44. 光の使徒ユーリン(14) 関公、山中にて酒席に興じ、ユーリン、女神の涙を受贈す
44. 関公、山中にて酒席に興じ、ユーリン、女神の涙を受贈す
タジカン平原の南、ヌヘナ山脈の麓にシュイカウ塩湖は水面を湛えていた。
「おー、あれがそうだね」
ヌヘナ山脈を縦断する山道を歩きながら、樹木の隙間からシュイカウ塩湖を遠景に認めたユーリンが、眉を明るくして驚嘆の声をあげた。
「すっごい。絶景じゃん」
はるか見下ろす先には、目的地であるシュイカウ塩湖が広がっていた。
陽光がまるで夜空の星屑のように燦然ときらめく水面に、ヌヘナ山脈の稜線がくっきりと姿を映している。
太陽と湖と山が一体となって、壮麗な自然美を織りなしていた。
ユーリンは、長旅の疲労を一息で吹き飛ばすように、満面を喜色で染めた。
護衛として随伴する関羽が応えた。
「たしかに、風光としては及第であるな」
「なーにそれ、なんか偉そう。ウンチョー、もっとすごいの観たことあるの?」
「いかにも。儂の故郷の地には長江という……」
「ぶっ、ぶーっ! はいはいダメダメ、教育のお時間です。……こういうときはまず話を合わせるのさ。ウンチョーにとってはソコソコな景色だったとしても、ボクは感動してたんだ。まずはソレを尊重してほしいな。ボクの感動を優先したって別にウンチョーの故郷の美観が損なわれるわけじゃないでしょ? だいいち、ボクはチョウコウってのを知らないんだから。共有できない幸福を人に自慢しちゃダメだよ」
「……ぬぅ、いかにも。……儂の不明であった。すまぬ、つい言葉が軽はずみに出てしまった。迂闊にして無用の言であったな」
「うんうん、好きだよウンチョー。叱られてすんなり受け入れられる率直さ、ボクは大好きさ。……とりあえず新しいものに出会ったら、まず絶賛するのが『ガチ鉄則の必殺技』だよ。貶すのはいつでもできるからね」
「肝に銘じよう」
「よしよし。さてここから、まずはシュイカウ塩湖に隣接したサウホという街を目指す。製塩所に勤務する人たちの生活の場になっているらしい。商人も多く出入りするらしいから、すんなり潜入できるはずだ」
ユーリンはシュイカウ塩湖の湖畔を指さし、目的地を示した。
広大な砂地を塩田とした製塩所があり、さらにその傍らには建物がひしめく街があるのが遠目にもわかった。
関羽は塩田を眺め、次に傍らに併設された街並みを眺めた。
「……まばらに赤いものが目立つな。家屋の屋根に何かついておるのか」
「遠目からだと断定できないけど、たぶん火竜を模してるんじゃないかな。……この地域には火竜伝説てのがあってね。ヌヘナ山脈の奥地には神代から生きる誇り高き赤炎竜が住んでるって話だ。大地の女神キルモフと並んでこの地の守護者として崇拝されてるらしいから、たぶんそういうシンボルじゃないかな、たぶん」
推量を混じえつつも、確かな知見に裏打ちされた見解を述べて、ユーリンは気ままに応答した。
この説の正否は、いずれ現地で確認するだけのことである。
ともあれ、関羽とユーリンの足取りは如実に軽やかになった。
旅路の終着の予感が、残る道のりを馳せる原動力となったのである。
ヌヘナ山脈の山道を下りつつ、関羽とユーリンは、これまでの旅路で繰り返された慣習にそって、益体もないことを話し合った。
ユーリンが特に好んだのは、関羽の生まれ故郷の話題である。
「……へぇ、ウンチョーの国では、冷食は厳禁なんだ」
「左様。というより当然のことと思うていた。儂の故国では、冷めた飯は毒に等しいと信じられておる」
「うっわぁ、過激。……そりゃ熱々がベストなケースは多いだろうけど、さぁ」
「だが、儂は認識を改めたぞ。出立の折にエレーヌ殿からいただいたベントーなる様式を体験して衝撃を受けた。冷めてもよし、むしろ冷めるほどよし、となる工夫の凝らしように感嘆させられたのだ」
「あー……ベントーはヨーコ様の教えだね。スイーツほどの華はないけど、生活に根ざしたノウハウとして有名なんだ。……別にエレーヌさんの創案じゃないよ。たしかにアレは絶品だったけどさ」
「またしても! ヨーコ殿か! 誠に偉大な事跡を成した方なのだな」
「ふぅん、ヨーコ様はボクも好きだよ、だいぶ崇拝しても良いと思ってるし。……ところで、さっきウンチョーが出した単語についてなんだけと、『チョウコウ』について、詳しく、くわしく。察するに、河か湖だね? どんな様相なのか教えておくれよ」
「うむ、長江とは……」
関羽は長江について知りうる限りのことをユーリンに語った。長江の気候や流れ、風光ある名所や域内の食文化、中原を横断する黄河との違いまで、話題は多岐にわたった。
「ふぅん、チョウコウとコウガね。ウンチョーの説明を正とすると、その2川はほんとうに大きいね、大陸の看板すら張れそうだ」
ユーリンはじみじみと真剣に考え込んで、関羽の語った黄河と長江の特色を把握することに努めた。
