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35. 光の使徒ユーリン(5) 土をつかみ

ユーリンが解放軍内部で頭角を現すまでに、さほどの時間はかからなかった。

「噂の新人」「美人ちゃん」などとという気安いあだ名は、すぐに忘れ去られた。




何やらの顛末を経て参加した新人たちがいる———そんな漠然とした噂は流れたが、それ自体はあまり人々の関心を惹き続ける内容ではない。


それよりもまず耳目を集めたのが、ユーリンの容姿である。

それは非常に直感的かつ直情的な話題であり、誰にでも平等に愉しめるものであった。


スイーツを舌にのせる歓びが人間にとって無上の喜悦であるように、甘やかな容姿を視野に収めて鑑賞することは、安易な、けれども強烈に本能を揺さぶる娯楽であった。

無論、それを語らう口の端は無邪気さで軽やかになる。


「おい、見たか? 新しく入ってきたヤツ」

「もちろんだ、ありゃすげぇな」

「とんでもない美人ちゃんだよな、なんでこんなところに?」


解放軍を構成する———特に戦闘を担う大多数の人々は、元来、道徳的に優れた集団ではない。粗暴者、無宿者、はみだし者、あるいは殺人や窃盗などの重犯罪の前科を秘した者もいる。

光神ルグスの威徳を背負うリョウケイの指導力と、軍事統括者であるエルマン(ハゲのおかしら)の弛まぬ綱紀粛正により、辛うじて社会集団としての秩序を維持しているに過ぎない。


「日々の生産によって糧を得ることが人間の本来的な姿であり、それを日々営んでいる人々については、私たちの活動に巻き込むべきではありません。尊敬し、また敬遠すべきです。私たちが優先して束ねるべきは、堅実かつ地道な貢献への道筋を一時的に見失っている人々です。それを私たちが預かり、地域社会に貢献できるように活動の場を整えられれば、相乗効果の期待は大きいでしょう」


このリョウケイの方針は、断固たる態度でもって打ち出された。

その結果として、一時の解放軍は、札付き者連中の掃き溜め場の様相を呈していたが、ハゲのお頭(エルマン)の指導とリョウケイのカリスマによる教化を積み重ね、現在の武装組織らしい一応の体裁を確立し得ていた。しかし構成員の本性までを感化するまでには、まだ至っていない。大多数の構成員は、行動はともかく、内面は元来の粗暴者のままなのである。


そんな人々のただ中に、ユーリンは全てを承知で自らの意思で身を投じたのである。

当然、ユーリンに注がれる無遠慮な視線がやむことはない。


つまり、公共情欲の的となる偶像のように、はじめユーリンは認識されたのである。


好意的な興味や漠然とした憧憬ならまだしも、中には明確な悪意を帯びた劣情を隠さないものもあった。相手の示す不快の表明すらも己の身勝手な官能にすり替えることができる、ある種の超越した域に達した下種の世界観に望んで永住する者も、少数ながら確実に解放軍に所属しており、彼らは容易に一線を超えてユーリンの反発を期待する言葉を投げた。


(かたわ)らに(はべ)る関羽のほうが、先に不快感に()をあげた。


「ユーリン、もしもそなたが望むのであれば、儂が———」


続く関羽の言葉を察知したユーリンが、人差し指で関羽の唇をつついて、たしなめた。関羽の声量が大であること咎めたのである。

関羽が呻くように声量を落として、続きを発した。


(……儂が彼奴等(きゃつら)を蹴散らして地に埋めて山野の肥やしとしてみせるが、いかがか?)


(ウンチョー、それ、自分がムカついてるだけじゃない? ボクは慣れてるし、いまんとこ実害はない。しかしウンチョー(ステディ)をやすやすと貫通してくるとは予想外だった……よっぽどなのかな?)


