6. Your Base Are Belong To Me
帝国軍の粗末な砦の中庭。凄惨な暴力の幕が上がった。
あまりの急展開にあっけにとられていたユーリンは、関羽の怒声で我に返った。何をするのが最良であるか、とっさに判断した。虜囚たちに向けて、関羽に負けじと声を張り上げた。
「みんな! 急いで離れて! すっごく危ないことになるから!」
ユーリンが警告を発すると同時に、見張り兵士の身体が宙を飛んだ。鎧兜を身に纏ったまま放物線を描いて飛翔し、駆け寄ってくる他の兵士たちを襲う礫となった。
「うわぁあ!?」「……ぐっ、へぇ!」
兵士をぶつけられた兵士はよろめいて地を向いた。揺れる視界を強引に定めて顔をげると、眼前には憤怒の形相の関羽が迫っていた。兵士はとっさに剣を関羽に向けて突き出したが、たやすく手首をとられて捩じりあげられた。関羽は悠々と剣を奪い取った。
「髭を……儂の髭を……よくも剃ってくれたな」
関羽の巨体が怒りで膨らみ、手につかんだ剣が小さくみえた。その小さな剣が閃き、鮮血が、舞った。寸断された腕や首が四方に散逸し、怯えて硬直していた虜囚たちの頭上に降り注いだ。あちこちで叫び声があがり、人波が関羽から遠ざかった。関羽の周囲には、数名分の兵士だったものの残骸が散らばっていた。
生臭い金属質のにおいが満ちた。血しぶきのなかでも、関羽の赤ら顔が鮮烈に輝いていた。
「うっわ。これは予定になかったぞ」
真っ先に関羽から距離をとって避難していたユーリンが、一瞬、驚いた顔をしたのち、思案顔になった。ユーリンは頭の中で状況の整理を試みた。砦の中には武装した兵士が数十、直近に通過した関所は徒歩で1時間ほどの距離、低級な精神魔法で抵抗の意思をくじかれた虜囚が約100人。そして、武装した数十の帝国兵士を単身で圧倒しうる人間離れした膂力を振って暴れる巨漢が1人。
(……チャンス到来!)
決意したユーリンは、虜囚の群れに紛れ、策動を開始した。
一方の関羽は、怒り任せに暴れていた。
手近な帝国兵を無造作につかみ、奪い取った剣を叩きつける。鎧をへし折るほどの勢いある剣戟をやたら滅多に繰り返し、剣をひしゃげさせてはそこらの帝国兵に投げつけた。手持ち無沙汰になれば、絶命させた帝国兵から都度武器を奪い取った。
「弱兵どもめ。それしきの備えで何故この関雲長に自由を許した。儂を侮るにも程度があろう」
砦中の帝国兵が集ってきた。怒声が飛びかい、関羽の周りに包囲網ができあがった。
一人の兵士が間合いをとって槍を突き付けながら、関羽に向けて叫んだ。
「貴様! なぜ抵抗できる!?」
「……戯言を。我が髭の仇、思い知れぃ!」
「髭? なんことだ? ……おい、ヤツにもちゃんと精神魔法をかけてあるんだろうな!?」
周囲の兵士に確認をとると、返答は鈍かった。
「い、いえ。アレは途中で拾った男でして、その、まだ何も措置は……」
「バカヤロウ! そんな状態で縄を解くな。仕方ないすぐに殺せ!」
隊長格と思しき兵士が、苦渋顔で指示を出した。
関羽としては知る由もなかったが、虜囚として連行されている人々には、抵抗の意思を削ぐための微弱な精神魔法が帝国兵によって施されていた。自由意思を損ねるほどではないが、叛逆の気概を抑制するのに十分な魔法だった。その効力をあてにして警備の負担を緩めるために虜囚を解き放ったのだが、後から偶然草むらで捕縛された関羽にはその魔法がかけられていない。
関羽は帝国兵のやり取りを冷ややかに、けれども激情をもって見届けた。
「ならば、参る」
