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37. 光の使徒ユーリン(7) 厨房係のエレーヌ

解放軍の頭目たるリョウケイと、その解放軍の軍事を統括するハゲのお頭ことエルマンは、深刻な顔で向かいあっていた。


エルマンがリョウケイに対して、悲報を伝えたためである。


「……そういうわけだ、どうあっても連絡がつかない。残念だ」


「ルナンドさんが命を落とした、と」


報告を受け取ったリョウケイが、慎重に言葉を選択し、その推測を発言した。

認めたくない現実を無理やり飲み込むように、エルマンは表情を苦らせ、首肯した。


ルナンドは、斥候部隊の男である。

解放軍有数の腕利きの斥候であり、これまで幾度となく解放軍の軍事行動を下支えしてきた実績がある。

その喪失を認めることはエルマンにとっても、リョウケイにとっても、非常に苦しいことであった。


「認めたくないが、そう判断せざるを得ないところだろう。これ以上、中継役のソフィを危険にはさらせない、道連れになりかねん。引き際だろう」


エルマンが、現実を見据えたシビアな判断を下した。

だが、リョウケイは引き下がらなかった。


「……非常に難しい任務であることは、覚悟していました。しかし……この高騰ぶりは許容を超えています。昨日買い出しから戻ったエレーヌさんの報告によると、グラン帝国卸売の塩1キログラムで20,000ゴールドだそうです。これは命を削られる価格です。兵役に加えて、この地の人々の所得のおよそ2割近くを税として徴収されることになる……安価な密売塩の流通回復は至上命題です」


「……つっても、そもそも流通の根源地さえつかめない。当然、それが滞ってる理由もわからない。調査のしようもねぇし、解決のしようもない。それに、俺らが思いつくような調査なんて、グランの連中だってやってるだろ。それでも尻尾不明でここまできたんだ……俺らにゃ無理だよ」


エルマンは髪のない頭部を掻きむしり、眉根を苦悩に歪ませながらも、断固たる態度を示した。


「悪いな。俺は、俺の部下をこれ以上の危険には晒せない。いくらおまえの指示でもだ。……ルナンドはソフィが鍛えた男だぞ、優秀だった。アイツでムリなら、もうムリだ」


「退きません。ですが私が直接、赴くわけにもいきません。シュイカウ塩湖はグランの金脈ですからね。そこに叛乱軍の頭目たる私が顕現するのは、刺激が強すぎるでしょう」


「どうあっても続けるってのか。危険を承知で」


「危険や困難は解決すべき課題であって、私たちの道を選択する動機ではありません」


エルマンが渋々という調子で、リョウケイの言を現実に落とし込む思考をめぐらせた。


これから暖かくなる季節を迎える。

塩の接種は人命の維持に不可欠であり、文字通りの『生の命脈』であることをエルマンも承知していたためである。


不承不承という態度を隠さず、それでも『これならば』という印象を強調しながら、エルマンがリョウケイに妥協点を示した。


「……ハンパな戦力の小出しはダメだ、二の舞になる。かといって大勢で押しかけても成果がでるわけじゃねぇ。少数精鋭で臨むしかない」


「必要な素養は……そうですね。純粋な洞察力、繊細な配慮、機転応変の才、自衛能力、運。これらを高い水準であわせもつこと、ですね。……もしも候補者に心当たりがあれば、推挙いただきたいのですが」


「人がいいのか悪ぃのかわからねぇな、おまえは。わざわざ俺の口から言わせなくてもいいだろ」


「現状確認のためですよ。どちらにしますか?」


「……ソフィはダメだ。すでにいろいろ任せちまってるからな。長期間、抜けられると影響がでけぇ。何より代替(かえ)が利かねぇ」


「では、決まりですね。フォルカさんとは私が話しておきます」


リョウケイの揺るがぬ意思に押し切られる形で、エルマンは了承した。





光神ルグスの寵を得たリョウケイ・シタン率いる『至高なる天空』、通称『解放軍』が本拠を構えるセムトク村。


かつては村民1000人を超える大規模な集落であったが、度重なる魔獣の出没とグラン帝国の徴兵の役が重なり、次第に村民が散開して廃村と化して棄てられていたところを、解放軍が占拠して利用している。


「この村の住民にとっては悲劇ですが、グラン帝国にとっては、いくばくかの兵卒の供給元が自然と枯れただけのことでしょう。他の苗木の果実を収穫することで、補いが足りるのです」


