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30. 光の使徒ユーリン(3) 本気モードのユーリン

結局、関羽はユーリンの異変の一切を己の胸中に閉ざすことを決めた。


具体的な対処の方法が皆目見当つかなかったという理由のほかに、そもそも関羽としては、ユーリンの変容をさほど悪くはないと評価していたためである。あまりの急激で不自然な心境の変化に対して何者かの作為工作を懸念してはいるが、ユーリンの心を占めていたリョウケイへの怨念が氷解したこと自体は、ユーリンの人生にとって善いことであると確信していた。


侠客としての関羽は、血の報復———復讐を否定はしない。そこに至る過去の事情は把握していないが、ユーリンの味方に立つことだけは決意している。

だが、復讐を推奨するものでは、決してない。永久に陽の当たらない鬱屈した地底の汚泥のような苦しみは、流血によってそれが祓い清められることもある。しかしそれのみが唯一の道筋ではないのだ。陽が当たらぬ故に腐臭が満ちるというならば、陽を当ててしまうのが最もよい。太陽はひとつでも、それを奪い合う必要は全くないのだ。己に当たる都合のよい陽を、人間は自分で探しだすことができる。


ふと関羽は気がついた。

己の中にくすぶっていたはずの憎悪が、いつの間にか薄れてきていることに。


(なんということだ。他人の心配をしているうちに、儂は己のことを忘れておった)


ここ数日は慌ただしかった。

ユーリンと出会ってからは、まるで幼子のように未知の出会いに心を弾ませて、はしゃいでいた。

率直に言って、我を忘れるほどに楽しい日々を送っているのだ。


(……忘れることも、できるのだろうか)


関羽の中に眠っている苦い記憶が、まるで遠い日のように感じられた。




翌日、ユーリンはすっかり回復した。朝の澄んだ日差しを浴びながら快活に村内をあちこち歩き回り、そこかしこで交流の花を咲かせて愛嬌を振りまいた。


関羽としては、諍いの予感に戦々恐々であった。


「ふつうにアイサツしてるだけじゃん?」


ユーリンはけろりと言い放ち、本日何人目かの餌食となる次なるご婦人を探した。

……まだ村の男性たちは気がついていないが、そこかしこをまるで蝶のように華やかに舞いながら笑顔を咲かすユーリンの動向に、村の婦人衆の視線が否応なしに集まりつつある。

妙齢の女性から、幼女、ご老体に至るまで、村の女性こぞってユーリンに魅了されつつあった。


ユーリンは、フノーゼ村の長の宅を訪れた。不幸にして幸いなことに、村長自身は留守であったが老齢の細君がユーリンを出迎えてしまった。


「村の貴重な食料をわけていただいたものと聞き及んでおります。言葉ばかりの御礼となりますが、ぜひとも直接お申しあげ致したく、伺った次第です」


「あらまあ。これはこれは、これはこれは……。いいのよ、―――いいの。……うん、いいの。……リョウケイさんたちのおかげで、ずいぶん暮らしやすくなったんだから。たまにはお礼くらいさせてちょうだい」


邸宅の玄関先で、ユーリンの天女の如き玲瓏たる微笑みを至近で拝み、老齢の婦人はうっとりと陶酔したような表情をした。しかしすぐに改めて、慎ましげな態度を取り戻した。

関羽は内心で婦人の自制心に称賛を送った。

そんな関羽の心の疲労を気にすることもなく、ユーリンは老婦人といかにも親しげに会話を続けた。


「私は解放軍の一員として、もしかするとこれからもこの村を訪問させていただくことになるかもしれません。その折にもまたこうしてご挨拶に参上することを奥方様にお許し願いたいのですが、よろしいでしょうか。……と、申し訳ありません、お忙しいご主人様の不在時に、突然押しかけてしまいまして」


ユーリンは、あたかも自分が礼を失した行いをしてしまったことを憂えているかのような陰りを目元につくった。哀楽の適度な明暗が自分の外見的な魅力を増幅させる効能を熟知しているのだ。


「あらまあ、いいのよ、そんな、うちのなんて放っておけば。それよりあなた病み上がりなんでしょう、もっと養生しないと。うちでお茶でもいかがかしら」

「大変ありがたいのですが、そこまでお世話になるわけには参りません。ご主人様のいらっしゃらぬうちに、さすがにそれは厚かましいことでございます。本日のところは、すぐに失礼いたします」

