32. (スイーツ)マクワウリと干しブドウのレモン漬
這いつくばって地面の砂粒を数えていた関羽が立ちあがり、ユーリンの謝罪を受け入れたちょうどその時、家屋から一人の老婆が出てきた。生薬の代償として、関羽に薪割りの任を与えた人物である。かなりの高齢で、すっかり腰が曲がって胸が地を向いているが、油断なくきらめく眼光が真正面から関羽とユーリンを見据えていた。
「区切りはついたようだね?」
託宣を告げる神殿巫女のように威厳のある声だった。
関羽は拱手して頭をさげた。年長者に対する自然な礼である。
「これは家主どの、首尾は上々のつもりであるが、お検めいただきたい」
「ほう、コイツぁ、見事なもんだ」
惚れ惚れするように薪の割面を眺めたあと、老婆は関羽に向き直った。
「さて、おまえさん……まだ、薬が要るかね? なお痛むのなら、本当に煎じてもよいが」
「む? ……むむむ?」
一瞬、老婆の言をはかりかねた関羽は面食らった。が、すぐに己の腹部に手を当て、痛みがないことに気がついた。薪割りに熱中するあまり、いつの間にか痛みのことを忘れていたのである。
不思議そうに腹部をさする関羽に、家主の老婆が説明した。
「ただの考えすぎだよ、おまえさん。……そういうときは、頭の中をいちど空っぽにしちまうことだ、剣でも斧でも好きなもん振ってね。どうだい、腹の曇は晴れたかね」
「……なんと! おみそれいたした。老婆殿はたいした賢人であらせられるのだな」
「ま。朝からおまえさんたちを眺めてたからね。娘ッコ衆が、かしましいことだったよ。いい退屈しのぎになったさ」
「それは……お騒がせして、申しわけない」
関羽は深々と頭を下げて、老婆に詫びた。
ユーリンは不平顔ではあったが、ごもっとも、と受け入れるような気配をつくって、関羽に倣って頭を下げた。
老婆は、ポカり、と都合よく手の届くところに下がってきた関羽の頭を、叩いた。
何事かと混乱する関羽に、老婆は諭した。
「おまえさん、ソレだよ。また腹を痛める気かい。……大方、見えてもわかってもいない他人様の心を無断で自分の中に入れて、勝手にヤキモキしてたんだろ。器用な性質でもないくせに。ソコのボウヤはおまえさんより上手だよ、放っておけばいいのさ。……いくら恋仲でもね」
関羽は虚をつかれて、素っ頓狂な顔をした。
ユーリンはうずくまって笑いを堪えようとしたが、しっかりと関羽の耳に届くように溢れさせた。両肩を鈴虫のように震わせている。
「ぷはっ! お、お婆さん、すごいです……ぶぷぷっ……ぜんぶ正解です!」
「んな大したこっちゃない、ただの歳の功さ。何十年も人間やってると、他人様のこともちびっとだけわかるようになるもんだよ。でなきゃ長く生きてる甲斐がない」
老婆の言葉を耳にした関羽は、生前を思い返し、胸の痛みを覚えた。
(……耳が痛い限りだ)
関羽はその痛みを厳粛に受け止めた。
「有難きお教え、謹んで頂戴いたす。しからば、儂はこれで退居いたす所存———」
関羽は、子刻みに揺れるユーリンを放置し、さっそうと踵を返して立ち去ろうとした。
そんな関羽の背中に、老婆がイナセな声をあびせた。
「まあ、待ちな! 兄さんの薪割りが気持ちよかったからね、あたしも気合が入っちまったよ。礼がしたい。ボウヤもいっしょに食べていきな。久しぶりに作ってみたんだ。ちと田舎くさいが、ホンモノの『ヨーコノートのスイーツ』だよ」
関羽の足が、ピタリと止まった。
ユーリンの震えが、ピタリと止まった。
老婆の口元が、ニヤリと上がった。
関羽とユーリンは、老婆の案内で家屋のなかに通された。あらゆる家具が年季を経てくすんだ色合いになっているが、埃をかぶっているものはひとつもなく、すべてが清潔に保たれていた。
老婆は関羽とユーリンをテーブルに座らせると、椀や匙を準備しはじめた。
即座にユーリンが動いた。
「お婆さん、何かお手伝いできることは———」
「要らんよ。なに、気を悪くせんでくれ。あたしの気を良くしてくれた礼をしたいんだ。ボウヤは待ってな……ありがとさん」
老婆は気高く強く、けれども優しい微笑を返した。
ユーリンとしては、否応もない。関羽の横の椅子に腰を下ろして、老婆がゆっくりと、けれども迷いのない手つきで大きな器から椀に何かを取り分けている様子を見守った。
老婆は、誰かに聞かせるでもなく、つぶやいた。
「……あたしに言わせりゃ、スイーツが貴重だの高価だのってのはヨーコ様のせいじゃない。あたしらが不甲斐ないだけさ」
それは独り言のような体裁であったが、明確な力強い意思の込められた言葉だった。
「ヨーコ様は、ちゃんと誰でもスイーツを楽しめるように、配慮してくださってる。だが、食べる側の連中が、やたら高級な素材をつかったモンばかりを勝手にありがたがって、ヨーコ様の本来の教えを捻じ曲げちまった。嘆かわしいことだよ」
ユーリンが、老婆に尋ねた。
「お婆さんは、『陽子Note』をご覧になったことがあるのですか?」
「若いころにね。……ボロボロの写しだったが、輝いて見えた。優しい教えだ。ページをたぐる指の先までポカポカしてきたのを覚えてるよ。いくつかのページに書かれたレシピは、あたしにも読みとることが許された。うれしかったよ。あたしは字が読めないのにね、なのに読めたんだ。ヨーコ様が教えてくださったんだと、信じてる」
しみじみと———感謝の言葉を紡いだ。
そして、両手に椀をもち、テーブルに運び———陽子Noteの教え『スイーツを供したなら、必ずそれの魅力を伝えなさい! なるべくなるだけ、誇らしげに高らかに』に則り、なるべくなるだけ、誇らしげに高らかに宣言した。
「さあ、とくと御覧じろ。きっと、あんたら2人ならわかってくれるはずさ。コイツは『マクワウリと干しブドウのレモン漬』だ。あたしの知る限り、最良のスイーツのひとつだよ。良い仕事をした人間だけが、コイツの旨さを理解できるのさ。椅子にふんぞり返って味わうもんじゃない。誇りを胸に、満足を腹に、充実を脚にためて、ようやく真価のわかる大地の恵みさ。高価な材料をこねくり回すばかりがスイーツじゃない。ヨーコ様はそんな底の浅いお方じゃないよ……なのに、この頃はそれをわかってくれるヤツが減っちまってね」
老婆が挑戦的な、けれども確信に満ちた目線を、関羽とユーリンに向けた。———あんたらは、どうだい?
