第3話 蠢動
「ウツロ、ディオティマはあんたを狙ってる」
「ディオティマが、俺を……?」
ウツロは戦慄した。
魔王桜の研究をしている古代ギリシャの巫女・ディオティマ。
いまも生きながらえる魔女が、どうして俺のことを?
「ディオティマはあんたのパパ・似嵐鏡月と因縁がある。でも、わたしが思うに、おそらくそれは大義名分。本当の意図は、あんたが持つ成長の速度や、その実力に目をつけてのことだと推察される。ま、それを認めるのは、わたしとしては癪に障るけれどね?」
「にわかには信じがたいが……ディオティマは、そんなに俺のことを評価しているということなのか? 自分ではとうてい、自覚するのは難しいが……」
しらじらしい。
腰に手を当て、刀子朱利はそんな顔をした。
「ムカつく、実に。能力値のある人間ってそうだよね? 自分が有能であることに、自分では気がついていない。ああ、イライラする」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……」
ウツロは恐縮した。
「朱利、嫉妬はよくないよ? それにかっかしてばかりだと、健康にも影響をおよぼすというデータがあってね」
星川雅がフォローするが、これでは火に油を注ぐ内容である。
「嫉妬ですって? 冗談でしょ雅? わたしがこんなやつに? こんな毒虫野郎に?」
刀子朱利は手を開いてあきれるしぐさをした。
「落ち着け朱利」
氷潟夕真が仲裁を試みる。
「おまえら、問題なのは、それだけじゃねえ」
「どういうことだよ?」
けわしい表情を作る彼に、南柾樹がたずねた。
「ディオティマが狙ってるのはウツロだけじゃない、おまえら全員ってことだよ」
一同はゾッとした。
どういうことだ?
なぜ自分たちを狙う?
皮膚の上を生ぬるい汗がつたってくる。
「マッドサイエンティストの考えそうなことだよ。モルモットの数は多いほどいいってこと。それに、ウツロは似嵐家、南のほうはといえば、なんと閣下の血を受け継いでいるそうじゃない? あのディオティマが目をつけないほうがおかしいと思わない?」
「それはつまり、あの魔女は俺ら龍影会のこともあわよくばって考えてるってことだ。だからわざわざ教えにきてやったんだぜ? ディオティマにしてみたら、自分以外の存在はすべて、研究の対象にしか映らないってことなんだろうな」
「ま、そういうこと。しっかり気を引きしめておいてよね? あんたたちに何かあったら、龍影会までとばっちりを受ける可能性が高いんだからさ? ああ、それと、閣下が近々、あんたたちに会いにいきたいってさ」
「……」
閣下、秘密結社・龍影会の総帥。
それはすなわち、南柾樹の実の父親のことを指していた。
「親父が、ね」
当の本人は、どこか遠い目つきをしている。
「あんたに父親呼ばわりされたら、なんかこっちとしはムカつくけど」
「朱利、あんた、言葉を選びなよ? 柾樹の境遇も少しは考えてやったらどうなの?」
刀子朱利の悪態を星川雅が牽制した。
「いや、いいんだ、雅。生ゴミの分際が、この国の支配者さまを相手にしようってんだからよ」
南柾樹はそう卑下したが、いま受けたセリフも含め、実際に彼は少し卑屈になっていた。
父親、父親ね。
いまさらどの顔を下げて……
自分は廃棄された、よりにもよってゴミ捨て場なんかに。
この世にいらない存在、ずっとそう自分を責めつづけてきた。
なぜだ?
なぜ俺を捨てた?
