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22. 関羽の武


解放軍が移動し、その場にはリンゲンと関羽の2人のみが残った。


リンゲンが涼やかな目元に愁いを漂わせながら、関羽に言った。


「別れ話はすんだかい」

未練と躊躇いの残滓が薫る口調だった。

関羽をここで斬ることを、望んではいないのである。


「うむ。儂の帰りを待つように言い含めてある」

「そりゃあ、あんた、嬢ちゃんに酷だろう。……しかし(さが)ってやつかねぇ。誰かを待たせてるほうが気合が入るんだよな」

「同感だ。戦人(いくさびと)の機微と業は当地でも変わらんな」

「あんた遠方の出自か? 男がバカでないお国がこの世にあるんなら、知りてぇもんだが」

「斯様な奇怪な土地柄のことは、寡聞にして知らんな」

「道理だ。それじゃ始めようぜ」


リンゲンは朱槍を旋回し、穂先を関羽に向けた。

それは明確な殺意の始動を意味していた。


関羽がそれに制止をかけた。


「儂は、儂のこの首を賭ける。そなたにも、コレに比肩するものを賭けてもらうぞ」

「おれの首じゃ不足か? てめぇで言うのもダセぇんだが、おれを殺し(やった)ら末代まで自慢できるぞ」

「御身の価値に異論はないが、儂はこの地では客分ゆえに、名誉は益にならぬ」

「困ったがもっともだな。だがあんたの首に見合うモノっていうと……この槍でどうだ? 普段はおれの所有権を『呪符魔法』で固定してあるが、おれに勝ったら持っていけるように解除する。……魔法のかけなおしは手間だが、あんたの葬儀代わりだ、手間は惜しまねぇよ」

「見事な業物であるな。驚嘆を禁じえぬ。だが、遥かに価値あるものが、傍らにいるではないか。……儂は、彼女を所望いたす」


関羽は、リンゲンの相棒である飛竜ネヴィエルを見つめた。


リンゲンは堪えきれず、大笑した。


「誤解なきように言っとくが、ネヴィはおれの所有じゃない、相棒だ。おれが云々できるスジじゃない。ま、おれが死んだらネヴィはたしかにフリーだ。自分で交際を申し込みな。次の男があんたなら、おれは不服はねぇよ」


「あいわかった。それで良し。それこそが由!」


「決まりだな。ネヴィ、悪いが(そら)で待っててくれ。おまえがいると気を遣われそうだ」


リンゲンは相棒に向けて、空を指して移動を願った。


関羽は飛竜ネヴィエルを望んでいる。

リンゲンがネヴィエルに騎乗しては、関羽は本気で武器を振るうことができない。惚れた女に向けて己の全力の暴力を出し尽くせる男がどこにいるというのか。


「これでいいだろ?」

「お心遣い、お美事(見事)である」


そんなやりとりを重ねる男たちをみて、飛竜ネヴィエルは、少し笑った。それはまるで幼子の成長を寿ぐ賢母のようであった。

翼を広げ、巨体をいとも容易く宙に浮かせ、地上を振り返ることなく空に駆けのぼる。


その雄姿を眺めて、改めて関羽はこみ上げる激情をこらえきれなくなった。


「ねヴぃどの! 我が(もう)(ひら)いてくださり、誠にかたじけない!」


———(バカ)は、らしく生きてればいいんだよ


「承った!」


関羽は天に叫び、天に応えた。

それは天からの宣告であり、天との会話であった。


飛竜ネヴィエルと関羽の声なき会話を()()し、リンゲンは改めて驚きを隠せなかった。


「つくづく、とんでもねぇな……マジでアイツの声、聞こえてるんだな。あんた、本当にうちの軍に入らねぇか? 待遇は最大限融通きかすぜ」

「否。それは我が主の意に沿わぬ」

「……()けるぜ。んじゃあ、逝ってもらおうか」




傾いた夕陽が2人の男の影を濃くした。日暮れまではまだ時間があった。


リンゲンが朱槍を構え、草原に疾風が奔った。


『快速の魔法』


肉体魔法系統においては初歩の術理とされ、マナを身体に授かった人間にとって、その魔法の発動は容易である。―――術者の身体能力を強化し、筋肉の伸縮速度を向上させる。近接戦闘において、基礎にして必須とされる魔法である。


