14. 解放軍の軍事統括者
昨日、夕刻。
砦まで残すところ一両日の距離に解放軍は野営地を設けた。
翌日昼過ぎには帝国軍の砦に強襲を仕掛けられる見込みであった。
解放軍の実働部隊を率いるエルマンは、手勢として率いてきた約300人の兵士たちが天幕を張って簡易な寝所をこしらえ、糧食を温める火を熾している様子を感慨深げに眺めていた。結成当初は食い詰め者の寄り合い所帯でしかなかった解放軍が、ようやく軍隊らしく行動できるようになってきたことに、成長の兆しを見出したためである。幾年にも及ぶ訓練と、帝国軍を相手とした実戦経験を重ねた成果が結実しつつある———髪を剃りあげた頭部を撫でながら、エルマンはこれまでの月日を思い返した。
エルマンは、解放軍の結成初期から軍事面での統括者として参与していた。グラン帝国軍にて数年の軍歴を積んだのちに事情あって退役し、故郷で無聊を託つ日々を送っているところを、解放軍のリーダーであるリョウケイに請われてグラン帝国への叛旗の誘いに応じた経緯がある。以後、エルマンは軍事教官を兼ねた実践指揮官として、浮浪者やならず者たちの群集であった解放軍の兵士たちの指導にあたってきた。とても善性とは評価しがたい人間性の志願兵たちを相手に粘り強く教練を続けて集団行動の基礎を仕込み、実戦においては最前線で流血を堪えて指揮を執り、いっぱしの軍隊らしい風体を保てるように解放軍をここまで導いたのである。そんなエルマンに対する解放軍一般兵士からの信頼は篤く、「ハゲのお頭」と親しみを込めて呼ばれるようになり、エルマンはそのあだ名を耳にするたびに、(別にハゲってわけじゃねぇんだけどな)と困ったような顔をして、陽光を浴びて燦々と輝くほどにキレイに剃髪した頭をポリポリと掻くのが常であった。
そんなエルマンは、偵察の任務から戻ったソフィーの報告をにわかには信じなかった。襲撃対象として調査していた帝国軍の砦で、異変が生じたというのである。
「叛乱だと!?」
「そ! うまくいったみたいよ。経緯はわからないけど、つかまってた人たちがドンチャン騒ぎしてるのは間違いない。アタシも混じりたかったなぁ」
短く束ねた赤髪を首元で跳ねさせながら、ソフィーが軽口をたたいた。ソフィーはエルマンと同郷の幼馴染の女性で、幼少期からの友人であった。ソフィーはエルマンよりも歳若く、武の心得もないが、リーダーであるリョウケイに惹かれてエルマンとともに解放軍に志願し、斥候としての非常に高い適性を発揮して解放軍にとって欠かすことのできない存在となっていた。
実戦部隊を指揮するエルマンとそれを陰から支えるソフィーは、共に作戦に従事することが多く、元来の幼馴染という間柄も手伝って、まったく気を置く気にすらならない気が置けない関係を、ずっと続けていた。エルマンもソフィーも、内心ではそれを心地よいと想っていたが、決してそれを相手に伝えることはなかった。
ソフィーは今日もいつものように気安い態度で、指揮官であるエルマンに自身が見聞したものをありのままに報告していた。その報告の正確さと遠慮のなさが、解放軍のつたない軍事行動の成功率を高めていることを、エルマンは熟知していた。
「帝国軍の連中は?」
「さ? 姿が見えなくなったから、全員、殺されちゃったんじゃない?」
「……信じられん。『奴隷化の魔法』が解けたってのか?」
キレイに髪を剃りあげた頭部に汗を湧かせながら、エルマンが驚愕した。
多数の奴隷兵を運用する帝国軍を支える『奴隷化の魔法』については、解放軍の内部でも対抗方法が研究されていた。あらゆる魔法領域のうちでも特に複雑高度とされる『精神魔法』の一種ではあるが、効能と有効期間を縮小して単純化し、初級程度の術使いでも行使できるように工夫されている。単純な効能であるだけに、対象者の感情を短期間のみ誘導する程度のことしかできないが、その反面、時間の経過以外の方法で治癒するのは不可能であると解放軍では分析していた。
「それは知らないけど、みんな酒飲んで歌って元気だったわよ。ちょっとわけてもらってくりゃよかったかしら」
腕を頭の後ろに組んで、ソフィーがうそぶいた。焔のように赤い髪が指の間から漏れた。
「予定が狂ったな。まぁいい。このまま予定通りに砦に向かうぞ」
「は? アタシら帰んないの?」
ソフィーは驚きの声をあげた。
「バカヤロウ、リョウケイから何言われたのか忘れたのか。新任の何ちゃらってのがコナ撒いて揉めて帝国軍の動きが鈍いいまがチャンスらしい。飯と武器、あと新入りの勧誘だ。いま俺たちに要るものがそこの砦にご丁寧に積んであるそうな。ソレを持って帰るのが俺たちの役目だ。現地にいかねぇと何も始まらねぇだろ」
「めんどくさっ。でもまぁリョウケイさんが言うなら、仕方ないか」
リョウケイの名前を出すことで、仏頂面であったソフィーの表情が安堵にほぐれ、照れたような笑みが浮かべた。
エルマンはソフィーの変化に気づき、自身が抱いた寂しさには気がつかないフリをして、会話を打ち切った。
「そーゆーこった。ご苦労だったな、ソフィー。今夜はよく休んでくれ。それにしても、いったい何があったんだか」
