40. 光の使徒ユーリン(10) 解毒
馬の脚音に気づいたのは、関羽だけではなった。
参謀部の一室で机と向き合い、西の拠点に向けての輸送計画を書きおこしていたユーリンは、鋭敏な聴覚で外の異変を察知した。
「……馬ですね」
同室で書類の山と格闘しているフォルカが、疲れた顔をユーリンに向けて応えた。
「そうかね? 私には聞こえないが」
「ちょっと妙です。ボク、みてきますね」
ユーリンは素早く判断し、参謀部を飛び出した。
暑い日差しを浴びながら、全速力で駆ける。
馬の脚音がいよいよ近くなってきたが、まったく減速する兆候がみられない。
(緊急……!)
村内で騎馬を全力疾走させるなど、許されることではない。
火急の事態であることがうかがえた。
「緊急! 人を集めて! 戦闘要員は武装!」
ユーリンはよく通る声を張り上げながら、走り続けた。
何事かとぼんやりと周囲をうかがっていた人々も、ユーリンに促されて慌ただしく動き始める。
セムトク村の中央の広場まできたところで、騎馬の姿をとらえた。
「———ミケルさん! 何があったんです!?」
「グ、グリフォン……」
騎手はよろめきながら馬を降り、腹部を抑えながら地に横たわった。
ユーリンは記憶をたどり、ミケルが所属している隊の任務を思い返した。
任地は西方のシエシタ村。中規模の村落であるがオウルベアの被害に悩まされており、解放軍が交代で小隊を駐屯させて警邏にあたっているはずであった。
ミケルの小隊は、昨日、赴任のためにセムトク村を出立している。
ユーリンの脳裡にひらめくものがあった。
(シエシタ村……グリフォンの目的情報があった場所からは離れている。移動しているのか? となると巣穴探しか。まずい、近場で繁殖されると最悪だぞ)
グリフォン。獅子の身体と翼を有する獰猛な肉食魔獣である。頭部は鷲、尾は蛇のような姿をしている。移動能力が高く捕捉は困難であり、尾の牙には猛毒がある。討伐は容易ではなく、人間にとって重大な脅威である。
ここまで、ユーリンはミケルの一言で瞬時に思考を組み立てたが、続くミケルの言葉ですべてを打ち消された。
ミケルは蒼白な顔を村の入り口方向を指さして、痛みにうめきながら、言った。
「そこまで追ってきて……早く、応援を……1人でグリフォンと……」
「———っ! 付近の戦闘要員、全員集合! 我らはこれよりただちにグリフォンと交戦する! パンチョさんはリョウケイさんに連絡、ニエルさんはエルマンさんに! ……ほかの者はボクに続け、往くぞ!」
咄嗟にユーリンは叫び、付近に集まりつつあった人々に指示を出した。
その場の誰よりも年少であり、誰よりも新参者のユーリンであるが、ユーリンの天性の威風が、皆を無言のうちに従わせた。
急遽参集した戦闘要員10名を統率し、ユーリンが先頭に立って走る。
(10人か……グリフォン相手じゃ心もとない。弓をそろえるまで待つか? ……ダメだ、交戦中のヒトの身がもたない。しかしこの戦力では二次被害が。でもここで取り逃がしたら長期的にもっと被害が拡大する、やるしかない……!)
