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45. 光の使徒ユーリン(15) 関公、市にて魚介に舌鼓を打ち、ユーリン、豪傑ボディを祈願す

ドワーフ族のビーリと別れた後、ヌヘナ山脈を下った関羽とユーリンは、シュイカウ塩湖に隣接したサウホの街を訪れた。

シュイカウ塩湖を産地とする密造塩のカラクリを調査するための拠点として、最適であると見込まれたためである。


街の入り口に設けられた関所で衛兵によるいくらかの調べがあり、ユーリンが全面的にこれに応対した。

関羽とユーリンの身元審議やサウホの街を訪問する意図についてが主な話題となったが、職務への熱心ぶりを殊更に体現したかのような厳格な態度の衛兵たちに対して、ユーリンがまるで商家の御曹司のようなたおやかな体裁でにこやかに愛嬌を振りまいた結果、危なげなく街に入ることが認められた。


すっかりユーリンに魅了された衛兵たちは、「大通りの広場の串焼き屋台はハズレがないぞ」「宿をとるなら街の南側で探せ。西はやめとけ、ボロばっかだ」「東地区には近寄るな、特に夜は危ない」「造塩所のまわりをうろつくとたまに取り調べを受けるぞ、用事がないなら近寄るな」などと、別れを惜しむかのように街の観光について忌憚のない助言を告げた。


ユーリンはまるで心底からそれをありがたく思っているかのような顔をつくり、輝くような声音で礼を述べて関所を去った。


関所を後にし、サウホの街の大通りを歩きながら、ユーリンはいたって得意げに胸をそらせた。


「ふふん、どんなもんだい?」


「いまさら驚くに値せぬ。そなたならこの程度は容易かろ。だがやはり見事だ。儂にはとてもできぬ」


「むふん、正確な賛辞をありがとう。……ところでウンチョー、さっきなんかソワソワしてたよね。衛兵さんたちについて、何か気になるコトでもあった?」


「その……儂、(やまい)かもしれん」


「は? 体調悪いの? 風邪でも拾った?」


心配よりも驚愕がまさった様子で、ユーリンは関羽を眺めた。

関羽は頭を振って、悩みを打ち明けた。


「いや、そういうわけではなく……儂、ああいう関所のような設備をみると、勢いで強行突破したくなるという誘惑にかられる。先刻はその衝動を抑え込むのに苦労した。ついうっかり衛兵を斬り捨ててしまいそうだったわい」


