第九十一話 同棲? 同居? 一人暮らし?
気持ちよく広がる青空の下。
熱い夏の日差しを和らげるように、緩やかな風が校舎の屋上を流れる。そんな昼食を食べるのに適した、陽光に照らされた屋上の一角。給水塔の影になっている場所から、友哉の驚きの声が響き渡る。
「マジッ!? え!? それってもう同棲じゃね!?」
コンビニで買った焼きそばパンを口から飛ばしながら、友哉は晴翔からの衝撃の告白に度肝を抜かす。
「ちょっ、焼きそば飛ばすなって。汚いだろ」
「馬鹿ヤロウ! そんな仰天ニュース聞いたら焼きそばの一つや二つ飛んで当たり前だっつーの!」
「当り前にするな行儀悪い。ちゃんと口の中のものを飲み込んでから話せよ」
親の躾けの様な事を言う晴翔。
そんな彼の小言を聞き流し、友哉は興奮気味に親友に尋ねる。
「東條さんと同棲とか全男子の憧れだぞ!? 最高過ぎるだろ!」
「ちょッ、声がでかい!」
興奮で声が大きくなってしまった友哉に対して、晴翔はパッと周りを見渡した後に、親友に対して口元に人差し指を立てる。
晴翔が通う学校では、屋上が生徒に対して解放されている。
天気の良い日などは、弁当組の生徒達が日差しに照らされて気持ちの良い屋上で昼食を食べたりしている。しかし、晴翔達がいる一角は、ちょうど昼時になると給水塔の影になる。屋上に来ている生徒は、大半が日光を求めてやってきているので、晴翔達がいるその場所は不人気となっている。
また、屋上の入り口からは給水塔の土台で死角となっており、その為、あまり人が寄り付かず、内緒話等をするには持って来いの場所となっていた。
いま屋上には、晴翔達の他に二組が屋上で昼食を食べている。
その二組は、どちらとも晴翔達とは大分離れた、明るい日差しの下で友人達と楽し気に談笑している。その様子から、先程の友哉の声が届いた様子は無い。
晴翔は小さく息を吐き出してから、友哉の方を向く。
「お前は同棲っていうけど、同棲とはちょっと違くないか?」
「何が違うんだよ?」
「いやだって、同棲っていうと恋人同士だけで二人暮らしをするイメージがあるんだけど」
「んん? 言われてみれば確かに……」
晴翔の言葉に、友哉はなにやら小難しい顔をして腕を組む。
昨日、修一から提案された晴翔の祖母を住み込みの家政婦として雇いたいという案。そして、晴翔自身も東條家で寝泊まりをしてはどうかというお誘い。
この話を昼休みに友哉にすると、彼は「同棲だ!」と興奮して言う。
だが、東條家からの提案では、綾香の両親である修一に郁恵、弟である涼太。そして、自分の祖母までもが、同じ屋根の下で暮らす事になる。
その状況は、晴翔の思う同棲とは少し認識がずれている気がしていた。
「普通に東條家の人達が全員いるし、なんなら自分のばあちゃんまでいて、同棲とは言えなくね?」
「う~ん。でもよ……その状況って、むしろ同棲よりレベル高くね?」
腕を組んだままの友哉は、首を軽く傾げた後におもむろに口を開く。
「それ完全に同棲よりもステップアップしてるよな? 恋人の家族と一緒に生活とか、もう後はお前ら二人が成人してハンコ押せばゴールインだろ」
「いやいや。まだ早いだろそれは! 俺達が付き合い出したのは、ほんの一週間前だぞ?」
「ふっ、ハルさんや。真実の愛に、時間など関係ないんだぜ?」
謎に前髪をかき上げ、やたらと凛々しい表情を作りながら気障なセリフを吐く友哉。
晴翔は親友の言葉に「うへぇ」と苦い表情を浮かべる。
「何だよ急に。今のお前凄く気持ち悪かったぞ」
「愛の伝道師風だったんだけど?」
「何だよ愛の伝道師って」
友哉の冗談に晴翔は呆れた表情を浮かべる。
「知らないのか? 周りに愛を伝えて結婚を勧める偉大な人物だぞ?」
