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42. 光の使徒ユーリン(12) 夜

その日の夜、村外れの草地に1人で腰をおろしているエルマンに、声をかける者があった。


「よっ。今夜もハゲてんね」


「……戻ったのか」


「まぁ、なんていうか『一言』と思ってさ。朝には出てくよ」


見上げれば、そこにはエルマンの幼馴染のソフィが立っていた。


月明かりの闇夜にも目立つ赤髪を風になびかせて、まるであたかもいつも通りであるかのような面持ちである。


しかし、ソフィの表情の下に隠された、哀切の金切り音の痛ましさを、エルマンは無音のうちに聴き取っていた。


「すまねぇ」


エルマンは、ソフィに謝罪をした。

エルマンとしては、すべてが自分の責任であると感じていたが、ソフィはそれを認めず、首を横に振ってエルマンの謝罪を拒絶した。


「実にセンスのないヤツだったよ。斥候部隊から外して、ホントよかったって、いまでも思ってる」


ソフィの、懐かしむような、けれども恨むような話しぶりの独白であった。

エルマンは簡潔に、けれども厳粛に受け止めた。


「そうか。そうだったな」


「本人にも言ったよ。長生きしたけりゃ出ていけ、戦闘要員もムリだ、て。……だってアイツほんと向いてなかったもん」


「危ない役目を進んで引き請けようとするヤツだったからな」


「アタシには理解できないね。危ないとわかって、なぜ危ないまま引き請けようとしちゃうのか。まず自分が死なない工夫をすりゃいいのに……」


「……『勇敢』なヤツだったからな」


エルマンは、ミケルが戦闘要員として配属された日のことを思い返した。

かつでミケルは斥候部隊の一員としてソフィの指示を仰いでいたが、偵察兵としての適性の乏しさが明らかであり、みかねたソフィの決断によって半ば強引に配属変更がなされたのである。

ソフィの気性を知っているエルマンははじめのうちはミケルに同情的に接していたが、やがてエルマンもソフィの判断が正しかったことを認めざるを得なかった。


———解放軍(うち)を辞めて平和に暮らしてもいいんじゃないか。誰も悪くは言わねぇし、言わせねぇよ。遠くから解放軍(うち)を支援してくれるだけでも助かるんだ


———いえ、それでも俺は、もう少しだけ……


除隊を勧めたエルマンの言葉の正しさをミケルは受け入れながらも、食い下がって残留を志望したのである。


———何か理由があるのか。まぁ、理由が無きゃそうそう解放軍(うち)にはこねぇだろうし、心が晴れるような理由があって解放軍(うち)にくるやつもいねぇがな


———エルマンさんはソフィさんの幼馴染と伺っておりますが、本当ですか?


———おう、同じ村の出身だ。歳も近かったし、よく遊んだよ。おかげですっかり長い馴染みだな……それがどうした?


———俺、ヘマでビビリなんで、任務中に何度も失敗してるんです、敵前逃亡もときどき。……それである時ソフィさんにこっぴどく叱られて、『臆病者』って言われちゃいました


おそらくソフィが正しい、とエルマンは感じたが、それはミケル自身も認めていることである。

エルマンはあいまいに同調した。


———あぁ、言うね。アイツはそういうこと言うよ


俺も言われたことあるよ、と付け加えるのをエルマンは控えた。

ミケルの次の言葉に察しがついたためであり、それを尊重するには、余計な発言は控えたほうが良いと直感したためである。


———俺、それが悔しくって。……いつかソフィさんを見返したいんです。……俺の『理由』は、それだけです


男が自己の変容を希求する『理由』として最もシンプルかつ原始的な感情が、そこにあった。

エルマンはなぜかこみ上げた微かな寂しさを飲み込み、勇ましく励ますようにミケルの感情を正面から受け止めた。


———オマエがなるべく死なないように鍛えるくらいなら、協力してやれる。俺にできるのはそれだけだな


その判断が正しいものであったのか、エルマンにはわからない。

少なくとも、ミケルは『勇敢』にはなることができた。

それを実現したミケルの努力は賞賛に値するものであり、あの時の言葉が真実であったことに疑いの余地はない。

しかし惜しむらくは、戦闘要員としての能力の成長がそれに付随しなかった点である。


全ては、ソフィの言葉が発端であった。

意中の女性に失望されて罵られ、卑屈にならず、自分を改めるために己の欠点と向き合い命を削ったミケルは、まさしく勇敢な男であったとエルマンは認めていた。


(コイツの言葉なんざ、適当に聞きながせばいいものを)