そのセムトク村の集会場として使用されていた家屋を、解放軍の参謀部が利用していた。


作戦参謀、配給計画、物資備蓄管理、支配域の住民からの陳情、解放軍内部の統制、資金調達など、組織維持のための裏方の頭脳労働を一手に担うのが、この参謀部を統括するフォルカという男である。


年齢はリョウケイやエルマンと同じく30代前半であるが、疲労のたまった顔つきには陰りが濃く、実年齢よりも10年分は老けてみえる。


リョウケイとしてはそんなフォルカをさらに困らせ疲弊させる意図はないのだが、結果として、フォルカは頭を抱えて疲弊することになった。


「それは、困る。どうしてもユーリンでなくてはならんのかね?」


「あの子が最適であると私は確信します」


「……万一の恐れはないのかね?」


「ウンチョウさんが同行します。1人で万人に匹敵しますよ」


「噂の豪傑か。信用できるのかね?」


「ことユーリンさんの守護を委ねる点においては、神々よりもはるかに優れていますよ」


主神の1柱である光神ルグスの加護を受けているリョウケイが、それだけは間違いがない、という確信をもって断言した。


フォルカはその様子をみて、直属の部下であるユーリンを危険な任務に送り出すことについての懸念の大部分を払拭できた。

リョウケイの人物評については、抜群の信頼を寄せていたためである。


だが、それでも一言物を申さずにはいられない。


「……キミは私に相談する前に自分の中で結論を固めてしまう悪癖を改める気はあるかね?」


「改まりません。貴方が補ってください」


「拒否権は?」


「ありません」


「……せめて月イチで殴らせてくれ」


「お望みとあらば」


「その承諾は均衡を損ねる。それを認められては、私の借りが膨らむ一方だ。殴るのはよそう」


「フォルカさん。何度も言いましたし、何度でも繰り返しますが、パティさんの治療は私が自ら望んで取り組んでいることです。たとえ貴方が施術を拒絶したとしても、力ずくで続けるつもりです。貴方が負い目に感じることはひとつもありません」


「……では遠慮せずに申し入れよう。結論を出す前に私に相談する慣習を導入する意志はあるかね?」


「……ユーリンさんなら、きっと大丈夫ですよ」


「会話の原則を学ぶ意志はないのかね? 相手の質問にはまず回答を示してほしいのだが」 


「しばらくユーリンさんが不在にしても、貴方なら不足を補えるでしょう。ここ最近は性格も良くなったようですし。人員の一時的な追加を受け入れますか?」


「性格はさほど関係しないと思うがね。だが、たしかに私が補えるよ、人員の追加も不要だ。半端な者ではタシにならんし……ユーリンと比べられてはその者に気の毒だ」


配慮を含んだフォルカの言葉に、リョウケイが驚いた。


「そんな、まさか。貴方が……他者に対して『気の毒』という概念が芽生えたのですね、喜ばしいことです。……ユーリンにはよくお礼を伝えておきます」


「どういう意味かね?」


フォルカは、本当にわからない、という顔をした。




関羽は、趣味を探して1人で孤独にさまよっていた。

字句のとおりに、解放軍の本拠地であるセムトク村の中を、でっかい図体をあてもなく単身でウロウロさせているのである。


(儂……そんなにつまらない男だったのか……熱い生涯を送ってきたつもりだったのだが……)


ユーリンに突きつけられた現実をなかなか受け入れることができず、もだえたり、うねったり、身をよじったり、しくしくと泣いたりしながら、己と向き合う時間を過ごしていたのである。

しかし、そういう(外部からすると)面白い時間は長くは続かず、やがて関羽はひとつの現実を受け入れるよりほかなかった。


関羽は、己の趣味がないのである。


「かくあるべし」「こう成らねばならぬ」「こうであるべきだ」という義務や責任感については、数えきれないほど背負ってきた。

関羽はそれをすべて受け止め、己の天命であるとして、向き合ってきた。

しかし、突き詰めてみると、結局それはすべて他者の願望なのである。


関雲長自体の生き方について、関羽自身の希望は、おどろくほど反映されていない。

関羽としては、それに従うこと———民の呼び声に応えることが己の天命であると信じていた。


その生き方に恥じらいはなく、悔いもない。

誇りをもって断言できた。

たとえ幾千回生まれ変わろうとも、同じ道を善として選択する自信がある。


しかし、改めてユーリンが無邪気に面白全部で突きつけてきた現実を考えてみる。

関羽自身の楽しみは、いったいどこにあるというのか?