「……なんでなのさ? 困ったどころの習癖じゃないね」


「酔いがさめてなければ、もしかすると危なかったかもしれん」


「キミ、今後、道中は禁酒ね。ゼッタイだよ」


しみじみと決心を固めたように、ユーリンは宣言した。




サウホの街は、ここまでの道中のいかなる街よりもにぎわっていた。

食欲をそそる香りをこぼす飯店に造塩所の労働者が出入りし、所狭しと並ぶ商店を旅の商人らしい風体の人々が見物している。

客を誘う威勢のいい掛け声が飛び交い、途絶えることのない喧騒が満ちていた。


街を縦横に区切る大通りを歩きながら、関羽とユーリンは気ままに辺りを眺める。


「さてさて、わかりやすく悪そうなヤツとかいないかな。塩の密造に手を染めてそうな顔のヤツとか」


「儂の故国には人相見の才ある者もおったが、密造顔というのは聞いたことがないな」


「それは残念! じゃあまずはサウホの街を散策しよう。周辺地理の把握をしておきたい」


「それは賛成だが、その前にユーリン、そなた荷を降ろせ。宿探しを先にした方が良かろう」


「『反対する理由のない提案』だけどさ、『質問しない理由のない提案』だね。……なんで?」


「そなた、戦人(いくさびと)の気配を出しておる。街中では違和をぬぐえぬ。悪目立ちしそうだ」


ユーリンは驚いて、自分の手足を観察した。


「えっ、ウソ」


「やはり自覚はなかったのか」


普段通りに振舞っているつもりであるらしかったが、不断の戦歴を誇る関羽の目には明らかな違和が映っていた。

ユーリンの瀟洒な立ち振る舞いに常ならぬ緊張がみなぎり、流麗な銀髪から覗く空色の瞳が険しい眼光をせわしなく四方に散らしているのである。


「おそらく緊張による昂ぶりが原因であろう。儂の背中の毛が疼くほどだ。事情はわかるが、まずは落ち着くがよかろう」


「うっかりしてた。ありがとう。気づいてなかったよ。うぅ、恥ずかしい。ひっそりこっそりまったりがボクの趣味なのに、欲望が垂れ流しになってたか」


「うむ。何やらそなたに向けられた視線が、すでにいくつかある。相手の正体はわからぬが、無用に警戒されると都合が悪い」


関羽が周囲を広く視野に収めて行き交う人々の視線や表情を観察したところ、それとなく目でユーリンを追っている人影がまばらにあることを感じられた。

視線をこちらに気取られぬようにいかにも偶然を装い、何度も目を往復させてユーリンを見ている様子である。


ユーリンは最初に少しだけ怯えたように慎重そうな表情をみせたが、やがて気まずそうな苦みを面持ちの中に滲ませた。


「あー。……うん、平気。これはいつものだから、気にしないで」


「いつもの、とはいったい?」


「ただの好意だよ。ボクの外見だけを材料にした粗雑な劣情のお湯割りみたいなもんさ。ほとんどのケースで害はない」


「なんでわかるのじゃ?」


「慣れてるからね。ボク、視線には敏感なんだ。ウンチョーにとって鬱陶しいなら、追い払おうか?」


そう言うなり、ユーリンは大胆にもその場で体の向きを変え、あちこちを睨むようにして不躾な視線の主たちに満天の笑顔を直送した。

不意を突かれたのは視線の主たちのほうで、彼らはユーリンと目線があうと、一瞬、まごついたように身体を硬直させたが、すぐに顔を横にそらして無言で去っていった。


まるで町かどに微笑みかけるような怪しげな挙動であったが、効果は十分であった。


「絶好調っ! ……世界って根本的に不完全すぎると思わない?」


勇ましく握りこぶしで空間を連打して、ユーリンは戦果を誇るように関羽に言った。

関羽は首をかしげるばかりである。


「世界が不思議すぎる。いまのはどういう術理なのじゃ?」


「ただぼんやり見惚れるだけっぽい感じだったからね。『あなた、ばっちりボクをうっかり窃視してますよ』て軽くたしなめただけだよ。……マジモンは目があうと、にやけヅラして逆に寄ってくるからね、この街の民度は及第点じゃないかな。いい街だね」


到着したばかりのサウホの街に、ユーリンは嫌みのない賞賛を送った。




サウホの街を南北に縦断する大通りを北から南に向けて2人は歩いた。

街の中央部は少し高い丘になっており、登ると街の全景を眺めることができた。


街に隣接するシュイカウ塩湖は、はるか地平線の彼方まで水面を広げている。

まばらに船が遊弋し、漁をしている。

このシュイカウ塩湖は大陸の奥地に位置するが、いったいどういう構造なのか、海の産物が採れるのである。

グラン帝国の財源のひとつである塩はその産物の代表的なものであるが、それ以外にも海の魚介類が豊富であり、サウホの名物として知られていた。

海に離接しない内陸国家であるグラン帝国にとっては、貴重な海産物の産地である。


塩湖に隣接する塩田には大勢の労働者の影があり、忙しく砂を曳いている。

塩湖の海水を砂地で蒸発させて塩分濃度を高め、濾して煮詰めて塩を精製するのである。


サウホの街に目をやると、街のいたるところに赤い彫像があった。

屋根を彩るように遠景に点在するそれは、近くで眺めると赤色の竜を象ったものである。

当地の守り神として伝えられる赤炎竜伝説になぞらえたものであることは、明らかであった。


ユーリンは街全体を見渡して地理構造をじっくり観察していおり、口を堅く結んで瞬きもしない。

空色の透き通るような瞳には知性の蠢動を示す勁烈な光が宿っている。

鋭敏な頭を酷使して、脳内に街の精緻な模写を描き入れているらしかった。


傍らの関羽は、特に目的もなくシュイカウ塩湖を眺めていた。

いっときはユーリンに倣ってサウホの街を理解するために丹念に眺めていたのだが、やがてやる気をなくし、頭の中に浮かぶ思索を強引に追い払ってぼんやりと時間を浪費することを選んだ。