村の入り口付近まで疾走し、覚悟を決めた。
そこへ、反対方向から関羽が走ってきた。
息を切らすでもなく、涼しい顔をしている。
「ウンチョー!?」
「おお、ユーリンか。先刻の者の容態は如何に?」
「それはあと! グリフォンが近くにいる! 翼のある獣で、尻尾に毒がある!」
ユーリンの悲観的な心境は、関羽の登場によって一掃された。
被害拡大を食い止められる算段がたち、ユーリンの表情が明るくなる。
「ウンチョーもきて! これで、何とかなるかもしれない……!」
「なんと。あれは『ぐりふぉん』というのか。まことに気高く勇壮であったな。名を知れてよかったわい」
関羽の言い様に、ユーリンがぴくりと反応した。
ユーリンは足を止めて関羽をつかまえた。
「……ん? 『~であったな』って、もしかしてウンチョー、グリフォンと『出会った』? え? 過去の話? って、キミいまどういう状況?」
「ぐりふぉんなるものと一騎打ちをした。久しぶりに血が滾ったわい」
関羽は満足そうに右手をアゴのあたりに這わせて、美髯をなでるかのような仕草をした。
が、右手はむなしく空ぶった。
「ぬぅ……やはりまた伸ばすか。どうもしっくりこぬわ」
「へ? どういうこと? ……グリフォンどうなった!?」
アゴ先を指で掻きながら真剣に考え込む関羽に、ユーリンが詰め寄る。
その剣幕に関羽は驚きつつ、
「斬ってしまった」
と、すっきりと爽やかな顔で、関羽は淡々と告げた。
無論関羽は、先刻まで自分が悶々と悩んでいたことを完全に忘れていた。
ユーリン一行は、関羽の案内をうけて現地に赴いた。
暑い日差しのなかをそよぐ微風に、血臭が香り、戦闘の生々しさを伝えている。
「……間違いなくグリフォンですね」
一行のなかで最年長の戦闘要員であるオダリスが現場をながめ、横たわる獣の遺骸を間近で観察して結論を出した。
オダリスは解放軍の結成初期からの古参メンバーであり、過去にグリフォンとの戦闘経験を有する貴重な人員である。
そのオダリスが信じがたいものを見る目を、グリフォンの遺骸と関羽に交互に向けた。
「驚いた、ほんとうにたった1人でやったんですか。そんな細身の剣だけで……?」
「然り。辛うじて無事を保てたわい」
関羽は細身の剣をかかげて日光にかざし、刀身を眺めてその無事を確かめて安堵した。
「そう立て続けに壊すのは忍びない故にな」
ユーリンはあきれ顔の表情のなかに精いっぱいの緊張感を保ったまま、どこかズレた認識の関羽に言った。
「ウンチョーさぁ……ほんと、頼りになるよね。こと戦いに限っては」
「そうさな。唯一の得意分野である……儂には他に何もない。せめてこのくらいは胸を張りたいものよ」
関羽の背中に漂っていた昂然たる武人の風格がしぼみ、自信なさげな様子となった。
「ウンチョーさぁ……いい加減にさぁ……。まぁいいや、あとにしよ。本当にケガはない? グリフォンの尾の牙は猛毒なんだ、急いで解毒しないと助からない。どこも傷ついてない? かすっても、こすってもない? 三擦り半で即昇天だからね!? 意味わかる?」
「無い。敵の総身を視野に収めておれば、さすがに傷など負わぬ」
「まったく、嘆き果てて放り捨てたくなる言葉だね。だけどボクの耳はウンチョーの言葉を疑うために2つもついてるわけじゃないんだ、信じるよ。キミについて毒の心配は忘れよう。言うのがキミじゃなければ全身の衣服をひんむいて検査をするところだが、むかれるのがキミじゃないなら別にむいても楽しくもないな。……まぁいいさ、ボクは信じるだけだ」
ユーリンは、無理にかきたてたような怒りの演技でこみ上げる安堵をごまかしつつ、勝手に結論をまとめて関羽との会話を打ち切った。
そして、オダリスら10人の戦闘要員に向き直った。
「……さしあたりの火急の事態は鎮火できました。『熱いも冷たいも、喉もと過ぎたら、まず深呼吸』と言いますし、まずはお詫びをさせてください。本当にごめんなさい」
沈み込むような申し訳なさを漂わせ、ユーリンが深々と陳謝した。
突然の謝罪を受けた一同が疑問を差しはさむ寸前を見計らってユーリンは言葉をつなげた。
「———大慌てだったとはいえ、ボクのような新参者が出しゃばりすぎました。どうか『イキリと盛り』のついた生意気を許していただけるとうれしいのですが……可能でしょうか?」
涙をこらえるかのように潤んだ目元を気丈に見開き、自身がしでかしたとんでもない失敗の償いをもとめているかのようにか細く震えた声で、ユーリンは恐る恐るといった様子で、その場のみなに謝罪をした。
突発的な事態に際しても毅然とした態度で最善手を選び、自身も危険な戦闘要員として臨場したユーリンに対して悪感情を抱く者など、もとよりその場には1人もいない。
むしろ、瞬時の判断力で年少者であるユーリンに圧倒されたことを、不甲斐なく感じているくらいである。
