第九十七話 みんなでお風呂!
まさか涼太だけではなく、綾香とも一緒にお風呂に入る事になるとは全く予想していなかった晴翔。
脱衣所で彼は、涼太と一緒に修一から借りた水着に着替える。
「おにいちゃん! これで遊ぼうね!」
水着をはいた涼太が、両手に水鉄砲を持ちながら嬉しそうにはしゃぐ。
「うん、そうだね」
晴翔は笑みを浮べながら答えるものの、彼の思考は若干上の空となっていた。
彼の脳内に渦巻くのは、自分の彼女である綾香の水着姿。
学園一可愛いと噂され『学園のアイドル』とまで称される彼女。
その所以は、彼女の完璧にまで整った美貌もさることながら、綾香のスタイルの良さにもある。
普通に少年漫画雑誌の表紙を飾っていてもおかしくない程の、抜群のプロポーションを誇っている彼女のスタイルの良さに、晴翔の脳内には彼の意思とは関係なく、勝手に今まで見てきた漫画雑誌のグラビアが次から次へと流れてくる。
期待なのか緊張なのか、自分でもよく分からない精神状態に陥ってしまっている晴翔。
そんなところに、脱衣所の仕切りとなっている扉がコンコンとノックされた。
「入っても……大丈夫?」
扉の向こう側から、綾香の声が聞こえてくる。
小さく控えめなその声に、晴翔の心臓がドクンと跳ねた。
「あ、うん。俺も涼太君も着替え終わってるから大丈夫だよ」
「おねえちゃん早くー!!」
「わ、分かった……じゃあ、入るね」
その声の後に、脱衣所前のスライドドアが、ゆっくりと開いていく。そして、その奥から綾香が姿を現した。
彼女は胸の少し上あたりからバスタオルを巻きつけていて、水着姿を拝むことはまだ出来ない。
しかし、むしろバスタオルを巻いて水着が見えなくなっているその姿が、まるで水着を着ていないかのように晴翔の目に映ってしまい。堪らず彼は赤面してしまう。
対する綾香も、かなり恥ずかしいのか、その顔は既にお風呂上りの様に赤くなっている。
そんな恥じらいを多分に含んだ二人の間の空気をぶち壊す様に、涼太の明るく弾けた様な声が脱衣所に響く。
「おねえちゃんなんでバスタオルしてるの? それじゃあ風呂に入れないよ! 早くバスタオル脱いでよ!」
「わ、わわ、分かってるわよ! いまから脱ぐから少し落ち着きなさい!」
一刻も早くお風呂場に行って、晴翔達と水鉄砲で遊びたい涼太は、モジモジと恥じらっている姉の事を全力で急かしてくる。
そんな弟に、綾香は頬を染めながら反論すると、チラッと晴翔の方に視線を向ける。
一瞬だけ彼女と目が合った晴翔は、それだけで自身の心臓が変な風に跳ねるのを感じた。
ほんのわずかな無言の間が開いた後、意を決した様に綾香は自分の身体に巻き付けていたバスタオルを脱ぐ。
晴翔は、彼女が胸元のバスタオルを留めているところに手をかけた瞬間に、何故か見てはいけないような気がして、そっと視線を綾香から逸らす。
そんな彼の耳に、タオルが床に落ちるパサッという柔らかい音が聞こえてくる。
晴翔の視界の片隅に、彼女の足元にクシャッと落ちたバスタオルが映った。
「は、晴翔君……変、じゃない?」
晴翔の耳に、綾香のか細い恥ずかし気な声が届く。
感想を求められては見ない訳にはいかないと、晴翔は逸らしていた視線をゆっくりと彼女の方に向ける。
途端、晴翔の視界は絶景に染まる。
まるで白磁のような透き通った肌。
その肌に合った白いビキニタイプの水着は、胸元に大きなフリルが付いていて、彼女の可愛らしさをより一層引き立てている。