その時の関羽が手に持っていたのは、長柄の槍であった。大胆に柄を旋回させ、周囲を撫で切りにするように、振るった。その動作には、技も術理もなかった。ただ硬質な金属を高速に運動させただけの、工夫のない力学が生じた。そしてその一撃が、いとも容易く人体を粉砕できる破壊力を有していることは、瞬時にして帝国兵たちの身体に生じた欠損から明らかになった。不運な帝国兵たちは、腕や頬、胸部を鮮血に染めた。
このひとふりで、大勢が決したことを、関羽は悟った。息巻いていた帝国兵たちの顔には、隠しきれないほどの恐怖と動揺が浮かんでいた。吹けば飛ぶような虚勢だけでその場に立っていることが明らかであった。急速に熱が去ってゆくことを、関羽は実感した。
「去るものは、追わぬ。帰って孫権に伝えよ。この関雲長、逃げも隠れもせぬ。これより我が兵らを連れて帰郷する。くだらぬ小細工の相手をする暇はない」
関羽は厳かに宣告した。その言葉の圧だけで膝を崩した兵士もいた。
隊長格の帝国兵は、それでもなお踏みとどまった。喚き散らすように指示を出した。
「奴隷どもに精神魔法をかけ直せ! 武器をもたせて、コイツと戦わせろ! 数で押し切れ!」
大勢を取り戻すために、必死の形相で声を張り上げる。
そこに、のんきで場違いに軽やかな声音が、物怖じもせずに割り込んできた。
「……ざんねん! 方向性は及第としても、機に鈍感すぎてまるでダメだね」
得意顔のユーリンが悠々と歩み寄り、帝国兵の側に立った。途中関羽と目線があうと、イタズラの成果を誇るように片目を瞑って勝手な連帯をアピールした。そして真剣な顔つきを整えて、隊長格の帝国兵に語りかけた。
「宣告するよ隊長さん、それはボクがもうやった。彼らはすっかりキミたちの敵だよ。……ほら、フルパワーで猛ってる」
ユーリンが指差す先には、虜囚たちの気炎があった。「帝国兵どもを殺せ!」「皆殺しにしろ!」「よくも俺たちをこんな目に」「早くぶっ殺せ!」「殺せ」「コロセ!」
先刻までの意気消沈した陰気な空気が吹き飛び、厳しい鍛錬を乗り越えて戦場に立った精鋭兵のごとき顔つきであった。
(このわずか短期間で、まるで見違えるようではないか。少年よ、いったい何を?)
虜囚たちの異様な変貌ぶりに、関羽は目を見張った。兵卒たちの士気を整え闘争に駆り立てる統帥の困難さを熟知している関羽は、この華奢な体躯の少年のどこにそのような将器が隠れているのかと訝しんだ。
が、構わずユーリンが気まま言葉をつむぐ。
「元ネタは『服従の魔法』でしょ。かつて道化の王が神代に自らの王国を築いたとされる魔道の秘奥。その神域の秘術の、『従妹の玄孫の親戚の友人の顔見知りの他人』くらいのできばえには迫っていたかな。察するに『帝国兵に逆らったら確実に殺される』て感じの強迫観念を水割りにして全員に浴びせたのかな? 威力としてはイマイチよりのイマヒトツってところだね」
隊長格の兵士は、呆然として言葉もなかった。驚愕自失で情なく口元を弛緩させている。
「でもまぁ、魔法ってけっきょくそれ自体の品質よりも運用の適合こそが本質だとボクは思っているし、そういう用途と割り切るならアリよりアリさ。だいぶヘド味だと思うけどね」
汚物を見るような酷薄な目つきで、ユーリンが評した。
関羽はその表情に悍気を覚えた。喩え1000人の敵兵に包囲されようとも怯えの感情とは無縁の関羽であるが、このユーリンの表情にだけは慄然とするものを否めなかった。関羽の身体から髭を奪われた怒りの熱が完全に去り、冷たさが訪れた。
「それじゃ幕締めだね、お手を拝借。『この砦はボクが占拠した。全員、ボクの指示に従ってもらう』だよ」
ユーリンが満足げに宣言した。
「あ。ウンチョーは例外ね。あとでお話ししようよ。ボクたち、やっぱり仲良くなれると思うんだ」