関羽とは、ややもすると自身のプロフィールの趣味欄に『衆生救済』と記載しかねない男である。


民を護り、世を安んじ、悪を誅し、大義を成す……それは関雲長の義務であり、誇り高き生き方である。


「……楽しいこと……娯楽……趣味? ……はて? 楽しみとは、いったい?」


しかし、ぶっちゃけた話、課せられた義務を果たすだけの男なんて、つまらないのである。

便利で都合の良い『民の願望を叶えるマシーン』でしかない。


「儂、何かやりたいこと、なかったっけ……好きなもの、か。ついぞ考えたこともなかった」


関羽は儚い足取りで、あちこちを歩いた。

解放軍が本拠を構えるセムトク村をさまよい、宿舎、司令部、訓練場、参謀部、物資倉庫、鐘楼、防壁、また訓練場……あちこちを旅した。


つまり……いまさらながらに、関羽は自分探しを意識し始めたのである。

それは、為すべきこと———つまり義務のみに目を向けて生き続けた男の、哀れな断末魔であった。


とある民家の前にきて、関羽ははたと気がついた。


「おや。ここは……厨房か」


眼前の民家は、家屋外見こそ通常のたたずまいであるが、屋内には、(かまど)や食材棚、水瓶や洗い場など、あまたの調理器具が所狭しと(しつ)えられている。

壁や庭土からも、食欲をそそるにおいが漂うほどであった。


「ほほう。これはこれは、おもしろい」


厨房設備としての基本的な構造は、関羽のよく知る中原の地と変わらない。

しかし並んでいる食材や調理器具をよく見てみると、関羽にとって未知のものも多い。

赤や黄色の鮮烈な野菜や果実、正体の不明な動物の肉塊、曲がりくねった形状の用途不明刃物などが関羽の好奇心をそそった。


関羽は、先刻までの鬱屈(うっくつ)した悩みを一時忘れて、厨房の中を散策した。


珍しいものをひととおり眺めて冷やかし楽しんだ関羽の背に、不意に声がかけられた。


「あらあら。これはまた立派なネズミさんね」


関羽が振り返ると、そこに女性が立っていた。

栗色の髪を後ろで束ね、調理用の白い前掛けで衣服を覆っている。

柔和な笑みを口元にたたえ、優しげな眼差しを関羽に送っている。


「こんにちは。欠食児童……というには、ずいぶんと大きなお身体ね。あなた、歳はおいくつ?」


「ぬ? 儂は……年齢……? はて……さしあたり20としておこうか」


「まあ、さしあたりでご自身の年齢を決めてしまえるなんて。男の方は自由でうらやましいわ」


栗色の髪の婦人は、手の甲で口元をほのかに隠し、くすくすと笑った。


たおやかで暖かい膨らみのある仕草が、関羽の心をとらえた。


女性の歳の頃は、30代半ばであろうか―――今の関羽の肉体年齢からするとひと回り歳上にみえるが、生前齢60を数えた関羽の精神年齢からすると、歳若く美しさの盛りのただ中のご婦人であると感じられる。

身なりからは生活の疲労と損耗の気配が漂っているが、清潔感のある衣服と明るく照らすような表情が、婦人の魅力を際立たせている。

指先の切り傷や腕の火傷痕が、白い肌にひどく目立ち、痛ましそうにみえた。


関羽が婦人に見惚れて硬直していることを、婦人自身がどのように解釈したかはわからないが、婦人は困ったような顔をして、申し訳なさそうに言った。


「せっかくのお客様だけど、いまは何もお出しできるものがないの。買い出しで、昨日、街から戻ったばかりなのよ。朝食に惣菜を1品お出しするのが精一杯だったわ。だからまた今度、いらしてね。少しだけ(さち)のおすそ分けができると思うわ」