苛立ちを堪えすぎてすっかり気の滅入っている関羽を励ますように、ユーリンは困ったように微笑んだ。

そして、前途を見据える意思の強い瞳を煌めかせて、関羽に囁いた。


(だけどそうだね、もしもウンチョーが協力してくれるのであれば、ボクが彼奴等(きゃつら)の鼻を明かして多少スッキリはできる。……ボクも『慣れてはいるけど、平気ではない』よ。あんなのにジロジロ見られてもうれしくないしね)「だいじょうぶ、ボクはウンチョーに一筋だから、浮気なんてしないって。だからちゃんとボクだけを見ててね」


わざとらしく、ユーリンは言った。遠くまでよく通る声を絶妙に響かせて、無遠慮な視線への返礼としたのである。


相手側の反応にはまるで興味を示さず、ユーリンは楽しそうに関羽にささやいた。


(こういうのは、最初にシンプルにキメるのがイチバン手っ取り早い。ま、まずはエルマンさんかな。根回ししておきたいことがある)




翌日、定期の軍事教練が開催された。エルマンの指導の下で行軍や模擬戦闘の訓練が執り行われる。


訓練用の施設として開拓された広場の脇に、訓練用に刃先を潰した剣や槍が乱雑に積まれている。


解放軍の本拠地に留まる戦闘部門の人々が招集され、この日はおよそ80人が参加した。


「よーし、全員集合したな。今日も根性悪く鍛えていくぞー、ケガしないように気ぃつけろよー」


慣れた調子でエルマンが宣言した。


「はじめに、2つ連絡がある。1つめ、まず新入りの紹介だ。いろいろ教えてやってくれ、よろしく頼む」


新しく解放軍に参加した20人近い人々を前に並べて、形式的な顔合わせとしての紹介をした。関羽とユーリンもそこに加わって、横一列に並んだ。


形式的で無感動であるはずのこの儀式に、通常ではない()()()()をもたらしたのは、むろんユーリンの存在である。

神仙の住まう泰山の岩肌を月明かりで焦がしたような銀髪が、薫るような暖かな風で膨らみ、弾けて、陽光に気ままに煌めく光景は、否応なしに人目を惹く。流麗な目鼻立ちに可憐な口元、艶のある肌、蒼天を閉じ込めた星粒のような瞳は、当然のように人心を掴んで離さない。


囃すような口笛が所々で鳴った。「噂の美人ちゃん」を初めて目の当たりにした者もいるらしく、その者は驚きの表情をもってその噂が真実であることを認めた。


エルマンは部下たちのそんな反応を眺めて、予想どおり、というように呆れたため息をついた。

が、すぐに気を取り直して指導教官の顔に戻った。


「2つめの連絡だ。新入りの中で武芸の心得(いちじる)しいヤツがいる。実力にあわせた役割を与えるつもりだ。みなに納得してもらうため、今日はそれを見せておきたい。俺と模擬戦闘だ―――きてくれ」


「よろしくですね、エルマンさん」


エルマンが関羽に合図を送ると、傍らのユーリンがヒョコヒョコと前に出てエルマンと相対した。


「―――って、おま、ユーリン!?」


事態を飲み込めないエルマンが、間の抜けた素っ頓狂な声をあげた。


「ご紹介にあずかりました、ユーリンです。この度、解放軍に参加させていただきました。みなさま、よろしくお願いいたします」


予想外の展開にうろたえて醜態を隠せないエルマンと、淡々とにこやかな挨拶で華を咲かすユーリンの対比に、自然な笑い声がわきあがった。


エルマンが気を取り戻す隙を与えず、ユーリンが粛々と天凛の声音で歌うように述べる。


「ボクは、当面は主に参謀部のフォルカさんの下で活動いたしますが、戦闘要員としてもエルマンさんの指揮下に入ります。ただ、その際はボクの個人的な従者であるウンチョーを伴っての参与となります。いささかの特例をワガママとして押し通すことになりますので、この度はご挨拶に伺った次第です」 


ユーリンは広場の隅に積まれた訓練用の剣を2本手にとって、そのうちの1本をエルマンに恭しく差し出した。


「エルマンさん、ぜひお手合わせいただきたく。ケガをなさらぬようにお気をつけて」


不敵な笑顔で、エルマンに迫った。


「えっ? 俺?」

「はい! ボクのお相手はエルマンさんが良いのです」


ユーリンの台詞に一堂がどよめき、賑やかし、喝采した。はばかることのない哄笑が起こり、快哉(かいさい)の野次や茶化すような拍手が飛んだ。


関羽は放心して、考えるのをやめた。

エルマンはめまいを覚えて、よろめいた。


ユーリンは己の言が十分に場を盛り上げたことを確認してから、エルマンによって耳うちした。


(ごめんなさい。エルマンさんなら許してくれると信じて、イタズラをしかけました)


