第九十五話 東條綾香の苦悩① 前編
夏休みが明けて最初の週末。晴翔君達が家に来てくれた。
晴翔君のお婆ちゃん、清子さんが私達の家政婦として働いてくれる。そのための条件とかを決める為に、家族皆に晴翔君と清子さんの二人を加えて話し合う。
清子さんの働き方についての話し合いは、結構スムーズに進んだ。そして、話し合いは、晴翔君も一緒に家に泊まる事についての話題に変わる。
私としては、晴翔君が家にいてくれたら、物凄く幸せ。
学校で彼と一緒にいられない分、家で同じ時間を共有出来たらって思ってる。
学校の同じ教室で、目の前に晴翔君がいるのに話すら出来ないのは、正直かなり辛い。
まぁ、私が休み明け初日に、好きな人がいるって言っちゃったのも原因ではあるんだけど……。
反省はしてるけど、もう晴翔君が好きっていう感情が抑えきれなくなる時があって、自分じゃどうしようもない……。
特に、彼が私の為にお家縁日をやってくれてからは、私の心の中にまるでもう一人の自分がいるみたいで、その心の中の私が、晴翔君を求めて暴走しちゃう……。
このまま学校で晴翔君に近付けないと、私は晴翔君欠乏症で病気になっちゃうかもしれない。
それを予防する為にも、晴翔君には家に来て欲しい。
だけど、清子さんは彼が家に泊まるのに難色を示しちゃった。
なんだか、私と晴翔君が一緒に同じ家で過ごす事に対して心配しているみたい。
わ、私が晴翔君を襲っちゃうかもしれないって思われてるのかな……?
確かに私は晴翔君の事が凄く好きだし、その気持ちがちょっと暴走しちゃいそうな時もあるけど……。でも、そういう事はちゃんと、将来の事を考えられるようになってからじゃないと!
今の私は、晴翔君が隣にいてくれるだけで幸せ。多くは望みません! だから一緒に暮らしたいです!
そんな私の想いを伝えようか悩んでいると、パパがその前に清子さんを連れて中庭に出て行っちゃった。
パパ、清子さんと何の話をしてるんだろう?
私は、不思議そうな視線を投げかけてくる晴翔君と一緒に首を傾げる。
パパが清子さんを説得してくれるのかな? でもやっぱり、一緒に暮らすのは駄目だって反対されちゃうのかな?
晴翔君と一緒に過ごせる時間が増えるのか減るのか。それは清子さんが首を縦に振るか横に振るかで決まっちゃう。
私はパパと清子さんの事が気になっちゃって、目の前に出されたアップルパイに手を付けず、何度も視線を中庭の方に向ける。
リビングの窓越しに少し見える二人。話し声は全然聞こえてこない。
晴翔君も気になってるみたいで、私と同じように何度も中庭の方を見ている。
そんな中で、涼太だけは凄くはしゃいだ様子で、アップルパイを美味しそうに頬張ってる。
「お母さん。このアップルパイおいしいね!」
「そうね。パイ生地がサクサクで美味しいわね」
「うん! サクサクッ!」
涼太は更に一口アップルパイを頬張ると、輝く視線を晴翔君の方に向けた。
「おにいちゃんはアップルパイ作れる?」
「え? あ~作り方は知ってるけど、どうだろう? あまり作った事は無いから美味しく出来るかどうかは、ちょっと自信無いかな?」
「あら。大槻君でもそういう料理があるのね」
涼太の質問に答えた晴翔君の言葉に、ママが少し驚いた様な顔を浮かべる。
私もママと同じく少し驚いて晴翔君を見ちゃう。
これまで和洋中って色んなレパートリーの料理を作って来て、その全部が美味しかったのに。
そんな彼でも自信のない料理とかあったんだ。
晴翔君は苦笑を浮かべながら言う。
「普通の料理は自分でも結構自信があるって言えるんですけど、スイーツ系はちょっと感覚が違う様な気がして。特に洋菓子系のスイーツはちょっと」
「あらそうだったの? てっきり大槻君は何でも作れちゃうのかと思ったわ」
「そのうちに、そういうスイーツ系もチャレンジしたいなとは思っているんですけど」
そう答える晴翔君に、ママはパッと表情を輝かせて私の方を見てきた。
「なら綾香と一緒に色々お菓子作りをやればいいんじゃないかしら?」
そんなママの提案に、私の心は弾む。
「それ楽しそうかも」
晴翔君と一緒にお菓子作り……。
一緒にキッチンに並んで、クッキーを焼いたりするって事だよね? そして完成したのをお互いに食べさせ合うって事? 晴翔君に『あ~ん』したりされたりって事? それってすっごく最高かもしれない!