うなずきながら足元の山道を睨み、独り言を時折混じえつつ、思索の海原に脳髄を漂わせているのが、関羽にはわかった。
そんなユーリンの様子を見守りつつ、なぜユーリンが関羽の語る故郷の文化習俗にそれほど関心を抱くのか、関羽は検討をつけかねていた。
とうとう関羽は、ユーリンに疑問を直接ぶつけた。
「んー? 『他意も他愛も他言もしない、純情純粋で純白な好奇心』だよ」
あっけらかんと応えたユーリンではあるが、それを語る眼差しの裏には、慌ただしい心算の明滅が見え隠れしている。
関羽はユーリンの心境を洞察した。
「そなた、何かを隠しているな?」
「まさかまさか、そんなそんな。ほんとホントに、キミのことが知りたいだけだよ」
「……ぬぅ、たしかに虚言はないようだな」
「あはは。キミにウソはつかないよ。……たしかにキミに言ってないことはあるけど、誓ってキミに害はない。そしていつかキミにも明かすよ」
「無理に明かさずともよいが、意図くらいは聞いてもよいか?」
「そうだね、ボクとウンチョーの仲だ、包みを明かそう! 首尾一貫! ボクのポリシーからはほど遠いけど、そういうことさ。……キミの故郷を探してるんだ。地理気候文化風習の面から、それらしい地域を絞り込めないかと画策中なのさ。コウガとチョウコウ、2つの大河のことは、有力な調査材料たり得るね。……断固たる温食主義も参考になりそうだ。冷食を禁忌とする気候か……湿度も影響しそうだな」
ユーリンの返答を聞き、関羽は得心した。
同時に、一抹の罪悪感が芽生える。
関羽は、セムトク村での無聊の日々を慰めるため、当地の書物に目を通していた。
そして、説話集や歴史書、神話や思想書など、当地の習俗を学ぶに連れて、関羽の中である仮説が確信に近いものになりつあったのである。
魔法という不可思議な理力、それを公然たるものとして組み上げられた当地の歴史、社会制度。漢字とは異なる体系の文字となぜか違和感なくそれを読みこなせる関羽自身。……いかなる術理が成し得たのか、突如として青年期の若き肉体を得たこと。そして関羽の中に厳然として存在する、己の首を斬り落とされた瞬間の『死』のおぞましい手触り―――これらの要素を整合するひとつの仮説を、関羽は己の内に組み上げていたのである。
その仮説をユーリンに打ち明けるべきであるか、否か―――関羽は判じかねていた。
たとえ荒唐無稽と評されようとも、ありのままの関羽の考えを伝えて、ユーリンの知恵と知識に相談するほうが、おそらく間違いはない。
しかし、関羽はそれを躊躇していた。
(今のユーリンには、おそらく告げぬほうが良い)
リョウケイとの面会において、ユーリンは突然の変成をきたした。
言動はもちろん、思想や性格に至るまで、まるで別人に成り代わるが如き変異を遂げたのである。
この奇妙な事象を、関羽は否定的にとらえてはいない。
それ以前のユーリンは名状し難い精神性であり、現在のユーリンのほうがはるかに健全である。
なるべく今の状態を維持し、見守り、時間の経過と多くの体験を通して、ユーリンの心底の澱が徐々に消化されていくことを期待するほうが有益であると、関羽は考えていた。
そこに無用な刺激を加えたくはなかった。
関羽は、今の関羽自身を全く重要視していない。
自分はすでに役目を終えた人間である、とみなして、いつどのように朽ちても良いとさえ思っている。
荊州陥落という失態の償いのために、惨たらしい再度の死を迎えるのも一興とさえ夢想していた。
そんな関羽自身の都合のために、ユーリンの今の状態を万一にも損ねたくなかったのである。
関羽とは異なり、この奇縁太ましい少年ユーリンには、輝かしい将来が残っている―――否、これからが幕開けなのである。
関羽の仮説をユーリンに伝えることで、今のユーリンを支えている様々な前提が崩れ去り、不穏な結末を招く予感が拭えない。
しかし、ユーリンに関羽の帰路を調査する負担をかけさせるのも偲びない。
関羽の仮説によれば、それは恐らく―――徒労に終わるのである。
関羽は悩みながら、ユーリンに付き従ってヌヘナ山脈の山道を下っていった。
(進むべきか、踏みとどまるべきか)
そこへ、不意に声がかけられた。ユーリンのものでもなく、無論関羽が発した繰りごとでもない。
「そこから先には進まぬほうがよい、しばしの辛抱じゃ」
「えっ……?」
ユーリンが小さく驚きの声を漏らした。関羽が咄嗟にユーリンの身体を引き寄せて、護るように腕の内に包んだのである。
関羽は、声のした方に素早く視線を向けた。
山道の脇の茂みの奥に、人型の影があった。
関羽は、かけられた言葉の意味を考えるよりも先に、防御のために状況を確認した。周囲には他に気配はない。茂みの中の人影は一人分のみ、しかも小柄な体躯で、関羽が押し負けることはまずないだろう。関羽の腰に下げた剣はいつでも抜き放てる状態である。
