に修治からプロポーズされて今年結婚すると報告した時、その場の全員でわたしを祝福の空気で包んでくれた。
これまでの22年あまりの人生の中で、ほとんど主役になることがなかったわたしにとって、この空気は、こそばゆいような腰が落ち着かないような、それでいて居心地は悪くない。
「それで?馴れ初めは?」
「プロポーズの言葉はどうだったの~?」
「そうそう、それ聞きた~い!!」
向かいの席の同期女子たちの発言をきっかけに周囲から一斉に視線が集まってきた。
ここでドラマチックな馴れ初めとか、ロマンチックなプロポーズとかの話をすれば盛り上がるのだろうが、残念ながらそのどちらの期待にも応えられないのが心苦しいな。
「中学3年の時のクラスメートで、たまたま同じ大学で再会して仲良くなって、それで卒業間際に動物園で、地方に転勤になるなら結婚しようかってプロポーズされたっていうくらいで・・・。」
こんなつまらない話しかできなくて申し訳ないと思い目を伏せたが、周囲の反応は意外だった。
「え~!!つまり中学生からの縁が続いてそのままゴールインってこと?」
「うらやまし~!!そんなずっと想い合うような一途な恋愛してみたい!」
ずっと想い合う?一途な恋愛?なにそれ?誰の話?
「すみれだけをずっと見てたってことでしょ!誠実だよね~!!素敵!うらやましい!」
わたしをずっと見てた?誠実?あいつが?まさか!!
「ああ、うん。誠実な人だよ。幸せだよね~。」
周囲が勝手に作り上げた純愛ストーリーを否定して場の空気を壊してしまうのもどうかと思ったので、とっさに話を合わせたが、とても納得できなかった。
一方的に修治に振り回されっぱなしで、ずっと苦労してきたのに、最後に結婚することになったっていうだけで「一途」とか「誠実」といった評価になってしまうことに・・・。
★★
中学3年の始業式の日、わたしは右斜め前に座った女子生徒から目をそらしながら、新しいクラスでの配席と自分の能力を恨んでいた。
わたしは、小さい頃から、ごくたまにだが光を放っている人を見つけることがあった。
比喩ではなく、文字通りライトのように後光を放っているのだ。最初は何か光ってる人がいるな~と思って見つける度に指をさしていたが、小学生になる前くらいに母から注意されたことで、やっとその光がわたしにしか見えないことに気づいた。
この光が何を意味するのか?わたし自身も実は分かっていない。
ただ、光を放つ人は例外なく周囲に人が集まってくる人気者だったので、おそらく人を惹きつける魅力みたいなものが可視化されたのだろうと思っている。
光が見えるだけであれば生活に支障はなかっただろう。ただ、その光はまぶしく、直視すると目を焼いた。しかもその光をずっと浴びていると決まって体調が悪くなる。
しかも被害に遭うのはわたしだけではない。強い光に惹きつけられて不用意に近づきすぎた人たちが身を焼かれて、ひどい目に合う様子も見てきた。
小学校の頃、団地に強い光を放つ同い年くらいの男の子がいた。わたしは警戒して距離を置いていたのだが、同じ団地でわたしと仲が良かった紗代ちゃんが、その光に惹かれてうっかり声を掛けてしまったのだ。
紗代ちゃんは、最初はその男の子と仲の良い友達として一緒に遊んでいただけだった。でも、そのうちどんどんその男の子に執着するようになり、常に側にいてその子の機嫌ひとつに一喜一憂し、気づけば機嫌を取るために言いなりみたいになっていた。しかも、疑心暗鬼になってその男の子に近づく全員に嫉妬し、心配して声を掛けたわたしに対しても憎しみのこもった目を見せるようになった。
そのうち紗代ちゃん本人もおかしいと気づいたらしく何度もその男の子と距離を取ろうとしたのだが、時すでに遅し。その子の光に完全に捕らわれていた紗代ちゃんは、離れようとしてもその男の子に少し優しい顔をされるだけで決意が揺らぎ、前と同じようにその子に執着する日々の繰り返し。悩んだ紗代ちゃんはどんどん憔悴していった。