そして、そんな年長者の感情のわだかまりをなおざりに放置するようなユーリンではない。
野ざらしの劣等感はいずれ敵意に変じるのが人間の自然な心理であるが、生まれたての劣等感は方向性の定めのない、不定形の脆弱な情動である。
適切な誘導をうければ、逆に経緯や羨望といった好意的な性質のものに変貌することすらありえるのである。
ユーリンはこの場に生じた危うい情念を余さず収穫して自分の懐に加える心算であることを———関羽だけが見抜いていた。
ユーリンの真摯な謝罪をつきつけられたオダリスは、逃げ場のないまま、うろたえを隠せないほかのみなを代表してそれを受け取るしかなかった。
「ユーリン、許すもなにもない。おまえの行動が正しかった。あの状況で古株も新参もない。結果、被害は拡大しなかった、それでいいじゃないか」
「……最古参のオダリスさんにそう言っていただけると、気が楽になりますね。……あはは、なんだか、いまさらになって、怖くなってきちゃいましたよ。一歩間違えれば命を落としたかもしれない状況でしたね」
「まったくだ。もしもおまえに間違いがあったとしたら、先頭を走ったことだけだな。そうとう剣を使えるのは知ってるが、おれらにも体面ってもんがある。次があったら、その役はおれに譲ってくれ」
「そうですね。もしも次があったら」
ユーリンの、その場に溶け込むような柔和な笑みが披露され、関羽を除く全員の心をグリフォンの前脚の爪よりも力強く鷲づかみにした。
己の罪を一方的に訴えでる加害者に鷹揚な姿勢で寛大な許しを与えることは、得も言われぬ陶酔感をもたらすものである。
気づかぬ間にユーリンから心地よさを一方的に押しつけられ、その快楽に身を委ねるうちに、思考を誘導されている。
結局、その場の関羽を除く全員は、ユーリンに対する強固な好意を抱かされたことに気づくことなく帰路につくことになった。
グリフォンの検死を終えた一行は、セムトク村に駆けた。
その途中、関羽は腹部を手のひらでゆるくさすりながら、周囲をはばかった小声でユーリンにたずねた。
外部からきたグリフォンの襲撃という直截的な事情は関羽にも理解できていたが、ユーリンの心情だけが理解できなかったのである。
「ユーリン、そなた、なにゆえ得意の妖術をここで用いたのだ?」
「……別に。ただの腹いせ」
「わからぬ。あの者らを徒に籠絡することが、そなたにとって腹いせになるのか? そも何に腹を立てておる? ……理屈がわからぬ」
関羽は、前方を走るオダリスら10名の戦闘要員に目をやり、疑問を明確化した。
しかしユーリンはそっぽを向いて、剣呑な態度を崩さない。
「聞くな、バーカ……」
「ぬう。答えが明白であるゆえに己でソレをみつけよ、ということか。……相わかった、コレは儂の課題として受けとろう」
「……本当にバカなの?」
全く何もかもに呆れ果てたという顔をユーリンは作ったが、どこか後ろめたさを抱いていることを隠していない様子であった。
ユーリンが真実、心情の隠匿を企図したならば、それが外部に露見することはありえない。
関羽は混乱しながらも、ユーリンが意図的に言語と態度を矛盾させていることを汲み取った。
真実を伝えるために、表層的な虚偽の薄皮を破り捨てるために懸命にあがいているかのようにみえた。
が、解決方法に思い至ることはない。
こと戦場の個人的な武技においては、無限にも等しい技芸の彩色の豊かさを誇る関羽であるが、対人関係の構築という人間としての基礎的な技能においては、その実、純然たる愚鈍者なのである。
関羽はそれを自覚し、自らのあり方を変えようともがいている最中である。
ただし、あくまで愚直に、直截に、率直に、ただまっ直ぐに己の欠陥と向き合うのみである。
「……ユーリン、そなたいまどういう状況なのだ? もしも儂がそなたの助けになれるであれば、教えて欲しい。たしかに儂はそなたの嘆くとおりの愚か者に相違ないのだ。だから、そなたからより多くのことを学びたいと思うておる。師を助けるは弟子として当然の振る舞いであると心得ておる。……そなた、いったい何に苦んでおる?」
「……ううっ……うー……むー……うー……っ……! ウンチョーのせいだよ!? キミは悪くないけど、キミのせいではあるんだよ!? だから、ごめんね、あと本当に大好きだ、ありがとう、ごめんね、今夜、話がある、そこでねっとりしっぽり話そう! ……まずは村に戻ろうか、ミケルさんの様態が気になる……でも、ボクにできることはもうないけどね」
セムトク村の広場に戻ると、人だかりができていた。
皆が口々に「グリフォン」という言葉を出して、不安まじりの焦燥感を交換している。
エルマンが大声で戦闘要員の点呼を取りながら、あわただしく装備を指示していた。
