28. 光の使徒ユーリン(1)
リョウケイのマナが、ユーリンの身体に触れた。
―――『精神魔法:自己暗示』
―――『精神魔法:心裡鑑偵』
ユーリンの『自己暗示』が、ユーリンの本来の内奥心理を焼きつくし、全く別物に作り変えたことを、リョウケイは察知できなかった。膨大なマナを身に宿すリョウケイにとって、ユーリンの乏しいマナの動きはまったく感知の埒外であった。天空を舞う飛竜が、地を這う蟻を認識することがないように、リョウケイはユーリンのマナを流動を認識しなかった。
そして―――。
リョウケイは、ユーリンの心の宮殿を存分に散策した。そこはユーリンが生涯で誰にも明かしたことのない秘密を格納した宝物庫であり、ユーリンの心の主が起居する神殿でもあった。
リョウケイは構わずそこを探索した。
なにか自分にとって不都合な秘密を隠していないか、解放軍に仇なす意図をもっていないか―――つぶさにユーリンの秘所をまさぐり、意のままに蹂躙して堪能した。
そして結論した。
(……素晴らしい! ここまで深く私の意図を理解し、私の意思に賛同してくれているとは……! なんいう知性、なんという運命力、なんという正義感……)
それは、ユーリンの資質に対する惜しみない賛辞であった。
リョウケイは感動し、光神ルグスにこの出会いを感謝した。
(……ユーリンは、私にとっての天祐かもしれません。かの聖帝カイロリンが聖女ヨーコを得たように、かの大海賊ファラマーが大酒飲みの副船長アマーギンを得たように、冬神ムルカルンの降臨を願った農夫オーリックが傭兵王タスンケを得たように……)
歴史上の偉人の軌跡になぞらえて、ユーリンの大才を賛美した。
その惜しみのなさは、関羽がユーリンを惜しむことと、まったく同量同質のモノであった。
関羽はユーリンを天に立つ器として評価したが、
リョウケイはユーリンを地にあって自身を下から支える器と評価したのである。
方向性は異なるが、その質量は等しかった。
ふと、リョウケイは気がついた。ユーリンがぼんやりと、まるで陶酔するようにリョウケイを見ていることに。
ユーリンの美貌から漂う蠱惑的な気配を黙殺し、リョウケイはユーリンの募る想いを受け止めるようにユーリンの真正面に跪いて、真摯に懇願した。
「ユーリンさん」
「は、はいっ!」
「あなたは私の天祐です。どうかこれからも私に力を貸してくださいますね?」
「……っ! もちろんです! ボク、がんばります!」
「あなたならば、必ずそう応えてくれると信じていました」
リョウケイはにっこりと笑って、ユーリンの熱情を受け止めた。
ユーリンは、まるで至福に満ちた恍惚した顔をみせた。その華やかさは、意中の人のその表情を拝むためならばいかなる神代の豪傑をも苦難の冒険に駆り立たせられるであろうほどに、可憐なものであった。
その時、村の周囲を覆っていた不穏な気配が薄れたことに、関羽のみが気づいた。
ユーリンを的先としたいくつもの殺気照準が、脱力とともに消失したことを察したのである。
(解放軍との交戦、どうやら避けられそうだな)
関羽は人知れず安堵した。
ユーリンの天性の人たらし能力が、陰に潜む解放軍の刺客の矢じりを挫いたのである。
もしもこの場で解放軍と交戦した場合、ユーリンを護りきれない恐れがあった。にもかかわらず、ユーリンからは不穏な気配が立ち込めており、いまにも暴発しそうな様相だった。関羽はひとり、冷や汗をかいていたのだ。
もしも交戦になれば、関羽はこのリョウケイなる人物に全力で当たらねばならない。
(この者、リンゲンにも比肩するか)
外見体格のみを評すれば、関羽の一蹴りで腰骨まで砕けそうにみえる。が、それはおそらく通用しない。何か関羽の知らぬ超常の理を武威として備えている。それが、これまでに会った誰よりも強力だ。
(強い。これは全盛の儂でなければ、抗し切れぬ。今の儂ではとても敵わん)
あっさりと敗北を認めつつ、関羽は愉快な気持ちがこみ上げるのを抑えきれなかった。
立て続けに己を上回る武を目の当たりにした。
それが、たまらなく嬉しく、楽しかったのだ。
(ふふふ。この世界には儂の知らぬ強さが多くあるのだな)
ひとつ儂も会得を目指してみるか―――そんな夢想に興じる関羽を現実に引き戻したのは、リョウケイなる人物の射抜くような視線であった。明確に関羽を敵と認識し、警戒していた。
(はて?)
