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23. 上手くはない茶

「このような淹れ方は初めてだ。なかなかに乙なものだな」


煤けた茶葉が底に焦げ付いた器に湯を注ぎ、濁った湯を関羽は飲んだ。

茶のような薫りが漂う、炭の味がした。

今の関羽には、その武骨な風味が有難かった。


「約定を違えた。……儂は敗れた」

口惜しそうに、けれども清々しく関羽は言い切った。


「……どうして?」

ユーリンは、曖昧に理由を尋ねた。


「……温情としか言えぬな。死力を尽くし幾度も打ち合ったころ、儂の得物が砕けた。敵なる将の手には、あの朱槍が健在であった。これはむろん儂の敗けだ。―――『やむなし』と祈ったが、どうも土壇場で惜しまれたらしい。たいそう興醒めという様子であったわ」


ユーリンのぼんやりとした問いに、関羽は『己が未だ死なずにいる』理由を回答することを選んだ。


ユーリンは、応えない。

関羽としては、なすすべもない。


沈黙。


2人の眼前で慎ましく燃える焚火だけが、鮮やかに闇夜を飾っていた。


関羽は待つことを選んだ。

そして、―――呆気にとられて激怒したリンゲンの様子を思い返した。


―――おい、あんた……そりゃあ、ねぇだろ!?

『……面目次第もない』


―――ったく、どーすんだよ、この昂ぶりは

『すまぬ。約定どおり、儂の首を……持ってゆけ』


―――馬鹿かてめぇは!? (バカ)の世界で貢物に価値なんざねぇよ! ……あんたの価値が無くなるんだよ……頼むから、そんなこと言わねぇでくれ

『……すまぬ』


―――ちっ、……しょうがねぇ。今日のところはおれが恥を呑んでやる。ネヴィが認めた男の首をこんなカタチで刈るわけにはいかねぇ。勤め先にはテキトウに言っておく


断念したようにリンゲンは嘆き、上空の飛竜ネヴィエルを呼び寄せ、騎乗し、去っていった。


関羽はまるで罪人のような心持ちで、リンゲンが颯爽と去りゆくのを見届けるしかなかった。


去り際のリンゲンの、失望を堪えた言葉が、関羽の耳に強く残った。


―――その首の(あたい)、十全に恢復しておけ


武威を宿せる武具を携えず、身を預ける騎を侍らさず、ただ己の身ひとつで戦場に立つ―――いまの関羽は、戦人の貞節を備えぬ弱者であった。




関羽は己の手をみた。そこには血はない。

―――闘いに挑み、勝利を得ず、敵の情けで命を永らえる……少し前の関羽であれば、これを耐え難い不名誉であると感じただろう。しかし今の関羽は違った。


恥辱の限りなど、とうに味わった―――。

荊州失落、部下の離反、そして同盟国に捕らえられての―――斬首処断。あの苦渋に比べれば、リンゲンに敗れたことは、なんとも言えぬ清涼な心地であった。


(最後のひとつすら失ったわい)


己が武の頂きにいるという自負は、関羽が関羽に遺した唯一の尊厳であった。それすら手放した。いま関羽には、ただの何もなかった。


「砕けぬ得物が儂の手元にあれば、と不平を言うても詮無し。万全の武具を備えて戦場に臨むは、武人たるものの礼節である故に―――」


―――儂の落ち度だ。


関羽は、いまある全身全霊を以てして闘いに敗れたことを、認めた。なれば、いまある全身全霊の関羽が、リンゲンに及ばなかったのだ。つまり、敗れたのだ。関羽は闘いに敗れた。決死の覚悟を持って闘いに挑み、敗れ、敵の温情によって命を永らえ、徒手にて恥のみを携えて、主のもとにおめおめと帰ってきた。


もう、関羽には、何もなかった。


関羽は、全てを失い捨て去った爽快さを、焦げた茶湯を伴にして堪能していた。


いまの関羽は、まるで(そら)のように―――(から)っぽであった。


ゆえに、武骨な茶が、染みた。


「……うまい」


関羽は、心から茶をたのしんだ。

ユーリンが温め、温めすぎた茶は―――上手くはないが、関羽にとって旨い茶だった。




「……ウンチョー」


ユーリンが、つぶやいた。


「ボク、強くなる」


めいっぱい開いた眼に―――眼にいっぱいの海を拡げて蒼天のごとき瞳を沈ませ、ユーリンは意思を示した。


(じゃあ、ウンチョーはどうする?)とは言わなかった。ユーリンは言わなかったが、関羽には聴こえた。


ただ、己の眼差しの輝きのみを以て、導いた。

関羽の心の終着点に。


関羽は、頷いた。

 

(げに見事なる将器よ)