(ユーリン、おまえ、予定と違うじゃねぇか)


(あれ? 『ボクとウンチョーのコトをみなに納得させるために武を示す』という趣旨に昨日の打ち合わせではご承諾をいただけたものと……)


(そうだけどよぉ。そら、出てくるのはウンチョウだと思うって、ふつうは。……だよな? 俺まちがってないよな?)


(ええ、間違ってませんよ。ボクがあえてそう思わせたので)


ニコニコと大変満足げにユーリンがエルマンに賛同した。

そしてたちまち慎み深げな表情に切り替え、謝意の愁いを目元にためた。


(すみません。エルマンさんの度量に甘えました。……感情的な決着をつけさせるためには、まず

みなの気持ちを明るい方向に温めて、心を開かせておきたかったのです。そのためには、この寸劇が簡単だと思いました。この雰囲気なら、みなこの後の展開を受け入れてくれるでしょう)


まるで秘密作戦の協力者に向かってその作戦の成功を感謝するような調子で、ユーリンは事情を明かした。


そして、だいぶ置いてけぼりの様相を呈しているのエルマンに対して、ユーリンは高らかに宣言した。


「では、エルマン教官殿。いざ尋常に、勝負です」




愉快な興業を囃す声は、すぐに沈黙に代わった。


最初、エルマンは、ユーリンに怪我を負わせないことだけを考えていた。しかし、すぐにそれは改められた。


重量感のある金属音が響き、エルマンの右腕が痺れた。剣を握る指先から握力が失われた。ユーリンの打ち込みを、半信半疑という心持ちでエルマンが片手で受け止めた結果であった。


「エルマンさんのご心配はわかりますが、それでもボクは本気でいきますからね」


ユーリンは両手で訓練用の剣を構え、真正面からエルマンと向き合っている。挨拶代わりの初撃をエルマンに()()()()()()てからの、本気の構えである。


エルマンの腹を、冷たい針が貫いた。すっかり油断し尽くしていたエルマンは、ユーリンの初撃にまったく対処できていなかった。それを見越したユーリンの配慮により、エルマンは負傷せずに立っていられる。その事実をエルマンは平静に理解した。


(……ったく、聞いてねぇぞ……コイツぁ、うれしすぎる誤算だな)


エルマンは痺れる右手に気合を漲らせた。訓練用の剣を両手で握り直し、深く息を吸った。その一動作で、戦士としての己を回復させた。


華奢にも見えるユーリンの体躯を、改めて観察する。豪傑のそれとは程遠い。背丈はやや低く、骨は細い。無駄な贅肉とは無縁の引き締まった身体つきだが、筋骨が隆々たるとはとても言い難い。健康的である、という評がせいぜいである。明らかにその体格は、ユーリンの振るう剣の重みを説明しない。


(『肉体魔法』って感じじゃねぇし、そもそもユーリンにゃマナがない。ただひたすらに鍛えてる。身体の使い方が、うめぇ)


エルマンには、こみ上げてくる感情の名称がわからなかった。ただ、熱かった。その熱量を己の視線にのせた。エルマンの瞬きがとまった。


静寂の中で、ユーリンとエルマンは向き合った。もはや解放軍の人々の誰一人として、これを余興とは見做してはいなかった。


エルマンの中には、微塵の油断も侮りもない。だが『攻めっ気』という点においては、どうしても控え目にならざるを得なかった。この場においてエルマンは教官であり、ユーリンは年下の新入りメンバーであるという揺るぎない事実があるためだ。