関羽としては、身に覚えがない。
ユーリンとリョウケイの間に何やら因縁があることは理解しているが、関羽としてはリョウケイなる人物とこれまでに一度も接点を持ったことがない。それは関羽にとって確証のある事実であった。
「丁重なるご挨拶、誠に痛みいる。お初にお目にかかる。儂は、姓は関、名は羽、字は雲長。いまはそこなユーリンを主と仰ぐ身である」
「ウンチョウさん。非凡なる武勇をお持ちと伺っております。この度は、エルマンの命をお救いくださり、誠にありがとうございます。言葉では尽くせぬ大恩ですが、まずは言葉でのお礼を述べさせてください。……ところで、ウンチョウさんは、どこかで魔法の術理を学ばれたことが?」
「……その言を手繰るに、先刻の違和は其許の企てか?」
「私の完敗でしたね。私としては、私の無礼をお許しいただけることを願うばかりですが」
「御身の立場なれば我らの素性を改めんと手段を講じるのは必定。故に儂が物を申す立場ではない」
ちらり、と関羽はユーリンを見た。
が、何の反応もなかった。
「ユーリン? そなた、いかがした?」
―――あり得ぬ
この局面でユーリンが自失して関羽の呼びかけを聞き逃すなど、起こるはずがない。
「ユーリン?」
再度、呼びかけた。
反応が鈍い。
関羽はユーリンの肩をつかんで、揺さぶった。
ようやくユーリンが、関羽のことに気がついた。
「あ、ぁあ、ウンチョー……どうしたの?」
焦点のあわぬ目つきのまま、弛緩した口元に涎を垂らしながらユーリンが応じた。が、次の瞬間、眠るように目を閉じて昏睡した。
崩れかかるユーリンの身体を、関羽は支えた。細く軽く小さく儚く、関羽に比べれば何とも華奢な身体であった。
関羽は己の全身を殺気が満たすのを感じた。
近くにいたエルマンが慌てかけたのを、リョウケイが冷静に制した。
関羽も、気持ちを静めて、リョウケイに尋ねた。
「我が主に、何をした?」
「誓って、何も」
「先刻の妙な気配を如何に申し開く?」
「……ご賢察のとおり、私はあなた方の害意の有無を調べました。貴方には弾かれてしまいましたが、ユーリンさんの心は拝見できました。それにより、私たちに含むところが何もないのは確認できました。それだけです。私からユーリンさんの不調を来すようなことは、一切していません。私との会話を境にユーリンさんの表情が変わったようです。おそらく過度の緊張と疲労でしょう。無理もないことと思います。ここまで激動の道のりでしたからね」
リョウケイは心底からユーリンの体調を心配するように、言った。
少なくとも関羽の見た限りでは、リョウケイの言に偽りはなさそうに思われた。
「積もる話はありますが、まずは皆さまの体調の回復が急務ですね。この村の空き家のいくつかを借りて寝床の用意をしてありますので、ユーリンさんをそちらへ」
リョウケイの指示に従って、何人かの解放軍の兵士がユーリンに近寄ったが、関羽はそれを退けた。
関羽は無言でユーリンを抱き抱えた。
関羽はユーリンを抱えて、その場から去った。
心配そうにそれを見送ったあと、エルマンは忙しく指示を出していた。それに従って解放軍もここまで同道した人民集団も、荷をほどいて身体を休ませている。村の広場で、軽食が配布され、少量ながら酒もふるまわれた。くつろいだ雰囲気に包まれた。
ソフィとリョウケイは喧騒から外れて、2人で会話していた。
無論、ソフィが事前に報告していたユーリンの危険度について、リョウケイの見解を確認するためである。
「貴女がユーリンさんを警戒する理由はよくわかりました。あれは非凡な才人です。ですが、直接的な戦闘能力としては、まったくありません。魔法力も……ほとんどないようです。多少の魔法抵抗は得られても、術の行使には至らないでしょう。私たちの拠点まで行動を共にした理由にしても、もともと純粋に私たちの理念に共感していたためのようです。特別の警戒は、少なくとも今は要らないでしょう」
「おーっかしいな、ゼッタイ何かあると睨んだんだけど。けどま、いっか。リョウケイさんの人を観る目はたしかだもんね。これまでも何度もスパイを見破ってきたし」
「ありがとうございます、ソフィさん。貴女の警戒と観察は非凡な水準です。これからも頼らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「おっけー。リョウケイさんにそう言われたらアタシはりきっちゃうな」
リョウケイが応答に窮したことに、ソフィは気がつかなかった。
「……すべてはルグスの御心のままに」
リョウケイとの会話を終えたソフィは、姿を消した。
村の周囲に潜ませた狙撃手たちに、戦闘態勢解除の指示を伝えにいったためである。
一人残されたリョウケイは、周囲に人のいないことを確認してから、うなだれた。
(私は、立派な人間などでは、ないのですよ……)
リョウケイは、兵士たちに囲まれて酒盛りに興じるエルマンを連れだした。
エルマンは開口一番に、謝罪した。
「悪ぃな。ソフィには心配しすぎだ、って言ったんだがな」
「いえ。ソフィさんの懸念はいたって妥当です。この展開はあまりに不自然にすぎますから」
「んあ? 不自然だって?」
「……そう。たまたま私たちが襲撃を予定していた帝国軍の拠点で叛乱がおこり、たまたま卓越した統率者がいたため混乱もなく場が収まり、たまたま私たちの企図するように彼ら全員と必要な物資を得て、たまたま居合わせた一騎当千の豪傑が命を賭してかの飛将リンゲンを相手に私たちを守護し、いまに至る。……あまりに都合が良すぎるのです。何者かの作為を疑うのは当然でしょう」
「それが、ユーリンだって?」
「あのコが事態の中心人物であるのは、疑いないでしょう。故に疑っていました、先程までは。ですが、対面してみてよくわかりました。あのコは確かに、貴方が想っているとおりの人物のようですね。事態の不自然さは、天の配剤によるものと捉えるようにしましょう」
「だよなぁ。わかってもらえて、よかったよ。ユーリンは、あれはホントに良い子なんだ。腹にイチモツ蓄えられるような性分じゃねぇよ。……早く回復してくれるといいんだが。ありゃ、がんばりすぎだな。ずっとムリをさせちまったからな……」
「エルマン、友人として忠告しますが……あのコに横恋慕をするよりも、ソフィさんを大切にするほうが重要ですよ」
「っ! 違ぇよっ!? それに、なんというか、おまえ……なんというか、知らねぇわけじゃねぇだろ?」
「知っていますが、貴方はもっとよくソフィさんと会話をするべきです」
「そりゃ、アイツに言ってくれ」
「私は貴方に言っているのですよ」
エルマンは弱り切ったように、無いはずの髪を掻くような仕草をして、頭部を磨いた。




