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4. 誰が為に光さす

「うっわ、すごい顔」

 顔を洗ったアリシアは、鏡の中に映る自分を見て思わず呟いた。

 上まぶたと下まぶたがぷっくりしていて、指で挟めばぷるんぷるんしそうなほどだ。泣き明かした代償は思ったより大きい。

「女神様の加護、腫れには効かないんだなあ……」

 日ごろから聖女には『神に仕えるものとして、装いをおろそかにしないよう』という指導がなされている。高価な鏡がこの宿舎にあるのも、院長の計らいらしい。この腫れぼったいまぶたはどうなのかな……とアリシアは鏡の中の自分をまじまじと見つめた。

「っと、今日聖水当番だ!!」

 アリシアは髪をざっと梳かすと、そのまま洗面所を飛び出した。廊下で別の聖女に「走っちゃだめよ」とすれ違いざま注意され、「はあい!」と元気に返事して階段を駆け下りる。溜息が聞こえた気がするけど、足を止めてる暇はない。最後の二段を飛び降りて、アリシアは宿舎の扉を勢いよく開け、跳ねるようにして外に出た。

 朝の光は、変わらず世界を照らしている。

 その刺すような眩しさに、アリシアは腫れた目を細めた。


 聖堂脇の外廻廊を抜け、息を整えてから清備の間に入る。夜の間に清められた聖水は大きな瓶に詰められ、ここに安置されていた。ひんやりとした空気をいっぱいに吸い込んでから、アリシアは一抱えほどもある瓶を両手で持ち上げる。

「あっ…と、と」

 意外な重さに一瞬足がもたついた。ひやりとしたものが背筋を走る。

 聖水には特別な祈りが込められていた。聖域で力を蓄えた石に、力の強い聖女が交代で祈りを捧げる。それを一年間繰り返し、神殿から各地の聖堂や教会に配られ、さらにそこで聖女や聖職者が祈る。そうして祈りを受けた石を大きな水壺に入れ、使用して減った分だけ継ぎ足して大事に使う。

 だからこそ、聖女と言えども聖水を無駄遣いしてはならないし、ましてや割ってこぼすなどもってのほかだった。

 いつもなら、軽々といかないまでもこんなに重くは感じない。寝不足がたたったかな、あんなに泣いたの初めてだな、とどこか他人事のように感じながら、アリシアは瓶をしっかりと抱えて歩き出す。


 急ごう。


 清備の間から外廻廊に出たそのとき、どこかから小走りの音が聞こえた。え、と振り向く間もなく、左半身に、どん、という衝撃が走る。


 意識が唐突に引き延ばされた。体が傾く。足の側面が地をかすめて、体の重みを受け止められない。転ぶ。だめだ。瓶が。

 瓶を手放しかけた腕をぎゅっと引き戻し、自分の体で瓶を守る。世界がぐるりと回り、これは痛いな、と転ぶよりも前に思った。一拍遅れて、頭にがつんと衝撃がくる。視界が白く散った。


 悲鳴にも似た声が自分を呼んでいる。

「どうしよう、どうしよう、アリシアさん、しっかりして」

 頭の後ろが熱い。

 見えるものすべてがぼんやりとして、こちらをのぞき込む人影の顔も見えなかった。

「いま、いま……い、癒しますから」

 声の主は見習い聖女のジーナだった。アリシアよりも一つ下で、聖女の素質を見出されてから半年になる少女だ。聖女になったのは半年しか違わないのに、こんな自分にいつも敬意を払ってくれる。その子が今、混乱した様子で必死にアリシアを癒そうとしていた。

 ジーナがアリシアの手を取り、額を寄せる。

「慈愛の女神よ、その、その御名におい、て、この者の苦しみを癒し清め給え……」

 聖句は震え、祈りは揺らいでいる。ジーナの体から癒しの光は出てこない。

「どうしよう、どうしよう」

 落ち着いて、大丈夫、と言いたかったが、唇が動かなかった。体がひたひたと冷えていく。力が抜けていく。

 やっぱり無理だ、できない、と涙声で呟くジーナの後ろで、誰かが慌てて人を呼ぶ気配がした。あたりが騒然とし、何人かの足音がばたばたと聞こえる。アリシアはざわめきを遠くに感じながら、瓶は無事かな、と目を閉じた。