「まあまあ、そんな。あなた、気にしないでいいのよ」

「いえ、そういうわけには……」


どういう悶着を経てなのか、ユーリンは不自然なほど自然な流れで老婦人の手を両手で握って、柔らかく包み込むように爽やかに老婦人をたしなめた。美貌の少年に心地よく叱責されることは、老婦人の中に眠っていた被虐欲を刺激することになったらしい。老婦人の枯れた頬に朱色の潤いが広がった。


関羽は内心で「幻術の類か?」と怪しんだが、もうすっかり呆れ疲れ果てていたため、無表情のままでその場をやり過ごした。


「……この村のみなさまには大変にお世話になりました。空き家にくわえて暖かい寝床までお貸ししていただけて、感激でした。昨日、いただいた食事もとても美味しく、心が満たされる思いでした。特に、そうですね、添え物の白ナスとマクワウリのピクルスが美味しかった。あれはこの村で採れたものですか?」

「まあ! うれしいわ。あれはあたしが漬けたものなのよ!」


ユーリンは、心底から驚いたかのようにみえる表情をした。それは驚いていない人間が作れる表情のなかでは、もっとも驚いているかのような表情だった。


そして、野菜の酢漬けよりも瑞々しそうな歓喜の声を、ユーリンは発した。

「えっ、そうだったんですか! 野菜の瑞々しさに爽やかな酸味が絡んでいて、とても食べやすく、優しい味わいでした。おかげでボクにとっては、忘れがたい食事になりました、本当に美味しかった。奥方様にお礼を言えて、本当によかった」


ユーリンの愛撫のような台詞を耳にした老婦人は、口いっぱいの甘味を堪能するかのように陶然と悦びをかみしめた。


外にみえる感情の彩りを制御し、聞き手の琴線を自在に刺激する———ユーリン最大の権能を間近で再確認させられて、関羽としては胸やけがするような思いだった。




糖度の高い会談を終えて、ユーリンと関羽は村長宅を去った。


老婦人が夢心地という表情で、縋りつくような視線をユーリンの背中に向けて、玄関先に立っている。

最初からそれに気がついているユーリンは、しばらく素知らぬ顔で歩き続けて時間をかせぎ、寂しさからくる老婦人の感情の昂ぶりがピークになったタイミングを見計らっていかにも不意にそれに気がついたかのように振り返り、あたかも楽しいひと時の共有を感謝するかのような喜びの顔を老婦人に向けて、手を振って別れを告げた。


完全にトドメを刺されて膝から崩れ落ちた老婦人をみて、関羽は「むごいことを」と哀れんだ。

声の届く距離に人のいないことを確認してから、関羽はユーリンに声をかけた。


「先刻の別の宅では、鶏卵の焼き物……『おむれつ』とやらが最も美味であったと言っておったではないか」

先刻(あのとき)は、村でいちばん大きなニワトリ小屋のあるお宅に行ったんだから、当然じゃん? あのピクルスは、ここらでは貴重な香料を使ってたからね、たぶん村長宅が関わってると踏んだんだ。外れても害はないあてずっぽうだよ、別に誰も不幸にはならない」

「あまりご婦人の情を弄ぶものではない。もつれて凶事をまねくこともある」

「人聞きの悪い。『ごはんが美味しかったです』と当然の感謝を伝えただけじゃないか。お礼と今後への投資もかねて、ほんの少しの『心地よさ』を提供しただけさ」

「……そなた。そのうち刺されるぞ」

「あっはっは、へーき、へーき。どちらかと言うと、ボクのほうが刺す側だし!」


足早になった関羽に、ユーリンは追い縋るように言った。


「逃げないでよ、ウンチョー。浮気されるまでは、ウンチョーのことは刺さないよ……」




朝のスポーツ代わりにフノーゼ村の婦人衆を篭絡したユーリンは、次に、解放軍のエルマンと面会を試みた。長旅の疲労を回復するため、今日の正午までが自由時間とされており、ユーリンが一応の代表として統率してきた元虜囚の人民たちも混じりあって、村の広場に集まって身体を休める寝坊をしていた。