(……殺気は感ぜられなんだ。敵意はなし、か)
関羽は平静に、けれども油断なく目を光らせながら、その人影に呼びかけた。
「……何事か!?」
「ちと都合があってな、マイコニドの胞子を風にのせて撒いた。吸えばたちまち意識を失う」
「毒か。剣呑であるな。御仁はいったい?」
「なに、命を奪うものではない、警告じゃよ。……連中、とうとうルールを破って大勢でおしかけてきおって」
何やら不満をこぼすような口調で、人影は言った。
関羽は警戒しながら、思考を整理する———発言の趣旨をまとめると、この先の道の危険について、関羽とユーリンが巻き添えにならぬようにと、警告を発しているらしかった。
どうやら、この人影は敵性ではない。そう関羽は結論づけた。
しかし、人影のほうは、その限りではない。
鞘走る抜剣音とともに、きらめく金属質の切っ先を、茂みの奥から関羽たちに見せつけた。
「さておヌシたち。山頂側から来たということは連中とは無関係だと思いたいが……どういう目的でこんなところに足を運んだ?ワシの都合で初対面でぶしつけだが、ワシの安寧に関わることゆえな。身元を明かしてもらおうか」
関羽が返答の迷いを来たすよりも早く、関羽の腕をほどき、ユーリンが場に踊りでた。
修羅場の呼吸を読み違えるユーリンではない。
関羽は、この場のユーリンの弁舌に委ねることに決めた。
そして、そして———
(なんだ、あの剣は……あのような代物は、一度も……)
己に突きつけられた剣の切っ先に、関羽は陶酔の目を向けた。
そんな関羽に構わず、ユーリンは普段通りのまるで空を愛撫するかのような天凛の声音で、姿なき声に応えた。
「ご忠告に感謝します! ボクはユーリン、こっちは護衛のウンチョー。貴方の事情は存じませんが、少なくともボクたちは貴方に害意はありません。サウホの街を目的地として旅をしてきました。ボクの実家の商いの都合です」
よどみなく名乗りをあげ、胸に手をあてて微笑んだ。
大方の文化圏において、友好の姿勢を示す仕草である。
「良き出会いを大地の女神キルモフに感謝いたします。よろしければ貴方のお名前をお伺いしたい」
「ふむ、礼節はわきまえておるか。たしかに連中とは無関係じゃな」
茂みの奥の声は、そうつぶやいて一人合点した。
わずかな沈黙の後に、ガサゴソと茂みを震わせたかと思うと、のったりと茂みをかきわけて、その姿を現した。
ユーリンよりも背丈は低いが、太ましく引き締まった筋骨質の小柄な体躯。乗り越えた苦難の数を誇るかのような、顔に細かく刻まれたシワの奥には、自負と自信に満ち溢れた力強い眼差しが慧々と輝いている。腰紐に結わえられた数多の小袋が、この人物の現実に即した油断のない遍歴を端的に示しているかのようであった。
外見から推測できる年齢は、関羽とユーリンの肉体年齢を足して合わせて2倍した程度と見積もられるが、確かなことはわからない。
頬骨を色濃く覆う、まるで密林の樹木のごとき濃度のヒゲの厚みが、その人物の年齢が夥しくも甚だしいことを示していた。
「……よかろう。ワシはビーリ。この地をねぐらとしておる。おまえさんたちに敵意は無いが、詫びねばならんな。この先の道は、半刻ばかり、通行止めだ。旅路をさえぎってしまったが、ちょうどそこに渓流もある。しばし休んでいくがよかろう。じゃあの、達者でな」
そう一息に言い放つと、その人物———自称ビーリなる者は、抜き身の剣を腰の鞘に収め、2人に背を向けて山の奥に立ち去ろうとした。
ユーリンとしては是非もなく、穏当にこの場が収まったことに安堵した。
事情はわからないが、ビーリは敵ではない。
そして、行く手の危難であるマイコニドの胞子とやらも、しばらく時をやり過ごせば回避できる。
立ち去るビーリの小柄な背中姿を眺め送りながらそう確信したところ―――そのビーリの背を呼び止めるかのように、関羽の陶然たる言葉がこぼれた。
「……素晴らしい」
「どしたの?」
ユーリンは嫌な予感に横ツラを叩かれながらも、それを無視して関羽に尋ねた。
関羽は、惚れ惚れのトロトロと言わんばかりの間抜けに弛緩した口元からヨダレを垂らしながら、喚いた。
「何という鍛えだ……見事な業物である……! ビーリ殿、その剣をもっとよく見せてはもらえぬか?」
「ウンチョー!? まさかまたそのパターン!? ……剣はお空を飛ばないよ? お散歩デートとか無いからね!?」
ユーリンとしては、怪しげに興奮する大男(関羽)から逃れるためにビーリが駆け足でその場から去る展開を期待したが、あいにくとビーリはユーリンの想定よりもはるかに勇敢であった。
ビーリは振り返って、得意げな自慢顔を隠すことなく、にやり、と笑った。
「ほう? おヌシ、いけるクチじゃな、よかろう」
勝手知ったるビーリの案内で、関羽とユーリンは山道を外れて木々を分け入り進んだ。