晴翔君に『美味しい?』って聞いて『ちょっと甘いかな?』なんて言われて『ゴメン、ちょっと砂糖入れすぎちゃった』って私が言ったら『君が作ったのはそれだけで美味しいよ』なんて晴翔君に言われちゃうって事ッ!?
ど、どうしよう。想像したらニヤニヤが止まらない……。
必死に真顔を保とうと頑張ってるところに、涼太が弾む声で言う。
「僕おねえちゃんとおにいちゃんが作るお菓子食べたいッ!!」
交互に私と晴翔君を見詰めてくる涼太。
そんな弟に、晴翔君が優し気な笑みを浮べる。
「じゃあ今度、一緒にお菓子作りやってみようか」
そう提案してくる彼に、私は食い気味に頷きを返しちゃう。
「うん!」
晴翔君と一緒にお菓子作り! 楽しみ過ぎる!
どうしよう、何作ろう? あとで晴翔君と話し合わないと。
私はウキウキと弾む気持ちで、色々と考えていると、中庭で話をしていたパパと清子さんが戻ってきた。
ママが清子さんにもアップルパイを差し出す。
「どうもありがとうございます」
「いえいえ。中庭はどうでしたか?」
「えぇ、とても素晴らしかったです」
にこやかな笑みでそう言う清子さんの言葉に、ママもニッコリと笑ってパパの方を見る。
「良かったじゃないあなた」
「うむ。清子さんも気に入ってくれて、拘った甲斐があったよ」
満足そうにそう言うパパは、席に着くと晴翔君の方を見た。
「それじゃあ、晴翔君が我が家にどのくらいの頻度で泊まるか、話をしようか」
え? いきなりその話!? 清子さんは? 反対じゃなかったの?
突然話を切り出したパパに、私は驚いて清子さんの表情を窺う。
晴翔君も同じ気持ちみたいで、ちょっと目を見開いて隣の清子さんを見てる。
そんな清子さんはと言うと、穏やかな顔のままゆっくりと頭を下げてる。
「晴翔までお世話になる事になり、本当にありがとうございます」
あ、あれ? さっきは晴翔君が泊まる事に反対みたいな感じだったけど?
これは……晴翔君のお泊りにもOKが出たって事?
「ば、ばあちゃん? いいの?」
晴翔君も少し戸惑った感じで清子さんに確認しちゃってる。
「もう晴翔も、そして綾香さんも、小さな子供じゃないからねぇ」
清子さんはそう言った後に、私の方に顔を向ける。
「綾香さん。晴翔にはちゃんと言い聞かせるけど、もし嫌な事があればすぐに私に言うんだよ?」
「は、はい。でも、晴翔君はいつも私を大切にしてくれるので、大丈夫です」
本当の恋人同士になってから、ううん。晴翔君は夏休みに出会ってからずっと私に優しくしてくれている。
そんな彼と、大好きな彼氏と家でも一緒にいられる!