「槍はもう十分だ! 弓を優先してもってこい。いまある分だけでも現地に向かう、槍持ちが前列だ、走りながら横一列に陣を組め、後続は装備が到着し次第、追いかけてこい―――て、ユーリン!?」
「ただいま戻りました。グリフォンは討伐済みです」
「……マジかよ、そんな———って、そういうことか、納得だ」
エルマンは、ユーリンの側に立つ関羽をみて、得心した。
関羽の現在の肉体は推定年齢20歳ほどであり、身体能力はまごうことなく全盛期のものである。
中原全土に威名を轟かせた晩年の風格は失われているものの、血風薫る歴戦の豪傑としての威圧感は健在である。
青年関雲長の涼し気な顔つきは、ユーリンの報告を当然の事実として保証するのに、十分な貫禄を有していた。
エルマンは、一個の武人としての惜しまぬ尊敬を関羽に捧げながら、感謝を述べた。
「力を貸してくれたのか。礼を言う。おかげで追加の被害を抑えられた。やっぱ、とんでもねぇな、ウンチョウは」
「……成り行きのことゆえ。それに、功績は我が主の下に」
関羽は簡単にエルマンの言葉を受け流し、懸念事項に話題を向けた。
「それで、あの者の様態は如何に?」
関羽の問いにエルマンは答えず、顔を歪ませて、そらした。
そして、関羽に請い願うように言った。
「……ミケルのやつに、会っちゃくれねぇか。安心させてやりたい」
「……心得た」
即座に関羽は理解し、言葉少なに応えた。
エルマンは関羽をつれて人込みをかき分け、途中すれ違う戦闘要員らに騒動の事後始末を指示しながら、広場の奥に進んだ。
そこでは解放軍『至高なる天空』の指導者であるリョウケイが膝をつき、負傷して地に仰向けとなったミケルの手をとって、沈痛な顔を伏せていた。
リョウケイの全身からは不思議な圧力が放たれており、淡く水色に発色した煙のようなものが立ちこめていた。
水色の煙はミケルの身体に流れるように吸い込まれてゆく。
出血の著しい腹部がときおり水色の燐光をみせるが、光はすぐに儚く消えた。
リョウケイの口元が焦燥が歪む。
そして、食いしばる歯の隙間から押しだすように、エルマンに言った。
「私の『生命魔法』では、つなぎとめるだけで精一杯です。根本的な治癒は、やはり毒消し薬の多量服用しかありません」
「……本拠地にある分の『ブリカトート』は、さっきので全部だ」
『ブリカトート』は猛毒の野草であるが、塩漬けにして毒抜きをすることで、強力な解毒薬としても利用できる。長期間、幾度も毒を吸い取った塩を取り換えて漬けこむため、その精製には多量の塩を必要とする。塩の価格が高騰している影響を受けて、在庫が払底しつつあるのが現状であった。
「フォルカが別拠点の在庫を調べちゃいるが———」
そもそも十分な量はどこにもない———その言葉をエルマンは飲み込み、表情を消した。
関羽は、いまエルマンが己の将器を依り代として『非情の念』を奮い立たせていることを察知した。
そして無言のうちに、状況を再確認した。
(『ぐりふぉん』の尾は猛毒ときく。この者は助からぬか……)
関羽は、歴戦の戦人の境地に宿る枯淡の静けさが、己の裡に広まっていくのを感じた。
自らの心にそれを呼び起こすことで、関羽はいつでも平静にそれを受け入れることができた。
エルマンが硬質の声を努めてやわらかくして、横たわるミケルに対して言った。
「ミケル、安心しろ、グリフォンは討伐できた。おまえのおかげだ。ウンチョウも無事だ」
「それは、よかった……です」
ミケルは弱々しい目で関羽の姿を見て、安心したように息をはいた。
そして、抜け落ちた気力の隙間を埋めるように、苦痛にあえぐ声が大きくなった。
エルマンはその様子をみて、決意を固めた。
「すまねぇ、ミケル。……最後に何か望みはあるか?」
「エルマン!? 貴方、何を———」
エルマンの言葉を、リョウケイが制した。
しかし、エルマンも譲る兆しはない。
「解毒方法はない。これからますます酷くなる。俺の部下だ、俺がやる」
「……苦痛は私の『生命魔法』と『精神魔法』で緩和できます」
「情が篤いな。だが酷だ。それは慈悲じゃねぇよ。どいてくれ」
「いいえ、どきません」
「リョウケイ、おまえの領分は終わりだ。礼をいう。ここから先は俺が背負う」
エルマンとリョウケイは睨みあい、激烈な意思をこめた視線を衝突させた。
悲壮な対立は、痛いほどの沈黙を招いた。
周囲の人だかりが音もなく遠ざかる。
沈黙を破ったのは、ミケルの声であった。
混濁しつつある意識をかき分けるように、唇から声が漏れた。
「……ンゲのパイ」
エルマンとリョウケイが振り替えり、ミケルをみた。
ミケルは再度、言葉を紡いだ。
「レモンと、メレンゲのパイ。昔……に、……った、あれを……あれを、もう一度、食べるまで……死にきれませんっ!」