少し坂をくだったところに、開けた平地があった。
渓流のせせらぎがそよぎ聴こえる静かな場所である。
「腰をおろすには、ここらが良いあんばいじゃて。ワシの剣に気づくとは、おヌシ良い目をしておるな。……ほれ、手にとってよく見るが良い」
ビーリは手ごろな岩に腰を降ろし、腰に下げていた剣を関羽に向けて差し出した。
関羽はビーリの側に同じく腰を降ろし、丁重に剣を受け取った。
その様子を見てユーリンは唖然としたが、自分たちに不利はないと判断して、2人の雰囲気を妨げぬように何も言わなかった。
関羽は、剣を陽光にかざし、角度を変えながらしげしげと眺め、その迫力に圧倒される酔いを愉しむように見惚れ、まるでそれが麗しい美女の髪であるかのように匂いを嗅いだ。
関羽が剣身に頬ずりをしなかったのは、持ち主の前でやるべきではないと、関羽の自制心が作用したためである。
しばらく沈黙があった。
関羽は無言で剣と対話している。
そんな関羽を、ビーリは自慢げに眺めている。
ユーリンは2人からやや距離をとって、関羽の後方で立ったまま無表情である。
「曇りなき磨き、滴るが如き艶、天空さえも刻みうる鋭き研ぎ……ここまで完成度の高い剣とは、会ったことがない。囁き語りかける吐息さえも断ち切りそうだ。たとえ大岩を両断しようとも、刃を溢すことはあるまい」
希代の業物をひとしきり堪能した関羽は剣をうやうやしく捧げ持ち、ビーリに返した。
「眼福の限りでした」
「がっはっは! おヌシ、若いのに見どころあるな。まぁ、一杯、やるがよい」
ビーリは磊落に笑声を上げて、腰に下げた大きな革袋を関羽に手渡した。
ゆらめくような水音が革袋の中身の正体を告げている。
関羽はちらりと後方のユーリンに視線をやった。
意図を察したユーリンは、天性の美貌で苦笑いをごまかしながら、うなずいた。
「あー……飲んでもいいよ。うん、大丈夫」
「ではビーリ殿、ありがたく頂戴いたす。……っ、ぷぅ……ほう、これは佳酒だ。芋の甘みがとろけるような香りとなって鼻にぬける、まるで次なる一口を誘惑しているかのようだ」
ぐびり、と関羽は再度、革袋に口をつけて勢いよく酒を腹に流し込み、刺激を噛みしめるように目をつむった。
「……うまい! 染み入ります」
「良い飲みっぷりじゃな。そっちのボウズもどうじゃ?」
関羽の飲みっぷりに満足したビーリは、傍らのユーリンに呼びかけた。
ユーリンは、しぶきの弾けるようなにこやかな笑顔で応えた。
「いえ、ボクはお酒に弱いので、お気持ちだけに留めておきます」
「良いぞ! 酒を嫌う人間などいるはずがない! つまりおヌシはワシにもっと飲めと勧めておるのじゃな。わかっておる、わかっておるな。おヌシたち2人とも、良い仕上がりじゃ」
不思議な理屈でユーリンの態度にも満足したビーリは、いたって上機嫌である。
シュイカウ塩湖へと道をつなげるヌヘナ山脈のただ中で、関羽とビーリによる酒盛りが幕を開けた。
関羽は荷袋のうちから、一塊の布包みを取り出した。
布をほどくと、細長く薄い銀色のヒモのようなものが束になっている。
旅の餞別としてエレーヌから渡された代物である。
「酒の礼になるかはわかりませぬが、こちらをお試しください。サーモン魚の皮の燻製です。アテになりましょうぞ」
「なんと! おヌシ、どこまで仕上がっておるのじゃ。さしずめルビナスかオブシディアンといったところか。その若さで大したものだ!」
ビーリは感激してサーモン魚の皮の燻製を受け取り、関羽を原石素材に喩えて評価した。
関羽はとりあえず首肯したが、単語を理解しているわけではない。
ただ酒の場における原則的な作法『上機嫌なら意味など無意味』を守っているだけである。
「ビーリ殿はこのあたりにお住まいなのですかな」
「うむ、ちと都合があってな。ここらに定住してからもうずいぶんとたつ……と、すっかり忘れておったわい。ワシも出すのが礼儀じゃ。……ほれ、山菜の塩漬けじゃ。これが存外に、あう」
ビーリは腰に下げた袋のなかから、小さな容器を取り出した。
捩じれた植物の茎のようなものが入っており、塩を吹いて白く染まっている。
関羽は興味をそそられてそれをつまみ、口に放り込んだ。
「これは鮮烈! 辛味と塩味が交互に押し寄せる。それに、実におもしろい歯ごたえですな。嚙みしめるほどに酒が進む」
「おヌシならわかってくれると信じていた」
「ときに、ビーリ殿。その見事な剣はどちらで手に入れたものですかな? 儂も同じくらいの逸品を手にしたいのですが」
「無論、ワシが鍛えた」
「鍛えた……とは鍛造ですかな!?」
「当然じゃ。自分の装備を自らの手で産み出さず、金で買うなど、ドワーフの名折れじゃ。この世で金を出して買っても良いものは、酒樽だけじゃて」
「えっ? ドワーフ!?」
この瞬間まで関羽の後方で退屈そうに佇んでいたユーリンが、関羽を押しのけるように前面に出てビーリに迫った。
