1 現実での死
「現実での死。」
その言葉が、氷の錐みたいに俺の脳天を貫いた。
膝からガクッと力が抜けて、危うくその場にへたり込むところだった。ズボンのウエストを必死で掴んで引き上げ、なんとかグラつく身体を支えた。
額と背中から冷や汗がダラダラ流れてきた。数分前まで、俺は『インフィニティ』のフォーラムでまったりスレを眺めていたのに。あの無表情な白髪の女がさっきの言葉を口にした途端、俺の頭は真っ白になって、どうでもいいことまで考え始めた――あ、冷蔵庫の牛乳、あと三日で賞味期限切れるんじゃね…?
待て待て!なんで今牛乳のこと考えてんだよ!俺、頭おかしくなったのか?!
「マジ冗談だろ、これ。」俺は震える自分の指を見つめた。
ベッドの下にある水着の等身大抱き枕、まだ開封してねーぞ!明日ニュースで『オタク、エログッズに埋もれて孤独死』なんて報道されたら、母さんが東京まで飛ん来て俺の骨壷ごとぶちまけるに決まってる。
あの白髪女は言った。クリアすれば、家に帰れる、と。
は?なんだそれ?これゲームじゃなかったのか?だって、隣のデブのおっさんの手首から噴き出した血が、顔にかかりそうなんだぞ!生温かくて、鉄臭い…俺、なんで無意識に飛び散る血の雫を数えてんだ――一、二、三…クソッ!こんな時に俺は何をボケっとしてるんだ!
「嘘だろ?おい!これ絶対ドッキリ番組だよな!」後ろから突然、日本語のデカい声がした。振り返ると――あれ?金髪の外人じゃねえか?最近のAIは翻訳だけじゃなく口の動きまでシンクロさせられるのか?
思いっきり太ももをつねってみた。
「うぐっ!」
激痛が走る。リアルすぎて吐きそうだ。痛みが本物なら、「死」も……?
先月、隣のおっさんが突然死して運ばれた時、体に繋がれてたチューブ、さっき白髪女が見せた栄養液の輸送イラストと…マジでそっくりじゃねえか!
ゴクリ、と唾を飲み込んだ。頭の中をいろんな映像がぐちゃぐちゃに駆け巡る――汚れた靴下、何日も洗ってないパンツ、マットレスの下に隠したエロ本…こんなガラクタが俺の人生最後の遺品になるのかよ?ふざけんな!俺、彼女もいたことねーんだぞ!チクショー!
「とにかく…まずはチュートリアルを生き残らないとな。」俺は小声で呟いた。我ながらアホくさいと思ったけど、この場でションベン漏らすよりはマシだろ?
白髪女の青い瞳が冷たく俺たちを見渡した。ふと、子供の頃に死なせた金魚を思い出した。水面にプカプカ浮かんで俺を睨んでた目つきが、ちょうどこんな感じだった。
まったく、スーツの下はどうなってんだか…AIって下着着る必要あんのか?いやいや!今そんなこと考えてる場合じゃねーだろ!やっぱ俺、ダメだわ。
で、なんで俺がこんな所に立って、この無表情女のワケわからんデスゲームに付き合わされてるかっていうと…話は数時間前に遡る。
俺、大谷平一。どこにでもいる、ごくごく普通のオタクだ。数時間前、俺はまだフルダイブ型VRゲーム『インフィニティ』の中で、「古龍の廃墟」ダンジョンに挑んでいた。
目の前にいる「紅蓮の古龍」とかいうデカいトカゲ、マジで厄介なんだよな!5分前に味方のバリスタで撃ち落としたはずなのに、もう廃墟広場の上空をぐるぐる飛び回ってる。口から吐き出す赤い龍の炎が、縄みたいにあちこちビュンビュン飛び交ってる。さっきの反射するタイプの炎で一気に二人やられた。そのうちの一人、ゲームID「深海干物の刺身盛り」のパラディンなんて、盾ごとドロドロの鉄クズにされちまった。
クソッ!これで味方がシステムにダンジョンから追い出されたの、もう四人目だぞ!