そして、やはりというべきか、綾香の抜群のプロポーションは水着姿になる事で最大級の魅力を発揮している。
細くスラリとした手足。キュッと細くくびれた腰。そして、まるでブラックホールの如く、晴翔の視線を物凄い力で引き付けてくる胸元。
神様が人間の理想の体型を造形したんじゃないかと思ってしまう程に、魅力的な姿をしている彼女に、晴翔は暫し無言のままジッと見入ってしまう。
「は、晴翔君?」
「はッ! あ、や、ゴメン。あまりにも魅力的過ぎて、言葉を失ってた……」
「ッ……そ、そう?」
「うん……」
晴翔の言葉に、綾香は羞恥で頬を染めながらも、嬉しそうにはにかむ。その姿が反則級に可愛いと感じてしまう晴翔は、耐え切れずに再び視線を逸らす。
そこに綾香が晴翔の水着姿を褒めてくる。
「晴翔君もその……パパの水着、似合ってるね」
「あ、ありがとう」
少しぎこちなく感謝する晴翔は、自身がはいている水着を見下ろす。
修一が貸してくれた水着は、ヤシの木の模様が入ったゆったりとしたもので、上にアロハシャツを着てサングラスをかければ、ハワイのビーチを歩けそうな感じのものだった。
顔を赤くしながら、お互いの水着姿を褒め合う晴翔と綾香。
二人の間のじれったい空気に、涼太は待ちきれないと言わんばかりに、二人の手を掴んでグイッと引っ張った。
「おにいちゃん! おねえちゃん! 早くお風呂入ろうよ!」
早く遊びたくて仕方がない涼太は、グイグイと二人の腕を引っ張ってお風呂場に向かう。
「ちょッ! 涼太! 落ち着きなさい!」
綾香は弟に注意をしつつ、同じく涼太に腕を引っ張られている晴翔と一緒に浴室に入る。
東條家は豪邸という事もあり、浴室も一般的なものよりも広い造りとなっている。
浴室は、郁恵がこの家を建てる際にかなり拘ったらしく、広々とした洗い場に大きな鏡、ゆったりと寛げそうな、これまた広々とした楕円形の湯船。その湯船に浸かりながら見れるようにと、壁にはテレビも設置されている。
高校生二人と幼稚園児の三人が同時に入って、広々とまではいかないが、窮屈さを感じない程度の広さは十分にある。
涼太はお風呂場に入るなり、急いで手に持っている水鉄砲にお湯を入れ始める。
そんな彼の行動に、晴翔は苦笑を浮かべながら言う。
「涼太君、水鉄砲で遊ぶ前に先に体を洗っちゃおうか」
「水鉄砲はまだ?」
「うん、身体をキレイにしてからめいっぱい遊ぼう」
「うんッ!」
晴翔の言葉に、涼太は元気良く頷くと彼の元にやって来てニコニコと笑みを浮べる。
「みんなで洗いっこしようよ!」
「え? あ、洗いっこ?」
「うん!! 僕がおにいちゃんの背中を洗うから、おにいちゃんはおねえちゃんの背中を洗って、おねえちゃんは僕の背中を洗うんだよ!」
何とも楽しそうに、洗いっこの提案をしてくる涼太に、晴翔は動揺した様に揺れる視線で綾香の方を見る。
その視線を受けた彼女も、顔を真っ赤にしていた。
「涼太、洗いっこするなら、水鉄砲を置いてこっちに来なさい」
頬を染めながらもそう弟に言う綾香。
どうやら、涼太の提案は彼女の中で採択された様である。弟を手招きしている綾香に、晴翔が遠慮がちに声を掛ける。
「綾香、いいの?」
「う、うん」
恥ずかしそうにしながらも、迷いなく大きく頷く綾香。
それに対して晴翔の心臓は、またしても内側から叩きつけてくるように変な風に跳ねる。
女性の水着姿というものは、健全な高校男児である晴翔にとって、とても眩しいものである。それが美少女であればなおさらに。
