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19. 感涙


飛翔生物『飛竜』の背から、男が軽やかに跳ねて地面に降り立った。すらりと伸びた筋肉質な手足、快活な性質を思わせる涼やかな目元、生死の狭間に張った綱を渡るような油断のない眼光———それら特徴が、その男が卓越した戦士であることを示している。


リンゲン・ハクソク。

グラン帝国屈指の武勇を誇り、東方辺境タジカン域の司令官として赴任した北方戦線の『英雄』の姿であった。


狼狽を隠しきれないエルマンが、肌色の頭部に脂汗を浮かべてつぶやいた。


「リンゲン……」

「お。その様子はオレの名前は知ってるみたいだな。お察しのとおり、おまえらと仲良くはなれねぇ立場だ。おまえら叛乱軍だろ? ウワサは聞いてるぜ。よろしく……も無理だな」

「……どうして、ここに」


エルマンは懸命に言葉を絞り出した。

リンゲンは当地の司令官として着任して日が浅く、解放軍との直接の因縁は、まだない。お互いに名前だけを認識するような間柄である。解放軍の軍事を統括するエルマンにとって、当地におけるグラン帝国軍の司令官職に就くリンゲンは、違えようのない敵である。それが突如として眼前に、しかも単騎でやすやすと姿を現したことに、驚愕を抑えきれなった。


「ん? 別に油断とかはしてないぜ? 妙な気はおこすなよ。今日はそういう予定じゃねぇんだ」


リンゲンは背に抱えた槍を持ち替え、石突きを地にあてて直立させた。穂先がリンゲンの頭部よりも高い位置にある、細身の長柄の朱槍であった。無駄な装飾なく一色に染め上げられた朱の艶は背景の蒼空によく映えた。


それは、天を———空を背に負うことを許された、紛うことなき英雄の雄姿であった。


リンゲンの穏やかな、けれども射貫くような殺気を帯びた眼光が、その地に集う解放軍の面々を射竦ませた。

解放軍内で屈指の武を有するエルマンをして、緊張による手足の痺れを否めなかった。

エルマンは辛うじて部下の解放軍をかばうような位置取りで踏みとどまった。


「そうビビるな。今日のところの、今のところは、おまえらを討伐しにきたわけじゃねぇんだ。ちと知りたいことがあってな。手間はとらせねぇし、損もさせねぇよ。協力してくれねーか。……さて。おまえら今どういう状況だ? 進路からして、うちのボロっちい拠点から逃げてきた風だよな。そこの事情が知りてぇんだ。明らかなド素人がざっと100人、それなりに訓練してるヤツらが300くらいか。おまえら、どういう主旨の集まりだよ。どんな祭りの帰りなんだ? それともこれから始めるのか?」


「何を、とぼけたようなことを……オマエたちグラン帝国のやったことだろうが!」


「なんていうか、情けねぇ話なんだが、オレは軍の中で嫌われてるんでな。そのあたりの経緯をマジで把握してねぇんだ。……恥ずかしいから内緒にしてくれ」


リンゲンは、まるで旧来の友人と語らうように外連味のない爽やかな笑顔をみせ、エルマンの激昂をいなした。




事態の推移をみたユーリンは、冷や汗を堪えながら傍らの関羽に手短に囁いた。


(非常にマズい。あれはリンゲン。いまこの地域でダントツで一番強い。アイツ、単騎でボクたちを全滅させられるくらいの力はあるはず。もしも戦闘になるようだったらなんとしても隙をみつけて逃げたい。心の用意をしておいてほしい。……ウンチョー? ……ウンチョー!?)


ユーリンは、自分が率いる人民集団を躊躇なく見捨てる算段を即座に確立していた。親睦を深めつつあった解放軍の面々など、まったく考慮にも含めていない。自分と関羽———2人さえリンゲンの手から逃れられれば十分と考えていた。


その片割れである関羽の様子がおかしいことに、ユーリンは気づいた。


(ウンチョー、どうしたの?)


関羽は硬直していた。

大きく目を見開き、陶酔するように穏やかに口元を弛緩させている。

恍惚に法悦し、呆然の垂涎といった有様であった。


「……美しい」

「へ?」

「なんという美しさだ。リュウ……飛竜というのか、あれは」


関羽は、リンゲンが騎乗していた飛竜を一念に見つめていた。


飛竜は翼をたたみ、退屈そうに草原に腹をつけてこちらを睥睨している。口元の剣のような牙を煌々と陽光に輝かせ、丸太のごとき尾を自在に伸縮させて大地を気ままにうがっている。前足から突き出た大鎌のような爪からは、濃厚な死の気配を漂わせていた。


