1-1「姫の決意」
「どういうことなのよーーっ!」
メイダリア王国の中心にそびえるメイダリア城――
その別棟の庭園に、甲高い少女の声が響き渡った。
声の主は、まだ幼さを残した少女。
薄紫色の髪を高い位置で二つに縛った姿は、年齢以上に幼く見える。彼女の手には、くしゃくしゃに握りつぶされた一枚の手紙。
「ラーチェ! ラーチェーッ!!」
ティアラを揺らしながら、いつものように全速力で庭園を駆け抜け、玄関ホールまで飛び込む。そこには、黒髪をきっちり切りそろえ、上品な顔立ちでいつものように姿勢正しく立っている世話係のラーチェがいた。
「姫様!? またお庭で何か……あら、それは?」
「どうもこうもないのよ! ラーチェ、見てこれっ!」
荒く息を吐きながら、リルは手に握っていた手紙を勢いよく差し出す。ラーチェは落ち着いた動作で紙を受け取り、静かに読み始めた。
読み進めるうちに、凛とした顔立ちの眉間に、じわりとシワが寄っていく。
「……姫様この手紙」
「さっき、庭で拾ったの! あやしい使い魔が飛んでて、それを石で——いや、まぁ、それはいいのよ!」
「姫様……石で撃ち落としたと?」
「そこは今は関係ないでしょ! 問題はこの手紙!」
そこには手短にこう書いてあった。
『勇者一行は、我が手中にある。
リルエスタ・メイダリアを渡せば命は助けよう。
応じぬなら、彼らの骨すら戻らぬと知れ。――魔王軍』
ラーチェの眉間に皺が寄る。予想以上に、面倒なことになった。
そもそも――
今回、勇者が魔王城に向かったのは、魔王軍から届いた別の手紙がきっかけだった。
メイダリア王国に届いた一通の書状は、王宮に激震をもたらした。
『月が満ちるその夜、リルエスタ・メイダリア姫を迎えに行く。拒めば、この王国の空を、炎で染め上げよう。――魔王軍』
無礼で一方的な文面。しかしその筆致は冷静で、異様な威圧感を放っていた。
宮廷魔導士が解析したところ、封蝋に込められた魔力は桁違いであり、確かに魔王本人のものだと判明した。
王宮では即座に緊急会議が開かれた。
敵は「姫を狙う」と公言し、かつ「自ら乗り込んでくる」と宣言している。
迎え撃つか、差し出すか。だが、後者は選べない――
「ならば、こちらから叩くまで。我らの手で、魔王を討つのです!」
そう進言したのは、王国の守護者にして、姫の許婚でもある勇者だった。
彼は王国中から腕利きを募り、最強の一団を編成。
出発の朝、姫に会いに来た彼は笑ってこう言った。
「大丈夫。魔王なんて、倒して帰るからさ。すぐにまた、ここに戻ってくる。信じてくれるだろ?」
リルエスタは、その笑顔がほんの少しだけ、強がりに見えたことを思い出していた。
良い知らせをもって帰ってきてくれることを信じていた。
だが結果は、この有様。――敗北。勇者一行は囚われの身となった。
彼は、姫の婚約者でもある。
姫を渡す気など王にあるはずがない。だが、交渉に応じなければ、勇者の命は風前の灯火だ。
姫の肩が震えていることに気づき、ラーチェはそっと声をかける。
「……姫様、これはまず陛下にご報告を……姫様? ご気分が……」
「静かにして、ラーチェ。すぐ出発するわ」
「えっ……?」
「魔王城よ。私が、行くの」
突如の宣言に、ラーチェは固まった。
何を言い出すの、この方は。差し出される側が自分から出向くなんて――正気の沙汰ではない。
「ダメです、姫様! そんなの許されるわけがありません!」
本気で止めなければ。
この方は、ひとりじゃ何もできない。小さい頃から見てきた。わがままで、楽観的で、お人好しで……きっと道中、誰かに騙されて終わる。
「お願いです、姫様。きっと陛下がなんとかしてくださいます。だから、今は……」
分かっている。でも言わずにはいられない。
「ありがとう、ラーチェ。でもね……お父様に相談したら、きっと私は閉じ込められる。そして勇者様は――助からない」
リルは静かに言った。
その瞳に浮かぶ強い意志に、ラーチェは息を呑む。
「助けられるのは私だけ。……今しかないのよ」
その言葉に、ラーチェは観念するしかなかった。
彼女が一度決めたら、絶対に曲げないことを、誰よりも知っている。
「……姫様、もう引き止めることはできないのですね。ならば、せめて――準備だけは万全に。約束してください」
すると姫は、安心したように、にかっと笑った。
「もちろんよ。準備は大事だもの。さっそく始めましょう!」
「ええ、全力でお手伝いしますよ」
二人は、出発の準備のため、庭園へと足を向けた。