「どきなさい」

 毅然とした、しかし穏やかな声がした。ジーナに掴まれていた手が離され、誰かがアリシアの横にかがみ込んだ。

「気をしっかり持ちなさい、アリシア。大丈夫ですよ。私がいますからね」

 アリシアは重く抵抗するまぶたをどうにか持ち上げた。院長が、わずかに微笑んでこちらを見下ろしている。

「……先生、瓶……瓶は?」

「無事ですよ。あなたが守ったお陰です。さあ、もうしゃべらないで」

 院長はアリシアの手をそっと握った。少し乾いた手のひらが、アリシアの手を穏やかに包む。

 静かな調子で唱えられる聖句を聞きながら、アリシアは体がやんわりと沈むような感覚を覚えた。院長の手から、温かい水のようななにかが流れてくる。

 ――ああ。

 どうしてか、アリシアは心底安堵した。


 ――これが、癒しなんだ……。


 ***


 開け放たれた窓の向こうで、聖堂の鐘が低く響いた。午後の祈りの時間を告げる音だ。

 いつもなら今ごろ、祭壇の前で女神様に祈りを捧げているはずだった。

 アリシアは毛布を手繰り寄せ、抱きかかえるようにして横を向く。頭を動かしても痛みはない。だるいような体の重みが残っているだけで、ほかに違和感らしいものはなかった。

 院長の手の温かみが、まだ残っているような気がする。

 これまで、誰かを癒すばかりで、癒されたことはなかった。以前小さな子を癒したときに「お母さんみたい」と言われたのを思い出して、こういうことか、と納得する。

 泣きたくなるような安心感。自分の存在を、まるごと包んで許されるような安らぎ。

 だめな自分でもいい、と許してもらえている気がして。


「…………」


 アリシアは寝台の上に起き上がった。

「許されないでしょー!」

 そのまま自分の膝に顔をうずめる。

 聖水瓶が割れなかったのは不幸中の幸いでしかない。昨晩、心が乱れてなかなか寝付けず、寝坊しかけた上に、周りをよく見ず不注意で怪我をしていろんな人に迷惑をかけた。

「これじゃ、聖女どころか役立たずになっちゃう」

 やらかしすぎだな、とアリシアは嘆息した。

「結局、諦められなかったし」

 頭ではわかっているのに、それに従うことを心が拒む。

 昨日、シルヴィオにもらった花は、手帳の最後に大事に挟み込んでいた。

 捨てられなかった。

「シルヴィオ様、素敵だったなあ……」

 相変わらずお顔は見えなかったけど、夕闇にぼんやりと滲むお姿も、軽やかな笑い声も、その手のぬくもりも――

 思い返して、アリシアの頭が爆発する。

 手を。

 手を、握られてた。

 あの長く、節のある美しい指が、自分の手を取って、花をのせて――聖騎士の礼を。自分に向かって。

 それどころか。

「覚えてくれてた……」

 初めて出会った雨の日の、あの出来事を。

 きっと彼は覚えてないだろうと思ったのに。

「はあああぁ…………」

 熱く火照った顔を両手で包んで、アリシアは盛大に溜息をつく。

 もし、次に会うことがあったら、どんな顔をすればいいんだろう。

 シルヴィオ様はきっと、いつものように笑いかけてくれるに違いない(見えないけど)。

 涼しげなあのまなざしがふっと緩んで(見えないけど)、形のよい唇で私のことを呼ぶんだ(見えないけど)。


『アリシア』


「とか! どうしよう!!!」

 アリシアは一人で照れて、毛布をばしばしと叩いた。

 呼び捨てにされたら今度こそ死んじゃうかもしれない。聖女様も、アリシア様もいいけれど、やっぱり呼び捨てが至高だな……と妄想していたところで、アリシアは治療室の中をうかがう気配があるのに気づいた。