美しい、という形容詞の用法について強い疑義を抱きながらも、ユーリンはその点には触れなかった。


「……ウンチョー、飛竜みるの、はじめてなんだっけ」

「うむ。儂の故国では、あのような生き物は空想のものと思われていた。だが、実在したのだな……感無量とは……このことだ」


関羽は惜しげもなく感涙していた。


そして、夢心地のような儚い足取りでふらふらと前に歩み出た。その先には、リンゲンが立っている。

ユーリンとエルマンが悲鳴をあげなかったのは、関羽の徘徊を真正面から見据えたリンゲンが不敵な笑みを絶やさなかったためである。


リンゲンは口元を微笑みのような形に留めながら、おぼろな足取りで近づいてくる関羽との間合いを測っていた。

そして、宣告した。


「ニーチャン。次の1歩で、斬るぜ」

「そこな御仁」

「んあ?」

「あれを……彼女をもっと間近で拝見したいのだが……許可を、許可をいただけないだろうか?」


関羽は、感動で震える声を振り絞り、両手をあわせて拱手して深々と頭をさげた。

リンゲンは呆気にとられて目をぱちくりとさせた。

やがて関羽の切実な申し入れの意味を理解すると、遠慮なく呵々大笑した。


「あっはははははは。いいぜ、おれは止めねぇ。あとは自分でアイツと相談しな。もっとも死んでも恨むなよ? ま、ニーチャンは過去イチで見込みありだな」

「感謝いたす」


関羽は大仰に再礼した。


リンゲンはますます愉快そうに笑った。そして、


「アイツは気位が高い。ぜったいに後ろから寄るなよ、即死だ。正面から眼をあわせて心で語らって、もしもまだニーチャンが生きてたら近寄ってもよい」


屈託なく心底からの助言を、送別と餞別を兼ねて、手向けた。




関羽は堂々とした歩みで、しかし額ずく(ぬかずく)ような心境で、『彼女』の眼下に足を運んだ。関羽の顔ほどの大きさのある彼女の眼が、関羽の顔を値踏みするように眺めた。関羽は己の心肝を明け渡すような明鏡止水の心で、その裁定の刻を迎え入れた。

彼女は、そんな関羽の態度に及第の評を下した。関羽の頑健な胴を容易くひとふりで両断できる彼女の前足は、大地に生い茂る草花をじっと掴んだまま、小揺るぎもしなかった。


関羽は彼女の前で拱手し、一礼した。


リンゲンの助言をどのように実践すればよいのか———その解答が、まるで大地から教えられたかのように関羽の芯から自然と湧き上がり、関羽が為すべきことを示したのである。


関羽は彼女の真正面に立った。なぜ飛竜のことを『彼女』と感じたのか、理由はわからない。目の当たりにした瞬間に、まるで風が雲を拐かすように心を奪われた事実を、色恋の情動と錯覚したのかもしれない。


しかし、もはや経緯はどうでもよかった。関羽は、この美しく荘厳な存在が、いわゆる雌に分類されることを確信していた。


ただ彼女のこと想った。

彼女の間近に在りたかった。

彼女の側で、その息遣いを共にしたかった。

彼女のことを知り、時の流れを分かち合いたかった。


関羽は想いの丈を、彼女にぶつけた。

感情の濁流が波濤となって、目には映らぬ圧力の波動を織りなした。


不躾な恋情を浴びせられた彼女は、呆れたようか態度を隠さなかった。

「ガ〓〓っ、ギュルル!」

厚みのある牙を上下させ、格の差を見せつけた。


関羽は、そんな彼女に、ますます惚れ直した。

滾る熱情を堪えきれなくなる。


関羽は懇願した。


どうか己の哀れな想いの、

せめて欠片の一部だけでも受け取って、

僅かな情けの一滴を垂らし、

この灼けつく渇きを、

慈悲の心で癒やしてはくれないだろうか―――


関羽は、一身、ひたぶるに祈った。

恋に希い(こいねがい)、請い願った。


骨を焦がして浅黒く炭にし、血潮の熱で熾を成すような覚悟を捧げた。


それは無言の求愛であり、無残な窮哀であった。


そんな関羽に対して、彼女が観念して応えた。



―――あきれたね



それは、彼女が関羽を受けとめ、理解し、受け入れなかったことを意味した。


それは、拒絶を先延ばしにした、温かい抱擁であった。


それは、彼女がぬくもりをもって関羽を袖にするために、関羽に一時の情けを約束したものであった。




「マジかよ、とんでもねぇな」

様子を見ていたリンゲンの声が上ずり、驚きに掠れた。


リンゲンの相棒である彼女が、誇り高き飛竜ネヴィエルが、その雄大な翼を広げて天にかざし、無防備な背中を関羽に晒していた。


それは、彼女が、関羽に騎乗を許したことを意味していた。


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