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16. 策動の下地


砦に向かいながら、ユーリンはエルマンと会話を続けた。会談の落着点としてはユーリンの意図する成果をひとまず得たが、細部にまだ粗がある。ユーリンの怜悧な思考は、エルマンを『与し易し』と評価していた。


(ナマナカな現場担当の現物主義者なんて、『物質がモノを言わない現場』ではネグリジェ姿のハシタメよりもか弱いもんだね)


武人としてのエルマンは無能とは程遠い実直な人物であろう。しかし、武を用いぬ係争においてはその限りではない。


(もらえるものは全部もらうよ、禿げ頭さん)


今後の策動の下地としての無形の戦果をエルマンから稼ぐこと———それがユーリンの次の目標となった。


「ところでエルマンさん。改めてですが、私の名前はユーリンといいます。以後ご認識おきください」

「あ、ああ。すまない。よろしくな、ユーリン。とりあえずアンタたちの素性は信じることにした。少なくともグラン帝国がなにか企んでるわけじゃなさそうだな」

「あははは。なるほど、そういう疑いがかかっていたんですね。納得です。たしかにそういう嫌疑は成り立ちますね。ではあらためて旗幟を鮮明にしましょう。提案ですが、帝国旗を取っ払って、解放軍の深紅の旗を最上部に掲げます。……ボクが仮にグラン帝国の手の者だとしたら、それだけは絶対にやらないでしょう」


ユーリンの冗談めかした口ぶりにつられて、エルマンは笑った。


「そいつぁ、愉快だ。よし! この際だ、記念にやっちまおう。帝国の連中のツラが見物だな」

「ええ、ぜひ」


グラン帝国軍旗は神聖なものと見做されている。その風土を鑑みれば、グラン帝国軍旗を降ろして賊徒たる解放軍の旗を代わりに掲げるなど、たかが辺境の叛徒を討伐する程度の動機で採用できることではない。ユーリンが帝国に仇する立場であることを立証するパフォーマンスとしては十分な効果があった。


「ところで、解放軍がこの地にお越しになった理由をお伺いしてもよろしいでしょうか。何か作戦上の都合でも? ああ、もちろん私に話せないことは伏していただいて結構ですよ。解放軍の方々のご活躍は存じておりますので」


あたかも解放軍を親しみ敬慕するかのようなユーリンの話ぶりを、エルマンは微塵も疑わなかった。それは客観的にみて、完全に友好的な態度であるといえた。


「そういえばちゃんと言ってなかったな。元々はアンタたちを助けにきたんだ。グラン帝国軍のハミダシ連中がまた人さらいを始めたと聞いてな、それが見逃せねぇ規模だっていうから、こちとら一戦交える覚悟で気合入れて駆けつけたんだよ。もっとも、予定は良い方に変わっちまったようだがな」


「そういうことでしたか。『安心と安全』を一言で頂いた思いです。突如現れた軍勢をみて不安を覚える声もあがったのですが、これで皆を安堵させられます」


ユーリンは胸に手を当てて撫でおろし、心底からの安らぎを得たかのような穏やかな笑みを口元につくった。


「つまり私たち虜囚として捕らえられていた者たちを、帝国軍の手の届かないところまで連れて行ってくださると期待してよろしいのでしょうか」

「もちろんだ。そのつもりで来た。といっても無理強いはできねぇから希望するヤツだけな。俺たちを信じてついてくるヤツは拒まねぇよ」

「ボクはもちろんエルマンさんを信じますよ。皆にもそれを伝えるつもりです」


真正面から無垢な信頼を投げつけられて、エルマンは気恥ずかしそうな顔をした。


「……ユーリン、あんまり俺たちを信じるなよ。というか世間で他人をむやみに信じるな。初めて会うヤツは失礼なくらいにとりあえず疑っておけ」

「……努力します」

「ま、あんま難しくとらえるこたぁ、ない。ボウズの顔なら大抵の失礼は許してもらえる」


人間は、『自分が助けた』と思った人間には利害を超えて心を許す。自分の助言を素直に聞き入れただけの年少者に対して、どういうわけか庇護欲をかきたてられるのである。特に成人男性に顕著なその奇妙な習性を、ユーリンは熟知していた。


初対面における印象が後々の対人判断力をどれほど歪ませるか———この点に関してエルマンは全く無防備であり、ユーリンによる心理的防壁の破壊行為に気がつくことさえなかった。


「話が変わってずいぶんと先のことになるのですが、もしも解放された虜囚のなかに解放軍への参加を希望する者がいた場合は、その者たちが受け入れられる余地はあるのでしょうか」