「白狼様!バリスタのクールダウン、あと3分ですって!」耳元の通信クリスタルからローグの悲鳴が聞こえた。そいつのIDは「マジでパンツ盗んでないってば」。頭にかぶってるメロンみたいなヘルメットの反射が目に痛いぜ。…って、今はツッコんでる場合じゃねえ。
俺は必死で古龍の追撃をかわしながら、ふと北西の塔付近にあるアーチのヒビに気づいた――待てよ!これって「フローティングシティ」ダンジョンの崩落トラップの前触れじゃねえか?もしあいつを誘導してぶつけられれば…
「ローグ!今すぐ9時方向のあの塔のてっぺんへ移動しろ!」俺は叫びながら短剣を龍の角に叩きつけた。バチバチッと火花が散る。「俺の合図を待て!合図したら爆弾を投げろ!あのヒビの入ったアーチをぶっ壊すんだ!」
「了解っす、白狼様!」ローグの返事が聞こえたのと同時に、古龍の暗金色の縦長の瞳が、ギラリと俺を捉えた。直後、灼熱の龍の炎が顔面に迫り、俺の背後にあった壊れかけの壁にデカい穴をぶち開けた。
俺はすぐさま身を低くし、崩れた壁際に張り付くようにして、蛇行するような素早い動きで古龍の追撃をかわした。
塔の下の石壁に背中を預け、体勢を立て直す。すぐさま次の龍のブレスが襲いかかり、足元の地面をマグマの溝に変えた。アチッ!
今だ!
俺は石壁を蹴って勢いをつけ、転がるように回避しながら大声で叫んだ。「やれ!」
ドカーン!と巨大な爆発音が響き渡り、石のアーチがガラガラと崩れ落ちた。ちょうど俺に向かって突進しようとしていた古龍は避けきれず、アーチの直撃を食らって苦痛の叫び声を上げた。
やつがもがきながら再び飛び立とうとした瞬間、腹にある銀白色の逆鱗が一瞬だけ剥き出しになった――見た感じ、先週「クリスタル鉱洞」ダンジョンで出くわしたクリスタルコロッサスのコアの弱点とそっくりだ!
「ナイス!」俺はそのチャンスを逃さず、古龍が地面についた巨大な爪を勢いよく踏みつけ、それを足場に跳躍!手にした長剣を、剥き出しになった銀白色の逆鱗めがけて全力で突き刺した!
瀕死の古龍が最後の抵抗で身体を激しく震わせ、俺は城壁に向かってゴーンと叩きつけられた。「バキッ」と鈍い音がして、肋骨が数本イッたのを感じた。同時に、プリーストの「コギーチョコレート」の悲鳴が聞こえた。「回復魔法、ラグってる…」
古龍の巨体がズシーンと音を立てて倒れると、半透明のリザルト画面がポップアップした。
「ダンジョンクリア成功|5000 ユニバーサルポイント獲得」
「戦闘レポート」
与ダメージ比率:36%|サポート回数:14|被ダメージ量:1723ポイント
5000ポイントは大金と言えるけど、使い道は自作ダンジョンや他のプレイヤーがシェアしたダンジョンのアンロック、あとは見た目だけの装備交換くらいで、戦闘では全く役に立たない。まあ、いいか。『インフィニティ』のダンジョン装備やアイテムは外に持ち出せないし、ポイントで見栄を張るしかないんだよな。
俺はついでに交換画面を開き、500ポイントでダンジョン限定アバター「龍鱗のガントレット」と交換した――キンキラ光る鱗が腕を覆っていて、中二病っぽさマックス、防御力ゼロ。
そして、俺はゲームロビーに転送された。
ゲームロビーの真ん中に立ち、俺は無意識にパーカーの襟元をいじっていた。このダークグレーのフード付きコートのアバターは、かれこれ二年くらい着ている。ゲームのサービス開始当初からほとんど変えてない。
五階建てくらいの高さがある空間には、色んな格好をしたプレイヤーがひしめき合っていた。NPCのお姉さんたちは、壊れた招き猫みたいにニコニコしながら通り過ぎる人みんなに頷いている。遠くのゲームセンターからはガチャガチャとボタンを叩く音が聞こえ、左手のメイドカフェの入り口からはオムライスのいい匂いが漂ってきた。右側のバーチャル図書館では、ホログラムの本棚に浮かぶ文字が『高難易度ダンジョン生存術』みたいなタイトルを綴っていた。何人かのオタクっぽいプレイヤーが、何もない空間に向かって身振り手振りしていた。どうせまた、エッチなAIダンジョンのパラメーターでもいじってるんだろう。
その時、突然、甘ったるい悲鳴が聞こえてきた――
「しろぉぉ――おおかみぃぃ――さぁぁまぁ!!」
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