「あ、あの……」

 遠慮がちに顔を見せたのは、ジーナだった。

「もしかしてまだ、頭が……?」

 先ほどとは違う熱がアリシアを襲った。どこから見られていたのか。

「違うの違うの! 大丈夫! 全然元気!!」

「それなら、よかったです」

 ジーナはほっとした様子で、治療室の中に入ってきた。寝台そばの丸椅子を引き寄せ座ると、その、ええと、と言いながらもごもごと口ごもった。

「どうしたの?」

 言い出しにくそうにしているのを見て、アリシアは軽く問いかけた。

 ジーナの丸い目がぱっとこちらを向き、二、三度またたく。

「謝りたくて。朝のこと」

 弱々しい声。

「ぶつかったし、怪我させたし、それから……力不足でごめんなさい」

「え!?」

 今さっき反省したことを、まさか他の人から謝られるなんて。

「そんなの、ジーナのせいじゃないよ? 私が不注意だったのもあるんだし、やらかしたのだって、すごい個人的な事情があったっていうか……とにかく、ジーナが気に病むことなんてなんにもないんだから」

 ね? ね? とアリシアはジーナの手をしっかり握った。ジーナは見るからに落ち込んでいて、どう励ましたらいいのかわからない。

「……アリシアさんは、すごいです」

 わたわたするアリシアに、ジーナはぽつりと言った。

「聖女の力が顕現してすぐ、癒しが使えたんですよね? 加護もすごく強いって。制御しきれてないだけで、この中ではアリシアさんが一番力が強いんだって、院長先生が言ってたのを聞いたことがあります」

「先生が?」

 そんなことを、とアリシアは信じられない思いでジーナを見つめた。叱られた記憶はあっても、褒められたことなどほとんどない。つい昨日だって、鶏を絞めようとするとは何事かと呆れられたばかりだ。

「それなのに、私は……半年も経つのに、癒しがうまくできない。癒したい、癒さなきゃって思うときほど、できないんです」

 アリシアは、自分が倒れた時のことを思い出した。

 涙声のジーナ。やっぱり無理だ、できないと震えていた姿。

 打ち明けてくれたことと、あの時のジーナが重なって、感じていた違和感が消えていく。

「そう、だったんだね」

 ジーナが癒しを思うように使えないことはアリシアも知っていた。けれど、アリシア自身癒しについて深く考えたことはなく、ジーナもいつか使えるだろうと気楽に思っていた。


 でも、そうじゃない。

 ジーナの気持ちを、わかろうとすることが大事だったんだ。

 

 けれどおそらく、初めから癒しを使えたアリシアには、わからない。

 ――ジーナはこんなに、真剣なのに。

 アリシアは自分を、心底恥ずかしく思った。

 与えられた力がどんなものか考えようともせず、自分の欲が満たされないから要らないと捨てようとした。院長が言った『想いのために女神の加護を捨てようとすることの意味』という言葉が、心の中で重く響く。

「私さ、ほんとのこというと、癒せない気持ちって、ちゃんと理解できないのかもしれない」

 手を握ったまま、アリシアはジーナに優しく語り掛けた。

「なんで女神様は私に加護をくださったんだろうって、よく思うの。煩悩すごいし、大好きなお菓子は分かち合うより独り占めしたいくらいの欲張りだし、お祈りだって……推しの話が九割だし?」

 内緒だよ、と苦笑する。

「だからね、ジーナの気持ち、わかんないところもきっとあるんだ。でも……ジーナが今、苦しんでるのはわかる」

「アリシアさん……」

「きっとさ、女神様はジーナのこと見守ってくださってると思うよ。それに癒しの練習なら私、いくらでも付き合うし。しばらくは寝てなさいって言われてるから、練習台にもってこいじゃない?」

 アリシアは窓際に置かれた小さな女神像を振り返った。

「ここなら女神様もいらっしゃる。大丈夫だよ。ジーナがよかったら、少しずつやってみよう?」

 うん、とジーナはうなずいた。何度もうなずいて目元を拭い、それから、にこっと笑った。

 