「んあ!? どうした、突然……」


虚を突かれて、エルマンは軽く狼狽した。帝国軍に敵意を抱く者を解放軍に勧誘することは、エルマンの当地における活動目的の1つである。しかし、捕縛されて連行されて叛乱に巻き込まれて今に至る人々に対して、どのタイミングでその話題を切り出すかエルマンは考えあぐねていた。そこへ代表者たるユーリンから図ったように都合よくその話題を持ち掛けられ、身を固くして慌ててしまったのである。


「私が代表となって皆の取りまとめ役に就くまで、けっこうな混乱が私たちのなかで生じたのです。その折に、今後の去就についても議題になったのですが、その一案として『このまま解放軍に参加する』と主張する者たちがありました。結局その件は保留として、今朝はひとまず身支度にいそしんでいるのですが、この際ですので選択肢としての可否を確認させていただきたいと思った次第です。……急なことで恐縮ですが、この後みなに事情を説明するにあたって、前途展望の有無をあらかじめ承知しておきたいのです」


ユーリンは申し訳なさそうにエルマンに申し入れた。

昨日の関羽による騒乱からこの瞬間まで、虜囚から解放された人民たちのなかで『解放軍に参加する』と発言した者など、どこにもいない。しかし、いなかったことを証明するのは永久に不可能である。露見しない嘘は真実と等価であるとみなすことに、ユーリンはいささかの躊躇もなかった。


「ああ、そういうことか。たしかに、そういう声を受け入れるために俺たちは身体をはってきたわけだしな。無論、受け入れるつもりだが、何人くらい来てくれそうかな」


「それは……残念ながら今の段階では算出できません。ひとまず直近の危難に対処するため私が指揮を執ることで皆の内での合意を形成しておりますが、安全が確保できるようになった以後のことは、改めて各々に判断の機会を与える義務が私にはあります。その際に選択肢のひとつとして解放軍への参加を志願する者については、私は無論その意思を尊重します。混乱が収まってからまだ幾ばくもなく、皆が今後のことを考えるのにはもう少し時間がかかりそうです」


「そりゃそうだな、半端な気持ちで決められることじゃない。だが帰るトコがあんなら、ソコに帰った方がいいのは間違いない。……どこにも居場所がねぇってんなら歓迎するがな」


「ご理解をいただけてうれしいです。それに、叶うことなら解放軍の『指導者の方』とも直にお会いして、活動内容や今後の目標について直接確認をさせていただく機会をいただきたいのです。解放軍の方々のご活躍については、噂や伝聞として耳にするのですが、実際のところは私も詳細を存じておりません。それを『指導者の方』から間近でお伺いさせていただければ、考えを固める者も多いと思うのですが」

「それについては問題ない。うちのリーダー……リョウケイってんだが、義理堅いヤツなんだ。そういう挨拶で手ぇ抜いたことはない。いくらでも付き合うぜ」


エルマンは自信をもって、気安く請け負った。視線をユーリンからそらし、遡上にあげたリョウケイの姿形を記憶の中で反芻するように思い浮かべた。

———そのため、エルマンは気がつかなかった。『リョウケイ』の名前が、ユーリンの蒼天のように済んだ瞳の内に、天地を砕くような激烈な雷を招いたことに。


ユーリンは震える手で目をそっと覆い、心中の嵐を気取られまいと苦心した。


(……いけない。わかっていたことじゃないか。……落ち着かないと。先は長いんだ、こんな程度で蹉跌かましてる場合じゃない。落ち着け)


ユーリンは感情を消し、まるで吉事に喜び華やいでいるかのような声音を捻出した。


「それはありがたいですね。皆にもそのまま伝えられます」


それを聞いたエルマンは、とても満足そうにうなずいた。




砦の中では、緊張した面持ちの人民たちがユーリンの帰還を待っていた。わずか半日の指導者役の成果によって、ユーリンはすっかり人々から敬慕されていた。


「いったい、どうなったんです?」「そのひとたちは?」「これからどうやって……」

「うん! みんな、ただいま。順番に説明するから聞いてほしい。『説得と説明を兼ねた演説会』を開催しよう———まずはこの人たちなんだけど」


親しみ甘えるように、けれども熱烈な敬意を怠ることなく押しかける人々を、ユーリンは当然のごとく受け止めた。

ユーリンが人心を完璧に掌握しているその様子をみて、エルマンのなかに僅かに残っていた疑念は瞬く間に霧消した。

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