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24. (スイーツ)はじめてはチョコレート味

エルマンが恐る恐るという足取りで、歩み寄ってきた。


すっかり普段の気性を回復したユーリンが、万人に好まれそうな朗らな笑顔で迎えた。


「こんばんは、エルマンさん」

「……おう、ちゃんと火にあたってるな。夜は冷えるから気をつけて……って、ウンチョウ!?」


エルマンは唖然とし、幽霊でも見るような目で関羽を指さした。


関羽は不思議そうに応えた。


「む? いかがなされたか?」

「アンタ、無事だったのか!? ま、まさか、あのリンゲンを———!?」

「いや、儂が敗れ……たのだが、その……隙をみて、逃げおおせたのだ」


咄嗟に関羽は嘘をついた。

ユーリンは、できの悪い弟子の答案を採点するような面持ちで関羽のつたない嘘を見守った。そして、万事を察し、イタズラな目をつくって「ウンチョー、浮気?」と囁いた。


関羽は、敵であるリンゲンの立場を守るために、たどたどしく嘘をついたのである。


(儂をわざと見逃したと風聞が広まっては、あの者もテイ国にてよい立場にはならぬだろう)


―――()()()()()()ことについて、関羽には十分すぎるほど深く身に覚えがあった。


かつて魏と呉が赤壁で戦った折、関羽は敗走する魏軍を追撃するために兵を伏せて待ち伏せした。関羽と対面した瞬間の、曹公の「げぇっ、関羽!?」と叫んだ顔つきは、未だに忘れようがない。

関羽は、曹公の身柄を青龍偃月刀の間合いにまで捉えたが、曹公が過去に降伏した関羽に礼を尽くしたことを思い出し、その恩を返すため、曹公をあえて見逃してしまったのである。当然、関羽の立場は、苦しくなった。釈明の余地もなかった。死を以て償いとすることさえ考えたが、結局、もとより全て軍師将軍殿の想定内とのことで、赦免されたのである。


そんな関羽の過去の記憶も手伝って、リンゲンとの闘いの顛末については、ユーリンのみに留めて伝えることにしたのである。


そうとは知らぬエルマンは、すっかり関羽の報告を信じた。


「そうかぁ、良かった。良かったなぁ。……俺は、もうダメかと……なんてユーリンに(わび)たら良いかと、ずっと」


ほとんど泣き出さんばかりに喜び、関羽の生還を祝った。


「この借りは忘れねぇ。いつか必ず返すぜ」

「そう大仰にせずとも良いが……なればその恩顧は、我が主のものとしていただこう」


関羽はユーリンを指して言った。

突然名前を出されて、ユーリンは驚いた。


「えっ? ボク?」

「然り。従者たる儂の功は、主たるそなたの所有だ」


はじめユーリンはうろたえてまごついたが、すぐに態度を持ち直してエルマンと向き合った。


「……エルマンさん、ボクの従者であるウンチョーがリンゲンとの交戦を選んだのは、彼自身の自発的な意志によるものです。それがたまたま結果的に解放軍の瓦解を避けることにつながっただけのこと。ウンチョーは幸運によって死地から逃れることができましたが、これも日頃の解放軍の皆様のご活躍を知る光神ルグスによる恩寵の賜物でしょう。エルマンさんたち解放軍の皆様が殊更に義理をお感じになる必要はありません」


謙遜してエルマンを励ますような言い回しの中で、これが『解放軍への貸し』であることを器用に強調させて、ユーリンは締めくくった。


あの場を収めるためには、解放軍を指揮するエルマンが命を捨てるのが本来の形であった。しかし解放軍の旗揚げ期より軍事を統括してきたエルマンを失うことは、解放軍の軍事行動の根幹を損ねることになる。その影響がどれほどに及ぶのか、推定するのは難しい。関羽がリンゲンに対して名乗り出たことは、結果として解放軍全体を救うことになったのである。―――誰もが察していた道理ではあるが、それを言語化して嫌味なく印象づけるのに最も効果的なタイミングを、ユーリンは逃さなかった。