エルマンは兵士たちと共に眠っていたが、回復したユーリンの様子をみて、飛び起きた。


「ユーリン! もう動けるのか」

「ええ、ご心配をおかけいたしました。体力のない自分を恥ずかしく思うばかりです」

「よかった、よかったなぁ……! 心配したんだぞ」


安堵したエルマンが感極まって騒いだ結果、周囲でまだ眠っていた人たちも起き出し始めた。


「皆さん、おはようございます。ごめんなさい、お休みを妨げてしまいましたね」


「おっ、ユーリン、起きたのか」「ニーちゃん、元気そうじゃねぇか」「心配したんだぞ」「ハゲのお頭、ユーリンちゃんが元気になってよかったねぇ」「よ、我らがリーダー」

そこかしこでユーリンの帰還を歓迎する声があがり、場が沸き立った。


「バスコさん、よく休ませていただきました。ニエルさん、ええもうすっかり。オダリスさん、ご心配をおかけしましたね。リベラさん、あまりエルマンさんをいじめてはかわいそうですよ。パンチョさん、無事にここまで大役を務められて肩の荷が降りましたよ」


ユーリンはあちこちから飛んでくるヤジを軽やかに受け止めながら、それぞれに親和的な笑顔を向けて、告げた。


「さて。みなさんの『ハゲのお(かしら)』さんをしばしお借りしますね」


「ちゃんと返せよー」「いや、いらんいらん。ユーリンだけ返ってくればいい」「ったりめぇだ、ハゲてるほうに言ってんだよ」


談笑の響きを背にして、ユーリンはエルマンを連れだした。ユーリンとエルマンが並び、関羽が後ろに従って、歩いた。


ふいに、エルマンは別に感情を害するふうでもなく呟いた。


「別に、ハゲてるわけじゃねぇんだがな」


ユーリンは、一瞬、きょとん、として意味を測りかねたような間をつくり、やがてジワジワと可笑しさがこみ上げて来たかのようにクスクスと笑った。まるで意を決したように閃きのある目つきで、あたりをはばかるような声で、僅かな気恥ずかしさを匂わせる声音で、エルマンに告げた。


「ボクはステキだと思っていますよ」


その時、関羽は己の腹部に手を添えた。その勇猛な生涯において極めて稀なことに、精神的な不安による胃痛を覚えたのである。


そんな関羽の不調を露知らず、ユーリンはドギマキしているエルマンの耳元に口を寄せて、囁いた。


「エルマンさんの勇敢さと誠実さが、とてもよく表れた髪型だと思います」


(たま)りかねた関羽がさすがに、ツッコミを入れた。


「髪型というが、そもそも髪が無いではないか」

「ウンチョー! 止まって! そう、そこ。そのままね! じっとしてて!」


ユーリンの回し蹴りが関羽の腰骨を直撃し、その痛みに……ユーリンがうめき声を漏らした。






ユーリンが、驚きの声をあげた。

「4人、ですか。思ったより少ないですね」


エルマンが不承不承(ふしょうぶしょう)といった態度を隠さず、頷いた。

「ああ……ま、しょうがない。帰る場所があるってなら、それがイチバン良いに違ぇねぇ」


エルマンを連れだしたユーリンは、付近に人のいない場所まで移動し、今後の活動に向けた善後策を協議し始めた。議題は、ユーリンが連れだした人民集団約100名の今後の去就である。


グラン帝国に拐われ、奴隷として売られかけたところを救出され、今、解放軍に身を投じる意思を示しているのが、100余名のうちの4人とのことであった。


承服しかねる、という態度を隠さずユーリンはエルマンを問いただした。

「リョウケイさんは、何か仰っていましたか?」

「いつも通りだな。ひととおり解放軍(うち)を紹介して、あとは『皆様の自由意志』だってよ。ま、いつもだいたいそんな感じなんだ。今回の作戦も、まずは奴隷として売られちまうのを阻止するのが第一目的だったしな。そっから先は光神ルグスの御心らしい」

「それは、もちろん……そう、でしょうが」


釈然としないものを、ユーリンは感じた。しばし自分の内の思考を撹拌(かくはん)するようにその場を早足で歩き回り、やがて足を止めて、


「あー……なる、ほど……」


ユーリンは、閃きの光が混迷を照らして真実を洞察した顔になった。それは、関羽の記憶にある軍事将軍のそれと同じ、知性の奔流が不屈の行動力へと昇華される瞬間の輝きであった。