しかし、過去に友哉達とプールや海に行って水着姿の女性を見ても、ここまで鼓動が激しくなる事は無かった。
それが、今は全力で運動をした後の様な、激しい鼓動をハッキリと感じる事が出来る。
その原因は、その水着姿の女性が自分の彼女だというのが原因の一因であるのかもしれない。しかし、それよりももっと大きな原因がある。
それはシチュエーションである。
今いるお風呂場は、普通水着など着ない。そして他の誰かと一緒に入る事も、すでに大きくなった晴翔にとっては遠い昔の事となっている。
そんな普段との違いが、晴翔の感情を大きく掻き乱してくる。
通常であれば何も着ないお風呂場。そんな場所で魅力的な水着姿を披露している、とても可愛い自分の彼女。
お風呂場で水着を着るという、非日常的なシチュエーションは、綾香の水着姿をより一層魅惑的なものにしている。
そんな中で、晴翔が何とか冷静でいられるのは、この場に涼太がいるお陰である。
彼が無邪気な様子で、純粋にみんなとお風呂に入るのを楽しんでいるからこそ、晴翔は変に邪な事を考えずに済んでいる。
「おにいちゃん!背中こっちに向けて!」
楽しそうな涼太が、手にスポンジを持って言う。
「分かったよ。それじゃあ、俺は……綾香の背中を洗えばいいんだよね?」
「うん! それでおねえちゃんは僕の背中を洗うんだよ!」
「分かったから。少し落ち着きなさい涼太。転んじゃうわよ」
弟に注意をしながら、綾香は晴翔に背中を向けつつ自分は涼太の背中の方を向く。
小さな円を描く様に並んだ三人。
晴翔は綾香の背中をチラッと見た後に、彼女に尋ねる。
「体洗うスポンジって一個だけ?」
「あ、うん。涼太が持ってるやつだけ」
「そ、そっか、じゃあ……どうしよっか?」
「……そのまま掌で洗えば大丈夫じゃないかな?」
少し迷った様子を見せた綾香は、恥ずかしそうにしながらそう言うと、彼女自身も掌にボディソープをのせて、そのまま涼太の背中を洗い出す。それと同時に涼太も晴翔の背中を洗い始めた。
東條姉弟が洗い始めた事で、晴翔も意を決して自分の掌にボディソープをのせると、少しお湯を含ませて両手で泡立たせてから、そっと綾香の背中に掌を添える。
晴翔の掌が触れた瞬間、綾香の背中がピクッと揺れた。
「……くすぐったくない?」
「う、うん……大丈夫……」
気まずい雰囲気を醸し出しながら、そんなぎこちない会話を交わす二人。
そんな中で、涼太は楽しくてしょうがないといった様子で、晴翔の背中をゴシゴシと洗う。
「おにいちゃん気持ちいい?」
「うん。涼太君は洗うのが上手だね」
「えへへへ」
得意げな表情で笑う涼太に、晴翔も一緒に笑みを浮べる。
初めて触れる綾香の背中。
いくら水着を着ているとはいえ、晴翔にとって彼女の背中は魅力的過ぎるものであった。
すべすべで心地良い手触りと、何とも柔らかい綾香の背中。それを素手で直接洗うという行為に、晴翔の内心は嬉しさやら緊張やら欲望やらで、おかしくなる寸前であった。
そこを涼太と会話をする事で、何とか理性を保つ。
三人がそれぞれの背中を洗っていると、チラッと晴翔の方に視線を向けた綾香が、ずっと恥ずかしそうな表情を浮かべながらも、彼に対して口を開く。
「晴翔君、腹筋割れてるんだね」
「おにいちゃんはカラテをやってるから、お腹がボコボコなんだよ!!」
晴翔が答えるよりも先に、涼太がまるで自分の事の様に綾香に説明をする。