「朝食の惣菜……」


関羽の鼻腔に、朝の食事の香りが幻覚として蘇った。


「すると、あれは御身の手によるものか! あの川魚の甘辛煮!」


解放軍の施設で供される食事は、穀物の粥が基本である。野菜や獣肉の汁物がつくこともあるが、滋養のための献立であり、あまり食欲をそそる風味ではない。

美食の欲に乏しい関羽としては特に不満はなかったが、一抹のわびしさを否めないのも事実である。


そんな緩やかな諦めに終始するしかない食事について、今朝は異変がおきた。

いつもの穀物粥の椀の横に、小皿に盛った惣菜が僅かばかりであるが、つけられたのである。

魚の煮物であろうか―――1片の魚の切り身と、何やら乳白色に透き通った根菜が、刺激的な香りのする浅黒いタレに絡んでいた。


関羽は驚きはしたが、あまり期待を抱くこともなく、それを口に放り込み……あまりの旨さに唸り声をあげたのである。


そんな今朝の出来事を思い出し、関羽は己の胃袋の突如にして急激な収縮を実感した。

しかし、男のメンツにかけてそれは表には出さず、関羽は粛然たる面持ちを整えて、供手して礼を述べた。


「あの煮物は、大変に美味であった! 口にするなり、己の舌が膨らみあがったように感じられた。甘い香りとヒリヒリとする辛さのなかに、魚の脂がよく溶けていた。あの逸品を共とすることで、いつもの粥が大変な馳走になった。感動的ですらあった」


「あら、すてきなお言葉ね、うれしいわ。そうやって言ってもらえると腕をふるった甲斐があるもの。また期待してね」


婦人は破顔して、喜びを示した。


関羽は、先日のユーリンの言葉を思い出した。

リョウケイとの対面直後の昏睡から回復したユーリンが、村の婦人衆をまわって食事の礼を述べていたとき、傍らの関羽に漏らした言葉である。


―――『ごはんが美味しかったです』と当然の感謝を伝えただけじゃないか


あの時の関羽はユーリンのお供でしかなかったが、今日、関羽は、自らの心よりの言葉として調理人に礼を伝えた。

それを受け止めて喜んでくれた婦人の反応が、関羽にとってたまらない嬉しさとなって返ってきて、その心地よさに高揚感すら覚えた。


(何ということだ。厨師に礼を伝えるなど、いったいいつぶりだ? ……こんな単純なことさえ、儂は長らく怠っておった。歳をとり、都督として長く任に就くうちに、儂の心はすっかり錆び果てておったのか。同輩から愛想をつかされ裏切られるのも当然よな)


関羽は、こみあげる苦味を自嘲とともに噛みしめた。

その内面の渋みを眼前の婦人に気取らせないために、関羽は努めて笑みを顔に貼りつけた。


「次の機会を楽しみに致します」


「もちろんよ。まかせてね。……といっても、同じものはしばらく難しいけれど。……この時期にサーモン魚はすごく珍しいのよ、きっとシュイカウ塩湖から川を遡ってこんなところまで迷い込んだのね。たまたまミケルさんが捕まえたんですって、ウンチョウさん、運がいいわ。アレはわたしの得意料理なの」


婦人は得意げな面持ちで、胸に手を添えた。


「お召しあがりいただきましたのは『サーモンと大根の甘辛煮』でございます。下茹でして臭みを落としたサーモン魚の切り身を、すりおろした大根につけて一晩休ませ、リフレッシュ。大根は厚みを残して刻んで火を通してからサーモンのアラ汁に沈めて、ゆっくりスヤスヤ。タレは酒とショウユをあわせて、テンサイの煮汁で甘みをつけました。ピリピリする刺激はジンジャーとレッドペッパーよ。どこの宮廷にお出ししても恥ずかしくないと信じてる。わたしの自慢です……なんてね」


あふれ出る自信と気品にほどよく恥らいの艶を添えながら、『なるべくなるだけ、誇らしげに高らか』に婦人は語った。


「然り。昔、許昌の曹公の下でたいそうな歓待を受けたが、ここまでの逸品とは巡り合えなんだ。紛れもなく天下随一の味である」


関羽は首を腹に打ちつけるような勢いで上下させ、熱心に、しきりに、同意した。

関羽の率直な賞賛に気を良くした婦人が軽やかに語り、時の流れを忘れて、会話を弾ませた。


「……っと、いけない。わたし、そろそろ次の料理の用意を始めないと」

「これは、失礼いたした。長居が過ぎましたな、しからば、儂はこれで」


関羽は一礼し、可憐な笑顔の婦人に別れを告げたが、未練がましく足をその場に留め、視線を右往左往させて意気地のない様子である。

やがて勇気を(たぎ)らせて、おのれを奮い立たせ、おずおずとはばかるように言葉を発した。


「……それで、その……差し支えなければ、御身の御名を伺いたく」


天地を砕くような大音量の号令を発する大将軍とは思われぬほど、か細く慎み縮んだ声音であった。


関羽の問いに、婦人は意外そうに目をぱちくりとさせた。

しかしすぐに謹厳な面持ちを取り直して、名乗った。


「失礼しました。わたしは、エレーヌ。厨房係よ、よろしくね」


「エレーヌ殿。儂は、儂は……ウンチョウと申す」


「ウンチョウさんね。……あなたみたいな実直な方が来てくださって、頼もしいわ。活躍……は無理にしなくてもいいと思うけど、ケガをしないようにね」


「微力ながら尽力を約束いたしましょう」


関羽は強い口調でそう断言し———断言してから、自分の口から出てきた言葉に戸惑い、当惑した。


(今、儂はいったい何を!? よもやエレーヌ殿に己の良いところをみせようなどとくだらぬ見栄を……?)