エルマンは禿頭を擦って知恵を絞り出すように試みたが、すぐに徒労と見限った。
(ま、俺は言われたとおりにやるだけさ。難しいことはリョウケイを信じよう。……俺がしっかりしねぇとな)
思考に混じったリョウケイの名前から感じた微かな苦みを飲み下し、兵士らの命を預かる現場指揮官としての心得を奮い立たせた。
エルマンは現場の軍人としての経験には多少の自信をいただきつつあるが、政治的な判断力や作戦参謀としての自身の能力はまったくアテにしていなかった。己が頼りとする肉体を大事にするために、エルマンは思考を放棄して就寝した。
翌日、帝国軍の砦を視認できる距離まで進軍したエルマンは、再度の直前偵察から戻ってきたソフィーの報告に、またも悩まされることになった。
「なーんかね、軍備を整えてたっぽい」
「は? 帝国軍が元気になったってのか?」
「ちがうちがう。捕虜になってた人たちが」
「……意味が分からんぞ。人数は? 何人くらい減っていた?」
新たな情報に混乱させられる自分を抑え込み、現状把握の手がかりを求める気持ちで、エルマンはソフィーに確認した。
「それがね……意外! ぜんぜん減ってないわ。たぶん離脱者ゼロじゃないかしら。いま砦でせっせと装備をととのえたり糧食を包んだりしてる人数って、連行されてた人数とぴったり一致する気がする。もしかしたら1人多いかもだけど、減ってる感じはまったくしないわ」
「そんな、バカな」
突発的なアクシデントから叛乱が勃発し、虜囚の身から突然の自由を得たというのならば、一目散にその場から逃げ出そうと試みるのが人情である。にもかかわらず、忌々しい帝国軍の砦の内部に滞留する事情がわからない。先立つものを求めるにしても、暴徒のように手当たり次第に備蓄を略奪して、統制なく逃走するのが普通であるはずだ。なぜ昨晩のうちに脱走するものが出なかったのか、そしてなぜ今は軍備を整えようとしているのか。その不可思議な状況を整合させる説明が、エルマンには捻出できなかった。
「……慎重にいく。ソフィー、お前は本体から離れた場所で様子をうかがえ。万一のときは一人で本部に戻る覚悟を決めろ」
「え? なんて? 意味わかんない」
「もしかしたら、なんだが……ひょっとすると、俺たちは誰かに騙されているのかもしれねぇ、ってことだ。コイツぁ、エタイが知れねぇ状況だ。何があるかわからん」
口調こそいつものとおりだが、重々しく真剣な目つきでエルマンは告げた。それは、流血をいとわぬ戦場で命を長らえてきたものだけが発する、生死の狭間を見つめる冷徹な目であった。
ソフィーは否応なくうなずき、姿を消した。予期せぬ戦闘が生じても巻き込まれることなく、事態の推移を観察できる位置に避難したのだ。エルマンの気持ちが軽くなった。
結局エルマンは、半端な作戦は却って害になると判断し、全軍にここまで把握できている事情をすべて打ち明けることを選んだ。これはエルマンの根本の性質が、秘匿や機略からはほど遠いことが理由である。
———襲撃予定の帝国軍の砦の防備が手薄であり、混戦になればまず敗北はないこと。ただし帝国軍側で何か不測の事態が生じている可能性が高いこと。それでも油断せず慎重かつ迅速に行動するべき状況であること———エルマンは行軍の足を止めることなく、動員した300名の兵士らに自ら口頭で伝達した。
そして、目標とする砦から、騎影が出てきたことを視認した。1人が乗馬し、1人が側に付き添っている。その姿は怯えるでもなく、慌てるでもなく、まるで解放軍の到着を待ち詫びていたかのような、余裕を感じさせるものであった。
エルマンは直感した。
(アレが元凶だな……!)
昨晩から届けられる奇妙な報告。その根本存在が、アレに違いない。
あれが敵か味方か、意図は何か、帝国軍はどうなっているのか。それを早急に見定めるのが自分の務めであると、エルマンは己を奮い立たせた。
解放軍と、砦から出てきた2人との間の距離が、徐々に縮まる。
エルマンは2人の姿かたちをはじめて目の当たりにした。
乗馬しているのは、小柄な人物である。遠目にもわかる見事な銀髪と華奢な身体つきが、高貴な身分を連想させた。
そして———その小柄な人物にうやうやしく付き従う、一目で武人であると識別できる偉丈夫に、エルマンは目を奪われた。それは背丈が高く、筋骨は巌のように頑健であることが遠目にもわかる、若い精悍な男であった。猛獣のごとき眼光で大地を睥睨し、威風凛々たる武の格を漂わせている。その男が単身で一軍にも比肩しうる脅威を秘めていることを、エルマンは悟った。
その男が半身を乗り出した。エルマンは反射的に手元の武器の握りを固くした。頼みとする武具が、なんとも脆く儚いものであるかのように感じられた。
天を割り、大地を劈くような咆哮が、その精悍な男から放たれたのは、この瞬間である。
「貴殿らの御大将殿は、いずこに居られるや!?」
それが自分を呼び求める声であることを理解するために、エルマンはしばしの間を必要とした。