エルマンはそんなことを思ったものの、自分にもできないことを死者に求めている横着に気づき、苦笑しつつ悲しみを噛み殺した。


しかし、今この時において、エルマンの言葉をそのまま流すことを自分に許さない女性が、そこいた。


ソフィは、目頭の重みで喉を湿らせまいとして、鼻にくぐもった水気の隠せない声で、言った、


「……『勇敢』て。それって、つまり、アタシのせいじゃん。ぜんぶ、アタシのせいじゃん」


「そうだな」


エルマンは一瞬のうちに迷いを捨てた。

もとより、隠蔽や取り繕いに不向きな性質である。

ただ直截に、誠意をもって臨む以外の術を、持っていなかった。


「全部ということはないが、そーとー大きな転機ではあったろうな」


「……知ってるんだ?」


「あー、まぁ、な」


エルマンとソフィは顔を合わせることなく、言葉だけを交わし続けた。

まるでそれが興味深い何かであるかのように、夜空の虚空にひたすら視線を向けていた。

臆病からは程遠い気質の2人であったが、この時だけは、お互いの表情を見る勇気が出せなかった。


「やっぱ、そうだよね。結局、アタシが死なせたようなもんだよね」


「それは正直、わからん。オマエの影響は、どっちの向きにもあった。オマエがいなけりゃ、ミケルはずっと腑抜けののままだったかもしれないし、それで長生きしたかもしれないが、逆にひ弱すぎてもっと早死してたかもしれない。安全な場所なんてないんだから、もしもの末にどうなってたかなんて、誰にもわからん」


「どうだろね。アタシが呪いをかけて、そうなるように追いやったようなもんでしょ」


「それは違う。ミケルは、オマエの言葉を大切にすると自分で決めたんだ。それはアイツ自身の選択だよ。オマエはミケルを呪っちゃいないし、ミケルはオマエを恨んでも憎んでもいない。そんなつまらない理由で男は強くなれん。つまり、ミケルがオマエに対して想っていたのは、つまり、少なくとももっと、つまりその、もっと別の感情だ。つまらん疑いは向けてやるな」


エルマンは半端に焦点をぼかした曖昧な言い方を選んだが、人並外れた観察眼を有するソフィに対しては全く無意味な回り道であった。


「……男って、バカばっかりなの? アタシなんかの何がいいのよ」


「そりゃ、オマエよりいい女はいるかもしれんが、オマエと接して積み上げてきた過去(モノ)があるんだろう。それは無かったことにはできん。俺もアイツも、根っこのところはそんなもんさ。あとはお天気次第で気ままに伸びただけだ、それは全部自分の意志だ。オマエが心を痛める必要は、ない」


エルマンの真摯な心情の発露に、ソフィは何も応えなかった。


代わりに、話を打ち切るために、その場を立ち去った。

さり際に、ソフィはつぶやいた。


「ま。つまりアンタもアイツもバカなのよ。ほんとバカ。さっさと逃げればいいのに。死んじゃうくらいなら、やめちゃえばいいのに」


ソフィが立ち去ったのを見届けて、エルマンは草地に身体を投げ出して横たわった。

しばらくぼんやりと夜空の月を眺めていたが、不意に溢れた涙を慌てて腕で拭い、それを誤魔化すように頭をかいた。


「逃げたって、護れるわけじゃねぇしなぁ。……そういうこったよな?」


そこにいない誰かに呼びかけるように、言った。

月明かりだけが、その姿を寂しく照らしていた。




窓枠から部屋を月明りが差し込み、部屋の中央で正座する関羽の姿を照らした。

ユーリンが関羽を見下ろすように仁王立ちで構え、関羽から事情聴取を終えたところである。


「それで? ボクがアレコレ悩んでいる間に、ウンチョーはエレーヌさんとすっかり仲良くなっちゃったんだ? しばらく近づいちゃダメって、言わなかったっけ?」


「それは、その、緊急というか、エルマン殿と共に、流れがあって。それに、仲良くというか、多少は人物として認められたという感触であるな。重畳と評してよかろうて」


ユーリンは関羽の顔を左右からコブシで挟んでつかみ、迫った。


「それはまことに御結構なことだね。祝福の接吻(キス)でもしよか?」


頬骨を砕くような万力をユーリンとしてはこめているつもりなのだが、あいにくと生来の筋骨の太さが関羽とユーリンでは違った。

ユーリンの全力をこめたグリグリは、関羽の頬肉をおもしろく揉みしだく程度の戦果を挙げるのが関の山であった。




この日、ユーリンは恐る恐るという様子で、2人の部屋に入ってきた。

負傷した騎馬兵の慌ただしい帰還と治療、()()()()()()を終えて自室に戻ったユーリンは、無論相応に疲労していた。

しかしそれ以上に、心理的な抑鬱による憔悴の陰りが色濃く、部屋に入るのにも躊躇いがちであった。


(どうしよ……ウンチョー、まだ怒ってるかな……ボク、何やってんだろ、しょーもな……)