ユーリンは、そこに存分に甘えた。時間を使って呼吸を整え、気合の充実に余念はない。そして、エルマンの呼吸と瞬きのリズムを観察し、自身を整えた。


エルマンの瞬きと息を吸い込む肺の膨らみが、重なった。


「――っ」


全身の躍動をバネのようにして、ユーリンは疾走した。エルマンとの距離はおよそ4m、それを瞬き内に2足を詰め、腰の捻転で剣を振り降ろす。細い腕を目一杯に伸ばし、遠心力を効かせた一撃で、エルマンをたじろがせた。


ユーリンは勢いのままにエルマンの横をすり抜けてそのまま駆け、太陽を背負ってエルマンと向き合える位置取りを抜け目なく選んだ。


エルマンは内心で舌を巻きつつ、舌を噛まないように口元を引き締めた。


ユーリンの目元に機知の光が差した。ユーリンは剣の握りを、エルマンに気取られぬように、ことさらにゆっくりと変えた。


が、すでに本気の臨戦体制をとっているエルマンは、ユーリンの僅かな作為の痕跡を見逃さない。


(……何をする気だ?)


ユーリン腰が僅かに沈み、脚に()()を作った。と同時に、ユーリンの目線が上方に逸らされた。


ユーリンの挙動にすっかり振り回されているエルマンは、思わずつられて上方に視線を追いかけさせた。その安直な心理的追従を、燦々たる太陽の日差しが迎えた。エルマンの目が眩む―――のを防ぐために、思わず瞼を下げた。


まさにそれを狙いすましていたユーリンが、脚のためを解き放つ。夏夜の流れ星のごとき一閃となって、エルマンの視界乏しい低空下段から剣を薙ぎ払った。


寸前のところで、エルマンはそれを避けた。剣先を見切ってのことではなく、視力を損ねた不安からただ闇雲に後ろに跳んで逃れたのが奏功したのである。


ただし、エルマンのその動線は、ユーリンの想定内であった。

ユーリンは下段から上に払った剣の重みが、都合よく自身の上体を伸ばしたのをバネとして、反動を活かすように攻撃をつなげた。勢いを駆って、今度は上段から剣を振り下ろしつつ逃げるエルマンに迫る。


エルマンは剣を水平にかまえて、ユーリンの上段降り下ろしを受け止めた。両者の腕に衝撃が伝わり、動きが止まる。


―――明暗をわけたのは、体重の差であった。


ユーリンは、全身を稼動させて渾身の一撃を繰り出した。結果、その衝力をいなすための余剰が身体のどこにも残っていない。腕を伝わる衝撃が背骨に達し、やがて膝を震わせた。


