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26. リョウケイ

朝日が夜の闇を払って、空気に温かさが混じってきた。

目的地である『フノーゼの村』への到着まで残り半日となったところで、ユーリンは関羽に声をかけた。


「ねぇ、ウンチョー」

「どうした?」

「……ボクはキミが好きだ」

「……」


関羽はユーリンの口元に耳を寄せて、平静を装って怒鳴るように囁いた。


(何か申したいことがあるならば、時間をとろう)


ユーリンは、満足げににっこりと笑った。


(さすが!)

(あえて迂遠な呼びかけを試みたということは、何か意図があるのか?)

(うん。ここから先、ふつうの会話はすべて盗み聴きされてると思ってほしい。……解放軍の斥候の女の気配が昨晩から、消えた。潜伏してボクを警戒しているか、もっと大勢で警戒するために仲間のところに先行したか、そのどちらかだ。たぶん後者だと思うけど、用心したい。聴力を強化するまほ……ホウギがあるんだ。よって足音よりも大きな声での本音トークは厳禁とする)


『肉体魔法:感覚強化』により、聴力を大幅に強化することができる。軍の斥候を担う人材であれば、修得していても不思議はない。ユーリンは最悪の事態を想定し、関羽とのコミュニケーション方法を見直したのである。


(これならヒソヒソ話でも、不自然さの度合いが下がるでしょ。たぶん逢瀬の約束を交わしてるようにみえるはず)


(……理屈としては理解するが、理由を聞こうか。むろんそなたの理由だぞ?!)


(うん。『あの誓いに誓って』正直に言う。―――いまからボクは、ボクにとっての死地に行く。ボクの悲願だ……少しでも嬉しさがあるのなら、もっと違う表情をひり出せそうなものだが)


ユーリンは、堪えがたい屈辱に耐え忍ぶような悲痛な面持ちの上に、薄ら儚く笑みを作った。


(ウンチョーがいてくれるから、まだボクはボクでいられる)


か細く寂しげな、独白であった。


(正直に言うとね、ここにきて急に怖くなった。……ウンチョーにだけは嫌われたくないんだ。そんな浅ましい未練がボクのなかには、ある。……だからもしも、ウンチョーがボクを真にダメなヤツだと思ったら、ボクを容赦なく斬って欲しい。ウンチョーに軽蔑されて嫌われでまで永らえるほど、ボクはボクの命を貴重だと評価していない)


「ならぬっ!! ユーリン、そなた、己の価値を見誤ってはならぬぞ」


(ちょっ……!)「……わかってるよ。ちょっと魔が差しただけなんだ。もうしないよ。だから安心して、ボクはウンチョーに一筋だから」


ユーリンは巧みに関羽との痴話喧嘩を装って、いるかいないかもわからない監視者の目を欺いた。


関羽はため息をついた。

関羽の反発は、ユーリンがいま発した言葉に対するものでは当然あったが、それよりも広い範囲を対象にしていた。

関羽が危ぶんているユーリンの特異性の、特に悪しきところがまさにいま顕現していたのだ。


自暴自棄。———あふれんばかりの才気を動力として、破滅の渦へと突き進む自傷性向。

輝ける大器の片鱗をみせつけられながらも、ユーリンの根底には暗い粘性の陰湿な煙が立ち込めていることを関羽は見逃していなかった。


「儂は、儂は……ただそなたの『先』を案じておるのだ」


「ウンチョー、それは気が早くない? ボク()()のことは他のいろいろが片付いてから考えるって、この前も話したでしょ?」(ごめん。心配をかけた。不安が昂じてゲロを吐いたんだ。自分でも情けなくてヘドがでる。ごめん。ちゃんと隠すね、抑え込るから)


「そういうわけでは……」


抑え込みの密閉度を咎めているのではない、そもそも根底に根ざすものがそなた自身に似つかわしくないのだ!―――と怒鳴る声を関羽が発さなかったのは、解放軍の斥候による盗聴を警戒したためではなく、その言がユーリンにとって何らの益体にもつながらないと理解していたためだ。


ユーリンの心肝に根ざす醜悪な汚泥は、関羽のような事情を知らぬ外野がいくら声をかけたところで清浄化できるものではない。強烈な負の感情の源泉を飲み交わした人物を題材とした因果の陰惨な発露のみが、禍々しき湧水を枯死させられる。

関羽はユーリンの心境を洞察し、これまでの60年近い人生に照らすことで、その帰結に幸いの少ないことを予期していた。


「承知した。儂は、その時までそなたの傍らで、そなたを護ろうぞ」(仔細はいずれ明かされるものと思っておるが、別に明かさずともよい。ただ儂がそなたを真に案じておることだけは心に留めておいてほしい)


「…… うん、信じてるよ、ウンチョー、またあとでね。……でも、もう寝坊しちゃダメだよ?」(照れるし惚れるから、そういうのは控えて目にしてね。この距離は正直ボクとしてもドギマギなんだ。……ウソだけど)