勇気を振り絞って自室に入ったユーリンを、窓際の机に向かって腰を降ろす関羽の背中が迎えた。

いつものように月明りを頼りとして読書に勤しんでいる様子であった。


普段通りの光景を目の当たりにして、ユーリンは少し安堵したが、同時に気落ちもした。

関羽のその微動だにしない背中からは、振り返ってユーリンを暖かく迎え入れる意思が感じられなかった。

ユーリンの入室に気がつかぬ関羽ではない。

ユーリンとの対話を拒絶するという、関羽の意思の表れとしか思わなかった。


ユーリンは意を決して重たい舌を引きずるように動かした。


「……あの、ウンチョー……」


「……」


「その……ただいま、なんだけど……」


「……」


関羽の背中は、応えない。

挫けそうになる心を固くして、ユーリンは切に言葉をつないだ。


「……その……ボク、今夜から、部屋に戻って寝ても……いい? ウンチョー……まだ、怒って……る? だったら、ボク、今夜も外で……」


「……ん? おお、ユーリン、そなた戻ったのか。今日も精勤であったな」


不意に関羽が振り向いて、びっくりしたような顔をみせた。

得心して頷き、席を立って、傍らの棚から茶器を取り出した。


「そなたに茶を淹れて進ぜよう。すっかり冷めておるが、意外と悪くないとわかった。茶は熱いに限ると思うておったが、何でも試してみるものだな。口に含んで楽しむのが至上としても、喉の潤いのうちから茶の香りを楽しむのも、実に(たえ)なものだ……それ、試すがよい」


関羽は、笑顔で茶器をユーリンに勧めた。


浮きたつ心に足元を浮かせるような関羽を目の当たりにして、ユーリンは呆気にとられた。

委縮していた心がふやけて柔らかくなり、ユーリンの観察眼が明敏さを取り戻した。


「……ウンチョー、何かいいことあった?」


ユーリンの事情聴取が幕を開け、とりあえず関羽は正座をさせられたのである。




関羽とエレーヌの交流について一通りの顛末を聞き終えたユーリンは、首尾よくエレーヌと和解を遂げた関羽を祝福した。


「……本当に、おめでとう。言葉もないよ。せめて手で寿(ことほ)ぐとしようじゃないか」


腕力で関羽の頬骨を圧搾することを断念したユーリンは、関羽の頬肉をつまみ、広げて引っ張った。

しかしユーリンの握力で何をされても関羽は痛痒を感じない。しばらくされるがままにしていたが、やがておずおずと話題をユーリンへと転じた。


「すまぬ。そなたがしきりに何かを訴えているのはわかるのだが、あいにくと儂には見当がつかぬ。大方、儂のいたらなさが原因であろうとは思うが、どうかそろそろことの仔細を教えてもらえぬか?」


「ウンチョーは何も悪くないよ。至らないのはボクのほうさ。その……本当にごめん。理不尽に当たり散らしたね。……正妻たるもの、もっと泰然とするべきだったのに、反省している」


ユーリンはしばし何かをこらえて悶えるようにうつむいていたが、耐えかねて感情を破裂させるように関羽にぶつけた。


「……あの、ウンチョー……ごめんね。……まだ、怒って……る、よね……」


「まて、待てユーリン。わからぬ。 儂の怒りを懸念しておるのか?」


「……うん」


「なにを謝罪しておる? まだもなにも、元より、ない」


「えっ!?」


「ない。然様な道理はあるまい」


「だって、ボク、ウンチョーにいろいろ言っちゃったし」


「儂は助けを求めてそなたを師と見込んで相談し、そなたは師として儂の至らぬ点を明瞭に示した。忠言が耳に痛きことなのは必定である。そなたに抱く怒りなど、毛頭ない。その信を得られる程度には、儂とそなたの縁があると思うのだが、それは儂の愚かさによる誤解であろうか?」