いじめを心配した紗代ちゃんのお母さんから相談されたこともある。
その後、たまたま、その男の子が団地からよそへ引っ越して行ったので、なんとか紗代ちゃんは泥沼から抜け出せたのだが、それがなかったらどうなっていたことか・・・。
また、家族ではおじいちゃんがそうだった。いつも強い光を放っていて、たまに遊びに行ってもあまり近寄ることができなかった。わたしが中1の時に亡くなったのだが、祖母がお葬式で、『あの人にはさんざん苦労させられて、だけどどうしても離れられなくて添い遂げてしまった。』と泣きながら零していた。
親戚のおばさんがこっそり教えてくれたのだが、おじいちゃんは若い頃から女性に異常な人気があり、結婚する前も結婚した後も、おじいちゃんに執着した女性への嫉妬に悩まされてきたのだそうだ。
こういった経緯があるので、わたしは、そういった光を放つ人を見つけた時にはなるべく近づかないようにしている。
しかし、今年は最悪だ。よりによって同じクラスにいるとは・・・。
まあ、女子であるのが不幸中の幸いだが・・・。
その女子の名前は山本メグ。ハーフで外国人モデルみたいな容姿と、陸上選手として全国レベルの知名度を誇り、間違いなく周囲の人間を強く惹きつけている。今も男子、女子を問わず、みんな山本さんの方をチラチラ盗み見て、話しかけるタイミングを探っているようだ。
わたしは、山本さんから放出されている初夏の太陽のような光をとても正視できず、目が焼かれるのを避けるため、本を読むふりをして目をそらそうとした。
その瞬間、ガラッと教室の扉が開き、一人の男子が入って来た。その男子を見つけた瞬間、山本メグが立ち上がり、「あ!若林じゃん!!なにまた同じクラスなの?腐れ縁だよね~!!」と言いながらその男子に近づいて行った。
思わず、チラッとそちらの方を見ると驚いた。
山本さんとハイタッチしている男子からも強烈な光が出ているのだ。二人合わせると猛暑の太陽のようだ。
ひぇ~。とんでもないクラスになってしまった。こんな環境で1年間無事にやっていけるんだろうか・・・?わたしは初日から暗澹たる気持ちになった。
とりあえず、わたしは目を焼かれないように、先生に視力が低くて黒板が見えにくいからと申し出て一番前の席にしてもらった。これで授業中は二人を見なくて済む。
また、可能な限り山本メグと、もう一人の男子、若林修治くんとは距離を置くことにした。
もっとも、クラスの中心的な陽キャである二人と、地味で読書好きなわたしでは、もともと居住地域が違うから距離を置くのに苦労はなかった。これでなんとか1年間やり過ごせるかな・・・?
「狼王・・・ロボ・・・?」
「えっ?」
ある日、わたしのかりそめの平穏はこの一言で崩れてしまった。わたしが退屈しのぎに家から持ってきたシートン動物記を読んでいたとき、ふと掛けられた声に顔を上げると目の前に若林修治くんがいたのだ。あまりに意外過ぎて思考がフリーズしかけたが、目を焼かれないよう慌てて目をそらす。
「あっ、ごめん。タイトル見てどんな話かなって思って。気にしないで・・・。」
彼の声は意外にも優し気で、耳に心地よかった。
でも、早く立ち去ってもらわないとわたしの健康に害がある。
わたしは目をそらしながら本の内容を手早く説明した。きっとシートン動物記なんて、こんな文字通りキラキラした男子には刺さらないし、ちょっと説明すればすぐに興味を失うでしょと思いながら。
「よくわかったよ。へ~!おもしろそう!ぜひ読んでみたいな~!!」
え~!なんで?なんでそうなるの?わたしは目をそらしているため、表情はわからなかったが、彼はわたしの机に手を付いて身を乗り出しており、この本に強い関心を持っていることは明らかだ。
「じ、じゃあ・・・、この本あげる。読んで・・・。」