ただし、その練度が別格であった。


リンゲンは朱槍を構え、獣のごとき前傾姿勢をとり、脚に力を溜めて満たし、自身の身体を大地から射出させる寸前に『快速の魔法』を無言のうちに発動した。


最高練度の基礎魔法―――秘奥に達した初歩術理。

誰にでもできて、誰にもできない奥義。


リンゲン・ハクソクは、地上を走る一筋の流れ星となって、草原を駆けた。


関羽とリンゲンの距離はおよそ15m。


リンゲンは瞬きのうちに、その間を詰めた。


相手の反応の及ばぬ速度で接近し、敵の胸を貫くこと―――。

リンゲンが得意とする、必勝にして必殺の戦術であった。

工夫や技巧とは、それを必要とする者———つまり生来の弱者が凝らすものであり、リンゲンはそれを必要としなかった。


相手の反応が及ばぬうちに懐に飛び込み、朱槍で臓腑を穿ち抉る。

この先制の一撃こそが、敵に最も安らかな死をもたらす―――リンゲンはそれを知っていた。圧倒的強者がとり得る唯一の慈悲であることを。


リンゲンは関羽の気性を好み、武人としての性を好んだ。

相棒たる飛竜ネヴィエルとの縁も無論あるが、一個の人間として、リンゲンは関羽を好ましく感じていた。

関羽を惜しみ、その生命を奪うことを望まなかった。叶うならば、友として相語らい笑い歌う間柄を望んだ。出会って僅か数刻の内にリンゲンは関羽の本質を見抜き、それが終生の友たりえることを悟っていた。


―――ゆえに、殺す。


関羽が終生の友たりえるように、関羽が終生の敵であることを認めていた。

惜しむべき資質であり、忌むべき資質であった。


―――ゆえに、いま、殺す。


いま、友になれぬのであれば、永久に友にはけしてなれぬ。

ひとたび忠を定めればそれは久遠のものとなり、

ひとたび敵を定めればそれは永劫のものとなる。

それが眼前の(おとこ)の本質であることを、リンゲンは悟っていた。


―――ゆえに、いま、ここで、殺す。


温情を殺意で糊塗して潰し、殺し尽くすために駆け、槍を振るった。

思考する間もなく結果のみを手にする。

それは敵に対の慈悲であり、リンゲン自身に対する慈悲でもあった。


リンゲンは戦士として殺を成すが、殺を愉しむことは無い。

叶うならば生命の収奪なくして争いを終わらせることを望んでいる。


しかし、

望むことを得るためには、どれほどの幸運が必要で、

望むことを得られたならば、どれほどに幸福であることか。


リンゲンは自己の鍛錬を怠ることは一度もないが、鍛錬によって得られぬものがあることも知っている。


それは『幸運』である。


誰に対しても等しく有り、誰に対しても不平等で在る、無限の可能性と有限の絶望を両立する遍く存在し、なお偏在する不可欠の理不尽―――幸運。


リンゲンは己を幸運であると認識したことはない。


理不尽は、努力で。

不合理は、血統で。


ねじ伏せ、覆し、圧倒し、『幸運なき身』に『幸い』をかき集めて生きてきた。

ゆえに、ただのひとときも、『幸運』を願ったことはない。

そのため自ずから理解していた。

眼前の関羽が、決して己の友には成れぬことを。


―――ゆえに、いま、ここで、必ず、殺す。


突き出したる槍は、必殺。

関羽の心の臓を貫き、穿ち、殺す。

そこに慈悲はなく、ゆえにすべてが即座に決する。

二度はなく、ただ一度きりの帰結。


瞬きの間に終える苦痛―――すなわち温情であった。


リンゲンは朱槍を突き出した。

それは諦めを伴った一撃であった。

相手の生命を確実に奪い取り葬り損なう―――別れの一撃であった。


―――ゆえに……ゆえに、いま、ここで、必ず、殺す―――そのために突き出した槍の穂先を、関羽が無造作に掴み取ったことを、リンゲンは理解できずに硬直した。


関羽は、リンゲンの神速の槍先を、素手で掴み取った。


そして、激高した―――!


「この痴れ者めがぁー!!」


天地雷鳴のごとき罵声を浴びせ、リンゲンを蹴り飛ばした。

リンゲンが即死を免れたのは、高練度の『生命魔法』が潰れた肺腑を即座に再生したからである。


リンゲンは潰えた呼吸を頼りに意識をつなぎ、薄れかかる意識に闘志を灯して眼を開いた。


「なっ―――!?」


「この関雲長に、左様な心肝こもらぬ刃先が通じると思うてか―――貴公をひとかどの武人と期待したのは、儂の見込み違いであったか!?」


死にかけの『英雄』を相手に、関羽は傲然と言い放った。


「儂は弱者を虐げる戦いは好まぬ。もしもいまのひと刺しが貴公の全力であるならば、即刻この場を立ち去られよ。この関雲長、決して弱者の背を襲うことなしと―――天にかけて固く約定いたす」