関羽は、期待に胸が高まるのを努めて抑え込んで平静を装いつつ、椀を覗き込んだ。
———地味な風景の椀である。白く無機質な印象のマクワウリが大小さまざまな形で椀の中に並び、黒く萎んだ小さな実がまばらにそれを彩っている。微かに香る柑橘類の香りからは、鋭い酸味が予感された。
(果て。これがヨーコとやらの伝えしスイーツであるや?)
関羽には、何の変哲もない果実の盛り合わせのように思えた。畑で採れたものをただ切って、乱雑に盛り合わせただけのように感じられる。だが、関羽は慎重に匙を手に取った。
ごく最近、学んだのである。
———無知なる自分が見た目でモノの真価を推し量るのは愚行の極みである、と。
『ちょこれいとくっきー』のもたらした衝撃は、野太い価値観をこの上なく揺るがして変容させていた。
その時、関羽の隣のユーリンが、震える声を発した。未知の衝撃に恐怖する声である。
「……うっわ、すっご。……泣ける。涙、でる」
ユーリンの瞳から、じわりと清らかな涙が、湧いた。それは感激の証であった。
ユーリンは、口中の刺激に搾り取られるように頬をすぼめ、喉を鳴らして、もだえるように力強くかみしめた。
そして、晴れがましい瞬間を迎えたように表情が輝き、喜びを顔いっぱいに広げた。
ユーリンの背中の天使の翼が、今、慌ただしく踊っていない理由はただひとつ———ユーリンか実際には天使ではなく、背中には翼がないためのみである。
関羽も、続いた。用意された匙でマクワウリの白い欠片をすくい、小さくしわだらけの実と一緒に、口に運んだ。
清涼な酸味が、関羽の喉を焼いた。柑橘の爽やかな香りが鼻に抜けた。脳髄に痺れがはしったが、マクワウリの瑞々しい艶が、関羽の意識を口中に向けさせた。むさぼるように、舌触りを愉しむ。そのうちに、不釣り合いに濃厚な甘みが突然弾けた。黒ずんだ小さな実———干しブドウを奥歯がすりつぶしたのである。たちまち世界の基調が変貌した。干しブドウの荒れ狂うような甘さの奔流を、マクワウリの儚げな味わいの果肉が受け止める。その交錯が圧倒的な多幸感となって、極彩色の衝撃を関羽に与えた。
たまらず関羽は、地響きのような勁悍な唸り声をあげた。
「莫迦な、信じられぬ。なにゆえ酸味が甘さを引き立てるのだ……どうして萎れた実が瑞々しい果肉を際立たせるのだ……!? 」
改めて関羽は、椀を見た。まるで神仏を拝むような眼差しである。
そして関羽は驚いた。間違いなく、先ほどと同じ椀である。しかし、まるで違ったもののように見えた。白く素っ気ないマクワウリが、極上の絹のように価値あるものに思えた。
(まるで官能の海に遊泳する天女の裸体ではないか!?)
関羽は、まるではじめて恐怖を知った童子のように、怯えながら繰り返し匙を往復させた。マクワウリ、干しブドウ、レモン……これら素材の組み合わせの妙なること、奇跡の御業といっても過言ではない。最初に抱いた印象『何の変哲もない果実の盛り合わせ』など、無知蒙昧にも限りがある。平凡な素材で、この奇跡のような味わいを奏でられることこそ、神域の芸当ではないか。
関羽は己の愚かさを痛感した。ヨーコなる人物の偉大さを知った。そして、それをこの場で再現できる老婆に感謝した。
関羽は心底からの尊敬の念を込めて、老婆をみた。
老婆は関羽の視線を受け止めてうなずき、
「気に入ってもらえたようだね。『マクワウリと干しブドウのレモン漬』。最良で最涼のスイーツだよ。あんたらなら、わかってくれると信じていた。お疲れさん、今日はいい仕事ぶりだったね」
満足げに笑った。




