13. 最初の関門
大急ぎで朝食を終えたのち、砦の中はにわかに慌ただしくなった。
(旗揚げのころを思い出すわい)
各地で乱暴狼藉を働く黄巾党を討伐するために義勇軍を結成したのが、関雲長の武勇伝の始まりである。志より他に何も持たない若人ばかりが集い、当初は集団としての統率や糧食の手配に掛かり切りの日々であった。死地より脱するために、懸命に不慣れな軍事教練に励む人民の姿は、関羽に懐かい記憶を呼び起こさせた。
関羽は約100人の人民を簡易な軍団として指揮するために、最小限の規律を定めた。10人を1組として小隊と呼称し、小隊長を定めることで連絡網を整え、集団行動への意識づけを強化した。あわせて砦の備蓄在庫や帝国兵の装備を押収することで、軍団らしい威容を手際よく整えた。数日分の携行糧食は全員に保有させる方針を打ち出したうえで、食料の運搬係も任命した。
これらの差配に大きな混乱をきたさなかったのは、関羽の長い軍歴に基づいた指示の的確さと、ユーリンの人望を背景とした関羽の威信によるものである。
ユーリンは警戒するように、時折、砦の外をくまなく観察していたが、それ以外の時間は頻繁に人民の間を巡回して労いの声掛けをしていた。今日の天気や昨日の食事、ここまで連行されてきた道のりの思い出話など、取り留めもない会話を軽妙に各小隊と交わすことで、全体の緊張をほぐしながら指揮官への信頼感を醸成していった。
「だって全然ノーリスクじゃん。とりあえず会話くらいはするさ。仲が良さそうにしておいたほうが、面倒ごとが減りそうだしね」
幾度目かの巡回を終えて関羽の元に戻ってきたユーリンは、ボソっと言い放った。
「それは重畳。見事な手際だ」
関羽はからかうように賞賛したが、それはこの取り組みについての真剣な賛辞をユーリンがまったく喜ばないことを知っていたためである。
「ホントにボクにとっては『行きがかりの成り行きまかせの向こう見ず』だけなんだからね。楽しんでやってると思わないでよ?」
「本心がどちらを"向いて"いようとも、その任を十全に務めているのは確かだ」
「……"向いて"ないんだけどなぁ」
ユーリンはつまらなさげにそっぽを"向いて"、去っていった。
(そなたほど"向いて"いる人間は、ほんの数えるほどしか、おらん)
関羽は不平顔のユーリンの背中を眺め、最後の一言を飲み込んだ。
ユーリンを総大将とし、関羽がそれを補佐するという体裁で、着々と軍団としての体裁を整えていくことで、正午を過ぎるころには最低限の行軍ができる程度の準備を整えることができた。
少し遅めの昼食を人民に摂らせているところに、ユーリンが砦の外を眺めて、声を発した。
「うーん、『鏡のないお宅で身の程知らずなご婦人が口に紅を差した』としたらあんな色合いになるんじゃないかな」
「……なんのことだ?」
「ほらアッチ。あのやたら自己主張の激しい紅色の旗は、解放軍だね」
地平線の一角をユーリンが示した。指先をたどって関羽が目を向けると、そこには武装した数百の民兵の集団があった。老眼の曇りが晴れた関羽の視力は、紅色の布を旗印としてまばらに掲げられているのを見て取った。
「……気色悪い。非正規軍のくせにわざわざ旗を掲げる神経がボクは嫌いだ。ああいうのは所属集団に奉仕する善良な人々が自らの組織社会を誇る象徴なんだ。チンピラが野盗をxxxxして産ませたならず者どもの群れが『酔ってイキって盛ってマネして』いいもんじゃない」
ユーリンは嫌悪感を露骨にし、唾棄するように言い捨てた。
その言葉の勢いに関羽は少し驚いたが、意外とは思わなかった。
(解放軍とやらを心底嫌っているのだな。しかしその解放軍に身を投じるとはどういう算段であるか)
考え込んだ関羽をみて、ユーリンが慌てて謝罪した。