「……ボクのこと嫌いになってない?」


「率直に申して、儂がそなたに抱くのは、感謝と尊敬の念ばかりだ。弟子として、多くのことを学ばせてもらっている」


「でも、ボク、何もウンチョーの役にたってないよね。未だに『カン』のことは何もわからないし、助けてもらってばかりだし……」


「ユーリン!」


ユーリンの自信なさ気な応答に、関羽の舌鉾が、珍しくも煌めいた。

人心の機微については疎い関羽であるが、人間の世の理には歳相応に通じているのである。


関羽は滔々と幼子を説諭するように、語り始めた。


「ユーリン、その懸念は二重の意味で誤っておる。第一にそなたが無力ということはない。儂は、このせ……、……この地を訪れてより多くの人物とまみえたが、そなたに優る器はおらぬと評している。儂の故国の足取りがつかめぬことは、そなたの力量を損ねる材料ですらない」


リンゲンやリョウケイといった、関羽の前世においても稀な一騎当千の英傑を目の当たりにしてなお、関羽のユーリンに対する評価は揺るがない。


個の武の大小は、数の多寡によって補いうる。

なれば、いかにして数を束ねるか、が肝要となるのは必然である。

そして、そのための器量に限っては、他の要素では永久に補いが効かない。

最も重要にして、最も希少な才なのである。


―――恨情で磨り潰してよい才ではない


関羽は、ユーリンの器を、英傑を束ね得る大器であると認めていた。

ユーリン個人の武や智は、ユーリン個人を助けるものであるにしても、世の大義を成すためのものではない。

しかし、ユーリンの本来の器は、救世の道筋を描くに足る大器であると、関羽はそう確信していた。

しかしそれを本人に告げることはない。


侠客としての関羽の血がざわめくのである。


怨敵の血の贖いなくして、如何に人の尊厳を保とうか―――と。


関羽は、ユーリンの心底(しんてい)に横たわる因縁の全貌を知らない。

ユーリン本人が語るときまで、知るつもりもない。


しかし関羽には()()()()疑問がある。


―――己の心を救わぬ者が、世の大義をなせるだろうか


関羽は、ユーリンの進路に口を挟まない。

それはいまや己の役割ではないと関羽は感じていた。


民の命運、国家の大事、天下の趨勢……自分はそれら世の因果における役目をすでに()()()()()と、関羽は自覚していた。


しかし、ユーリンの個を助けることに、ためらいはない。


故に関羽は、言葉をつないだ。

あくまでおだやかに、されども戦人(いくさびと)の挟持のままに、不慣れな年長者役を務めることに腐心した。


「第二に、益や無益とは結果の評価であり、価値ではない。人と人のつながりは、儂の国の言葉ではこれを『(えにし)』と呼ぶ。縁に価はつけられぬが、細太の別はつけられる。儂とそなたの縁は、さようなくだらぬ経過でゆらぐほどに、か細いものであるか? ……この関雲長が縁の誓いを立てるのは、極めて稀であるぞ?」


「……んー? ……つまり? 何かを言おうとして言い切れてなくない?」


「……要するに、要するにだな……男子が細かいことを気にするな。その限りである」


関羽は水に沈む苦しさから逃げるかのようにきっぱりと言い切って、言葉を打ち切った。

きょとん、と気の抜けた無防備顔を晒したユーリンであるが、次第に相好を崩して笑い出した。


「あっはっはっは。そうだね、ウンチョーがんばったね、なるほど、ありがとう。成長を感じるよ、ウンチョーの(おもんばか)りに立ち会えるなんて、光栄だ。その主旨と意気は採用させてもらうよ。とはいえボクの流儀は崩さない。『真理は細部を枕にする』からね。まぁこれは趣味の問題ともいう……本当にありがとう、キミがそういう性質(たち)で実に良かった」


ユーリンは開き直って表情を明るくし、正座する関羽の額に顔を寄せ、唇をあてて親愛を示した。


「これはボク個人のお礼だ。キミが受け止めてくれなくても構わないから、押しつけるよ。あー、せいせいした」


そして、気分よさそうに王侯のような態度で椅子に腰を降ろして、関羽に朗々と告げた。


「さて、ここから業務連絡だよ。残念なお知らせと喜ばしいお知らせがある。どっちが先かなんて、軟派なキミには選ばせない。……しばらくボクと一緒に遠出をしよう。さしあたりの目的地は『シュイカウ塩湖』だが、そこがゴールである保証はない。最終目的は『安価な密造塩の流通回復』、当面の目標は『密造塩のカラクリ調査』かな。具体的なことは決まってない、というか決めようがない。要するにどうにかして何とかする仕事だ。……どうだい、うれしいだろ。ボクと2人旅さ。残念だけど残念ながらしばらくエレーヌさんとはお別れだよ、残念だったね、いやぁ惜しいなぁ」


雲のない快晴のように透き通った爽やかな面持ちで、ユーリンは全く惜しくなさそうに、惜しんだ。



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