———為政者としてこの街に学ぶべき点はあるか


———軍略家としてこの街の攻守の要諦をどのように捉えるべきか


まるで天下国家を背負うかのような意気込みをいまだ残している自分に気がついて、自己嫌悪を覚えたのである。


(いまの儂は、ただの人。一兵卒ですらなく、一個の侠客でもない。ただの無為な若者である)


自嘲気味に身の程を省みた。


(やることもなし。気ままで自堕落な延命よ。……退屈に満ちている。いや、未練なく死に向かうには、このくらいがちょうどよいのかもしれぬな。畢竟、戦人が()に情熱を抱かぬのは、()を恐れぬための逃避であるのやもしれぬ。その点において、儂はよく生きた。よく死ねたのかは、わからぬが)


死という言葉が脳裏をよぎり、とある『死』を想起した。

つい最近、関羽は人の死に立ち会ったのである。


(たしか、名はミケルといったか)


ミケルなる若者と関羽が初めて出会ったのは、若者が死を迎えたその日のことである。

空飛ぶ魔獣であるグリフォンの猛威から逃れるために若者が解放軍の本拠地であるセムトク村まで辿り着いたとき、すでに若者の身体はグリフォンの猛毒に蝕まれていたらしい。

治療のための物資も不足しており、命を救う手立てはなく、あとは如何なる死を与えるか———それのみが焦点となった。


———レモンとメレンゲのパイ。あれを、もう一度、食べるまで……死にきれませんっ!


瀕死の若者の最後の願いを叶えるため、疲弊していたエレーヌの手足となって関羽も僅かながらそれに助力をした。

そして、若者の末期の願いは叶えられた。


若者に安楽を与え、代わりにその心痛を引き受けたのは、関羽もいまやひとかどの武人と認めるに至った解放軍の軍事統括者であるエルマンである。

関羽も縁あり、その場に立ち会った。

終始言葉を発することはなかったが、それでもエルマンの心の支えにはなったらしい。

事を終えた後、闇夜に姿を埋めんとおぼろな足取りで去るエルマンは、その際に関羽に「居てくれて助かった」と呟いたのである。

エルマンの顔を関羽が見ることはなかったが、それは武人としての礼節であった。


あのとき、死に瀕した若者を関羽は哀れに思った。


幾千回、幾万度も見てきたはずの命が立ち消えるその瞬間。

見慣れていたはずの、誰にでも訪れるその平凡な帰結。


それがどういうわけか、その若者の死に際の様相は、関羽の胸中に灼熱の陰影を刻み込み、今なおその余熱が関羽の胸を焦がしているのである。

ユーリンとの2人旅に出立してからも、関羽はときおりこの熱の疼きを感じていた。


(食が最後の望みか。……儂の場合は、どうだったかな)


もはやその日のことすら、遠く感じられた。

意識を転じて、現状に思索の枠を移す。


(今の儂に望みはなく、願いもない。いまや気がかりは、この未完の大器の行く末のみ)


関羽は、傍らのユーリンにちらりと目をやった。


漢朝、巴蜀、残された家族や義兄弟の行く末―――これらを案じることは……もはやその資格すら関羽には残されていない。


リンゲンとの再戦、エレーヌに対する淡い慕情、ビーリが鍛える山でも斬れるという武器、僅かながらも変革を迎えつつある己の有り様―――いくつかの未練の楔はあるが、関羽をつなぎとめているのは、間違いなく、当地にて縁を結んだユーリンである。


(そなたには大きな役目がある。間違えてはならぬ。……否、間違えて、踏み外してもよいのだ。そなたは過ちから立ち直ることができるはずだ。そなたはそなた自身のことを考えつくして今に至るのだろう、だがそなたは、そなた以外のことをまだ知らぬ。真に己の才と向き合うのは、その後だ。底の底で打ちのめされねば、そなたは高みに登ることはできぬだろう。哀れでもあり、うらやましくもある……)


咄嗟に関羽は脳裏をよぎった己の言葉を()()とがめた。


(儂はいま『うらやましい』と思ったのか? 破滅の瀬戸際にゆらぐ少年を、齢60を数えようかというこの儂が、未来の在ることを羨んだというのか。……ああ、何という恥知らず、儂はここまで浅ましい性根であったか)