あくまで関羽としてはユーリンの従者としての立場から、解放軍に身を寄せているつもりである。

如何なる事情か定かではないが、当のユーリンが予期せぬ積極性で解放軍への貢献に熱心であるため、それに引きずられる形で関羽も解放軍に協力的な態度を選んでいるにすぎない。

いわば、間接的な動機だけが、関羽の全てだったのである。


しかし、今、関羽の口から発された言葉は、飾り細工のない本心であった。

関雲長が、人の歓心を買うために虚言を手繰ることは、決してない。……はずである。

関雲長、精神年齢61歳———己を知らず、惑い悩むばかりであった。


そんな関羽の年甲斐もない混乱を知らず、エレーヌは若僧ウンチョウの大言壮語を静かに受け止めた。


「ウンチョウさんて、不思議な方ね。とってもお若いのに、まるで年季の入った英雄様みたいな貫禄があるわ。……きっと、きっととてもお強いのでしょう。……本当に気をつけてね。尽力なんて、しなくてもいいのよ。また元気にお話ししましょうね」


その表情には、どこか寂し気な陰りがあった。


「それじゃ、わたしはお役目があるから、また今度ね」


そう宣言して会話を打ち切り、エレーヌは厨房をあわただしく歩き回った。

そして、床置きされている大きな瓶をしゃがみ込んで眺めて少し思案すると、意を決したように立ち上がり、傍らに壁掛けしてあった大きな手桶を両手で抱えた。


いまだなおしつこくその場に滞留していた関羽が、心配になって声をかけた。


「それは、水瓶(みずがめ)ですかな」


「ええ、そうよ。林の奥の湧き水をつかっているのよ。汲んで、ここまで持ってきているの」


エレーヌは厨房の戸口にたち、視線を村はずれの林のほうに向けた。

そして、関羽に背を向けて、手桶を抱えて歩み始めた。


「……林の奥? 庭の井戸や近くの渓流は使わぬのですか?」


「そうよ。お水って、お料理の味を決めちゃうの。だからわたしが作るお料理では、わたしが選んだお水をつかいたいの。……じゃあね、いってくるわ」


「それは……儂が代わりましょうか。女子(おなご)の細腕では、苦労がありましょう」


関羽の言葉が、歩みかけていたエレーヌの足を止めた。

エレーヌは何も言わない。

そして関羽に向き直り、じーっと関羽の顔をまじまじと不思議そうに観察した。

やがて結論を見つけたのか、納得したように頷いて、微笑んだ。


「あら、親切ね、ありがとう。でも、けっこうよ」


エレーヌは、諦念を打ち消すように首を横に振り、関羽の提案を拒絶した。

その言い様には、関羽に二の句を告げさせない貫禄があった。


関羽はたじろぎ、後退した。

戦場で万の敵兵に包囲されようとも、微塵の怯懦(きょうだ)すら抱かぬ無双の豪傑が、いまは明らかに委縮して、怯えていた。

許しを請うように、関羽は謝罪のようなことを言いかけたが、うまく言葉にできなかった。

関羽としては、己の何がエレーヌの不興を買ったのか、理解できないのである。


「わ、儂は……儂が、何か非礼なことを……」


「ううん、そういうわけでもないし、気を悪くしたのでもないの。ただ、わたしの流儀というか……失礼かもしれないけど、ちょっとウンチョウさんのことが、心配になっちゃったの。だから今日のところはお手伝いを任せられないわ」


エレーヌは、関羽を優しく励ましつつ、きっぱりと意思を通した。

それは肉体的にもまた精神的にも、年長者の余裕を示した態度であった。


「また遊びにいらしてね、本当よ」


それが間違いなく本心であることが関羽に伝わるように、エレーヌは言った。

立ち去るエレーヌの背を、関羽は悄然と見送るしかなかった。


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