「ビーリさん、ドワーフなんですか?」
「うむ。……言っておらなんだっけか? そういうおヌシらはヒューマン族……じゃよな? まぁよい。酒の味わいに比べれば些細なことよ。おヌシらと飲む酒は気持ちがよい。重要なのはそれだけじゃて」
突如として踊りでたユーリンの剣幕を、ビーリは容易く受け止めた。
ユーリンに踏みつけられた関羽は、満足げに首肯する。
「まったくですな。ビーリ殿のお言葉は奥が深い」
「深いかな!? っと失礼。すみません、ボク、ドワーフの人とお会いしたのは初めてなんです。ちょっと感激しちゃいました」
ユーリンは関羽を組み敷いて脇に蹴飛ばしつつ、好奇心に溢れた眼差しでビーリを眺めた。
迫られたビーリには特別な感情のゆらぎもない。淡々と応えた。
「そうか? ……そうかもしれんな。たしかにここらはヒューマン族のグランとやらが幅を利かせておるゆえな、ワシも同族のことを聞いた覚えがない」
「ですよね、激レアさんですもん。……ビーリさんは、なぜこの地にお住まいんです? ヒューマン族中心のグラン帝国の領内では、息苦しいこともあるのでは? ご都合あってとのことですが、もしも差し支えなければお伺いしても?」
「なに、難しいことではない。長年の友人がこの地にいる。それだけじゃ。山のふもとにはヒューマン族の集落もあるが、さして心地よいわけでもなし、慣れた山に潜っているのがワシにとっては簡単でな。結局、そこの洞穴で生活しておる。ヒト族の集落には、たまに酒を仕入れにいくくらいじゃな。ヒューマン族の作る酒にも、佳いものはある……ま、ワシの醸造には劣るがな、及第じゃ、痛飲に値する」
「……なるほど、納得です。それにしてもお酒まで仕込んでおられるとは……『ドワーフは全てのもの自作する』て本当なんですね」
いずこで触れる機会を得ているのか———ユーリンの頭脳には万巻の書物に相応する知識が蓄積されていることを関羽は知っていた。
知識としては既知のものでも、やはり実物を目の当たりにするのは、旺盛な好奇心と知識欲を刺激するのであろう。
ユーリンの爛漫な笑顔を間近で眺め、関羽としては何ら異存はない。
それだけに、ユーリンの次の一言は、関羽にとって予想だにしないものであった。
「あの、ビーリさん。もしも、もしも可能であればでよいのですが……ウンチョーに武器を一振り鍛えていただくことは可能でしょうか。無論、対価は相応にお支払いいたします」
ユーリンは地に両膝をついて、頭をさげた。
意外なところから会話に呼び戻された関羽は、慌てふためきながら、ユーリンを制した。
「ユーリン、儂のことは……」
「ボクの願いなの! だってウンチョー、ずっと窮屈だったでしょ? 力いっぱい振れる武器が無いなんて」
ユーリンと出会って以後、関羽には『その武威に見合う装備がない』という課題がつきまとっていた。
多少ばかり太く鍛えた程度の武具では、関羽の膂力に耐えられず、歪み砕けて用をなさなくなってしまうのである。
当の関羽としては「戦いとは畢竟、敵方の武具を効率的に破壊することであり、故に武具は使えば壊れるのが必定である。懸念するに値せず」と現状を逍遥として受け入れていたが、周囲―――特に『仮初の主』であるユーリンとしては、看過できない課題であった。
この機を逃してはならない———ユーリンは懸命に嘆願した。
「ビーリさん。何卒、ご一考のほどを」
「……応じてやりたいところじゃが……すまぬ。今はムリじゃ」
ビーリはユーリンと正面から向き合って、臆すことなくきっぱりと頭を下げた。それは濁りのない真摯な謝罪であった。
ユーリンは感情を制御して落胆を節度あるものに留め、肩を落とした。
「そうですか……残念です……」
「気持ちよく作ってやりたいところじゃがな、どうしても今はムリなんじゃ。すまぬ」
「未練がましく食い下がる無礼をお許しください。『今は』ということは、日を改めて伺えば……」
「うむ。もしもその時に万事解決しておれば、引き請けよう。ただし、しばらくはムリじゃ。おヌシらは旅の身であろう、急ぎなら別のツテを探したほうがよい。おそらくおヌシらの旅の日程には当てはまらん」
「ならば、もう一度、旅をして参ります。何か月か、何年後か、必ず」
ユーリンは真摯な熱情を余すところなくさらけ出して、ビーリとの約定の成立を必死に求めた。
一方、当事者である関羽には、そこまでの想いはない。
武人の性として、優れた武具に惹かれる習癖は健在であるが、その欲得の度合いとしては、美人や美酒を緩やかに好むのと同程度の自然なものである。
そもそも万民の泰平という天命を抱いて戦場を駆け巡っていたころとは異なり、今の関羽は己の武威をさほどの矜持とはしていない。
『仮初の主』であるユーリンを、従者らしく相応に護衛できれば十分であると考えていた。
