15. 嘘ではなくとも
「御身がこの軍の将か?」
関羽の問いかけに、解放軍内から1人の男が応じて前に出てきた。頭部の肌色が鮮やかな、剃髪姿の筋肉質の男であった。
「おう。俺たちになんか用かい? さっきは『同志』のなんのと、妙なことを口走っていたようだが」
「仔細は我が主から申しあげる故、一刻の猶予を頂戴する」
関羽は胸の前で手を組み、拱手の姿勢で解放軍の剃髪の指揮官に礼を示した。
剃髪男は見知らぬ様式の作法に一瞬おどろいたような顔をしたが、関羽のそれがいかにも流麗に洗練されて動作であることから、込められた謝意の意図を汲んで、頷いた。
「ウンチョー、ありがとう。もう退ってよいよ」
ユーリンは、努めて鷹揚な口調で手慣れた風を装って関羽に指示を出した。
関羽はそれを受けて、粛々とユーリンの指図に従って身を後方に退けた。
剃髪男はその光景をみて、目を露骨に見張った。齢若く少女のごとき容姿のユーリンに、関羽ほどの武人が恭しく従属する有様を不思議に思っている様子だった。
ユーリンと剃髪男の2人が直接相対した。関羽はユーリンの後方に侍り、解放軍の兵士たちは周囲を半包囲するように散開しつつ様子を窺っている。
「お初にお目にかかります。私の名前はユーリン。少なくともあなた方と敵対する意思はなく、間違いなくグラン帝国とは敵対する状況にある者です。まずはご挨拶の機会をいただけたことを御礼申しあげます」
ユーリンは礼儀正しく自身の名前を告げ、剃髪男の返答を待った。
男は少し考えるように目線を左右に走らせて、日光よりもまばゆい頭部をポリポリと掻いた。
「……ボウズ、挨拶はいい。いったい何がどうなってんだ? あの砦の中で何があった? 全部話してもらおうか」
(……なんと!?)
瞬間、関羽が激発した。
「我が主は礼に則り名を告げた! にもかかわらず其の方は返礼を怠り、あろうことか横柄に指図まがいの言葉を口にするとは。それは我が主を愚弄し、我が誇りを損なうものであると知れ!」
獅子が兎を噛み砕くような剣幕で、関羽が割って入った。全身から凄烈な気迫が放たれ、周囲の解放軍およそ300の兵士たちがたじろいだ。
気配でそれを感じたらしい剃髪男が、危機感ある表情で場をなだめた。自軍を制するような手振りで、無言のうちに麾下の兵士らの動揺を沈めたのである。
剃髪男は、関羽を睨みつけた。
関羽はそれを真正面から受け止めた。剃髪男の気迫に陰りはなく、背に負う兵卒らの信頼を束ねて自己を律しているのが、関羽にはよくわかった。
関羽は剃髪男を内心で評した。
(将の質はひとまず及第といったところか)
解放軍の兵士たちの装備や表情から、軍としての品質をおおよそ関羽は洞察していた。かつて関羽が指揮した歴戦の精鋭兵たちとは比ぶべくもないが、烏合の衆をよく鍛え統率している。
関羽は、この解放軍の指揮官である剃髪男が有能な好人物であると認めた。
(なれば儂の役目はここまでか。この場はユーリン、お主に委ねるぞ。いかなる心算かその器を示すがよい)
関羽は空を見上げた。雲のない、透き通るような晴天が広がっている。
その風景は、関羽がこれまでの生涯において駆け抜けてきた漢の天地の蒼天と同じであった。
天は限りなく、天下は広大である。ただ関羽の天命のみが定めなく彷徨える浮雲のようであった。
(儂の身は、蜀への帰路は、天下の行く末は。いや、いまは焦っても埒があかぬ。ひとまずはユーリン、そなたを見守ろうぞ)
関羽は、夢幻の神秘の顕現であるかの如く若返った自身の肉体を眺め見下ろし、内心の迷いを蒼天に預けた。
緊迫の奔るその場において、ユーリンだけが涼しい顔を保っていた。
「私の従者が皆様を驚かせてしまいましたね」
ただ事実のみを再確認する口調で、ユーリンが言った。まるで淑やかな令嬢が客人に供した茶葉の未熟をたしなめるかのような態度ではあったが、その実、関羽の放言をいささかも謝する気色がない。剃髪男の非礼を言外に咎めていることを感じ取れる人物は、その場に多くはいなかった。
その中の数少ない1人が、肌色の頭部を軽く下げてユーリンに応じた。
「俺はエルマンってんだ。この軍の指揮官を務めている。その、なんだ、たぶんアンタたちは俺の喧嘩相手じゃねぇと思ってるんだ。対等の立場からお互いの情報を交換したい。受けてもらえるだろうか」
提案という体で、仕切りなおした。
ユーリンはまるで天女のような微笑みをつくった。それが『真正の模造物』であることを感じ取れる人物は、その場では関羽だけだった。
「もちろんです、エルマン殿。私たちも同じ望みを抱いてこの場に参じた次第、断る理由はありません。差し当たり最初のご質問についての結論のみお伝えいたしますと、現在、あの砦はやむを得ぬ仕儀により私たちが個人的に占拠しており、元の持ち主であるグラン帝国の方々には武装解除のご協力をいただいております。虜囚として連行されてきた人々も、みな自由を得て健在です」
