43. 光の使徒ユーリン(13) 関羽、それは違いの分かる男 (仮)
シュイカウ塩湖はグラン帝国支配域の南東域に位置するグラン帝国政府の直轄地であり、グラン帝国の有力な財源のひとつとして知られている。
食用塩を生成可能な濃度の塩湖であり、グラン帝国国営の対規模な製塩所が湖畔に建設されている。
どこから流入しているのか———いくら汲めども決して尽きることのない塩水を湛えた不可思議な地形構造となっており、大陸中央部に支配域を有するグラン帝国においては、国内で流通する食用塩の最大の産地となっていた。
グラン帝国は、このシュイカウ塩湖と製塩所を厳重に管理している。
塩の流通を専売体制とし、そこで多額の税をかけることで、拡大する戦線で膨らむ戦費を賄うのが狙いである。
この課税された公式塩はグラン帝国の直売所からいつでも購入することができるが、必然的に高額になり、生活を圧迫する要因となっていた。
ところが、解放軍が活動しているグラン帝国東部タジカン域においては、この公式塩とは別に、グラン帝国の監視の目をかいくぐって非課税で密売買される安価な塩が流通しており、人々の生活を支えていた。
グラン帝国は、無認可の塩の精製を法で禁じており、認可された塩にはグラン帝国が定めた税が課される。
密売買されている塩は、何らかの手段で精製された密造塩とみて疑いなかった。
その密造塩の流通が途絶え、たちまち困窮に喘ぐ悲鳴が随所からあがった。
多くの人々が安価な密造塩を求めたが、その産地や製法を知るものは誰もいなかった。
この実体を調査し、可能であれば密造塩の流通を回復させること———それがユーリンに課された任務であった。
ユーリンは椅子に腰を降ろしたまま、いとも楽し気にこの難題の詳細を関羽に説明した。
「———というわけだ。さて、どしよっかな。具体的なコトは全部ボクに任されてるから、2人でしっぽりできる感じに計画をたてたい」
「間諜の任か。あいにくと心得は無いが、儂はそなたに付き従おう。少なくともそなたの身の安全は請け負える」
部屋の中央でなんとなく正座したままの関羽は、深刻な顔つきで、ただし力強く首肯した。
もとよりユーリンを『仮初の主』と仰ぐ立場である。
付き従うことに異論はない。
「そこはすっごく頼りにしている。てかウンチョーいなかったら絶対に引き受けてないし。ソフィさんが手を焼いてるらしいからね、ヤバの度合いがかなりのもんだ」
「ソフィというと、あの斥候の赤毛娘か」
「そそ、ウンチョーもあんま関わりないんだっけ。……記録読んでびっくりした、あのひとハンパない、いろいろ持ってる、なーんか世界に愛されてそう……正直、気に食わないな。……と、んでだ、そのソフィさんをして腰が引けてる有様だからね、ボク1人じゃ手も足も出ないよ。リョウケイさんはボクに期待してくれてるみたいだけど、ボクとしてはウンチョー頼みなんだ」
この密造塩の調査を解放軍は以前から極秘裏に進めていた。
塩の密造というグラン帝国の法に反す犯罪行為を、おそらく大規模に推し進めている存在がいる———そう仮定して調査任務に就いていた斥候部隊の担当者は、先日、消息を絶った。
これが極めて危険な任務であることは、疑いなかった。
しかし関羽は、———対人関係はともかく、個の武勇という面においては、怯懦からは最も程遠い男である。
鷹揚に頷き、表情を変えることもない。
「左様な状況であるのか。まぁ、儂の武が役に立つというのなら、そなたの良きように使うがよい。どうせアテもない身上であるが故に」
「なーにを人生終えた枯れ人みたいな顔してんのさ。まだ人生はこれからって歳じゃん? いっしょに果てて老いぼれになっていこうよ。1人で先にいくなんてズルいじゃないか? まだまだキミをいかせないよ」
「……そうさな。そなたの都合に付き合えば、まだまだ退屈はしそうにないな」