安価で手ごろないくらでも替えの効く薄鍛えの剣や槍でも、その目的には事足りるのである。
「ユーリン、あまり無理を願っては」
「ウンチョー、諦めちゃダメだ。ビーリさんの鍛冶の腕は確かなんでしょう? それにドワーフは、武器は気の合う人にしか打ってくれない文化らしい。ビーリさんと知遇を得たことは、天恵だと思ってよい……もしもまた飛将リンゲンみたいな猛者と戦うことになって、その時に見合う武器が無くてウンチョーにもしものことがあったら……ボクは……」
ユーリンは、関羽が凡百の難事に際して劣後することは絶対にないと確信しているものの、名の知られた英雄や、神話にもその威容を伝える魔獣を相手するには、信頼できる武具が不可欠であると理解していた。
ドワーフ族の文化風習については、『パトリア帝国史録 (著:緑葉の隠者アライデンジム・ガランダール)』や『人間族の成り立ち (著:狂える採掘者オスカル・フェメニーノ)』、『覇者の実像 ~デキウス・アッカレ~ (著:クアンタールの街娼マーガリー・マルティネス)』などの著名な書籍に数多収録されている。
いずれの伝聞においても共通しているのは、こと一点物の実用品を創造するという面においては、ドワーフ族はいかなる時代においてもヒト族を遥かに凌駕する技量を有しているという忌憚のない評価である。
ドワーフ族の鍛えた武具は武芸者にとって垂涎の宝具に等しいが、それを手にするのは容易ではない。
対価としての金銭を積みあげるだけでは、その願いが叶うことはないのである。
縁と幸運。その両面に恵まれた者のみが、ドワーフ族の武具を得ることができる。
この瞬間はその絶好の機会である———ユーリンの鋭敏な天命観がそれを告げていた。
ゆえにユーリンは決して、引き下がらない。
そんなユーリンのひたぶるな覚悟をみて、ビーリは好意的な微笑を浮かべて、頷いた。
「うむ。ワシらの流儀でな。金はとるが、金では売らん。だがウンチョウ、おヌシになら打ってやる。酒を共にすれば、ナリはわかる。おヌシになら、むしろワシから押し付けたいくらいじゃな、おヌシにナマクラは似合わんよ。……だがすまぬ、今はムリなんじゃ。いつなら打ってやれるようになるかも、今はわからん。……よし、そうだな、ついてまいれ……後日のために案内する」
ビーリは立ち上がって、木々を分け入って山の奥へと進んでいった。
関羽とユーリンは、無言でそれに付き従う。
しばらく歩くと、山肌の露出した岩石地帯に3人はたどり着いた。
「伝えておこう。ここじゃ。ここの洞穴がワシのねぐらじゃ」
ビーリは、山肌に開いた洞穴を指して、言った。
まるで蛇の瞳孔のような細長い割れ目が、暗く冷たい風を吹かせている。
「もしもまたワシを訪ねる機会があるならば、ここから大声で呼びかけてくれ。ただし、決して中に入っはならんぞ。絶対に、だ。ゆめ足を踏み入れることは許さん。ここから呼びかけてくれれば、ワシには聴こえる。絶対に、入ってはならん」
ドワーフ族は地表での生活を好まない。
他種族に襲われることを避けるために、陽のあたらない地下空間を生活の基盤としている。
武具を安易に他種族に供給しないのも、危険を避けるための風習であろう。
そのドワーフ族であるビーリが自身の住処を、関羽とユーリンに明かした———その事実の重みを握りしめるように、ユーリンは、固く誓った。
「承知しました。必ずビーリさんを訪ねてきます。その時に、是非。……ね、ウンチョー。お金を貯めて、また来よう」
こうなっては関羽のほうにも欲が芽生えてくる。
期待に胸が高揚するのを、抑えられなかった。
「是非もなし。過分な機会を頂戴した。ビーリ殿、いずれ日を改め、謹んでお伺いさせていただく」
「待っておるぞ。いつになるかわからんが、正直なところワシもおヌシの武具を打ってみたいんじゃ。金はとるがな、ま、それはワシらの流儀じゃ、気張って貯めて———」
ビーリの腰に吊り下がる小袋を結わえた紐が唐突に、切れた。
ガチャリ、と金属質の音がして地面に小袋が落ちた。
「なんと!?」
信じがたい光景を目の当たりにしたという衝撃を、ビーリは隠さなかった。
「……まさか……ワシが装備の綻びを見逃すとはな、老いたものだな……ん? ……っ!? なんと、なんと、これは……」
地に落ちた小袋を拾い上げてその中身を覗き見て検めつつ、ビーリはさらなる驚愕をその表情に上塗りした。
硬直して、身じろぎもしない。
「ビーリさん? 何か壊れちゃいましたか?」
ユーリンの呼びかけにも、ビーリは応える様子がない。
山の息遣いが聞こえてくるかのような緊張の静寂が訪れた。
ビーリはゆっくりと袋の中から視線を移動させて、じっと関羽とユーリンの2人を観察した。
まるで天命を見比べ、未来を見定めようとしている偉大な予言者のごとき荘厳な眼差しであった。