関羽の自己嫌悪が再帰的な悪循環を兆し始めたころ、ユーリンが区切りをつけるようにうなずいた。


「……うん、よし、お待たせ。ウンチョー、お腹すいてない?」


「もうよいのか?」


思考の迷走を断ち切って陽の当たる現実に戻ってきた関羽を、自信に照らされた明るい表情のユーリンが迎えた。


「この街の構造は覚えたよ。これでキミが迷子になっても迎えにいける。さてさて、つぎのアクションだ。衛士、曰く、南の宿がオススメ、と。……それでいいよね」


「無論だ。あの衛兵らがそなたに伝えたことは信じてよかろう」


「それは同感。……と、あそこが広場で、あの辺がウワサの串焼き屋さんかな。ハズレなしと評判の」


2人が立つ丘から見下ろした先には、石畳の広場があり、飲食を供する屋台が軒を並べていた。

人の往来は多く、長蛇の列がなるほどではないが、客足が絶える様子もない。

店先を物色する人々はみな楽しそうな様子であり、買ったばかりの串を手に持ってその場で食べ始める姿もあった。

手から滴る汁やタレを避ける仕草さえも、愉快そうである。


関羽の好奇心が、かすかにうずいた。

たが、関羽は関羽であった。


「よき賑わいであるな。しかし夕餉(ゆうげ)にはまだ早い。まずは宿探しだな」


「あれ? 食べていかないの?」


ユーリンが意外そうに首を傾げる。

関羽が唇から何かの音を絞り出す。


「むむむ」


「む?」


「無、無用」


「……ふぅん?」


そうじゃないよね? と聞こえるように、ユーリンは「ふぅん」と言った。


関羽は断固とした態度を崩さず、いとも自然でまったく違和感のない堂々たる謹厳な面持ちである。


無用、と言ったきり無言のまま関羽は果敢に歩を進め、勇敢にも直進し、賑わう屋台の密集する区域の突破を無謀にも試みた。

ユーリンは笑いをこらえたまま、関羽の後ろをついていった。


関羽が無心で強引に屋台を素通りしかかったところ、誘うような煙が漂ってきた。


思わず関羽が鼻腔で香りを堪能すると、舌を誘惑するような、魚や肉の脂の気配をかぎ取ってしまった。

薬味を発酵させた(ジャン)のような刺激臭が、断ち切りがたい無念の未練となって、関羽の足を重くする。


「うっ」


「……どうしたの? 大丈夫?」


ユーリンが、可能な限りの真摯的な紳士ヅラをこしらえて、関羽の顔をのぞき込んだ。

ユーリンのそれが心配によるものではなく、ただ関羽の反応で遊んでいるだけであることに、屋台の店先に並ぶ香ばしい串焼きに目を釘付けにしている関羽は気がつかない。


「……いや。先を急ごう」


「気になるんでしょ?」


関羽の内心の狼狽ぶりをたっぷり堪能するように、ユーリンはねっとりと関羽を観察した。

まるで大好物の並んだ食卓に腰を降ろした直後のように舌の根が喜びに震え、声も揺れている。


「ウンチョー、すっごく、食べたいんでしょ?」


「そんなことはない」


「じゃあ、ボクは食べてみようかな。まだ背も伸びるだろうし、これでもまだ精悍な豪傑マッチョ路線は諦めてないんだよね。いつかキミを超える分厚い胸板に至ってみせようじゃん。肉くう、肉。あと魚。魚がいいな」