「ウンチョーが奮いたつような極上の体験を提供したいものだね。さて、まずは出立の準備だ。ボクはいろいろフォルカさんに引き継いで区切りをつけなきゃだけど、ウンチョーは何かある?」
「いや、特に無い」
「……ごめんね、退屈させて」
「構わん。書物や己と向き合うよい時間であった。知己に挨拶を告げてまわるくらいだな」
「あー、そうだね。……よし、出立の理由は『今後の解放軍の戦略策定のためのグラン帝国戦線視察』てコトにしよう。ボクの立場なら無用な詮索は招かないはず……『念のために念を押す』ことを赦してほしい。真実の任務は、2人だけの秘密にしておきたい。いいよね?」
「ふむ。そなたがそれほど危険を予期しておるのならば、当然だな。孫子の兵法に曰く『敵を欺くには、まず味方から』というしな」
「ウンチョーの国は軍事研究がお盛んだね。そのソンシってヤツはかなりできそうだ。ていうか『2人だけの秘密』て結構いいね、ゾクゾクして、なんていうかウズウズする……と、話を戻すと、味方も全員は信用できないからね、リョウケイさんがスパイを検査して弾いてるハズだけど、いくらリョウケイさんでも全能じゃないし。うまく掻い潜って潜入してる敵性人物がいるかもしれない」
「…………そうだな、居るかもしれん。いや、きっといるだろうな。……儂の近くにも」
ユーリンの言葉に、関羽は微妙な表情を余儀なくされた。
まさにその典型例が、関羽の目の前にいるのである。
しかしそれを詮議することは無意味であると関羽は理解している。
結局、曖昧に肯定して、漠然と含みを持たせた。
当のユーリンは関羽の反応を不思議そうに眺めている。
「……? なんだか思わせぶりだね。まぁいいさ、たしかにそのつもりで情報の秘匿は徹底したい。誰に明かしたって、メリットがないからね。真実は他言無用で『2人だけの秘密』にしよう」
ユーリンの言に賛同しつつ、ふと関羽はあることに気がついた。
「ときにユーリンよ、エレーヌ殿には事情を明かしてもよいだろうかか」
ユーリンは脱力して椅子からずり落ちそうになったが、踏みとどまった。
椅子に腰を降ろしたまま、疲れたような呆れ顔を関羽に見せつけるように前屈し、膝に肘をついて頬杖をつくって模範的な不満顔を関羽の眼前に寄せた。
「……キミというヤツは、ほんとうに、ほんとうに……まぁ、いいよ。ボクの視た限りエレーヌさんは信用できる。ボクは厨房に近寄らないようにしておくから、好きな時に行っておいで」
「なにゆえだ?」
「キミねぇ……ボクが正妻だって忘れてない? 浮気現場に鉢合わせたら気まずいじゃん?」
「気にしすぎではないか? そなたの身を護るための外聞が損なわれることはないと思うが」
「……おーけー。キミにはおいおい教育を施していくよ。まずは基本からだ『浮気をするときは、浮気だとバレないように』だ。本命にも浮気相手にもだよ!? それを踏まえて、ボクに断ってでも浮気相手に『2人だけの秘密』をお漏らししたい具体的な理由を聞いても?」
「単純な道理だ。密造塩とやらに最も接しておるのは厨房係のエレーヌ殿であろう。調査のアテがないのであれば、話を聞いて何か糸口でも拾えればと思うてな。率直に協力を仰いでも良いのではないかな」
関羽の言葉に、ユーリンの顔が明るく開けた。
「……それは、そうだね、それはそのとおりだ。気がつかなかった。……やっぱりボクも同行するよ、正式に、けれども内々に相談してみよう。明日にでも。……ああ、それと。ボク、早朝はちょっと用事があって人と会ってくるよ。キミと違って浮気じゃないから安心してね」
「珍しいな。そなたが面会の予定を事前に儂に告げるなど。何か事情があるのか」
「んー、なんていうか、ちょっと気が重くてね。キミに宣言しておかないとボクが挫けそうなんだ」
「気が重い、とな!? そなたでも左様に感ずる相手がいるのか。……妖魔か蛇蝎とでも見えようというか?」
「ウンチョーはボクをなんだと思ってるのさ。……白状しちゃうと、どうも前任者には初手から嫌われちゃってるらしいんだよね、ボク。天敵かな……やっぱどうつくろっても気に食わないな、あのヒト」