「……ふむ、間違いないな。ボウズのほうじゃ。ほれ、ボウズにコレをやろう」
ビーリは袋の中から、ソレを取り出し、ユーリンに見せた。
「ボクに? ……拝見しますね」
ソレは、小ぶりの刃物のようであった。
全長としては15cmもないだろう、鍔のない細身の造りである。刃渡りとしては7㎝程度だろうか。
ヌヘナ山脈を象った意匠の彫刻された木製の柄と、新緑のような輝く萌黄色の鞘の色鮮やかな対比からは、一服の芸術品のような風格がにじみ出ている。
ユーリンはまるで操られたかのようにゆっくりと、ソレを鞘から抜いた。
陽光には似つかわしくない、夜の闇に濡れ滴ったかのような暗緑色の剣身が、ユーリンを迎えた。
禍々しくも神秘的な気配を纏った、美しいナイフであった。
「エーテルナイフじゃ。当然、儂が打った。ボウズが持ってゆけ。エーテル鉱石から鍛えたゆえ、さまざまの性質を吸収する性質じゃ、ゆめ気をつけて扱え」
「エーテル鉱石!?」
ユーリンは面食らって狼狽した。
エーテル鉱石。
金属質の素材の1つであり、素材としての硬度も強靭であるが、少量しか採掘されないため、実用品に適した素材ではない。
特有の暗緑色を活かした宝飾品として加工されることが多い。
原石としては丸みを帯びた雫のような形状で採掘されることが多く、その妖艶な美しさと、マナを吸収して変質するという特異な性質とあわせて、『女神の涙』とも称される希少な鉱石である。
卓越したドワーフの鍛冶技術によって鍛造されたエーテル製のナイフともあれば、それだけでひと財産である。
「お返しします!」
「持って行け」
ユーリンはエーテルナイフをビーリに返却しようとしたが、ビーリはかたくなに受け取らない。
なにがなんでもユーリンにそれを授けるという態度を示した。
「そんな! ボクが持つには過ぎたるモノです。ボクが持つくらいなら、ウンチョウに」
「ウンチョウには要らんじゃろ。そんな小ぶりの刃物を手に持つよりも、素手のほうが優るくらいだ。そのナイフは、きっとボウズのためのものだ。ウンチョウにはいずれもっと似つかわしくデカイもんを打ってやる、山でも斬れそうなシロモノをな」
「それは大変にありがたいお話ですが、それでも、ボクがコレを手にする理由には……」
「なに。なんとなくじゃ。なんとなく、キルモフ様にそう言われた気がしてのう。ボウズ、ユーリンといったか……おヌシ、もしかするとキルモフ様に愛されておるやもしれん」
「過分なお言葉です。ドワーフのビーリさんを差し置いて、まさかそのようなことが」
「ほう、おヌシ、ワシよりキルモフ様の心がわかるとな?」
「いえ……そういうつもりでは……」
ユーリンは言いよどんだ。
大地を司る女神キルモフは、ドワーフ族の産みの親であるとされている。
女神キルモフが大地を慈しみ、川の流れに砕かれた岩を哀れんて手にとって接吻し、結果、生じた命がドワーフ族の開祖であると伝えられている。
いわば女神キルモフとはドワーフの守護神でもあった。
たしかにユーリンは、女神キルモフが好きであった。
しかしそれは神話におけるエピソードを伝えきく限りの淡い好意であって、ドワーフ族が女神キルモフに寄せる想いとは別次元のものである。
ユーリンの困惑を察したビーリが、バツの悪そうな顔をした。
「まぁ、イジワルなことを言った。すまぬ、許せ。……だがユーリン、それはおヌシが持っておけ。……ワシがそれを打ったのは、本当になんとなくなんじゃ。たまさかエーテル鉱石の小さな欠片が山肌からワシの足元に転がり落ちてきてな。なんとなく呼ばれた気がして刃物のカタチにしただけなんじゃ。少量ゆえそんなナイフ一本が限度じゃったが、きっとコレをおヌシに授けるためのキルモフ様の差配じゃな。今になって急にコレをおヌシに渡したいとワシは思っておる。腰ひもが唐突に切れたのも、その一環じゃて。偶然ではない」
「それは……いや、しかし……ボクでは有効に活用できません……」
「持ってゆけ。武器など、役に立たぬならそれが最善だ。武器が振るわれれば、命が消える。さすれば、酒を作る人手も減る。嘆かわしい。武器なと役に立たぬのが最善なのだ。めぐりめぐって、この世の酒量が減るばかりではないか」
ビーリの言葉に、2人のやり取りを見守っていた関羽が反応した。
「然り! ビーリ殿! この関雲長、感服つかまつった。武も武具も、軍も軍才も、無用たるが最上の用! 役に立たぬが最もよい」
我が意を得たりと言わんばかりの、晴天のごとく清々しい面持ちである。
「ユーリン、天命ぞ。それはそなたが謹み受け取るがよい」
「ウンチョウ、まったくそのとおりだ。ゆえにユーリン、このナイフを無用のナマクラとしてみせるがよい。きっと……それがきっと、大地の女神キルモフ様の願いじゃて」
ビーリと関羽に押し切られ、ユーリンは途方に暮れた。