エルマンは優秀な軍人であるが、非物質的な利の応酬において、ユーリンには遠く及ばない。ユーリンの言葉を聞いて、素直にしみじみと感じ入っている。


そして、ユーリンが仕込んだ罠に勢いよく飛びこんで、陽気に踊った。


「いや、そうは言ってもコレは流せるような義理じゃない。俺たち全員、アンタたちに助けられたようなもんだ! 根城に着いたら、キッチリ礼が言いたい」


命を救われた当人が、恩人の謙遜に同調することなどできない。

ならば自然反発した言葉はどこに着地するのか―――エルマンは自らの意志として、完全にユーリンが企図する地点に着地した。


「なんとも面映ゆい限りですが……ではこの話は改めて『場を設ける』ということで、ひとまずおしまいにしましょう」

「おう。そうでなきゃ俺が後でリョウケイに何言われるか知れたもんじゃねぇ」


ユーリンは、まるでそれがうれしそうであるかのように、微笑んだ。 


しばし、間があった。


エルマンは剥げた肌色の頭部を光らせ、ユーリンは穏やかな笑みのような表情を湛え、関羽はきままに焦げた茶湯を楽しんでいた。


「ところで、話がぶった変わるんだが―――」


エルマンが手に持った小袋をユーリンに手渡し、話題を切り替えた。


「これ、オマエらで食ってくれ」

「それは……ありがたく頂きますが、いったい?」

「うちの根城に『ヨウコ・ノウト』の履修者がいてな。たまにいろんな菓子を振る舞ってくれるんだ。コレは出立前にもらった分だ、オマエらで楽しんでくれ」

「『陽子(ヨーコ)Note(ノート)』のっ!? ―――それは……すごいですね」


ユーリンが驚嘆して息をのんだ。

エルマンから受け取った質素な小袋をしげしげと眺めた。


エルマンは頷き、安堵した。

「―――これが労いの差し入れになって、本当によかった!」


エルマンとしては、もともと関羽を(うしな)ったユーリンを慰めるつもりで持参したのであろう。喜ばしい誤算によって使途が変わったことに、エルマンの声が弾んだ。


「んじゃ、今夜はゆっくり休んでくれ。マジでこの恩は忘れねぇ。忘れねぇが今夜のところは俺は寝る。じゃあな!」

「ありがとうございます、エルマンさん!」

「おう……おっと、そうだ。忘れてたぜ。『マナー違反』をするとこだった。『菓子を出したら必ずそれの魅力を伝えなさい! なるべくなるだけ、誇らしげに高らかに』がヨウコ様の教え(マナー)だったな」


エルマンが姿勢を正して、誇らしげに高らかに宣言した。


「その菓子は『ちょこれいと・くっきぃ』というらしい。俺の知る最高のお菓子の1つだ。最高に旨く、最高に気高い―――なんていうか、キザなクセにまろやかなんだ。喩えて言うなら『いつも険しく俺をバカスカ容赦なく殴りつけてくる幼馴染の女の子が、たまに油断して見せる笑顔みたいな甘さと優しさ』な感じだ……いや、余計なことを言った、忘れてくれ……んじゃな」


エルマンは、古来の礼に則った様式で『ちょこれいと・くっきぃ』を紹介した。


ユーリンが深々と礼をした。


「ありがたく。堪能させていただきます」


エルマンは手を振って、去っていった。




「ウンチョー、これはありがたく頂くとしよう」

「それは、いったい? たいそうな様子であったが」

「……ホントにウンチョーの故郷て遠い場所なんだね。これは『スイーツ』。軽食、お菓子だね。大昔の、いわゆる神代のころ、別世界から転生したとされる聖女がいたらしい。名前は『陽子(ヨウコ)』。『ニッポン』なる世界の知識を有していて、聖帝カイロリンを補佐したそうな。その聖女様が記したとされるのが『陽子Note』で、そこには数多のお菓子のレシピが収録されている」


別世界から転生―――という句に関羽はわずかに反応しかかったが、押し留めた。


「つまりは甘味か。それほど珍重であるのか?」


「『陽子Note』には『法の魔法』で使途束縛の制限がかけられていて、読み解くためにはさまざまな条件があるらしい。料理の技量や、精神性、魔法力やマナの性質などの因果があって、読めたり読めなかったりするんだって。だからヨーコ様のお菓子『スイーツ』を再現できる人は少なく、流通はほとんどない。ボクも数えるほどしか口にしたことはない」


自分の言葉で自分を興奮させているかのようなユーリンの話しぶりを、関羽は微笑ましく見守っていた。


一方の関羽自身としは、甘味への関心はほとんどない。嫌いと思うことは決してないが、好んで食したいと感じたこともない。甘味よりも塩味の利いた肉と酒を望む嗜好なのである。


贈答品への礼節として一応は一欠片を頂戴して口にはするが、残りはユーリンに譲る心算をたてた。無感動に関羽自身が消費するよりも、有意義であると見込まれたためである。


ユーリンが小袋の中から1つ、とり出した。それは関羽が見たことのないものだった。まるで茶葉を焦がしたような色合いで、つまみ易く円盤型に固められており、所々に奇妙に艷やかに輝く黒色の切片のようなものが付着している。


関羽はこのように黒を基調とした食材を知らなかった。さては果たして墨汁で彩っているのではないかと、訝しんだ。


(なんと面妖な。まこと食しても安全なのか?)


関羽の当惑をよそに、ユーリンはしげしげとしてその物質『チョコレート・クッキー』を眺めている。そして、大きな生唾をごくりと飲み込んでから、手に持ったチョコレートクッキーを一口かじった。瞬間、よろけた。