 ***


 数日経って、回復したアリシアは再び院長に呼び出された。

(まさか、治療室でジーナと癒しの練習したことが、まずかったのかな)

 院長室に入るのは、いつも叱られる時だ。なんにも悪いことはしていないはずなのに、自然と緊張してしまう。

 アリシアはごくりと生唾を呑んで、院長室の扉を叩いた。ややあって、中から声がかかる。 

「失礼しまーす……」

 そろり、と足を踏み出して、アリシアは執務机の前に立った。院長は机の上で両手を組み合わせ、じっとこちらに目を向けている。

「気楽になさい。今日は注意するために呼んだわけではありません」

 院長は眉をわずかに下げて、アリシアに座るよう促した。ほっとして談話用の長椅子にすとんと腰を下ろすと、向かい合うようにして院長も座る。

「体の調子は……聞くまでもありませんね。見ればわかります」

「あは、それほどでも」

「褒めていませんよ。あなたは落ち着きというものを学びなさい」

 溜息をつく院長に、アリシアはちらっと肩をすくめてみせた。

「今日呼んだのは、あなたに神殿からの指令を伝えるためです」

 長椅子の前の低机に書簡を置きながら、院長は慎重に切り出した。

「本当は、回復したばかりのあなたを行かせたくはありません」

 受け取った書簡を開いて目を通す。そこには、アリシアに対する魔物討伐の指令が記されていた。

「討伐?」

「北の森に魔物が出たそうです。森近くの民家が次々に襲われました。施療院にも何名か患者が来ていましたが、幸い命を落とした方はいなかったようです。現れた魔物の数からしておそらく、『封印されし裂け目』が開いたのだろうと」

 それはかつて、勇者が封じたとされる異界へ通じる裂け目のひとつ。小さなものから大きなものまで各地に点在し、北の森にあるとされるものは比較的小さなものだった。とはいえ、古の時代に封じられたものについては記録も少なく、その実態は定かではない。

「でも私、魔物を倒す力なんて」

「ええ。聖女にそんな力はありません。ですからあなたは、癒し手として討伐隊に参加することになります。隊の人数は十人と少し。主となる癒し手はアリシア、あなたです」

 アリシアは目を丸くした。

「もちろん、神殿から神官が二名、あなたの補佐についてくれるようですが……彼らは魔物討伐も担うため、いざという時はあなた一人で対処しなければなりません。私としても、荷が勝ちすぎるのではという思いがあります」

 院長は拳をあごの下にあて、困り顔をしたあと、まあでも、と言った。

「あなたにとっては、悪い話ではないかもしれませんね」

 どういうことだろう、とアリシアは書簡を指でたどりながら読んでいく。討伐の目的、目標地、討伐隊の構成、討伐隊参加者名簿。その中に、シルヴィオ・ファルネーゼの文字があった。