夜の帳が薄れ、日差しが微かに顔を山間に覗かせた。
ソフィはすでに準備を終えて、セムトク村を出立する直前であった。
束ねた赤毛を旅装の外套に押し込み、手荷物を整理している。
そこへ、ソフィに声をかける人物があった。
「おはようございます。お早い出立だそうですね」
「……やぁ、ユーリン……」
「よかった! ボクの名前を憶えていてくださったんですね」
月明りのような銀髪を煌めかせ、蒼色の瞳に喜色を広げ、その人物———ユーリンは心から嬉しそうな声を出した。
「もしかして、ボクたちちゃんとお話しするのは、初めてだったりしません?」
「そういえばそうね。なんか用?」
警戒心を隠すことなく、ソフィはぶっきらぼうに応えた。
ユーリンは少し驚いたような顔をしたが、ソフィはそれが演技であると直感した。
「お忙しいところをお呼び止めしてしまいましたね。では手短に。ボクはリョウケイさんから『塩』を受け取りました」
「……へぇ。いいんじゃない?」
酷薄に突き放すように、ソフィは言った。
「……ボクもずいぶんソフィさんに嫌われたものですね。いずれ打ち解けられる日がくると信じていますよ。それで『塩』についてソフィさんが抱いておられる感触としてはいかがなものかなぁ、とお伺いしてみたいと思いまして」
「悪いけど、リョウケイさんに聞いて。全部報告してあるから。アタシじゃどこまで話していいか判断できないし」
「それもそうですね。……すみません、詮無きことをお伺いしました」
ユーリンは困ったような、落ち込んだような顔をして、消沈した心を天凛の声音にのせて奏でた。
ソフィは何も応えない。
ただひたすらに、ユーリンの挙動に目を奪われていた。
(何なのよ、このコは……っ!)
人を惹きつける端正に整った目鼻立ち。
蒼く透き通った快晴のような空色の瞳のなかに、感情の揺らぎでわずかな雨模様が兆す神秘性。
顔の輪郭は、それが美しいことに気づかせないほどに、きわめて自然な造形である。
場の沈黙さえも、ユーリンの魅力を際立てるための舞台装置のようなものであった。
緊張で空気が凍てつくほどに、ユーリンの冷たい美貌が鋭さを増し、ユーリンの放つ言葉が聞き手の心をとらえるのである。
汚れのない肌に浮かぶ蠱惑的な唇が、次にどんな音色を紡ぐのか、つい期待を寄せてしまう。
好いていることすら自覚させず、無言のうちに人々を服従させる、支配的な人気を行使する———ソフィは初めてユーリンと間近で相対し、ユーリンを魔性の怪異であると判断した。
(バッカじゃないの!? みんな、なんでこんなコを野放しにしてるのよ)
急上昇する危機感と刺し貫くような恐怖があわさりあい、ソフィの心に暴風雨をもたらした。
警戒心がソフィの全身を硬直させた。
ソフィの観察眼は、ユーリンがソフィの緊張を看取し得ていることを見抜いていた。
しかしユーリンは、あたかもそれに気がついていないかのような無垢な表情のままに、一輪の美しい微笑を口元に咲かせた。
走る悪寒が背筋をつらぬき、ソフィの腹部を冷たくした。
「ボク、ソフィさんのこと、尊敬してるんです。いずれゆっくりお話ししましょう」
「……そうね。いずれね」
ソフィはユーリンから逃げるように小走りで立ち去った。
(やっぱダメだ。あのコはゼッタイにおかしい。何かある)
走りながら、ソフィは明確に認識した。
ユーリンは危険である、と。
(リョウケイさんは何か根拠があってユーリンを信じているんだろうけど、ヤバイってゼッタイ……でもアタシに何ができる!? あのコの警戒してるヤツなんて、軍内にいないじゃん。 エルマンはダメだ、すっかりほだされてる。フォルカさんも話してみた感じ、だいぶ危なさそう。……ていうか全体的にガチであのコに惚れこんでるヤツ多すぎでしょ。どうなってんのよ。こんな短期間に……っ! すっかり浸食されてるようなもんじゃん。ごめんなさい、リョウケイさん。アタシはやっぱりあのコを信用できない。異常だよ、あのコ……)