「……信じられねぇな。いくら手薄っていっても、アソコにはそれなりの数の帝国兵が詰めていたはずだぜ。『奴隷化の魔法』も効いてただろ、それはどうした?」
「魔法については私たちには心得がありませんので、何とも判じかねます。確かにほとんどの虜囚の方々は抵抗する気力をなくしているようでしたが……。グラン帝国兵を制圧したのは、私の従者です。彼は一騎当千の豪の者であり、帝国兵にさらわれた私を救助するために単身でこの場にはせ参じたのです。彼の前では士気にも忠義にも欠ける辺境警備の帝国兵など物の数ではありません。彼の奮戦を目の当たりにして虜囚の方々も勇気を得て、一気呵成に砦全体を制圧する叛乱に成功しました。その後は、虜囚の方々を混じえた協議を経て私が臨時の代表者となって指揮を執っています。ご懸念がありましたら、砦の中をご案内申しあげますが?」
「そうか。そうだな、あとで様子を直に見せてもらおう。……そうか、アンタが……納得だ」
剃髪男エルマンは、ユーリンの側に控える関羽を再度みた。関羽の威容を間近で見て、一騎当千との評が虚偽でないこと———武人としての格の差をエルマンは痛感していた。関羽と敵対する必要がないことに安堵していた。
一方、一騎当千と評された関羽は、ユーリンの言葉に眩暈がする思いだった。後で真贋を虜囚たちから聴取されても『解釈の差』『記憶違い』で言い逃れができるギリギリの虚言を、長江の雄大な流れのような泰然怒涛の勢いで発するユーリンに唖然としたためだ。関羽は目をつむって、心の中で空の雲を眺めた。ユーリンがこの会談をどのように着地させて当初の企図を実現するつもりであるのか、関羽は一切の顛末をこの才気煥発の少年に委ねることにした。
「従者ってことは、ボウズん家はイイトコか? どこら辺だ? 帝国の連中は、なんでそんな厄介なトコからボウズをさらってきたんだ」
「私個人は特段の富貴の身分ではありません。実家についても回答を秘させていただきますが、このような状況である事情を汲んでご理解を願います。……私をさらった理由については私が直接回答する理由はありません。ただ、私はほかの虜囚の方々よりも丁重に扱われていたように感じられますので、おそらく高い値がつくと目されたんでしょうか。真実のところは私にはわかりかねます」
「そりゃ、ま。そうだな。悪かったな妙なコト聞いて。だがどうしても確認しなきゃならんことがある」
エルマンはユーリンから視線を外し、関羽をみた。
関羽は内心で(儂を巻き込まないでくれ)と願ったが、それは叶わなかった。
「……アンタ、相当だろ。どういう事情でボウズに付き従ってんだ」
これは当然の疑問である、と関羽は気づいた。ユーリンが富貴の身分であると自称すればもっともらしい理由を語れるが、それはユーリン自身が今しがた否定している。回答を誤れば無用な不信を招きかねない———関羽は返答に窮した。
ユーリンがにっこりと笑って、エルマンの追及の矛先を引き受けた。
「ずいぶんと私個人について関心がおありなのですね」
思わせぶりな、裏の意味を匂わせるような口調だった。
仕草や表情、声音や口調の微妙な操作だけで会話の流れを誘導できるのが、ユーリンの特異な権能であると関羽は理解していた。
「ああ、すまないな。ボウズについてはこれで最後だ。アンタたちを信用するためには、ココの確認だけは絶対に外せねぇんだ。答えてもらうぜ」
エルマンはなぜか悪事の露見に怯える童子のような緊張を覚えたが、あえて自分を鈍感にして内心のドギマギを抑え込んで会話を続けた。解放軍の軍事統括としての責任感が、エルマンの足をユーリンが育てた毒花生い茂る罠地へと進ませたのだ。
エルマンの問いに対して、ユーリンは回答をためらうような演技をした。もじもじと顔をうつむけて思案し、関羽をチラりと見て何かを決意したかのような表情をつくった。そして、照れたような赤みを頬に蕩かし、思わせぶりに緊張を崩して、爛漫と咲き誇る笑みを浮かべた。
「ボクと彼は、個人的な交際に基づいた特別な関係にあります」
沈黙が場を満たした。
「……………………おう。砦の様子を見させてくれ」
エルマンが言葉少なに会談の終了を宣言し、周囲で待機していた解放軍に砦に向かうように指示を出した。それは、暫定ではあるが、ユーリン率いる虜囚たちと解放軍の間で友好関係の成立を認めるものであった。
関羽は頭痛を堪えて踏みとどまった。会談の成果に満足気なユーリンの顔を引き寄せて、小声で囁いた。
(ユーリン、そなた、なんということを)
(ウソじゃないでしょ? ボクとウンチョーは仲良しじゃん?)
(嘘ではなくとも、程度があろうが)
顔を寄せ合って囁きあう2人のその様子を見たエルマンは、駆け足で砦に向かった。