「すっご……い」


うっとりとして、ぼやいた。その顔つきは、もはや淫糜(いんび)だった。


「これが、『チョコレートクッキー』……たまらず拝みたくなる……ヨーコ、様っ―――!」


身をよじらせて、悶えていた。


「ヨーコ様……『あたしの個人崇拝は絶対厳禁!』なんて、切ないです……いっそひと思いに、貴女を崇め奉らせてください……!」

「ユーリン? そなた!?」

「あああ、―――あなたを礼賛する新興宗教をつくりたい。……ただひたすらにあなたを讃えるだけの神殿を建立したい」

「気を確かにもて!」

「あ、ああ。ウンチョー……いたんだ」

「……もとより、おるが」

「あのねあのね、ウンチョーウンチョー、コレはコレは……覚悟して食べたほうがいい」


ユーリンは陶酔に冒された顔つきの中に、辛うじて真剣な眼差しを整えて、関羽に警告した。


たかが焼き菓子をつまむのに要する覚悟とはどのようなものか―――関羽は微笑ましくも苦笑し、ユーリンの喜びようを嬉しく思った。孫のような年齢のユーリンの喜びようは、関羽にとっては純な幸せであったのだ。


「ふむ、では1つ」


関羽はチョコレートクッキーなるスイーツをつまみ、円盤型の半ばまでを口に迎えて、無造作にかじった。


―――焼き締めた幸福の原石が、ほどけて、はじけて、とけて、まわって―――烈風の嵐となった。


(……なっ!?)


気高く甘美な薫りが、関羽の意識に吹きつけた。


口中に軽やかな(らく)の甘みが満ちた。たまらず奥歯で噛み締めた。ザラついた舌触りが楽しい。それを追いかけていると、いつの間にか雪のように溶けた。どこへ行った? と慌てて探し、喉の奥から薫りで、それをいつの間にか飲みこんでいたことに気がつく。


歯が、舌が、鼻が、それの残滓を追い求めていた。散りばめられた口中のクッキーのかけらが、まるで冬の夜空を飾る星つぶのように煌めいている。


「これは!? 夏の朧雪か、冬の蛍星か?」


関羽は、前のめりになりそうな焦燥を堪えて次のひとくちを、慎重にかじった。

第一印象は、固い。前歯を差し込むようにして割砕くと、世界が彩に満ちた。

軽い―――砕けた破片やこぼれ落ちる粉末が、吐息にのって飛んで失われてしまわないかと、不安を覚えるほどにあっけなく砕けた。


不思議であった。なぜ固く、なぜ柔らかいのか。


不思議であった。湿気。ねっとりと、頬を貫き、顎を砕くような勢いで優しい風味が押し寄せた。


不思議であった。仄かな甘みの内側には、苦味のような焦げた味わいがあった。苦味を覚えながらも、確かな甘味の波高さに意識を流されそうになる。高貴な芳しさがじんわりと広がった。


僅かな欠片が関羽の手元に残っている。

関羽はそれに見惚れた。が、意を決して口に含もうとした。

関羽は悟った。このチョコレートクッキー全体の色合いを成す茶色の根源が、この申し訳程度に埋め込まれた妖しく光る黒い欠片であることに。


関羽は手元に残るものから、その部分をつまみ、眺めた。すると不思議なことがおきた。先刻までまるで小石のような硬さのあったそれが、指先でつまんだ途端、まるで関羽を誘惑するように、ぬるりととろけた。たまらず舐めとる。関羽の脳裏に甘美な闇がもたらされた。苦みと甘みが交互に錯綜する味覚の迷宮が広がった。無論、最後には、骨を溶かすような強烈な甘さが勝ち残った。

関羽は、乳離れできぬ幼子のように己の指先を口に含み、しゃぶった。


そんな関羽の様子をみて、ユーリンが同調した。


「察するに、それが『チョコレート』だね。ボクは以前に似たような形状の『ピーナッツバター・クッキー』というスイーツを食べたことがあるんた。共通するベース部分をクッキーとすると、差分の飾りがチョコレートだね。ボクも初めてだ、驚きだ。どうしてこんな小さな欠片に、創造主に叛いたアガレスの懊悩のごとき苦さと、女神キルモフの慈愛のような甘さを共存できるんだい!?」


ユーリンは、細身の肢体を護り留めるように自身を抱きしめた。わななきのあまり筋肉が骨から剥がれ落ちるかのような錯覚を覚えたのだ。


「―――悩ましいっ! どうしてボクはヨーコ様にお会いして直接御礼の御言葉を申し奉ることすら許されないのか。同じ時代に産まれていれば……お近づきにはなれずとも、せめてヨーコ様の靴箱を磨く雑巾役くらいならボクにも務まりそうなのに」


関羽は、ユーリンの無益な妄想じみた葛藤をまったく聞いていなかった。残り僅かなチョコレートクッキーの断片を、前歯で噛み、砕かぬように慎重に力をとどめ、鼻に循環させるように口から息を吸い込んだ。めくるめく華やいだ刺激に包まれた。微かな香料が、淑やかな乳と麦の芳香を引き立て役として、鮮やかに散り舞い歌い漂ったのである。


(かような、かようなモノがあったとは。知れて良かった。この地に来て、よかった……。やはりコレは、この時間は……神仏の慈悲であるや……?)


吸い尽くし、心ゆくまで堪能し、咀嚼した。無上の喜びがあった。


ふと関羽が我に帰ると、いつの間にやら眼前にユーリンがいた。


「おお、ユーリン、そなた、そこに居たのか」

「……ずっと、いるよっ! ひどくない!?」


ユーリンは、にやけたまま、拗ねた。


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