ユーリンがエルマンに、慎重に聴取した。


「ちなみに、エルマンさんからみて、解放軍のキャパシティってどんなくらいです? もっと大勢加入させても養える台所ですか?」

「そりゃあ、もちろん。うちはいつでも人手不足だ……自慢できたこっちゃないが」

「なるほど。……となると、やはり……これはボクの役目ですね」


たくましく決意に満ちた声で、ユーリンは宣言した。

それは己に課せられた使命を理解し、その責務を果たすために情熱をかける尊き人間の姿であった。


「エルマンさん、解放軍の一員として、ボクに初仕事をさせてください」




フノーゼ村の広場を借りて、ユーリンはおよそ100名の人民集団を招き集めた。解放軍の兵士や村人たちが周囲にたむろして、興味深そうに見物している。

少し高めの木箱を踏み台にして、みなの前に立ち、ユーリンが目一杯に声を張り上げた。


「みなさん、ボクです。ユーリンです! まだ忘れられては……ないみたいですね」


空に届いて雲にまで染み入りそうな、遠くまでよく通る声だった。


「この場を借りて、お別れの挨拶をします。ボクは臨時の代表者としてみなさんとここまで行動を共にしてきましたが、今日でそれを区切りとします」


その場のみなが薄々その話題であることを察していたため、聴衆の中に驚きの反応はみられなかった。

誰もが納得の表情で、頷いていた。


ユーリンが言葉を続ける。


「ホクたちは解放軍の助けを得て、グラン帝国勢力圏という敵地から脱出することができました。不慣れで辛い行軍の日々となりましたが、ここまで無事にたどり着けたのは、解放軍の力添えはもちろんのこと、ボクを信じて付き従ってくれたみなさんの忍耐の賜物です。本当にありがとうございました」


簡潔にここ数日の経過を振り返り、無難かつ真摯な謝辞を結んだ。

和やかに、違和感なく、解散の宣言が紡がれる。


「ここから先の進路は、リョウケイさんも言っていたように、すべてみなさんの自由です。家族のもとに帰るも良し。家族が無くても故郷に帰るのも、もちろん良し。このまま解放軍に参加する道もあります。みなさんをつなぐ縛はもうありません。みなさんの未来を決める選択の自由は、みなさん自身の手の中にあります! ボクたちはその自由を行使し、ボクたちの未来を選びましょう」


未来へのあたたかな希望を膨らませ、選択権が自分たちにあることを再確認させた。


「ボクは解放軍への参加をリョウケイさんから直接、誘われました。……でも実のところ、返答を迷っています」


静かなどよめきが起こった。

その場にいる誰もが、当然、ユーリンはこのまま解放軍に参じるものと思っていたのである。

エルマンがあんぐりと口をあけて、驚愕を野ざらしにした。


関羽は落ち着いて見守っていた。

(……虚言。否、揺さぶりの戦術か)


関羽の脳裡に、老子の一節が流れた。

———奪わんと欲さば、まず与えよ。





聴衆の驚きが一巡し、疑問と緊張が十分に張り詰められたことを確認したユーリンが、次の言葉をつなげた。


「……ボクは迷っています。解放軍に参加することは、危険の伴う苦しい選択です。ボクは辛くて痛い思いは、したくない! だから、ボクはこのまま故郷に帰りたいという誘惑にかられています!」


勇気を振り絞り、羞恥心を堪え、まるで己の忌むべき罪状を述べるかのように、ユーリンは叫んだ。

それは悲痛な告白であった。


「ボクは思うのです。『どうしてボクが矢面に立てねばならぬのか。何もボクが苦しい選択をする必要はないだろう』と。それがボクの正直な気持ちです」


「ボクは思うのです。『ボクの世代でボクが苦労をしなくとも、次の世代に任せてしまえばよかろう』と。ボクの子供や孫たちが、ボクの代わりに血を流せばよいのです。グラン帝国の都合に準じて人生を奪われ、圧政に流されるままに苦しみしんでゆくのならば、少なくともボクは安穏に生きていくことができるかもしれません」


悲痛な沈黙が場の空気を圧した。誰もが息を呑み、身じろぎひとつしなかった。


その場にいる人間のなかで、紛れもなく、ユーリンが最も歳若い。聴衆のなかには、ユーリンのような年齢の子をもつ者もいるだろう。

ユーリンにとっての次の世代とは、まだ産まれていない未来の生命の話であるが、―――呆然と立ち尽くす大多数の人々にとっての次の世代とは、まさしく眼前で奮い立つユーリンの世代そのものであるのだ。