もうこの本を渡して去ってもらうしかない。子どものころからお気に入りの本だったけど視力と健康には代えられない。さようなら狼王ロボ・・・。
そう思ってわたしは、目をそらしながら若林くんの方へ本を突き出した。彼はしばらくためらっていたが、本を受け取ってくれた。
ほっ・・・。やっと立ち去ってくれると安心したが、やつはなぜか意外なことを言い出した。
「あっ、そうだ。じゃあ、もしよければこの本読んでよ。一方的に借りるのも悪いし。」
そう言って若林くんは、カバンから本を取り出してわたしの机に置いた。
「・・・・え?」
予想外の行動にどうしたらよいかわからずまたしても固まっていると、向こうの方から「部活行くよ~。」という声がして、彼はやっと向こうへ行ってくれた。わたしの机にその本を置いたまま・・・。
机に置かれた本を見ると、「アルスラーン戦記」というタイトルだった・・・。
若林くんと本の交換をしてから数日後、わたしは2つの意外なことに気づいていた。
まず、彼から借りたアルスラーン戦記、とても面白かった。さすがにまったく読まないで返すのは失礼だと思いパラパラと読んでみたのだが、怒涛の展開にあっという間に引き込まれ、気づけば読み終わっていた。しかも続き物らしく、この後アルスラーンがどうなるのかすごく気になる・・・。
それからもう一つは若林くんが放つ光のことである。あの日以来、チラチラと彼の方を観察していたのだが、若林くんが放つ光には二種類があることがわかった。山本さんとか、他のクラスの中心メンバーと一緒の時はギラギラと8月の太陽のような光を放っていて1秒と見ていられないのだが、一人でいる時は淡く優しい光を放っていた。試しにじっと見てみたのだが目が焼かれる感じはなく、いつまでも見ていられる気がした。
これらの観察を経て、一人でいる時に短時間の接触であれば人体に害はないと判断し、借りていた本を返すために、一人でいるタイミングを見計らって若林くんの席に近づいた。
本を返したら、電光石火で離脱して、それ以降二度と近づかないつもりだったのだが、この時さらに意外な事実に気づいた。若林くんが放つ光を浴びても体調を崩す気配がない。むしろ少し心地よい。まるで春に日向ぼっこしているような・・・。
「アルスラーン戦記どうだった?」
しまった!あまりの心地よさに離脱のタイミングが遅れて感想を聞かれてしまった!
「あっ、あのまさかあんな怒涛の展開になって、アルスラーンが苦境に陥るなんて想定してなくて・・・。こうなってくるとアルスラーンも大変だな~、王子も楽じゃないよね~、あの後、彼、どうするつもりなのかなって心配になってよく寝れなくて、エヘヘッ!」
焦って早口になり、訳の分からない感想しか言えなかった挙句、最後には気持ち悪いひきつった笑顔までオマケしてしまったが、そんなわたしを若林くんは微笑みながら黙って受け止めてくれた。
「あっ、ごめんね。また一人でしゃべっちゃって・・・。」
「ううん、興味を持ってくれてうれしいよ。じゃあ2巻も持ってくるからさ。ぜひ読んでよ。」
あれ?また本を貸してもらえる流れになってる?
わたしは恐縮し断ろうとしたが、続きを知りたいという誘惑には勝てず、結局2巻も借りることになった。
そのタイミングで教室に先生が入ってきたが、去り際に「小林さんも、お薦めの本があれば紹介してもらえるとうれしいな」とつぶやいていたのが耳に入った。
こうして、わたしと若林くんとの間での本の貸し借りが始まった。
彼はアルスラーン戦記を順番に貸してくれたし、わたしはお礼に好きだった恋愛小説を貸してあげた。
なぜ恋愛小説?意味が深すぎない?誰もがそう思うだろう。実は、最初に貸す本をどうしようか、悩みに悩みに抜いた末、考えが煮詰まってしまい、結局出オチのつもりで、『きみの膵臓をたべたい』を選んだところ、思いのほか若林くんから熱い感想を伝えられ、同じ作家の作品を続けざまに貸すことになったのだ。だから決して深い意味などない!
