2. 転生したって、まだ縛られてる
混濁する意識をまさぐるようにかきまわし、己の存在に思い至った。
(儂は……誰だ?)
背中に強い衝撃を受けて、その男の意識は微睡みの淵から引き上げられた。思い瞼を開き、燦々たる日光に眩む目を奮い立たせた。
「さっさと起きねぇかこのウスノロがぁ!!」
もう一度背中に衝撃が走り、鈍い打撲痛を覚えた。
四肢に気合をみなぎらせて意識を覚醒させると、己の身体が地面に横たわっていることが感じられた。徐々に目が慣れて、辺りの様子をうかがうことができた。のそり、とその男は上体を起こした。
(そうだ。儂は、孫権に捕らえられ……? 処刑? 荊州、名は、関……)
空は蒼く澄み渡り、心地よいそよ風が頬を撫でた。辺りに家屋はみえない。腰の下には野草が生い茂り、視線を伸ばした先には車輪の轍が残る野道があった。どこか田舎の道外れの草むらに横たわっていたらしい。
関羽は両手を前に縛り上げられていた。手首を幾重にも覆った荒縄がきつく縛り上げられており、微動だにしない。己の手首を縛る荒縄を辿ると、別の男の姿があった。関羽と同じように、両手を戒められて地にうずくまっている。そして彼を縛る荒縄の先にもまた別の男の姿があった。幾人もの人々が数珠つなぎの要領で結わえられていた。みな憔悴しきりの面持ちで、ぐったりと生気のない吐息をつないでいた。
(皆の者……すまぬ……すまぬっ!)
関羽は心の中で、泣いて詫びた。叶うことなら、心ゆくまで彼らに己を殴らせてやりたいとさえ思った。目の前の彼らは、最後まで関羽に付き随い戦い破れて呉軍に降った、荊州軍の兵卒たちに相違あるまい。
孫権が刑の執行を号令した先刻から今に至るまで、関羽の記憶は空白であった。気を失うほどの怯懦が己の内に眠っていたことに驚きを覚えたが、不思議と恥じらう気持ちはなかった。いまさら関羽に失うものは、何一つなかったためだ。ただ、今際において彼らに最後の詫びと別れを告げる機会を与えられたことに、感謝するばかりであった。
関羽は地に腰を整えて胡座を組んだ。
そして、容を改めて彼らに向き直り、深々と頭を下げた。
枯れる喉を振り絞り、敗軍の虜囚となった己の兵たち向けて最後の言葉をつなぐ。
「皆の者……叶うものなら諸君を故郷の家族のもとに返してやりたいが、今の儂にはどうすることもできん。どうか儂の力不足を呪ってくれい。此度の始末は全て儂の責任である。皆は勇敢に力の限りに奮戦した。誇るべき兵たちだ。それが今、斯様な境遇にあるは、ひとえに儂の総大将としての力量不足によるものである。孫呉の謀りにまんまとしてやられた儂の無能を恨んでくれい。諸君らに如何様に罵られようとも、儂は全てを受け入れる覚悟である」
万軍を統率し、地平の彼方まで威信を響かせた当代の大将軍の声であった。堂々たる風格を備えた語勢に皆が呆然と聞き入り、そして、困惑した。皆一様に驚きを隠せないでいる。素っ頓狂な話を耳にしたような戸惑いがあった。
予想だにしなかった兵卒たちの態度を感じとり、関羽も当惑した。彼らが疲弊して倦怠のただなかにあることはみてとれたが、それだけでは説明のつかない異様な気配があった。関羽が常日頃戦場で兵卒らと相対して得られる彼らの感情の波がまるでつかめない。敗残兵という境遇だけでは説明のつかない息苦しい停滞があった。
(うむ。はて?)
「テメェ! なにを突然バカでかい声でわけわかんねぇこと言ってやがる!」
突然背中に強い衝撃を受けて、関羽はむせこんだ。
胡座をかいたまま関羽が顔を向けて見上げると、甲冑を身に着け、苛立ちに形相を歪めた中年男が関羽を見下ろすように立っていた。この兵士が関羽の背中を蹴り込んだらしかった。
「いま儂は部下と最後の言葉を交わしておるのだ。もしも貴様ら孫呉の狗どもにも武人としての矜持が一欠片でもあるのならば、意を汲んでくれい。もっとも貴様ら畜生にも悖る性根では武人の誇りは重たすぎて抱えきれまいがな」
地の底から噴き上がるような関羽の唸り声は、冴えない中年兵士の冷ややかな失笑で迎えられた。
「部下? イカレてんのかこのボケは。この奴隷どもがオマエの部下だって?」
「……我が兵たちを虜囚とするに飽き足らず、奴隷? 奴隷だと!? そこまで愚かだとは!!」
かつて万人の敵兵をも震えあがらせた、関羽渾身の怒号が放たれた。
「彼らはこの荊州の地に住まう者、多くの故郷に縁者をのこしておる。それを虐げて治まる地が何処にあろうぞ? すでに貴様ら孫呉の末期は定まったようだな。この目でその滅びを見届けてやれぬのが無念だ」
「うるせぇぞこのバカ! 静かにしろっつってんだろ」
中年兵士は腰に下げた剣を抜き放ち、切っ先を関羽の喉元につきつけた。
「次余計なこと喚いたらほんとに殺すぞ」
「ふん。くだらん。この期に及んで死を恐れる関雲長と思うてか。覚悟はとうにできておる。勿体ぶらずに疾くこの首を刎ねるがよい」
「あのな、ここでオマエを殺すなんて予定はないんだよ。せっかく活きの良い奴隷なんだ」
「奴隷!? 奴隷だと!? この儂に生き恥を晒し続けよというのか。何たる屈辱。あたら戦に破れ捕らえられた武人に対して、一片の情けすらないのか」
突きつけられた剣の切っ先を噛み砕かんばかりの形相で、関羽は咆哮した。あまりの勢いに気圧された中年兵士は、後ずさりした。そして失地を回復するように前に進み出ると、剣を振りあげて関羽に斬りかかる姿勢をとった。気圧された屈辱を雪ぐために、何が何でも関羽を斬らねばならぬと追い詰められた顔であった。関羽は不敵な眼差しでそれを迎え討った。中年兵士は意を決した。
「待った、待った。お兄さんたち、ちょいとばかりハリキリすぎだと思うナ。ココ命の賭けどこと違うよ?」
中年兵士が今まさに関羽の胴に剣先を振り下ろそうとしたタイミングで、軽やかな声で横槍が入った。