3. 関羽、舐められ属性を得る
「待った、待った。お兄さんたち、ちょいとばかりハリキリすぎだと思うナ。ココ命の賭けどこと違うよ?」
中年兵士が今まさに関羽の胴に剣先を振り下ろそうとしたタイミングで、軽やかな声で横槍が入った。呆気にとられた兵士の腕から、張り詰めていた暴力の気配が抜けた。
関羽はその声に不思議な印象を抱いた。立ち込めていた剣呑な雰囲気を取り払う、まるで春風のそよぎのような爽やかな含みがあったためだ。
見れば、そこには少年がいた。歳の頃は10代中頃と見受けられる顔つきで、意志の強そうな整った目鼻立ちのなかにあどけなさが残っていた。関羽と同様に両手を縛られているが、口元には屈託のない微笑が湛えられており、見る者を気持ちを穏やかにさせる眉目秀麗な風貌だった。
(白髪……か。ううむ、西方に縁ある者か)
厚手の布を頭巾から、銀色の煌めくような毛髪が溢れているのが、関羽の目を惹いた。
関羽の知る限りにおいて、中原にも荊州にも、このような髪質の者はいなかった。西方文明においては、このような出で立ちもあると知識としては知っていたが、目の当たりにしたのは初めてのことだった。
関羽は少年の美しさに見惚れるような心持ちでいたが、すぐに気持ちを戻した。
(このような年端もゆかぬ少年を兵卒として……儂はなんという愚か者だ)
胸をえぐるような悔恨が、関羽の裡に沸き起こった。
「ここで流血沙汰しちゃうのはマズいんじゃない? きっと誰も彼もが損をするよ。誰も得しないこと請け負いさ」
「それどころじゃねぇんだ。オマエも死にてぇのか、黙って座ってろ」
「でもさ、さっきアナタの上役さんは、この『行き倒れお兄さん』を捕縛させるときに言ってたよね『コイツはいいガタイをしている、ついでにコイツも連れていけ。コッソリ売り払えばいい小遣いになる』て。きっと上役さんはすっかり稼いだ気になってるよ。でも死体になった奴隷てだいぶだいぶ値下がりすんじゃない? ……オジサン、上役さんのお小遣い弁済するのはキツいでしょ?」
「そ、それは……」
中年男は言葉を探してうろたえた。この少年の言に筋があることを認めざるを得ないが、彼らを監督する立場にある体面がそれを許さず、板挟みにあえいでいた。やがて中年男は意を決したように大きく息を吸い込んだ。力任せの罵声を放ってこの場を収集しようという企みである。
が、間髪入れず、少年が切り込んだ。中年男から出かかった鼻息をつかまえて挫くような、精妙な間であった。
「っ! ほんと、ごめんなさい! ボクもこのお兄さんも、まだアタマが追っついてないんだ、だからつい騒いじゃった。これからは奴隷らしく静かにするから、今回のところはどうか許してください」
少年は一息に言い切ると、深々と、思い切りよく頭を下げて謝罪をした。下げた頭巾の端からきらびやかな銀髪が垂れて、静かに揺れていた。周囲の虜囚たちも、固唾を飲んでいた。見る者を圧倒する勢いがあった。
中年兵士は明らかにうろたえていた。少年の言い分に筋があることは認めているが、会話の主導権を奪われたまま騒動を決着することで立つ瀬を失う葛藤に悩まされている様子が、関羽の目にも明らかにみてとれた。
中年兵士はしばし悩んだあげく、迷路の出口に手をかけるような勢いで、少年の顔を殴った。
殴られた少年の表情に、驚きはなかった。ただ納得の色だけがあった。
「余計なこと言うんじゃねぇ。休憩がおわったらオマエらはまた歩き詰めだ。途中で倒れられても困る。静かに座って、休んでろ」
「はーい、ごめんなさい」
少年が朗らかに応え、弛緩した空気が流れた。
中年兵士が表情だけで悪態をつきながら踵を返してその場からさろうとするのを、少年は満足げに見送っている。
それを、関羽が呼び止めた。
「あいや、待たれよ」
「あン!?」
中年兵士が露骨に不機嫌をぶり返して、関羽に向き直った。同時に傍らの少年の表情も急変したが、関羽はまったく動じることなく、中年兵士を咎めた。
「打擲を加えんとするなら、まず当事者たる儂であろう。何故年端もゆかぬ少年兵を相手とする? 貴殿の武人の、いやヒトとしての誇りは今どこ向いているのだ?」
激高した中年兵士が関羽に向けて拳を振り上げたとき、関羽の頭部が強く揺れた。意識が遠のくような一撃だった。
喪失しかかる意識を懸命につかみ、関羽は痛みの方を向いた。そこには、ひと目で造り物とわかる笑みを顔に貼りつけた少年がいた。絞られたままの両手を鈍器のように振り回して、関羽の頭部に殴打を加えたのだ。
微動だにしない笑顔のような表情のまま、少年は関羽に凄んだ。
「やあ、お兄さん。ずいぶん剣呑な『ハジメマシメ』になっちゃったね。さしあたり、少しの間だけでも黙ってくれるかい?」
己に対し、暴力と笑顔を併用した恫喝を加えようと試みる人間に出会ったのは、関羽にとって初めてであった。
いかな関羽といえども、困惑に思考が歪み、言葉を見つけることができない。
「なに?」
「『ゴメンナサイ』は?」
「う、うむ?」
関羽は、少年に圧倒されていた。
武力を伴わない、笑顔の脅威に気圧されていた。
「お兄さん! ひとりでできるよねっ!」
「あいわかった。儂の過ちであることを認めよう」
少年の気迫に圧倒された関羽は、思わず謝罪の言葉を口から発した。
「ったく、おとなしくしとけよ」
すっかり怯えた中年兵士が、逃げるように去っていった。
「よくできました。てかお兄さんホント凄いカラダだね。殴ったボクのコブシのほうが割れちゃいそうだよ。・・・なんかスポーツとかやってた?」
少年は手を冷ますためにフーフーと息を吹き付けながら、目に貯めた涙が溢れないように頬を上げて、微笑んだ。
「あのさ、行きがかりの都合で殴っちゃったわけだけど、あんまり嫌わないでくれるとボクとしては嬉しいかな」
困ったような麗顔をみせた。