朝食を終えた後、厨房のあわただしさが収まる時間帯を選んで、関羽とユーリンはエレーヌを訪問した。
「そう、密造塩の……」
事情を聞いたエレーヌは戸惑いを隠さず、顔を横に逸らした。
栗色の豊かな毛髪の合間から悲し気に伏せられた目が見え隠れし、エレーヌの温和な面持ちの魅力を引き立てている。
関羽がそれに見惚れていることに、ユーリンは気づかないフリをした。
やがてエレーヌは視線を上げて、2人に告げた。
「男の人のすることに口は出せません。だけどお願いするくらいはいいでしょう? 月並みな言葉だけど『気をつけて』ね。きっとものすごく危ないはずよ。わたし、訃報は嫌いです……本当に嫌いなんです」
やっとのことで言い切ると、エレーヌは再び目元を暗く曇らせた。
そんなエレーヌの様子を見て、関羽は指先をアタフタとさせて慌てるような仕草で、みっともなく狼狽した。
ユーリンはしばらく関羽を観察していたが、すぐに関羽の自己解決を諦め、囁いて助け船を出した。
(ボサッとしない! 『必ず無事に帰る』てエレーヌさんと約束するんだよ)
(しかし、危険な任なのであろう? 無事の帰還を約定できる根拠などない)
(……キミの教育には苦労するな。とにかくいまはエレーヌさんを安心させてあげて。ソレは男の義務だ)
(しかし……)
(ウンチョー、男らしくしなさい)
ユーリンに男成分の不足を叱責された関羽は、一瞬、怯えたように身をすくませた。
まるでエレーヌの所在を見失ったかのように見苦しく視線を左右にして無意味に時間を稼いでいたが、やがて観念してエレーヌに向き直って、おずおずと言った。
「必ず、無事に戻ります。エレーヌ殿の料理を堪能しつくすまでは、死んでも死にきれませぬゆえ」
関羽の発言を聞いて、ユーリンは頭を抱えた。
まさにエレーヌの料理を末期に切望した事例が、つい直近で生じたばかりなのである。
当事者であるエレーヌとの会話で採用してよい慣用表現ではない。
エレーヌは一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐに年長者としての包容力を微笑みで示し、関羽を見つめた。
「わたし、ウンチョウさんとお話したいことがまだまだいっぱいあります。ウンチョウさんは、きっとそうなんです。だからわたしも腕を奮って、待っていますね。ああ、あと……」
エレーヌはユーリンに視線を移して、慈しみに満ちた声でやんわりと関羽をたしなめた。
「ユーリンさんから、いろいろ教わってくださいね」
「……それは、無論、そのつもりですが、いったい?」
状況を把握していない唯一の当事者である関羽が間の抜けた表情を晒した。
ユーリンはよろめきを抑えて背筋を伸ばし、正妻の貫禄を含んだ威厳のある面持ちを示した。
「ご安心ください。せっかくの2人旅なので、道中にボクがキッチリ指導しておきます。……そして、ここからはボクの都合です。正直、はじまる前から手詰まり感が否めない。エレーヌさんの見解を伺って、もしもヒントを得られればと思っています。密造塩、てエレーヌさんはどう感じてます? 調査といってもほかにアテもないんでとりあえずシュイカウ塩湖に行ってみるつもりなんですが、そもそもシュイカウ塩湖が密造塩の産地なのかもわからないです。もしも何か手掛かりでも拾えれば、という想いでお尋ねします」
ユーリンの言葉に、エレーヌは首をかしげた。
どうしてそのようなことを疑問に思うのか? と不思議そうな様子である。
「それは……産地はシュイカウ塩湖で、間違いないです」
いともあっさりエレーヌは断言した。
容易く進捗を得られたことに、ユーリンは驚愕を禁じえない。
「わかるんですか!?」
「だって、おおもとの味は一緒ですから、同じ塩水から精製されたのだと思います」
「すみません、塩ってそんな味に違いあるんです?」