問いただしたい、それだけは……
少年の心には、モヤモヤとする複雑な感情が入りまじっている。
それは何かの瞬間、着火して爆発を起こす危険なガスのように。
「柾樹、自分を責めるな。おまえはおまえだ。少なくとも俺は、何があろうとも、おまえという存在を承認する!」
「ウツロ……」
そのまなざしに嘘はない。
本気でそう考えている。
いつもそうだ、この目にやられるんだ。
落ちかけた少年の心は、無理やり日の下に引き出されたように、平静さを取り戻していった。
「はあ、どいつもこいつも。まるでウツロ病だね。そうやって仲よしこよし、よろしくやってたらいいんだよ」
「素直じゃねえな、朱利。おまえだって、ウツロに助けられたくせによ?」
「はあ? 夕真、まさか、あんたまで? そもそもはそこにいるトカゲ女のせいで……」
刀子朱利は氷潟夕真の意趣返しにイラついた。
性格こそひねくれてはいるが、言われたとおり心のどこかで、ウツロへの複雑な心境をいただいている。
「刀子、氷潟、その件なら悪いことをしたって反省してるよ。俺らは敵同士かもしれねえが、ま、何もないときは、仲よくな?」
万城目日和はポリポリと頭をかいた。
「はっ、あきれた! あんたのことも同情しないでもないけどさ、龍影会に立てつこうってえのなら、いざというときは容赦はしないからね?」
「覚悟の上さ。古くせえ考え方かもしれねえが、親父のかたきだけはなんとしても取らせてもらうぜ?」
「鬼堂は権力や金だけじゃない、おそろしいアルトラだって持ってるんだよ? それでもやるつもり?」
「刺し違えてでも、な」
二人はなりゆきとはいえ、このようにきなくさいやり取りをした。
刀子朱利は組織を狙う万城目日和をいまいましく思ういっぽう、彼女の身の上を心配に思う気持ちもあった。
性格上、決して態度に表すことはないとしても。
「おい、朱利、日が暮れるまで話してるつもりか? 用が済んだらとっとと帰るぞ?」
「ふん、わかってるし」
空気を読んだ氷潟夕真が場を収めに入った。
「刀子さん、氷潟さん、これからおやつ用のパンケーキを作るんです。よろしかったら食べていってください」
「はあ?」
のそのそと割って入る真田虎太郎。
その意外な提案に、一同はあぜんとした。
「ちょっと、虎太郎。こんなやつらを引きとめることないよ」
「こんなやつらで悪かったね、ピチ服ブタ女の真田さん」
「なんですって? このムカデ女が」
一触即発。
刀子朱利に挑発された真田龍子は、さきほどまでのノリでそれに乗ってしまった。
「はいはい、ケンカしない。まったく、どいつもこいつも」
星川雅は引き続きあきれた調子だ。
「いいじゃねえか、寄ってけよおまえら。虎太郎、パンケーキ、よろしくな?」
「はい!」
南柾樹の承諾に、真田虎太郎はノリノリになった。
急いで厨房のほうへと走っていく。
「柾樹、いいのか?」
「いいんじゃね? 呉越同舟ってやつ?」
「適当だなあ」
「それくらいがいいんだよ、人生はな」
さっきのフォローはいったい何だったのか。
ウツロはちょっとげんなりした。
「さ、二人とも、入った入った」
南柾樹は手招きして中へと誘った。
「ちょっと、勝手に決めないでくれない? 誰がこんなボロアパートなんかに」
「刀子、ウツロとしたくない?」
「は?」
「こいつを縛り上げてよ、俺と龍子とおまえと三人で、ムフフ……」
「はあん……」
万城目日和は二人を中へと引きいれるため、おそるべき作戦を持ちかけた。
それはもちろん、南柾樹の意図を察してのことだった。
「ちょっとあんたたち、ウツロはわたしのものなの! ウツロ・イズ・マイン! わたしが独り占めするんだから! なに手え出そうとしてんのよ! ふざけんじゃあないわよ!?」
「いいじゃねえか真田、減るもんじゃねえんだから。それに、二人だけじゃできないやり方ってえのも、あるんだぜ?」
「……」
真田龍子の舌が口の中でうごめいた。
「はん! このわたしが? こんな毒虫野郎と? こっちから願い下げだよ!」
「隠すなよ刀子、においでわかるぜ? 湿ってきてるだろ?」
「う……」
刀子朱利の顔が赤くなってくる。
「こっ、今回だけだからねっ!」
彼女はつかつかとロビーのほうへ足を進めた。
「そうこなくっちゃな」
「日和、ロープって物置にあったっけ?」
「あるぜ、ほかにもいろいろな。こんあこともあろうかと、少しずつそろえてあるんだよ」
「じゃあ、どうせなら、物置に行く? 吊るしたり張りつけたりもできるんじゃない?」
「なるほどな。派手にやるなら外のほうがいいしな」
万城目日和と真田龍子は、規格外の内容を気軽に話している。
ウツロは何が起こっているのか、すぐには理解ができなかった。
しかし一滴の水が大地にしみこんでいくように、だんだんとその意味するところを理解しはじめた。
「俺、オモチャにされるの……?」
牢屋に入れられる捕虜のような顔で、彼は自分を指さした。
南柾樹はにっこりと笑い、落ちた肩を両手で強くたたいた。
「がんばれ、ウツロ!」
「……」
ああ、かくしていたいけな少年は、玩具になるべく物置のほうへと連行されていった。
「たいへんだな、あいつも」
氷潟夕真は退屈そうな表情で曲がった背中を見つめている。
「氷潟、話がある。ちょっと中庭までツラ貸してくんねえか?」
「ふん」
彼はその意味をたちどころに理解し、歩きはじめる南柾樹の後ろへとしたがった。
事の一部始終を、木の枝の陰に隠れた一匹の子ウサギが見つめていた。
「見つけた、ぞ……ぎひっ、ぎひひ……」