そのユーリンが———聴衆にとっては、まるで娘や息子のような年齢のユーリンが、ただありのままに事実を述べた。


冷たい現実とは、柔らかに暖かく包み込むほどに、その酷薄さをより一層際立たせるものである。


嘆くように、恐れるように、まるでユーリンは自分自身を恥じるかのような態度で、怜悧な言葉の刃をつきつけて、聴衆を脅迫した。


「怯えながら生きるのも、ボクの生き方であると割り切ってしまえばよいのです。『どうせボクには何もできない、何も変えることができないのだから』と。自分の無力と無能を釈明の材料として、無気力て無意味な生き方を、自分で自分に許せば良いのです。ボクは、その怠惰な誘惑に抗いきれるか、自信がないのです。……故に、ボクは解放軍への参加を是非を、いまだに迷っているのです」


あたかもユーリン自身の恥状を述べるかのような口ぶりで、ユーリンは聴衆である人民集団の人々を責め立てた。それは反発を招きかねない、攻撃的な言論であった。しかしだからとて、ユーリンに対して反発の矛先を向ける道理がどこにあるというのか―――()()()()()()()人々は、無言でうつむくのが精一杯であった。


聴衆の心は、暴風雨にさらされた。


ユーリンは、己の招いた惨状には、十分に目をやったうえで、目もくれなかった。


「愛する家族を、グラン帝国の戦況にあわせて徴発され、兵役によって人生をささげさせる。それもボクたちが選べる道です。ボクは否定しません。なぜならボクには愛する家族があり、自分たちだけでも安寧に暮らしたいからです」


「食の生命線たる塩の流通を支配され、グラン帝国の戦費のために(ほしいまま)に課税され、ボクの家族の暖かな食事と衣服になるはずのボクたちの財産をとめどなくささげさせる。それもボクたちが選べる道です。ボクは否定しません。なぜならボクには愛する家族があり、ボクの家族がひもじくとも辛うじて生きていければよいのです」


「魔物の駆除も賊徒の退治も、そんな危険なことはボクがやらずとも良いのです。ボクたちの生活の安全が、ボクたちの社会の治安が、どのくらい保たれているのか、ボクたちはよく知っています。すべてグラン帝国を信じて任せればよい。それもボクたちが選べる道です。ボクは否定しません。なぜならボクには愛する家族があり、ボクは自分の家族が危険に晒され傷つきながらでも生きていければよいのです」


声にのせる感情の彩りを矢じりとし、目線や手振りで人々を惹きつけ、修辞と論理を矛として、並み居る無力な人々の心を、ユーリンは容赦なく引き裂いた。


聴衆に第二の波が、おこった。

肩を震わせ落涙し、拳を握ってわななかせ、嗚咽をこぼすまいと固く唇を結ぶ姿が、あちこちで見られた。

退屈しのぎ程度の軽い気持ちで見物に臨んでいた解放軍の兵士たちやフノーゼ村の人々も、手を結んで息をのんでいる。


ユーリンは、すべての人々の心を、完全に掌握していた。

ユーリンが悲しめば皆が悲しみ、ユーリンが喜べば皆が喜ぶ。その場に在るすべての心は、いまユーリンの支配下にあった。


それは、練達の大魔道が行使する、神代の『精神魔法:服従(オベディエンティアエ)』にも劣らぬ奇跡の御業であった。


畢竟(ひっきょう)、魔法とは()()()()()にすぎない。

創造主が定めた厳然たる世界の法則があり、その理の中で『成し得る』ことを『成す』ために、マナを動力として『成す』ための術理が、魔法である。


魔法に頼らずとも火を熾せる、魔法でも火を熾せる。

魔法に頼らずとも水を汲める、魔法でも水を汲める。

魔法に頼らずとも地を耕せる、魔法でも地を耕せる。

魔法に頼らずとも風を起せる、魔法でも風を起せる。


故に、魔法に頼らずとも心を掌握できるのは、自然な道理である。

ユーリンは一切のマナを消費することなく、神代の魔法と同じ結果を『成し得る』のである。




関羽は、戦慄しながらも、納得していた。


(そうだ。それだ。そなたの真価はそこにある。マホウや武芸の優劣でも、知略でも容姿でもない。ましてや過去に圧し潰されることを望むが如き哀れな生き方は、そなたには似つかわしくないのだ)