エーテルナイフを胸に抱く姿勢でしばし瞑目して懊悩し、やがて折り合いをつけたのか、緊張のほどけたさわやかな面持ちになった。
「有難く、拝受いたします。この御礼はまたの機会に、必ず」
「ワシはキルモフ様の御心に従っただけじゃ、礼なぞ要らん。要らんが、まぁ、もらってやってもよい。ただしお行儀のよいつまらん礼はいらんぞ。酒じゃ。抱えられる限りの酒をもってこい。あとは酒のアテじゃな。……さっきのサーモン魚の皮の燻製にはたまげたぞ。どこで仕入れたんじゃ? とんでもない名人の作じゃな、ヒューマン族の創意も侮れん」
ビーリと別れ、元の山道に戻ってきた関羽とユーリンは、一息ついて、そのまま地面に腰を降ろした。
予期せぬ展開に見舞われた緊張感がほどけ、疲労を覚えたためである。
力なく互いに顔を見合わせて、意味もなく笑った。
「まったく、とんでもない展開だったね。キミといると退屈しないよ」
「それは儂の台詞であると思っておったが……それにしても、誠に貴重な奇縁を結んだものよ」
「ホントだよ。どーすんのさ、コレ。たぶん大抵の庶民が一生かかっても買えない金額だよ。もう怖くて街中で昼寝もできないじゃん」
ビーリから譲られたエーテルナイフを手に取って眺め、恐れおののくようにユーリンは言った。
陽光の下で眺めるエーテルナイフは、完成された芸術品としての貫禄をもっていた。
「ま。絶対に手放さないけどね。この『縁』はすごく重要な予感がムンムンするよ、コレはきっとその象徴だ」
「然り。ビーリ殿の言にあったように、その刃物はそなたのものだ。そなたがそれを手にしたとき、『あるべき姿に収まった』という気配を感じた。神仏の差配というのも、おそらく正しい。大切にするがよい」
「過ぎたる話だよ。キルモフ様に見初められたなんて、勘違いの片思いだったら相当痛々しいよ。すべてはビーリさんとの『縁』と思っておく。だから大切にしたい」
感情に区切りをつけるように結論して、ユーリンは力強く立ち上がった。
「さてウンチョー、この固い地面はだいぶ居心地がよいけれども、あいにくとボクたちの目的地じゃない。もうマイコニドの胞子も拡散したころ合いだろう。進もう。……酔っぱらっては、いないよね」
関羽とユーリンはヌヘナ山脈の山道を足取り軽く下り始めた。
しばらく歩くと、不穏な光景が転がっていた。
山道に寝そべる10人ほどの男の姿を見つけたのである。
近寄って様子を見てみると、昏睡しているが、呼吸は確かであった。
ビーリが撒いたマイコニドの胞子によって一時的に意識を失っているらしかった。
「ビーリ殿が仰っていたのは、これであるな。何やら諍いを抱えておられるご様子であったが、この有様をみると過度の心配は無用であろう。ビーリ殿の兵法が勝るわ」
関羽は、地面に横たわる男たちを見下ろしながら、関心するように言った。
ユーリンは頷きつつ、少し考えるような仕草をした。
そして、男たちを指しながら、関羽に言った。
「ウンチョー、『念のために念には念』を入れよう。この人たちの顔……鑑賞用として最低ランクだけど、がまんしてよく見て覚えておいて。……『役に立たぬがもっともよい』んだけどね」
「それは構わんが、何故だ?」
ユーリンは少し迷ったような顔をしたが、割り切って、滔々と話し始めた。
「んー、ボクは性格が良いからね。最初、ビーリさんが酒宴にかこつけてウンチョーに一服盛ってくる展開を警戒してたんだ。ビーリさんが旅人狙いの山賊であるの可能性もゼロじゃないな、て。だけど平気そうだったからね。『飲んでもいいよ』て言ったのさ」
「すまぬ、まったく話が見えぬが」
「だってビーリさん、あっさりウンチョーに自慢の剣を貸しちゃったじゃん。あの瞬間、ビーリさん完全無防備だったからね。ウンチョーが手に持った剣でビーリさんを殺して、その剣を奪って持ち去ることをまったく警戒していなかった。自分が絶対にソレをしないから、そのまま初対面のボクたちも信じちゃったんだろうね。卑怯や悪意とは根っから無縁の思考回路だよ、ウンチョーと同類だね」
ユーリンはここで言葉を区切り、冷徹な目で昏睡する男たちを見た。
「そんなビーリさんがここまでしたってことは、このおニーサンたち、よっぽどだよ。事情は知らないけど、たぶん、ね。……ボクたち部外者が迂闊に干渉はできないけど、ツラだけは覚えておこう。役に立たないといいけど」
関羽は唸った。
「合点したぞ。智慧者というのは、そんなことまで考えを及ぼすのだな。……疲れんか?」
「ときどきね。……でもさウンチョー、ビーリさんはよいとしても、人目のないところで初対面のひとから勧められたモノを軽率に口に入れちゃダメだよ?」
「……儂は子供か」
「ときどきね」
関羽は閉口したが、笑ってその評を受け入れた。
そして、改まってユーリンに言った。
「はずみで思い出したぞ。ひとつ報告がある。……あの山菜の塩漬け、『森塩』であったぞ」