「へぇ、空手やってると腹筋割れるんだね」
「そうだね。まぁ、結構力を入れたりするからね」
「そうなんだ」
そんな会話を晴翔と綾香が交わしていると、涼太が面白そうに二人を交互に見た。
「おにいちゃんのお腹はボコボコ。おねえちゃんのお腹はプニプニ」
リズムに乗せてそんな事を涼太が言った瞬間。
晴翔は、温かいはずの浴室の温度が、一瞬にして数度下がった様な錯覚を覚えた。
「涼太」
浴室に綾香の声が響く。
決して大きくないはずのその声は、やたらと晴翔の耳の奥まで届きそうな声であった。
「おねえちゃんのお腹はプニプニじゃないよ?」
「え? でもおにいちゃんと比べたら…」
「おねえちゃんのお腹はプニプニじゃないよ?」
「でも…」
「おねえちゃんのお腹はプニプニじゃないよ?」
涼太の言葉をことごとく遮って、同じ言葉を繰り返す綾香。
彼女はニッコリと、それはそれは惚れ惚れする様な満面の笑みを浮べている。だがしかし、何故だか晴翔はスゥッと背中に寒いものを感じる。綾香の背後に般若の面が浮かんでいる気がして仕方がなかった。
触らぬ神に祟りなしといわんばかりに、晴翔は東條姉弟の会話をスルーしようとした。その時、綾香はニッコリと満面の笑みを晴翔の方に向けた。
「晴翔君。私のお腹はプニプニじゃないよね?」
「ッ……」
おもわず『ヒェッ』と小さな悲鳴を漏らしそうになった晴翔であったが、そこは何とか堪える。しかし、すぐに彼女の質問に答える事が出来なかった。
その一瞬は致命的な間となってしまう。
すぐに返事が無かった事に綾香は更に大きくニッコリと笑った。
そして晴翔に対して言い放つ。
「触って」
「え!?」
「触って確かめて。私のお腹、プニプニじゃないから」
表情は満面の笑みなのに、その瞳は一切笑っておらず、真っ直ぐに晴翔の事を貫いている。
晴翔はそんな視線に背筋を伸ばしながらも、躊躇う様子を見せる。
彼女の背中を触るのですら、理性を保つのに苦労したというのに、お腹を触るのはちょっと危険な気がする。
「や、でも、直接触るのは、ちょっと……」
「晴翔君」
「はい!」
「触って。ちゃんと両手でしっかりと確かめて。プニプニじゃないから」
「りょ、両手?」
「そう、私のお腹、プニプニじゃないから」
ひたすらに『プニプニじゃない』をアピールしてくる綾香。そんな彼女のプレッシャーに押され、晴翔は小刻みに何度も頷いた。
「じゃ、じゃあ……失礼します」
「どうぞ」
綾香は返事をすると同時に、若干背中を逸らして胸を張る。
ビキニ姿でそんな事をされると、晴翔としては更に悩ましい事になってしまうのだが、そんな事を口にできる雰囲気ではない。
晴翔は心の中で『心頭滅却、心頭滅却、心頭滅……』と唱えながら、そっと両手を伸ばして、彼女のくびれ付近に添えるように触れる。
「晴翔君、どう?」
「……とてもほっそりとしています」
実際に綾香のお腹がプニプニかどうか、それを確かめる余裕など晴翔には微塵もなかった。
しかし、彼女のお腹がプニプニだろうとなかろうと、彼の言うべき言葉は決まっている。
「これは、プニプニとは程遠いお腹だと断言させていただきます」
晴翔の言葉を聞いた綾香。
彼女はふんすっ! と勝ち誇った表情を浮かべる。
「ほら涼太! 晴翔君がこう言ってるんだから! おねえちゃんのお腹はプニプニじゃないんだからね!!」
東條家の浴室に、高らかな綾香の宣言が響き渡った。
お読み下さりありがとうございます。