「お前が言うと詐欺師にしか聞こえないな」
晴翔が親友の意味不明な冗談をバッサリと切り捨てると、友哉は「ひでぇな」と笑う。
とそこで、友哉はハッと何かを思い付いたように晴翔を見た。
「そうか、ハルのは同棲じゃなくて同居ってやつだな」
「同居……そう、なのか?」
「そうだろ」
友哉は晴翔の疑問に一つ頷くと、ポケットからスマホを取り出して、同居の意味について検索をかける。
そして、その検索結果を晴翔に見せつけた。
「ほら! 同居とは夫婦・家族が同じ家に一緒に住む事だってよ!」
「いやいや、でもその下に家族でない人がある家族の家に一緒に住む事とも書いてあるぞ?」
「ん? つまり今のハルの状態じゃねぇのか?」
「え? あぁ……そうか……」
晴翔は不覚にも友哉に同意をする。
「つまり俺は綾香と、というか東條家と同居するって事なのか?」
「なんじゃね? 羨ましいなぁこの野郎!」
ニヤニヤしながら小突いてくる友哉に、晴翔は再び小さく首を傾げる。
「でもずっと住み込むわけじゃないし。家を空け続ける事は出来ないから」
同居となると、常にその家で生活している感じがする。
対して晴翔は、常に東條家で寝泊まりするわけではなく、今住んでいる家と東條家を行き来する様な生活スタイルとなる予定だ。どのくらいの頻度と間隔になるかは、これから東條家と話し合う予定になっている。
晴翔にとって、綾香との同居生活は魅力的なものではあるが、自分が生まれ育った家も同じくらい彼にとっては大切なものである。
家には晴翔の両親や祖父の遺影と仏壇もある事から、その掃除やお世話の為に、長期間家を空けとく訳にはいかない。
「家は人が住まないとすぐダメになるって言うからな」
「でもよ? ハルの婆ちゃんが東條さんちで家政婦してる時は、お前は家で一人になるよな?」
「まぁ、そうだな」
その事を気遣った修一が、晴翔にも一緒に住まないかと提案をしてくれた。
「つまり、ハルは東條さんと同居生活をしながら、同時に一人暮らしも体験できるって事か?」
「それは良いように考え過ぎだろ」
少しワクワクした表情を見せる親友に、晴翔は苦笑を浮かべる。
「実際、ばあちゃんがどんな感じで働いて、俺がどれくらい東條家に住み込むかは、まだこれから話し合う段階だから、どうなるかは分からねぇよ」
「ふ~ん。その話し合いはいつするんだ?」
「今週の土曜日に、ばあちゃんと二人で東條家に挨拶に行く予定」
その日は修一も郁恵も仕事が休みである為、晴翔と祖母、そして綾香と涼太を含めた全員で、どのような働き方をするのか、晴翔はどの程度、東條家で寝泊まりをするのかを話し合う予定となっている。
晴翔の話を聞いた友哉は「そっかぁ」と呟き、パックのオレンジジュースをジュジュッと飲み込む。
焼きそばパンにオレンジジュースの組み合わせは如何なるものかと晴翔は疑問に思いながらも、彼も友哉に奢ってもらったパックのカフェオレを飲む。
晴翔は既に、自作の弁当を食べ終わっている。
「そういや、今週末の日曜は延期になった花火大会だったよな? ハルは東條さんと一緒に行くのか?」
友哉は飲み干したオレンジジュースのパックをクシャッと潰しながら、晴翔の方を見る。
「あぁ、その予定ではあるけど」
「一緒に住むって事は、待ち合わせとかなくて楽だな」
「言われてみれば……でもさっきも言ったけど、どうなるかは土曜日の話し合い次第だけどな」
土曜日に話し合って、その日のうちに泊まるとならない限り、友哉の言う様な家を出る時から一緒という状況にはならない。
「話し合ったその日に、さっそく泊まっていくなんて事にはならないと思うぞ」
「そうか? 聞いた限りだと、お前すげぇ東條さんの家族に気に入られてるじゃん? 可能性としては高いんじゃね?」