まるで無垢な少年が無邪気なことを言うかのような口ぶりで、ユーリンは垢むした邪気に溢れる笑顔を見せた。

手ひどくからかわれてイジメられた関羽はすでに泣きそうな顔になっている。


「むむむ。そなた無情者か! 然様な帰結あってたまるか。なれば儂も……いや、儂はいらん。むむむ無用である」


あくまで無意味な頑固を貫かんとする関羽に対して、ユーリンは同情の必要を認めなかった。

淡々と無慈悲な審判を下すのみである。


「さっきからムームー言ってないで、素直になりなって。好きなものは好きだと認めないと」


「滋養としての食は足りている故、飽食は求めん」


「黙れ食道楽。演技ヘタなんだから薄っぺらい枯淡を気どるのはやめなよ。キミが辛抱したって誰かが幸せになるわけでもないぞ。……ウンチョー、食べるの大好きでしょ?」


「し、しかし、泰平(はる)けき時勢において食に悦楽を求めるなど」


「キミ、犬のフンみたく道に落ちてた分際のくせに、いまさら天下でも背負ってるつもりかい?」


「いぬの……ぶんざ……」


ユーリンの選んだ単語の圧力に、関羽の心が打ち倒された。

呆然として言葉も出ない。

関羽は黙ってしまった。


そんな関羽の様子をみながら、ユーリンは穏やかな顔をしている。

それは善き教育者が、成長の兆候をつかみつつある教え子を見守るかのような眼差しであった。

ユーリンはあえて刺激的な表現をつきつけて関羽の口を封じ込め、静かに考えさせる時間を強引に作り出したのである。


関羽は、まんまと考え込んだ。

己のうちに沈み込む。


(たしかに、ユーリンの言には聞くべき点がある。今の儂は身分なき市井の立場。皆の規範たらんと振舞う義務もなし。加えていまのこの身は若き日のもの、晩年の儂とは事情が違う、太く食を必要とするのもやむを得ないのではないか)


関羽は、都合よくユーリンに説得されるための名分を探し求め、頭の中を散策した。

眉根を高め、皺を深くし、口を結び、拳を固め、たかが串焼きの買い食いひとつに惨憺たる懊悩ぶりを示した。


一方のユーリンは大変満足気である。

関羽の内心の葛藤を、ユーリンはほぼ正確に洞察し、純粋に興味本位で観戦していた。

ユーリンとしては関羽の成長を願っているが、いまこの瞬間においては、ただ関羽をおちょくって楽しみたいだけであった。


関羽は、重大な決断を下す総大将のような顔をして、言った。


「やむなし」


その表情は『水害に退路を絶たれ一敗地にまみれた大国最高位の大将軍が生き残った部下の命を救うために恥をのんで敵軍に降伏することを決断したときの顔』と概ね等しかった。


関羽は、厳かにユーリンの言を認めた。


「そなたには、かなわぬ」


「……はぁ?」


「そこまで申すなら、良しとしよう」


「はーあ!?」


まるでユーリンの横着を鷹揚に受容するかのような関羽の物言いに、ユーリンが笑いを通過した呆れまじりの驚きを示して抗議した。

関羽は、ユーリンのそんな態度による抗議さえも寛大さで包容するかのような大人物のような態度である。


「応じよう。そなたの望むモノを食すがよい。儂もそれに付き合おう」


「……ダぁメだこぉりゃ……だいぶ治療は長引きそうだね。まぁ一歩を踏み出せたわけだし、そこは褒めておこうか。……ウンチョー、いいこいいこ。ちゃんと自分の口で言えて、えらいねぇ」


「……儂は子供か」


「せめて子供くらい素直になってくれれ……いや、せめて子供らしく素直になってくれればいいんだけどね! ……ま、いーや。素直になれない恋人くんと、つたない買い食いデートといこうか。キミ、エスコートはできる?」


「……うーむ、その作話(さくわ)、当地でも必要か?」


「……っ! な、何を言ってるのさ! 知人の目がない今こそが、絶好の練習の機会じゃん!? そう! そうでしょ?」


さも当然と言わんばかりのユーリンの真剣な眼差しを突き付けられた関羽は「そういうものか」と納得するしかなかった。




食欲への刺激を競い合うように並ぶ幾件もの屋台の中から、ユーリンは1件の屋台を選んだ。

密集する店並から少し外れた場所に店をかまえていたが、店先に掲げられた魚の絵に惹かれたのである。


「川魚でなく、海のモノがあるかも」


「内陸の湖において海産物というのは奇怪に過ぎるように思えるが」


「だね。そういうのは大抵たぶんたいがいは聖帝の御業だよ。いまも解明されていない奇跡が多い」


「聖帝……『かいろりん』であるな。史書のいたるところに名を遺す遥かな過去の王君ときく」


「そのとおり。リョウケイさんから借りた本、さてはさぞかし勉強してるね」


「うむ。やはり書はよいな」


解放軍の本拠たるセムトク村で無聊を託つ日々、関羽は書物と向き合う時間に多くを割いた。

歴史書や思想書、神話や物語など多岐にわたる書物に触れることで、『当地の事情』に明るくなったのである。


屋台の先客の背をみながら、関羽とユーリンは取り留めもなく雑談した。


「世界がもっとも繁栄していた神代(パトリア)の帝、不朽にして不老の王。3柱の主神から寵愛を授かって、大帝国に安寧をもたらした偉大なる者。その魔法の規模は神々に比肩し、世界の構造を変えるほどだったそうな」