狂気を縦糸に、執念を横糸に———織りあげられた禍々しきモノ。


『復讐者』


関羽と出会ってからユーリンが努めて演じてきた姿。

それが痛々しい努力によって成り立つだけの、偽りの姿であることを、関羽は再確認した。


(あくまで過去の清算を望むのならば、この関雲長、微力ながら手をかそう。だがそなたには未来もあるのだ。過去と未来の双方を想え。そなたには、そのいずれをも手にする力量があるのだ)


関羽は、昨日からの突然のユーリンの変貌に驚いている。

その原因を把握しなければならないとは、理解している。

しかしそれでも関羽としては、"今のユーリンのままでいる方が、ユーリン自身にとっては健全なのではないか" との思いが、ぬぐい切れなかった。




精神の支配者として登極(とうきょく)したユーリンの独壇場にも、幕締めが近づいていた。


「何よりも恐ろしいことに、それでもボクは生きていくことだけは、できるのです。どれだけ屈辱に身を震わせようとも、どれだけ悲嘆に声を枯らそうとも、ただ漠然と生きていくことだけは、できるのです。だからボクは解放軍とはここで縁をたち……ただ漠然と生きていくことも悪くはないと……そう思っているのです」


ユーリンは、懊悩にうめくように声を絞り、場の空気を暗く沈めた。

鎮痛な静けさが満ちた。

聴衆は次第に重苦しさを覚え、それから逃れるために救いを求めて……ユーリンに心を寄せた。


その精神の堕落を、ユーリンは狙い撃った。


「それでも、ボクは解放軍に参加します!!」


希望の光のような声音で、ユーリンが叫んだ。


「ボクは怖いです、ボクは嫌です、ボクは苦しい思いはしたくありません。みんなの助けがなければ何もできない非力なボクですが、それでも立ち上がらずには居られないのです!」


天に響くような、声だった。


「もしも許されるのならば、ボクはみなさんに『力を貸してほしい』とお願いしたいのです! それが解放軍への参加でも! 今後の解放軍への協力でも! どちらでもうれしいのです。みなさんには愛する家族がいるはずです。まずは家族を大切にしてください。それでもボクに賛同してくれるのなら『ときどきの、ほんの少し』でも良いのです、どうかこれから末永く解放軍の活動に協力してください。ボクはみなさんの顔と名前を憶えています、いつか必ず頼りにいきます、その時にどうか……解放軍に力を貸してください」


倫理で縛り

屈辱で(なじ)

苦痛を浴びせ

罪悪感で圧し潰し


最後に、無力な人々でも達成可能な目標を示して、荒廃した心を温もりで救済した。

春風のような暖かい膨らみのある空気が、その場に訪れた。


ユーリンは踏み台にしていた木箱から飛び降りて、感極まったように聴衆のなかに走って飛び込んだ。

そして、余さず全員と言葉を交わした。


「パンチョさん……ちょっ、苦しいです、落ち着いて、息ができません。……テジョさん、泣かないでください。ご家族を優先なさるのは当然です。いつかご家族にもご挨拶させてください。ああ、パストルさん……ええ、もちろんです、ご家業が鍛冶屋だなんて、頼もしい限りです。いつか、いーっぱいお仕事を持っていきますね。ニエルさん……えっ! 参加してくださるんですか! そんな、うれしいです……うれしい。ガストンさん、……ええ、お元気で。故郷を魔獣から護るだなんて、頼もしいですね、尊敬します。ボルハさん、もちろんです、ゆっくり考えてください。大切なことですからね、お返事を待ってます」


もみくちゃにされながら、ユーリンは一人ひとりの心を撫でて慈しんだ。

それはユーリンにとって、演技でも打算でもなく、本心からの行動だった。

ユーリンは、ただこの人々の行く末に、希望の(ともしび)を分け与えたかったのである。




その光景を見て、関羽は驚嘆していた。


(まるで別人のよう……。いや、むしろこれが本来のユーリンの姿か)


自分の都合のみで周囲の人々を利用し、露悪的なまでに打算に基づいていたユーリンの行動原理が、いまはまるで救国の英雄のごとき精神性を発揮して、自分の才腕を他人のために振るおうとしている。


臆病に震える者を励まし、不安に沈む者を叱咤し、自分を慕う声望を束ねて、進むべき道を知らぬ大衆を統率して導いている。


『救世の大器』


狂乱の復讐者ユーリンの、生来の姿がそこにあった。




元の4名に加えて、さらに15名の人々が解放軍への参加を申し出たのは、その直後のことである。

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