関羽は、リンゲンの必殺の無慈悲な一撃を受け止め、慈悲の心を示した。


それは、リンゲンのプライドを蹂躙して冷たく凍結させて、闘志を温かく満たすものであった。


「……いいぜ、あんた」


リンゲンは消えかかる呼吸を紡ぎながら、称えた。


そして次の瞬間、関羽の視界からリンゲンは消失した―――敢然たる殺意を、場に滾らせたままに。


隠然のなかに抑えきれぬ輝くような覇気を隠しながら、リンゲンが姿なきままに宣言した。


「悪かった、おれの失態だ。こんなアマチョロが通るヤツにネヴィが心を許すわけねぇよな。詫びる、おれがバカだった。あんたの名誉を損ねるとこだった」


それは神話における英雄のごとき威厳に満ちた布告だった。


「家名はハクソク、名はリンゲン。出し惜しみは無しと誓約する―――全身全霊でおまえを殺す」


『影魔法』―――太陽を善なるものとみなす、大多数の国家において邪法と位置づけられるものであった。


生物は光を視覚とし、視認する光の性質を情報とする。

それは創造主が定めた法であり、―――(みことのり)であった。


しかし―――光を忌む存在が存在する。


創造主は『光あれ』とまず始めに宣告した。


そのため、世界には光あることが前提であった。

しかし、創造主が万物を創った(みとめる)わけではないように、万物の中には創造主を叛く(みとめない)者たちがあった。


彼らは、光があることを否定した。


創造主によって創造された神のうちには、光を嫌悪する者もいた。

光とは、晒すことであり、知らしめるものであり、装い偽る道を閉ざすものであった。


その神は創造主から授かった権能を、創造主に叛くために用いて、『影』なるものを創造した。

光の及ばぬ領域があることを認め(ゆるし)、創造主の恩寵なき領域として万物に開放した。


その『影』をマナの流動で自在に操るのが、『影魔法』の術理である。

すなわち、視覚を光によって為すことを拒絶する―――忌むべき魔法のひとつであった。


「そこに居るな。だが見えぬ」

「……さよならだ。その首級、我が名誉としてもらいうける」

「やむなし」


関羽は、現状を受け入れるように瞑目した。


(やむなし)


関羽は、己の過去を諦めるように心の眼の瞼に触れた。


かつて関羽は黄巾党の賊徒に包囲されて武を奮った。

関羽は彼らを憎んでいた。弱者を虐げ、天の名を用いて非行を成し、騒乱と汚泥を噴霧し大地を貶める、彼らを憎んだ。


ゆえに、遠慮なく、呵責なく、容赦なく、武を解き放った。

関羽は、敵兵の血煙によって己の視界が閉ざされ、窮した。

それでもなお殺戮を求めて青龍偃月刀を振ることを望んだ。

そして開眼した、関羽にとって忌むべき能。


『心眼』


『心眼』とは、己の敵たる血袋がいずこにあるかを察知し、どのように武具を左右すれば、それを最も効率的に破くことができるかを直感する武の境地のひとつである。


血肉の海に溺れ、昏冥の底に沈む関羽の心を掬ったのは、敬愛する長兄である。


長兄は、言葉少なに、言った。


―――雲長。君は彼らよりも遥かに強い

『それは、当然です。でなければ義の道は成せませぬ』


―――君ならば、いずれ独りでもそれを成せるだろうね。君にはその器がある

『義兄上、それは過分な言葉で……』


―――私はね、道を成すには、その地を歩む人々が多いほどに好いと思うんだ

『……我が不明を恥じる次第』


長兄は困ったように照れて、笑った。


―――大勢で踏み固めた道のほうが、きっと広くて歩きやすいよ


以来、関羽がその能を用いることは、二度となかった。その能を用いる己が、己を見失わずに世に在れる自信が無かったためである。


しかし、いまは違う。

関羽は失うことを経て、見失わぬことを学んだ。


止む無し(やむなし)


止まること無く、歩み続ける。

それは関羽の決意宣言であった。


関羽の心眼は開かれた。


関羽の大槍は、リンゲンの無慈悲な朱槍を的確に捉えた。

空を砕くような金属音が、2人の全身を震わせた。


天空で微笑む飛竜ネヴィエルだけが、その音色を聞き届けた。




ユーリンは焚き火をみつめていた。ただ炎だけを、蒼天の瞳が捉えていた。


解放軍が野営地として定めたのは、タジカン平原を東西に横断する小川の側である。


日が沈むまえに設営を終えた。

諸事不慣れな人民集団を解放軍の面々が補佐した。

交流の波が、あちこちで芽生えようとしていた。

人と人が語らい、人と人が平凡なぬくもりを分かち合った。


ユーリンは、そのさざ波から離れた草原に、独りで、いた。


誰も声をかけなかった。

皆がユーリンから遠ざかった。

誰にも何もできなかったためである。


心配するエルマンが幾度かユーリンにかける言葉を探したが、適切なそれを見いだせぬ己の貧困な語彙を呪うばかりで、結局、何も言わなかった。


日が沈み、夜の帳に覆われた。

ユーリンの足元で燃える炎は、氷のように静かであった。


ユーリンはひたすらに炎をみつめ、待った。

表情が枯れ、心が焦げたように荒んでいるのがみてとれた。


誰もユーリンには近寄らなかった


そんなユーリンに声をかける足音が寄ってきた。

ユーリンは、確信をもって振り返り、足音の主を―――主として迎えた。

 

「ごめん……お茶、焦げちゃった」

「すまぬ……遅くなった」


生涯において初めて徒手で戦場から帰還した関羽を、ユーリンはいとも申し訳()()なさそうな顔で迎えた。

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