「たしか『一夜にして山を拓いて道を通した』や『千々に流れの乱れた荒川をなだらかにした』といった記述があったな。さすがに誇張が過ぎると思うておったが」


「……それね、たぶん真実。その程度なら、現代でも大国の大魔道が結集すれば理論上はできるはずだし。聖帝の魔法はそういう理屈で説明できる領域じゃない。晩年の聖帝が自らの事跡を闇に葬ったこともあって、今もわからないところが多いけど、きっと『そうであれかし』に近いモノだろうね。時空間や因果律さえ制御する、神が創ったこの被造界の摂理根源に干渉していたはずだ」


「内地において海を成すほどに、か」


関羽の声が微かに揺れた。

関羽の知る中原の地において、天地創造の理は字義どおりの神の領分である。

しかし当地においては、ごく一部とはいえ、人間がそれを成し得たとされている。

その奇跡の規模に震撼しつつも、それを成した聖帝カイロリンなる人物への敬意や好奇心が抑えきれなかったのである。


「あれば便利、くらいの感覚だったんじゃないかな。大富豪が思い付きで街を流れる川に橋を架けさせたくらいのノリで……っと、そろそろお待ちかね、ボクらの順番だね。うわ、すっご、ナニこの香り」


「これは……たまらぬっ!」


目当ての屋台の先客が去り、店先が開放された。

炭火に炙られた魚の脂が煙となって2人を誘う。


関羽は吠えるような驚嘆の声をこぼして足取り軽く屋台に駆け寄り、ユーリンはおのずとこぼれる苦笑を味わいながらそれに付き従った。


「へい、いらっしゃい」


屋台の店主が新客の2人を歓迎した。

屋外の調理師らしい軽装に筋肉質の身体を包んでいる40過ぎと思しき男である。


「うちは魚介がウリだよ、甘ダレがオススメだ。1本300ゴールドからで……って、ニィちゃんずいぶんとカワイイ恋人つれてるね」


店主の男は関羽とユーリンを姿をみて、あいさつ代わりの軽口を放った。

返答に困窮する関羽をよそに、ユーリンが胸をはって上機嫌でさっそうと店主に応える。


「ですよね! ボクの自慢なんです」


「……ん?」


「へ?」


店主の怪訝な顔を見て、ユーリンは心底不思議そうに首を傾ける。

若干だが深刻な認識違いが瞬間的に二重錯綜したことに、ユーリンだけが気がついていなかった。

原則的には極めて聡明な頭脳を有するユーリンであるが、ごく一部の領域においては突発的な昏蒙(こんもう)状態に陥るのである。


関羽はいつもの胃痛の予感を覚えた。


「そなた、普段、儂をどう見とるんじゃ?」


「えっ? ココでのろけトーク始めるお誘い? ……いきなり大胆だね、どしたの?」


「いや、なんでもない。すまぬ」


ユーリンがたまに炸裂させる破天荒な素行については気にしないこと、という健康のための自衛原則を思い返し、関羽は言いかけたことを全て忘れることにした。

対人関係のほとんどの局面においてユーリンは関羽よりはるかに上手(うわて)であり、関羽がユーリンを憂慮しても関羽が消耗するだけの一方的な負け戦なのである。


多少の疑問の陰りを顔に残しつつも、ユーリンは屋台に並ぶ串焼きに目を輝かせた。


「いい香りですね。これ何のお肉です?」


「お、おう。……ニィちゃん? ……から向かってみて、右からサーモン、エビ、タコ、サバ、ホタテだ」


「海の! 大当たりだ」


一口大の肉の切り身が、細い串が貫かれて3、4片ずつ並んでいる。


関羽も腹部の違和感を食欲で振り払い、まずは目でそれらを堪能することを選んだ。

炭火に温められる切り身の表面に脂の艶がきらめき、肉汁として滴り落ちて、景気の良い音を弾ませている。

炙られて次第に色を変える肉身を、立ち昇る白い煙が控えめに包んでいた。


「見事だ。美しい風景である」


「ちょいと焼けるまで待ってもらうことになるが、1本500ゴールドで全あわせのミックス焼きもできる。味は塩と甘ダレから選べるが、ダンチで甘ダレが人気だね。……さて、どうすんだい?」