「こっ……、これって」

 声がうわずる。アリシアは思わず書簡を握りしめた。

「聖女の護衛として聖騎士の参加も命じられています。ファルネーゼ卿が任ぜられるのは当然でしょう」

 淡々とした院長の声はアリシアの耳に届かない。

「指令とは言え、ある程度の裁量は任されています。ですからよく考えるように、と言いたいのですが、この条件では――」


「待ってください!」


 アリシアは長椅子から立ち上がった。その勢いに、院長が驚きの表情を見せる。

「少しだけ、ほんのちょっとでいいんです。待ってもらえませんか」

 シルヴィオ様と一緒に行けるのはうれしい。

 うれしい、けど。

 会いたいから行く、って決めたくない。

 もしすぐに決めてしまったら、私、前と何も変わらない。それじゃだめなんだ。

「すぐにお返事します。迷ってるんじゃなくて、納得したいんです。自分で」

 訥々と話すアリシアに、院長は微笑みかけた。

「わかりました。長くは待てませんが、あなたの返事を待っていますよ」


 ***


 聖堂裏手にある大木の下で、アリシアは鼓動を落ち着けるように胸を押さえていた。

 頭とは裏腹に、胸の高鳴りがおさまらない。

 会いたい。

 すごく会いたい。

 けど、こんな気持ちで任務を受けたら、大事なことを見落としそうな気がする。

 それが何かはわからないけれど、と、アリシアは細く細く息を吐いた。


「アリシアさーん!」


 遠くから聞きなれた声がする。振り向くと、外廻廊のほうからジーナが手を振りながらこちらに向かっていた。

「聞いてください! 私、癒しができたんです!!」

「ほんと!? すごい!!」

 ジーナは満面の笑みで、はあはあと肩で息をしながら「はい!」とうなずいた。

「練習に付き合ってくれたおかげです! 女神様が見守ってくださってるって、アリシアさんが励ましてくれたから。私も、そう信じてみようって。そうしたら、少しですけど、癒せたんです」

「よかった……よかったね、ジーナ!」

 アリシアとジーナは手を取り合って、ふたり弾むような勢いで跳ねた。そのままくるくると回って見つめあい、一瞬の静寂のあと、笑い声があふれる。

「本当に、ありがとうございました。私、聖女になってよかった」

 きらきらとしたその笑顔は、数日前とは別人のようで。

 アリシアは眩しげに目を細め、笑い返した。

「私の方こそ、ありがと!」

「えっ?」

「ジーナの真剣な姿を見て、私も、がんばろって思ったから」

 そんなことないです、とジーナは恥ずかしそうに頬をかいた。そうして、はっと息を呑む。

「あっ! 私、練習の途中でした! すぐ伝えたくて、飛び出してきてしまって。戻りますね!」

 ジーナはお辞儀をして、風のようにその場から走り去る。

 アリシアはその背に向かって、ひらひらと手を振った。


 ひとり残されたアリシアは、穏やかな気持ちで大木を見上げる。


 夏の手前の日差しが葉の間からこぼれて、清らかにきらめいていた。透けるような緑の葉は瑞々しく、風が吹くたびに爽やかな音をたてて揺れる。

 アリシアの胸のうちには、この数日のことが波のように押し寄せていた。


 推しの顔が見たくて、穢れようとしたこと。

 それを諭され、諦めようとしたこと。

 でも、できなかったこと。

 初めて癒しを受け、その温度を知ったこと。

 癒やしたい気持ちに、まっすぐ向き合う人がいたこと。


 ――行こう。


 アリシアは、唇を引き結んだ。


 ――シルヴィオ様に会うためじゃない。私に、できることをするために。


 大木はさらさらと鳴っている。


「女神様……」

 両手を胸の前で組み、アリシアは目を閉じた。

「私、煩悩だらけの聖女ですけど……」

 ゆっくりと目を開けて、空を仰ぐ。

「それでも、やってみます。見ててくださいね」


 ***


 出発日の朝。

 聖堂の正門前広場は、控えめなさざめきで満ちていた。集まった人々の影は白い石畳に伸び、淡く重なっては揺れる。誰もが声を潜めるように話し、広場には、緊張とも祈りともつかない空気が広がっていた。

 アリシアは、小型の背嚢を背負い、革製の旅鞄を斜めにかけて、外廻廊から討伐隊が待つ広場へと静かに向かう。院長から渡された細めの杖は、まだその手に馴染んでいない。


 集団の中にひときわ輝く顔を見つけ、足が止まる。

 その顔が、こちらに向かって会釈した気がして、アリシアは気恥ずかしげに笑みを返した。


「さあ、行こうか」


 討伐隊のひとりが、誰に言うでもなく声を上げた。


 ――この先に、何が待ってるんだろう。


 アリシアは杖をぎゅっと握りしめ、その一歩を踏み出した。



次回より、週1〜2程度の更新になります。

よろしければ、引き続き読んでもらえると嬉しいです。

もし楽しんでもらえましたら、ブクマ評価リアクションなどしていただけると大変やる気が出ます。

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