勝利した将を讃えるは容易く、

敗北した将を咎めるも容易い。


だが、容易いことは、強きことではない。

関羽が死の間際でようやく悟ったことを、ユーリンはその若さですでに知っていた。


―――敗北した将を強くすることこそが、帥の要諦であり主の器なのである。


惨めなる敗北からしか学べぬ摂理がある。それを余すことなく、漏らすことなく、己の器として取り込まねばならぬ。その必要は君主にのみあるが、それを成し得るのは敗北を喫した将当人のみなのである。この相矛盾する理を如何にして実現するか、それが将の将たる君主の器量であり、『生前』の関羽が終生持ち得なかった資質である。


かつて、関羽の敬愛する義兄は、失態により敗北した臣下を労り、赦した。


関羽はそれを咎めるために、呼び止めた。


―――雲長、君の言いたいことはわかっているつもりだ

『なれば改めて確認しましょう。此度の●●の失態を鑑みるに、あの程度の沙汰では道理に合いませぬ。後の我が軍の士気を損ねることに繋がりましょう』


―――もしも●●が過ちを犯すならば、それはきっと私が犯すはずだった過ちなのだ。それを、私よりも力量に豊む●●が引き受けてくれた。それは私にとって代えられぬ幸運である

『儂は、儂は……納得できませぬ』




いまにして、関羽は納得した。あれは、君主としての器量がなした心境であったと。


義兄と同じ資質を、関羽はユーリンに認めた。


関羽は我知らずして言葉を発していた。

「ユーリン、約定しよう。―――儂も強くなる、と」


それは、関羽が初めて口にした言葉であった。

己をさらに強く高める決意など、考えもしなかった。強き者として天命を得たものはそれに応じた生き方を選ぶべし。関羽は己を強き者として認め、その役割を果たすために生きてきた。己の強さを高めるという発想が、そもそも関羽にはなかったのである。


武の鍛錬とはそもそもからして事情が異なる。鍛錬とは己を磨くことであり、いわば強さを貫くためのものである。


強くなる―――とはそもそもどういうことかのか。

関羽は宣言してから、疑問をもった。


己を強くするためには、己の弱みを補わねばならぬ。なれば、関羽の弱みとは―――?


関羽はその答えを、少しずつ手繰り寄せて掴み取ろうとしていた。

しかしまだ明瞭にはならない。


(ふふふ。そうか。これこそが、そもそもの儂の未熟だな)


関羽は、まだ己を理解していない。

今更ながらに、それを悟った。


「孫氏の兵法に倣うとしよう。『彼を知り己を知る』ことが肝要よ」

「それはウンチョーの故郷の軍事学だね。哲学的な教訓が多くて、ボクは好きだな。局面にあわせて、応用が利きそうだ」

「そなたは多様な知識に貪婪(どんらん)だな。智慧を涵養することに旺盛なのは、きっとそなたの器を強くするだろう」

「『何も無いから何でもやる』だよ。ボクには他に何もないからね。ウンチョーのような不動の強靭さも、リンゲンやリョウケイのような『無色マナ』も、魔道の知識も、培われた教養も身分も財も、何もない―――それでもこの嫌な世界にせめて爪痕を残せるのなら、やれることは何でもやるよ」


ユーリンは少しだけだが、本心を覗かせた。

そこには、憎悪の茨に鬱蒼と(おお)われた、荒廃した(やしろ)が建っていた。


(……やはりか!)


関羽は、驚かなかった。むしろ、己の憂慮が的中していたことを心底から残念に思った。


(気づいておるか、ユーリンよ。それを隠しつつ、いま儂に明かすということは……つまりその矛盾は、そなた自身が、その実―――いや、これも詮無きことか)


ユーリンの生来の性質が光に満ちていたであろうことを、関羽は微塵も疑っていなかった。

宝玉はその輝きがまばゆいほどに、わずかな瑕をよりいっそう()()()()()()のである。


(齢を重ねると、見えることが増える。しかし、できることが増えるとは限らぬものだな)


関羽に、ユーリンの瑕を癒すことはできない。

ならばせめて砕けぬようにと、護るばかりである。


「ユーリン、そなたにもしもその意志があるのならば、儂が識る限りの兵法を伝えてもよい。時間はたっぷり……ある」


関羽の人知れぬ決意は、雅さの欠片もない提案に置き換えられた。


「うん。それはありがたい。ボクは新しい知識を仕入れるのが好きなんだ、知識の量は思考の手ごまの数になる。ボクとしては自分が『汎用性の信奉者』であることを隠す気はまったくない。たくさん教えてね。ウンチョーの故郷への帰路がわかるまでには時間がかかりそうだしね」

「そうさな。……そうであるな」


関羽は、首肯するしかなかった。

胸裡に浸潤する寂寞の痛みを、気取られぬように―――。

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