「ふむ……」


関羽は、ちらり、と広場の隅の別の屋台に目を向けた。

その屋台には『酒』と看板がかけられている。


関羽はユーリンに、おそるおそる訊ねた。


「全あわせのミックス焼きを甘ダレで2本。店の横で少し待たせてもらおうか。それでよいか?」


「……うん、いいよ。串焼きはそれでいいよ。串は、ね」


ユーリンは笑いをこらえながら、承諾した。




関羽は、串焼きの屋台の横に立っている。

その手には酒器が握られていた。

無論、魚介を炙る煙を肴に酒を堪能しているのである。


傍らのユーリンはケラケラと愉快そうな笑声をたてていた。


「キミ、遠慮ないね」


「犬のフンと大差ない身に、外聞など不要であろ」


「そうそう、それでいいんじゃない? ……ウンチョー、故郷に帰ったらいろいろあって大変なんでしょ、ダイショーグン? 身軽になれるときに、なっときなって。背負ってばかりじゃジジイみたく腰が曲がるよ」


「……善処しよう」


酒には含まれていないはずの苦みを、関羽は口の中で覚えた。




「おふたりさん、焼けたよー」


串焼き屋台の店主から呼びかけられて、2人は店先に戻ってきた。

5種の魚介が1片ずつ盛られた串が、それぞれに手渡される。


「あわせて1000ゴールドね」


関羽が片手で懐から財布を取り出し、支払いを済ませた。


「んじゃ、最後に甘ダレをかけるから、ちょっと持っててくれるかい……そうそう、火にかざすようにして、そのままね」


関羽とユーリンは店主の指図に従って、少し前かがみの姿勢になって、手に持った串を炭火にかざして持った。

店主は容器から赤茶色の液体を大き目の匙でくみ、2人が持つ串の上に運んだ。


「そいじゃ『派手にいくよ』。楽しんでくれ。3、2、1……」


魚介の肉身に絡まりながら炭火に垂れ落ちた甘ダレが白い煙と賑やかな音を弾けさせ、瑞々しく焦げたような薫風となって立ちこめた。


「おお」

「うわぁ」


関羽とユーリンの視界は、瞬時に煙に覆われた。

鼻と耳から多幸感が流れ込み、全身に心地よい刺激を送りこまれた。


やがて白煙が薄らぎ、視界が戻ってきた。


店主がにこやかに別れの挨拶を告げる。


「そいじゃ、またのお越しをお待ちして……って。———っ!?」


店主の男は驚愕に目を見開き、あんぐりと下顎を落とした。


関羽の右手はたっぷりの甘ダレが絡んだ5種の魚介の串焼きを握っており、一方の左手が、1人の少年の足首を握って逆さづりにしていたのである。

吊りあげられた少年は、状況を飲み込めず呆然としている。


関羽は左手に捕獲した少年を逆さづりのまま高く持ち上げて、その全容を確認した。

年の頃は10歳くらいとみえて、身なりは汚く、筋骨は細く痩せている。


「ふむ。……うーむ、魚には甘味か。エレーヌ殿の料理もさような流儀であったが、やはり道というのがあるのだろうか」

「ないすキャッチ。……うん、すごくおいしい。これがタコか、はじめて食べた。海の悪魔を名乗るには美味すぎるんじゃないかな」


関羽は左手で吊るした少年をちらりと見て納得したように頷き、すぐに視線を右手の串焼きに向けてほおばって考え込んだ。

ユーリンも冷めぬうちにと言わんばかりに、タコの切り身にかじりついている。


屋台の店主と吊るされた少年は、一言も発することができない。


関羽とユーリンは、かまわず串焼きを堪能する。

2人にとっての目下の最優先事項は、海の幸の食べごろを逃がさないことであった。


「エビの玄妙さは特筆すべきだ。締まっていて歯ごたえがあるのに、ふくよかな柔らかみを失っておらぬ。食感のみでも一芸に達しておるわ」


「ホタテって大きな貝だって聞いてたけど、ぜんぜん貝っぽくないね。まるで果物みたいだ。いちど殻を見てみたいな、川の貝とは似てないのかな」


ようやく状況を飲み込んだ少年が、焦りと屈辱に顔を歪ませる。

関羽の手を振りほどこうとして、逆さづりのまま手足をばたつかせて暴れもがこうとした。


「は、はなせ!」