友哉のその言葉に、晴翔の脳内に喜びを爆発させてハイテンションになっている涼太の姿が思い浮かぶ。
幼く純粋な涼太は、晴翔が一緒に住むと聞いた瞬間に、その日から泊まる様に全力で懇願してくるかもしれない。
その場面が鮮明にイメージ出来てしまった晴翔は、軽く苦笑を浮かべる。
「まぁ、可能性は……あるかもな」
「だろ? 羨ましいなぁ」
友哉は頭の後ろで手を組んで空を見上げ「羨ましい」を連発する。
「やっぱりさ、女子と共同生活するって事は、ハプニングは欠かせないよな」
「何だよハプニングって?」
「そりゃ……脱衣所でばったり出くわして、東條さんの裸を見ちゃうとか?」
「漫画の世界じゃないんだから、そんなハプニング起こるわけないだろ」
親友の発言に、晴翔は何とも呆れた表情を浮かべる。
「あと、寝惚けた東條さんが、自分のベッドと間違えてハルのベッドに潜り込んでくるとか?」
「さすがの綾香もそこまで天然じゃないだろ……たぶん」
これも晴翔は否定するが、先程の脱衣所ハプニングよりも自信が無さそうに言う。
夏休みの間、彼女と過ごした晴翔は、どちらかと言うと綾香は天然寄りだという結論に至っている。それに、恋愛観についても若干ずれているところがあるので、寝惚けてベッドに潜り込んでくる可能性は、限りなく低いだろうけど、完全否定は出来ない。
自分のベッドに潜り込んでくる綾香を想像して、晴翔は顔を紅潮させる。
友哉はそれを見て、ニヤッと口角を上げた。
「いいなぁ~、羨ましいなぁ~東條さんとの同居生活。皆藤先輩が聞いたら、きっと血の涙を流すぜ?」
「そんな人の心を抉る様な事はしねぇよ。てか、当分は付き合ってる事を秘密にするしな」
「今の状況でハルが彼氏だって名乗り出たら、凄い事になりそうだよな」
夏休み明けに、綾香が『好きな人がいる宣言』をしてから、その話題を聞かない日は無い。
教室にいるときは勿論、廊下を歩いている時などもチラホラとそれについての会話が耳に入ってくる。
「暫く学校で綾香には近付けないよな……」
「おいおい親友よ。そんなに落ち込みなさんなって。学校から帰れば家でずっと一緒に過ごせるんだからよ」
小さく肩を落とす晴翔に、友哉は揶揄う様な口調で言う。
それに対して、晴翔が言葉を返そうとした時。足音が近づいてくるのが聞こえて、彼は開きかけた口を噤んだ。
友哉もそれに気が付き、ニヤニヤとした表情を一旦引き締めて真顔に戻ると、近付いてくる足音に耳を澄ます。
2人は、屋上の入り口から死角になっている、給水塔の土台に背中を預けて座っている為、近付いてくる人物の姿を確認できない。
足音は段々と大きくなってきて、やがて給水塔の土台の影から、ひょっこりと一人の人物が姿を現した。
「ありゃ? 赤城君に大槻君じゃん。こんな所で何してんの?」
そう声を掛けてきたのは咲であった。
彼女は少しびっくりした表情で、胡坐をかいて座っている二人を見る。
晴翔は、現れた人物が咲であった事に、少しホッとした表情を見せた。
彼女は、綾香と晴翔の関係を知っているので、先程の会話を聞かれていたとしても、何も問題はない。
「ちょっと友哉と綾香の話をしてて」
「あぁ、それでこんな人気のないところにね」
晴翔の言葉に、咲は納得した様に頷いた。
「藍沢さんは?」
「私も、綾香と一緒に人気の無い所を探し――」
「晴翔君ッ!?」
咲の言葉の途中で、彼女の背中からもう一人の人物が姿を現す。
それは、夏に日差しに負けないくらいの、嬉しそうな明るい笑顔を顔一杯に広げた綾香であった。
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