これからの生活を想像して、私の胸は天にまで上ってしまいそうな程に高鳴る。
私がウキウキ気分でいるところに、パパが満足そうな顔で口を開いた。
「ふむ。それじゃあ、晴翔君の生活について話を詰めていこうか」
そこから、晴翔君が大槻家と東條家をどのくらいの頻度で行き来するのか話し合いが始まる。
晴翔君が清子さんと同じく、日曜日と月曜日だけ大槻家に戻るって事にしちゃうと、5日間大槻家には人がいない事になっちゃう。
そうなると家の掃除と、お仏壇のお世話が疎かになっちゃう。
お仏壇には、大切なご両親とおじい様がいる。だからちゃんとお世話をしないといけない。
そういう事を踏まえながら話し合いをした結果。
何も用事が無い場合、週末の金曜日と土曜日は東條家で過ごす。そして逆に日曜日は基本的に大槻家で過ごす。月曜日から木曜日までは、家の状況などをみて大槻家か東條家かを晴翔君自身が判断する。
という形で話がまとまった。
金曜日と土曜日は、大槻家と東條家の皆が揃って団欒を楽しむ。そして日曜日は、それぞれの家族の時間を大切にする。
そんな感じでこれから生活していく事になりそう。
清子さんの家政婦としての働き方と晴翔君の生活スタイルが決まり、パパは笑みを浮べて清子さんと晴翔君に手を差し出した。
「それじゃあ、これからどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願い致します」
「晴翔君も、家にいるときは我が家だと思って過ごしてくれ」
「はい、修一さん。本当にありがとうございます」
清子さんと晴翔君が深く頭を下げたのに対して、私達もお辞儀を返したところで、話し合いは終わる。
すると、待ってましたと言わんばかりに、涼太がはしゃぎながら椅子から飛び降りて、嬉しそうに晴翔君の所に駆け寄る。
「おにいちゃん! 今日は僕の家にお泊り!?」
期待のこもった涼太の言葉に、晴翔君は返答に詰まる。
「あ、えと~」
これでもかというほどに、表情を輝かせている涼太に晴翔君は少し困り顔を
見せる。
確かにさっきの話し合いで、土曜日はこっちで過ごすってなったけど、さすがに今日いきなりっていうのは無理があると思う。
「涼太、今日は晴翔君は泊まれないよ」
「なんで?」
「お泊りする準備とかしてないからよ。分かった?」
涼太に言い聞かせる様に、私はしゃがんで視線を合わせて言う。すると涼太は、不満そうに頬を膨らませた。
「そんな顔してもダメ」
本音を言えば私だって、今日から晴翔君には泊まっていってほしいけど、さすがにそれは我儘すぎる。
これから沢山晴翔君と一緒にいられるんだから、今日ぐらい我慢しなくちゃ。
弟を窘めつつ、自分の願望も抑える。
とそこに、パパが私の心を揺さぶる事を晴翔君に言う。
「晴翔君はどうだい? 今日は泊まっていきたくないかい?」
「いえ、泊まりたくない訳ではないですが、着替えとかが……」
「うむ。清子さんは今日はどうされますか?」
「私は申し訳ありませんが、今日のところはお暇させて頂きます。家に帰ってこれからの準備をしたいので」
丁寧に断る清子さんに、パパは一度頷いてから口を開く。
「分かりました。それでは私が車で送りましょう」
「良いのですか?」
「ええ。一度大槻家の場所も把握しておきたいので」
そう言った後に、パパは晴翔君のほうを見て言う。
「もし晴翔君が今日泊まるというのなら、一旦車で家に戻って着替えを準備して、また戻ってくるかい?」
そんな提案に、晴翔君は少し戸惑いを見せる。
「え? いいんですか? でも、急に泊まるなんて迷惑じゃ……」
パパの提案に、晴翔君はママの方に視線を向ける。
対するママは、ニッコリと笑う。
「大槻君だもの、迷惑なんて事はこれっぽっちも無いわ。むしろ大歓迎よ」
「そう、ですか……えとじゃあ、迷惑でないのなら、今日はお邪魔しても良いですか?」
「勿論だとも!」
パパがそう言う隣で、ママも笑いながら頷く。
晴翔君はその後に清子さんの方に顔を向けて、視線で問いかける。
「東條家の皆さんに失礼の無いようにね」
「うん、分かった。それでは、今日はその、泊まらせていただきます」
「いやったーーーッ!! おにいちゃんお泊り!!」
「今日はよろしくね涼太君」
「うん!」
晴翔君が泊っていく事に、涼太は歓喜爆発。
そう言う私も、彼が泊っていくという事に心が弾む。と同時に、少しドキドキもしちゃってる。
だって、晴翔君は私の彼氏だけど、クラスメイトの男子が家に泊まるなんて、まるで恋愛漫画のイベントみたい。
夏休みが始まる前までは、恋愛はただ憧れるだけで、実際に経験できるなんて夢にも思ってなかったのに。




