第七十六話 東條綾香の恋⑦
やっと……やっと思いが通じた!
ずっと夢見てきた、本物の恋人になる事が出来た!
晴翔君の彼女になっちゃった!!
私の胸の中では喜びが爆発しちゃってる。
人ってこんなにも“嬉しい”っていう感情を感じられるんだって思うくらい、私の心は一色に染まってる。
晴翔君が、私の彼氏!
そう思ったら、もう我慢が出来なくなって思いっきり彼に抱き着いちゃった。
晴翔君は自分が汗臭いからって、私に離れてくれって言うけど、全然そんな事無い。
彼の家にお邪魔した時に、ほのかに感じる晴翔君の香り。
それが今はハッキリと感じられて、私を包み込んで胸がドキドキしちゃうけど、それと同時にどこか心が落ち着く様な、夢心地になっちゃう。
私が感情のままに晴翔君に抱き着いていると、彼もそっと私の背中に腕を回して優しく抱き締めてくれる。
あぁ……もう、幸せ過ぎてやばいかも……。
どれくらいの時間、私は晴翔君に抱き着いちゃってたんだろう?
時間も忘れて、全身で彼を感じていると、そっと優しく声を掛けられた。
「綾香、もう時間も遅いし、そろそろ離れようか? 家まで送って行くよ」
「……うん」
許されるのなら、ずっとこのままでいたい。
けど、もう時間も遅いし、さすがにこのままだと晴翔君に迷惑を掛けちゃうよね。彼のお婆ちゃんも帰りを心配しちゃう。
「手、繋いでもいい?」
少しだけ離れただけなのに、彼との間に流れる夏夜の空気を少し冷たく感じて、私は晴翔君を求めてしまう。
彼は私の大好きな、柔らかく包み込む様な優しい笑顔を向けてくれる。
「もちろん。もう本物の恋人になったんだしね」
「うん!」
嬉しくて、思わず涼太みたいにはしゃいだ返事をしちゃった……。
ちょっと恥ずかしい……けど、幸せ。
晴翔君と繋いだ右手からは、確かな温もりと心を満たしてくれる様な安心感が私の中に伝わってくる。
今までは、恋人の練習を理由に恋人繋ぎをしていたけれど、もう理由なんていらない。
晴翔君の隣を歩くときは、いつもこうして歩く事が出来る。
今いる公園は、涼太が良く遊びに来る所だから、家のすぐ近くにある。
歩いて3分もしない距離にあるけど、私は一秒でも長く晴翔君と一緒に居たいから、とてもゆっくりと歩く。
晴翔君はそれに対して、嫌な顔一つしないで私に歩調を合わせてくれた。
晴翔君も、私と同じ気持ちかな?
一緒に居たいって思ってくれてるのかな?
彼の気持ちが知りたくて、私は隣を軽く見上げる。
彼は視線に気づいて「ん?」って微笑みながら私の方を向いてくれた。それにむず痒い嬉しさを感じて、表情がユルユルになっちゃう。
「ううん、何でもないよ」
もっと一緒に居たいって本当は言いたいけど、恥ずかしくて言えない……。
でも、晴翔君の顔を見たら、きっと彼も私と同じ気持ちだって思えて、心が弾む様な嬉しさが広がる。
本当に、このままずっと彼と手を繋いで歩いていたい。
でも、そんな私の願いが叶う筈も無くて、私達は直ぐに家の前に着いちゃう。
「……それじゃあ」
「……うん」
玄関の前で、私達はまた向かい合う。
「少しだけ……家、上がっていく?」
晴翔君はもう家事代行で何度も家に来てるし、ママも涼太も知ってるから、今みたいな遅い時間でも家族は許してくれる。
そんな言い訳を考えながら、彼を見上げる。
晴翔君はちょっと困った笑みを浮かべて首を横に振る。
「いや、さすがに時間が遅くて迷惑かけちゃうから、明日改めて郁恵さんに挨拶するよ」
「そっか……そうだよね」
「うん。だから……また明日」
「だね……明日も昼過ぎに来てくれる?」
もう私達は本物の恋人になったから、家事代行の前に早く来てもらって、恋人の練習をする必要は無い。
けど、本物の恋人になれたからこそ、私は1分1秒でも早く晴翔君に会いたくなっちゃう。
想いが通じ合ったからこそ、彼を求める気持ちが更に大きくなっちゃった。
私の喜び一色に染まっている心。その中に、僅かに湧き上がる寂しさを取り払うかのように晴翔君はニッコリと笑ってくれる。
「うん。俺も早く綾香に会いたいから」
「私も!」
彼の言葉に、私は全身が震える様な嬉しさに包まれて、またギュって抱き着いちゃった。
晴翔君はそんな私を優しく抱き締め返してくれて、軽くポンポンって頭も撫でてくれた。
ちょっと子供扱いされてるみたいで恥ずかしいけど、でも凄く心地良い。
私は、もう何度目か分からない『ずっとこのまま』っていう欲望を何とか抑え込んで、頑張って晴翔君から離れる。