甘ったるく、形式的にはたしなめつつ逆にそれを促すように甘えた声で、ユーリンは惚気きった雰囲気を演出した。




『フノーゼの村』。平原と山野地帯の境目にある、解放軍の勢力下の拠点であった。


先頭を歩むエルマンは、『フノーゼの村』の入り口で赤毛の幼馴染の姿をみつけた。

「ソフィ!?」

「やっ。お先」

目的地である『フノーゼの村』への到着を、斥候担当としてエルマンの行軍に付き従っていたはずのソフィに歓迎されたことで、エルマンは驚いたのだ。


「オマエ、いつの間に先回りしてたんだ」


ソフィはさも当然と言わんばかりの口調で応えた。

「んー。だって、お客様を大勢お迎えするんでしょ。準備だってあるだろうし、リョウケイさんやフォルカさんには早めに伝えておいたほうがいいかな、て。きばって走って先に着いちゃった」


「そりゃ、ま。そうだが」

エルマンはソフィの意見の正当性を認めつつ、ツヤツヤとした肌色の頭部を困ったように掻いた。

ソフィの顔色をエルマンが見間違えることはない。ソフィの緊張した面持ちの中にある警戒心の昂ぶりを、エルマンは敏感に感じ取っていた。

(まだユーリンを警戒してんのか)

無用なことを———と思いはしたが、エルマンは口にしなかった。斥候兵としてのソフィのプライドを熟知しており、斥候兵としてのソフィの力量を信頼していたためである。


「んで、どうなったって?」

「リョウケイさん、きてる」

「マジかよ」

エルマンは意外でもなさそうに声をあげた。

リョウケイの性格とフットワークの軽さを思えば、この事態を知ればすぐに駆けつけるであろうことは容易に予想ができた。


「当然です。これは私から出向くのが礼儀というもの」

男が、卒然と姿を現した。




関羽は、青龍偃月刀が手元にないことを不安に思った。強烈な不吉の予感に見舞われたためである。


『フノーゼの村』に着いて、行軍の先頭のエルマンが何やら村の入り口で会話をした後に、一人の男が出てきた。


年齢は30歳頃。今の関羽の肉体よりは年長であるように見受けられる。柔和な口元と端正な目鼻立ちから漂う美しさを、短く刈り取った口元の髭が器用に中和しており、若々しさの残る外見のなかに、不釣り合いに老成された知性の光を漂わせていた。長身細身の引き締まった身体から、力強く周囲を威圧する不思議な力を放っている。能吏な文官のようであり、歴戦の将軍のようであり、篤信的な宗教家のようでもあった。


関羽は一目で2つのことを直感した。


(これは……たいそうな人物であるな。そしてこれが、おそらくユーリンの……)


ユーリンの苦悩の根源が、この人物であることを察した。ユーリンの器量と行動力を考慮すれば、並大抵の困難がユーリンをここまで追い詰め苦しめることはない。なれば、ユーリンの『標的』はひとかたならぬ巨大な存在にほかならない。関羽は、目の前のこの人物がまさにソレであることを肚で理解していた。


関羽はその人物から目を離さぬままに、傍らのユーリンをわき目で見た。


ぞくり、と悪寒が奔った。


まるで死に化粧で表情をこしらえた、美しき骸のような顔つきのユーリンが、そこにいた。


「リョウ、ケイ……」


もしも悪霊が自らの埋葬を拒絶して土中から地上に這い出るとするならば、その時のうめき声は、おそらくいまのユーリンと同じ声を出すのだろう。

怨念を呼気とし、憎悪を眼差とし、執念と糧として彷徨い活動する魔物がもしも存在するならば、おそらくいまのユーリンと同じ声を出すのだろう。


「……やっと……やっと、ここまで……」

「ユーリン、約定を違えるな」

「……っ! ……うん、ありが……とう」


関羽の一声が、ユーリンを救った。

辛うじてユーリンは平静を務められる状態にまで回復した。


そしてその男———解放軍の頭目リョウケイが関羽とユーリンの側まで歩きよってきた。


「ユーリンさんとウンチョウさんですね。お目にかかれたことを大変喜ばしく思います。私はリョウケイ。リョウケイ・シタン。解放軍を代表する立場として、深甚なる御礼を申し伝えたく、急ぎご挨拶に伺いました」


それは、いかなる誹謗をも退け得る、神秘を帯びた礼節作法であった。


「グラン帝国の拠点を単身で制圧し、混乱する民衆を束ねて鎮め、また当軍のエルマンを庇って飛将リンゲンを相手に敢闘なさるとは……ご活躍の数々に感服の限りでございます」


心から賞賛し、心から感謝し、心から驚嘆する。


この人物にそこまで()()()、そこまで()()()()()()()のならば、いかなる代償をも悦んで差し出して善い。そんな強迫観念が、自分の裡に生じるのを関羽は自覚した。


(妙だな……あり得ぬ)


関羽の胸中で、危機感が沸騰した。

関羽の思考が、関羽のものではない思考に侵入されたのを検知したのである。


(いかん! 邪気を払わねば!!)


関羽は己の心中の空洞を、心の目でみた。瞬刻の無心———世界には我と、我の心のみがある。森羅万象は我の心を通してのみ、在る。故に外界の衆生一切に惑うことなし。我が起点であり、我があって世界は成り立つ。故に外界が我を損ねることなし。


練り上げた武錬が踏み固めた精神は、明鏡なる止水のごとき静寂を取り戻した。

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