一方のエルマンは、ユーリンの上段降り下ろしを水平に構えて受けて、その勢いを膝でやわらげ、受けざまに腕を振り抜いて、逃すことができた。


エルマンはすかさず脚を踏み出した。

ユーリンの足腰が大地をつかみ直すよりも早く、エルマンの右腕が振り抜かれ、掌底がユーリンの腹部を殴打した。


「―――っ! うっぐ……」


衝撃に、ユーリンがえずき、口元から体液が散った。地にうずくまり、腹部を抑える。


「――っ……っ……!」


「ここまでっ! ―――すまん、ユーリン、強く打ちすぎた」


身体の熱を散らして冷静になったエルマンが、肌色の頭部を陽光で輝かせながらユーリンにかけよった。顔には後悔と焦燥が浮かんでいる。


「無理に息を吸うな。腹の痛みにあわせて浅く息をはいて、肩で息を吸うんだ、小刻みでいい……おーい、誰か水をくれ!」


エルマンは、付近に集まってきた軍団員に呼びかけた。やがて水筒が差し出される。


「 水は口をすすぐだけにしろ、まだ飲むな、腹で息が吸えるようになるまで、待て」


「す、すみま、せん。でも、もう、平気です」


ユーリンは、震える声で応え、立ち上がった。


軍団員たちから、驚嘆のどよめきがおこった。「おおぉ」「すげぇ、よく立った」「えらいぞ、ボウズ」「いい根性だ」「あれ効くんだよなぁ」

裂帛(れっぱく)の気合に満ちた立ち会い稽古を務めたユーリンに対して、率直な称賛が送られる。すでにユーリンを軽侮する風潮は明らかに薄れていた。


エルマンは呆れたように、けれども誉れを授けるように、ユーリンをいたわった。


「立ち上がれるなら安心だ、が無理に立つな。休んでろ」


「いえ、本当にもう平気です。……さすがですね、エルマンさん、強いです。ボクもだいぶ鍛えてきたつもりでしたが」


苦悶を打ち消すように笑みをつくり、ユーリンは気丈に応えた。


エルマンは今度こそ呆れたように、返す。


「―――ったりめぇだ、俺とおまえじゃカラダが違ぇだろ。おまえはすげぇよ。今のは、打っちまった俺が悪い、すまなかった」


「すまなかった、などと……とんでもない話です。確かに()()はボクの負けですが、()はわからない」


ユーリンは剣を握りなおし、構えた。


「……では、教官殿。もう一度、お願いします」




都合、4回ユーリンは打ちのめされた。

エルマンが、『命令』として止めなければ、5回目があったことは確実である。


その一部始終を、軍団員は戦慄をもって見守った。鬼気迫るユーリンの気迫に圧倒されたのである。


圧倒されたのは、エルマンも同様であった。

本来は最初の模擬戦闘のみで強制終了とすべきところを、ユーリンに説き伏せられ、2度、3度と立ち会いを重ねたのである。


「腹部に痛みが残る状態での戦闘についても、訓練しておくべきと思います。常に万全の体調で戦いに臨めるわけでもないでしょう?」

「訓練で傷を負うのは当然です。痛みも経ずに強くなれるはずもない。悲鳴をあげたら敵の手が緩むのですか」

「痛みはありますが、動きます。肌の色が変わっただけです。剣とは肉と骨で構えるもの―――肌のツヤなぞタシにもなりません」


4度目の立ち会いでエルマン裏拳がユーリンの利き腕を捉えたとき、始終優勢であったエルマンが逃げるように強制終了を命令したのである。




この日、関羽はユーリンに対して、一切の口出しをしなかった。

途中、エルマンからユーリンを止めるように視線を送られたが、無言のうちにそれも棄却した。


ユーリンの試みの正しさを認めていたのである。


―――関羽は、()っている。


戦場において、最も優先すべきは、まず己自身が生き残ることである。そして、己自身が万全である時なと、ごく僅かしかない。戦士は、戦場にいるほとんどの時間を、何らかの不調を抱えた状態で過ごすことになる。


負傷を理由に戦場からの離脱を認める敵など存在しない。負傷とは生命の危機である。ならばこそ、負傷下における戦闘能力こそが重要なのだ。


それ故に、たかが腹部の殴打や足腰の打ち身程度で戦闘訓練を中断するなど、本来は言語道断である。腕がなくば足で、足がなくば首で、もがき暴れ敵を殺し己自身が生き残る術を磨くべきなのである。


関羽は、字句どおりの百戦錬磨の経験によって、それを痛感していた。


しかし、一般的な兵卒の軍事教練でそこまでの成果を求めるのは、酷である。将としての関羽の識見は、当然の常識としてそれを関羽の理性に伝えてくる。


それを、今日の関羽は黙殺した。

なぜならば、ユーリンは一般的でもなく、兵卒でもない。生来の(あたい)が異なる。失われてよい命ではない。そして、命を守るために関羽が護衛を務めたとしても、戦場においては、不意の危機に瀕する恐れは否めない。あるいは戦場でなくとも、だ。


それならば、()()()()()()()を極小粒でも()()()()()()()があるのならば、全霊を以て訓練に臨むべきである。


関羽の見る限り、ユーリンは戦士として最低限の及第には達している。


身体の鍛錬、武器の取り扱い、反応速度、気迫、機転、覚悟―――いずれを評しても、兵卒としては最優である。……そして、それが限界である。


(惜しいかな。『骨』がない)


繰り返しエルマンに打ちのめされるユーリンを観察して、関羽が渋みとともに飲み込んだ結論である。


生来の体格。


それは、戦士としての天与の才であり、白刃を鍔迫り合う者たちにとって、生涯逃れられぬ宿業である。


関羽やリンゲン、あるいはエルマンが備えている骨の『太さ』と『長さ』が、ユーリンには決定的に欠けている。それは足腰の強さの土台であり、将来的に身にまとうことができる筋肉の上限量を定める。戦士として必要な、他のすべての才をユーリンは備えているが、最も重要な『骨』だけが、無い。それは致命的な欠落である。