「ごめんね、困らせちゃった、言葉が過ぎた。……ともあれボクにとって『頭の頭痛が痛い』難題がいまから始まる。アイツらに舐められないように高くボク自身を売りつけたい。『ボクはアイツらを仲間だとは思わないけど、アイツらにはボクを仲間だとは思わせたい』んだ」
ユーリンの本来の計画に立ち戻り、解放軍との合流交渉を開始しなければならない。
関羽とユーリンは視線を交わし、うなずきあった。
「ボクとウンチョーの2人だけで出撃しよう。さてさてすっかりようやくお待ちかね、願ったり叶ったりな第一関門の到来だ。ボクはこれを突破したい。ウンチョー、よろしく頼む」
「ふふふ。この関雲長、関門を破ることにかけては、人後に落ちることなしと自負している」
「あー……ウンチョーってやっぱ強敵と戦うほうが燃えるタイプ?」
「うぬ、まぁ、それもあるのだが、なんというか、その、本当に得意分野で……いや、すまぬ。詮なきことを口走った。さて、いこうか」
砦に1騎のみ残されていた馬には、ユーリンが乗った。関羽は従者として、伴をした。右手に大槍を、左手にユーリンがまたがる馬の手綱を引いて、ゆっくりと進む。
騎乗するユーリンは、晴天の日差しを浴びて透き通るような銀髪を風になびかせた。その姿は、従うものを惹きつけ、敵対する者を威圧する、高みから吹き降ろすような貴さを放っていた。
傍らで、関羽が青年期の肉体で付き従う。筋骨隆々たる巨体をまるで天地に見せつけるような傲然たる歩調を保ち、引き締まった口元には不敵な余裕が漂っていた。鳳凰のような眦を鋭く光らせ、己が主の雄姿を誇示するかのような態度であった。
遠方の砂塵は徐々に距離を縮めつつある。
迫る解放軍に臆することなく、2人は威風堂々と歩みを進めた。
やがて解放軍の先鋒の兵士の輪郭が地平線から浮きだすところまで距離が縮まると、関羽は気が付いた。
「あの行軍……直ちに戦闘を開始する意図はなさそうだな」
「わかるの?」
「ああ、我らの姿を認めても、集団としての行動の『起こり』がない。察するに我らが帝国軍の所属ではないことは先方も把握しているのではないか?」
「ご賢察さ。解放軍の斥候らしいのは、数日前からウロチョロしてたよ。たぶん昨日の変事もおおよそ察しているはず。いきなりばったり自己紹介から始めちゃってもよさそうだね」
「そうか。ならばこのあたりで停めさせよう」
一面識もない解放軍を、まるで自分の手足であるかのように関羽は言った。
「停める、って……?」
「戦意なき行軍を砕くは難事にあらず。ただ将器を示せばよい。見ておれ」
関羽は馬の手綱を握る手を放し、一人で歩み出た。解放軍の先陣は、もう声の届くところまで迫っており、民兵一人ひとりの輪郭がうかがえる距離であった。
関羽は佇立し、左の掌を開いて突き出した。停まれ、を示す仕草であることは明らかであった。解放軍の先鋒の数名が、微かに反応を示した。その僅かな気配の淀みを、関羽は逃さなかった。
たちまち関羽の咆哮が放たれ、地平の果てまで突き抜ける突風となった。
「遠方より遥々参られし諸兵らに告ぐ! 我ら身分立場を異にすれども、仇を等しく頂く同志たらん!! ついては我が主より暫時挨拶申しあげる故に、其許らの旗頭殿にお引き合わせ願いたい!」
それは漫然と行軍するばかりだった解放軍の足を乱すのに十分な威力であった。
関羽は右手に持つ槍を高く掲げ、告げた。
「貴殿らの御大将殿は、いずこに居られるや!?」
解放軍の足音が止み、立ち尽くし、呆然と関羽を眺めた。もはや僅かたりとも靴を進ませようという兆しがない。関羽はそれを認め、ユーリンに向き直った。
度肝を抜かれて口をあんぐりを開くユーリンがそこにはいた。その様子を見て、関羽は不思議な満足感を覚えた。
「ユーリン、次はそなた自身の戦いであるぞ」
「……これは、負けてられないね」
闘志を振り絞って、ユーリンが笑った。