こうして、わたしは若林くんと本を貸し借りし、ついでに短い感想も交換する関係になった。
ただ、わたしも一応、思春期の女子である。成り行きとはいえ恋愛小説を貸し、しかもキュンとするような表情をされながら、「胸が締め付けられた」みたいなかわいらしい感想を聞かされ続けていると、当然、彼のことを意識するようになる。
二人だけで話している時の淡い心地よい光も、その優しい声も、徐々にわたしの正常な判断を狂わせた。
ある日、彼から本の感想を聞いている時、ふいに「こんなわたしが恋愛小説なんて恥ずかしいよね。恋愛に全然縁がないのに。」と思わず漏らしてしまった。
言ってしまってから、なんと大胆なことを言ってしまったのだろう、まさか恋愛とかに興味があるとか思われたんじゃないかと、心の中で頭を抱えて悶絶していると、彼は優しく微笑んでフォローしてくれた。
「全然おかしくないよ。小林さんみたいな主人公の恋愛小説もあると思うし、あればぜひ読んでみたいな!」
この人は、なんでこんなにも優しい声で自然にわたしの心をくすぐるようなことを言ってくれるんだろう。そういえば、お父さんとお母さんからは、すみれは肌がきれいだから、きっと将来は美人になるって言われてるし、別にわたしが恋愛物語の主人公でもおかしくないよね・・・。
そんな感じで勝手に気持ちが盛り上がっていたわたしだが、気になることが一つあった。
若林くんは、山本メグさんと仲良くしている。よくふざけて親友とか言い合ってるけど、本当のところはどうなんだろうか・・・?
ある日、貸した本の内容にかこつけて勇気を出して聞いてみた。
「やっぱり美人で明るい子を好きになるのが普通じゃないかな?現実にはそういった子に好かれているのに、わざわざ地味な子の方を選ぶことはないよね。そういった意味ではこの物語はリアリティがないかもね・・・。」
あさっての方向を見てそう言いながら、チラチラと若林くんの表情を盗み見た。
「そうかな?僕は全然あると思うけど・・・。」
この流れになった時、わたしは「きたきた!」と思った。この展開にするために、一週間前に、わざわざ、主人公が美人な人気者ではなくあえて地味なヒロインと結ばれるこの本を選びこの会話に誘導したのだ!
「え~っ!たとえば、このクラスだったら、山本さんみたいな美人で特別な存在がいたら、普通の男子は山本さんの方を選ぶんじゃないかな~?」
わたしは努めて平静を装い一週間前から準備していたセリフを繰り出した。思えばわたしも大胆になったもんだ。
わたしの気持ちを知ってか知らずか、そのまま若林くんは腕を組んで真面目に考え込んだ。
「う~ん、男子一般はわからないけど、僕にとっては、他の人にとって特別な存在であるかよりも、自分にとって特別な存在の方が大事だよ。彼女が自分だけに特別な存在って思えたんだったら、その子と結ばれるのは十分リアリティあると思うけど。」
この返答を聞いた時、わたしの心臓は跳ね上がった!!
「自分にとって特別な存在」それってつまり・・・。
夏休みまであと10日ほど・・・。
もしかして夏休みに会おうって話になったりするのかな?わたしの期待は最高潮に膨らんでしまった。
翌週の月曜日、期待に反して夏休みの約束はなかった。
それどころか「もうすぐ夏休みだし、いったんここで区切りにしよっか。」と言われてしまい、「もしかしたら、夏休みも本の交換のために外で会おうかって言われるかも・・・?」という、わたしの勝手な期待も裏切られてしまった。
まあ、そんなうまくいかないよね。そう思う反面、わたしは別のことが気になっていた。
今日の若林くんは、やけにギラギラした光を放っているのだ。いつもは一人だったら淡い光なのに・・・。
「目を焼かれてしまう!」と思い、なるべく彼の方を見ないでいると、この日のやり取りはいつの間にか終わっていた。