不意に関羽は、ユーリンかつてみせた自嘲的な言葉を思い出した。リンゲンとの一騎打ちに敗れた関羽を、ユーリンが『焦げた茶』で温かく迎えた夜のことだ。ユーリンが知識の修得に熱心であることを関羽が称賛した折に、ユーリンが漏らした言葉である。


―――『何も無いから何でもやる』だよ。ボクには他に何もないからね。


それが偽りでないことを、関羽は改めて実感した。ユーリンの武器の扱いは、一朝一夕に身につくものではない。たゆまぬ地道な稽古と、そして―――そしておそらくは、幾度もの悲愴な実戦によって培われたものである。冷徹に己の死を見つめながらも、不屈の闘志で()()()()()()()()()()()()()た者だけが身に宿す鋭利な殺意―――総合的には脆弱(ぜいじゃく)であるユーリンが、戦闘によって、対戦相手であるエルマンや取り巻く軍団員を圧倒したものの根源を、関羽だけが正確に洞察していた。


(学べ、ユーリン。エルマン殿との訓練は希少な機会ぞ。己の限界を知り、その上でなお生き残るための術を、かき集めるのだ)




広場の主役は、軍団員たちに交代した。各々が武器を携え、威勢の良い掛け声とともに、素振りや組手に励んでいる。ユーリンの同期である新入りたちも、たどたどしい手付きで槍を模した棒を振っている。エルマンが怒号をアチコチに飛ばし、叱咤して駆け回っている。

それは本来の軍事教練の姿であった。


半ば強引に広場の隅に押し込められたユーリンは、力なく関羽の横に座り込んだ。顔には泥が付着し、全身のアチコチに傷があり、口元には2回の嘔吐の跡が残っている。血しぶきが天に届き、死骸が川を埋める、本物の戦国時代を駆け抜けた関羽に言わせればまだまだではあるものの、たしかに満身創痍の序の口といってもよい様相であった。


ユーリンが力なく、ぼやいた。日頃の利発さを感じさせない、疲れきった様子である。


「……勝てなかった」


「当然だ。白昼、同じ条件の下では、千のうちの千をエルマン殿が勝つ。正面切った戦いでそなたが勝利を得ることはない」


「はっきり言うね……でも同感だよ。ボクの限界を超えてる気がしたよ」


「然り」


関羽は、きっぱりと断言した。

ユーリンは一瞬、驚いたような顔をしたが、特に不服を唱えるでもなく、諦念とともにそれを認めた。


「……ほんとに、はっきり言うね。……そういうとこだよ、ウンチョー……ボクがキミに惚れてるのは……」


「己を知るのは重要だ。そなたの体躯では、凡百の匹夫相手ならいざ知らず、名のしれた武人を相手に戦うことは、とても叶わぬ。だが今日示したように、幾ばくなりとも敢闘することはできる。たとえ負傷し意を混濁しつつあっても、だ。勝てずとも、なすべきことを見失わなければよいのだ」


「……要するに、隙をみて逃げろ。もしくは、味方がくるまで(こら)えろ、だね。……でしよ?」


「然り」


「わぁい。うれしいな……やっぱ、そうなるよね。知ってたけど、別に」


ユーリンは朗らかに明るい声で応えたが、拳は土を掴んでいた。……爪先に、傷がひとつ増える。


関羽はそれを気配で看取したが、あえて意識しなかった。


―――望むものに永久に手が届かぬ事実を認めるためには、ただ己との対話の時間を積み重ねる以外に方法がない。その時間を汚すことは、その人の誇りを永久に損ねる。


関羽は断固として、視線をユーリンには向けない。

たとえ誰に請われようとも、絶対に目をユーリンに向けることはしない。


関雲長が武神であるが故に、決して、それを見ることはしない。

それは、僅かに残っていた―――誇りであった。


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