「ありますよ。ほんの少しですけど。どうしても塩に混入してしまう、取り除けない雑味があるんです。グランの塩と密造塩はそれが同じです。けれども風味はぜんぜん違う。……だからおそらく、密造塩は、シュイカウ塩湖でグランとは違う方法で精製しているんだと思います」
「……驚いた。こんな簡単に」
拍子抜けした顔つきの中に抑えきれない興奮を潜ませつつ、ユーリンは力強く拳を絞った。
困難な任務の前途が拓けた手ごたえを、握りしめて逃がさない意気込みが込められている。
そんなユーリンの様子を眺めていた関羽は、満足そうにうなずいた。
「大変重畳であるな。……ところでエレーヌ殿にお伺いしたいのですが、密造塩なるものの在庫はございますかな? 儂はその密造塩に接したことが、おそらくないのです。一度触れておきたく存じます」
「ええ。少しですが、残っていますよ。……どうしても密造塩の方でないと引き出せない味があるので、ちょこっとだけヘソクリしている分があるんです」
悪戯な笑みをこぼしながら、エレーヌは得意げに食材棚から容器を2つ取り出し、机に並べた。
「こっちがグランの塩、こちらが密造塩です。見た目もぜんぜん違うでしょう?」
「……ふーむ、少し味見をしてみてもよろしいか?」
「もちろんです、どうぞ」
エレーヌは、小匙を関羽に手渡した。
どこか楽し気な様子である。
関羽はグランの公式塩を匙ですくい、手のひらに転がして眺めた後、それを口に含んだ。
「ほう。グランの塩は純度が高いですな。良い塩です」
「ふふ、そのとおりね。品質は間違いなく良いわ。品質は、ね」
次いで関羽は密造塩に目をやり、匙ですくって手に広げてまじまじと観察してから、舌先に乗せた。
「ほう。……微かに甘い香りがしますな」
ぴくり、とエレーヌが身を固くした。
神妙な面持ちで関羽をまじまじと観て、関羽の次の言葉を待ち構えている。
関羽は瞑目し、口中に意識を集中させた。
舌で転がすように丹念に密造塩を味わい、鼻から息を含ませて風味を聴いた。
「これはまるで森のようだ。緑葉のごとき瑞々しさが前面にあるが、奥にはほのかに土と樹木の香も。……そして、これは……わからぬ、まるで焚き火に炙られているかのような、妙な熱が。……うーむ、焦げたような苦さもあるな。誠に玄妙な味わいである。純度はともかく、こちらの安価な密造塩のほうが旨いのではないか?」
「……そう? ボクにはわからないけどなぁ。密造塩のがちょっと塩味が弱いくらい?」
関羽の評論に興味をひかれたユーリンも2種類の塩を比べたが、そこに顕著な差異を見出すことはなかった。
関羽は頭を振って、自説を堅持した。
「これはまるで別物ぞ。この塩だけで酒が飲める、否、飲みたい! 芳醇な薫りがたまらぬ。甘みのある酒を温めてこの塩を供とすれば、めくるめく愉悦が得られようぞ」
「それ、酒飲みの極地! どん詰まりってヤツ! その若さで末期なコトを言わないでおくれよ」
「密造塩などという卑屈な名称は改めるべきだ。儂はこれを『森塩』と呼ぶこととする。ふっふっふ。俄然やる気がみなぎってきたわい。是非ともこの塩を儂の手で蘇らせるのだ」
白け顔のユーリンをよそに、関羽は一人で盛り上がった。
口の端が上がり、獰猛な肉食獣のような笑みをつくっている。
如何なる困難をも粉砕する自信と決意に溢れた、勇壮な益荒男の顔つきである。
そんな関羽に対して、エレーヌが血相を変え、飛びつくように近づいた。
「ウンチョウさん!」
力強く、懇願するような呼びかけである。
関羽は、不意にエレーヌが間近に迫ったことにどぎまぎを隠せず、うろたえた。
「な、なにか?」
エレーヌは関羽の両手を手に取り、違えようのない約定を誓う戦士のように力強く握りしめた。
「絶対に、絶対に帰ってきてくださいね! わたし、ウンチョウさんにいっぱい伝授したいことがあるんです! 約束してください! ……どうかヨーコ様の御加護がありすように」
それは淑女に許される振る舞いとしては、最も猛然たる剣幕であった。