(わらし)よ、暴れぬほうがそのほうの身のためだ。……財布は返してもらおう」


関羽の迫力に気圧されて、少年は口をつぐんだ。


ユーリンが串にかじりついたまま、少年の手に握られた関羽の財布を没収した。


「ざんねん! よい手際だったけどね、相手が悪かったね」


ユーリンは、少年を慰めた。


串焼きの仕上げのタレが煙に変じて関羽とユーリンの視界を覆った時、周囲に潜み隠れていたこの少年は音もなく近寄って関羽の懐に手を入れて、財布を抜き取った。

気配を感じた関羽が瞬時に空いた手で人影の襟をつかみ、勢いつけて宙に浮かせて上下を(かえ)して足首を握り、身体を吊るしたのである。


関羽の懐に財布を戻しながら、ユーリンは関羽に言った。


「お見事。さすが」


「ユーリンそなた、さてはずいぶん前から気づいておったな?」


「当然、ボクは視線には敏感なんだ。でもボクが惚れた男なら、なんとかするだろし、できたじゃん?」


そしてユーリンは少年に視線を戻して、深刻そうな顔をする。


「そんでどうする? 腕でも折るの?」


「折る必要はない。斬り落として、串に刺して焼く」


ちらり、と屋台に熾る炭火をみながら、関羽は顔を険しくして脅すように言った。

少年は絶叫の寸前のような顔で硬直している。


少年が十分に恐怖を堪能したことを確認すると、関羽は表情を崩した。


「冗談だ。儂はこれを大事(おおごと)に騒ぎ立てるつもりはない。だがいずれはそうなることを、ゆめ忘れるな。(わらし)を相手に剣を抜く輩も、世には居るのだ。斯様(かよう)なことからは、そうそうに手を引くがよい……のう? 店主どの」


「……へ? えっ……あ、いや、そんな……」


突如として関羽から会話の矛先を向けられた屋台の店主は、狼狽を隠せなかった。

額に浮かぶ汗の粒が膨らみ、目線がアチコチにさまよっている。


関羽とユーリンは2人並んで、店主に詰め寄った。


「戦の呼吸を感じた。この(わらし)と示し合わせたな」


「合図は『派手にいくよ』かな、あの言葉だけボクたちに言ってなかったよね」


「だが客の前でタレを焦がす工夫は、本当に良かった。音と煙も料理の味を変えるのだなと感心させられたわい。実に新鮮であった。今後も永く続けてもらいたい、ゆめ忘れるな」


「……ウンチョー、キミというヤツは」


ユーリンは、関羽の言葉に呆れた。


「まぁいいさ。……どうだろ、オジさん。サーモン、エビ、タコ、サバ、ホタテをそれぞれ2本ずつ計10本。それでどうだい? それでボクたちはきれいさっぱり、ゆめ忘れるよ」


「……ユーリン、そなたという者は」


関羽は、ユーリンの言葉に呆れた。


屋台の店主はすっかり色を失って消沈している。

しかし、小柄とはいえ少年1人を片手で軽々と持ち上げる関羽をみては、応諾するしかない。


「わかった、いいだろう」


ユーリンが、まるで純真そうに喜んだ。


「やった。ウンチョーもそれでいい?」(これ以上の面倒ごとはごめんだよ。目立ちたくないけど、なめられたくもない。手打ちといこう)


「……うむ」(心得ておる。しかし、やっぱりそもそもそなたが食いたいだけではないのか?)


「それじゃあ全部、忘れましょ。はい、本件はおしまい。めでたし、めでたし」(当然。いずれキミみたいな豪傑ボディになってみせるよ。まだいろいろきっと伸ばせるはず、きっと)


あたかも慶事に遇したかのような爽やかな慶祝顔で、ユーリンは宣言した。

そして、屋台の店主に注文を付けた。


「それじゃ、ボクたちは横で待ってるから、串10本、ぜんぶ妥協なく温めてくださいね」


「タレは受け取るときにかけてもらいたい。先刻と同じようにな」


「キミというヤツは、ほんとほんと……」


「くれぐれも申し告げておくが、そなたもたいがいぞ?」


これだけは伝えておく、と決意に満ちた顔で関羽はユーリンに言った。


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