「じゃあ……お休みなさい」
晴翔君にそう言う私の言葉には、隠しきれない寂しさが滲み出ちゃう。
「うん、お休み。また明日ね」
晴翔君はそう言った後、もう一度私の事をギュって抱き締めてくれた。
それだけで私は、心が満たされて喜びが爆発しちゃう。
その後、私は晴翔君が見えなくなるまで玄関に立って、見送りをして家の中に入った。
リビングに向かうと、まだソファに座って本を読んでたママが、視線を上げて私を見てくる。
「おかえりなさい」
優しく微笑みかけてくれるママに、私も笑みで応える。
「ただいま。あのねママ、私……晴翔君と付き合う事になったよ」
「まぁ! おめでとう! 良かったわね」
「うん」
ママからの祝福に、私は満面の笑みを浮かべる。
「大槻君は? もう帰っちゃったのかしら?」
「うん、今日はもう遅いから。明日、改めて挨拶するって」
「そう。明日が楽しみねぇ」
そう言って笑みを浮かべるママ。
ママは本当に晴翔君の事を気に入っているから、心の底から嬉しそう。そんなママの様子に私まで嬉しくなっちゃう。
「ママ」
「ん? なに綾香?」
「ありがとう」
「どうしちゃったのよ急にお礼なんかしちゃって」
「ううん、何でもない。お休みなさい!」
私は、不思議そうな表情を向けてくるママに笑顔で言う。
ママが読んでる本。表紙が上下逆さまになってるのは、本人も気が付いてないみたい。
きっと、私の事を心配してずっと待っててくれてたんだろうな。
母親の愛情をくすぐったく感じちゃう私は、そのまま自分の部屋に駆け込む。
そして、そのままベッドに倒れ込んだ。
「……晴翔君が彼氏……うぅ~……」
自分で呟いた言葉を聞いて、私はベッドの上で悶絶する。
「あ! 咲に報告しないと!」
結構遅い時間になっちゃったけど、まだギリギリ起きてるはず。
私は早速スマホをタップして親友とのトーク画面を開く。
通話は数秒も経たずに直ぐに繋がった。
『……どう、なった?』
スマホの向こう側から、咲の心配したような声が聞こえてくる。
それに対して、私は嬉しさを隠さずに咲に晴翔君との事を伝える。
「晴翔君の恋人になりました! 彼女になったよ私!」
『おぉッ!!! おめでとうッ!!』
スピーカーが音割れを起こしそうな程の大きな声で、咲は私を祝福してくれる。
「ありがとう! 咲が色々アドバイスをしてくれたおかげだよ!」
『私なんて何もしてないわよ。全ては綾香が勇気を出して頑張った結果よ』
「うふふ、ありがとう」
親友の言葉に、私は恥ずかしくなって笑みがこぼれちゃう。
『いやぁ~それにしても本当に良かったわ。もしこれで綾香がフラれてたら私、夏休み明けに大槻君の事しばき倒してるところだったわ』
スマホ越しになんか物騒な事を言ってくる咲に、私は思わず苦笑を浮かべる。
咲は『いや、夏休み明け待たずに大槻君の家にカチコミしてたかも』と少しだけ、どすの利いた声で言ってる。
「ありがとう咲。でも、ちゃんと付き合える事になったから、私の彼氏をイジメないでね?」
『おうおう、早速惚気てくれますなぁ』
「うふふふ」
『で? どういう感じで付き合う事になったの? 綾香から告白?』
「ううん。晴翔君の方から……告白してくれた」
私がそう言うと、咲が興味深々と言った感じで聞いてくる。
『おぉ、それは熱い展開だね! んでんで? なんて告白されたのよ?』
「え、えっと……最初に私の好きな所を色々話してくれて」
『うんうん』
「その後に……君の全てが好きですって」
『きゃは~~~~~~~ッ!』
咲の黄色い歓声が私の部屋に響き渡る。
私も晴翔君に告白された時の事を想い出して、身体がカーッて熱くなっちゃう。
「それでね、最後に、本物の恋人になってくださいって」
『いいねぇ!! 大槻君やるねぇ! それで綾香はなんて?』
「私をあなたの本当の恋人にしてくださいって」
そう言うと、咲の方からドタバタという物音と一緒に「くうぅ~」みたいな悶える声が聞こえてくる。
『もう最高! あなた達最高です! ごちそうさまですッ!』
物凄いハイテンションな咲の声に、なんだか私まで変なテンションになってきちゃう。
「そ、それでね……」
『なになに? まだ何かあるの?』
「う、うん……えっとね。私……晴翔君とキスしちゃった」
『ッ!?』
彼とファーストキスを交わした事を告げると、咲からは何やら小さな悲鳴のような声が聞こえてきて、その後何も聞こえてこなくなっちゃった。
「……咲? 大丈夫?」
少し心配になった私は、スマホ越しに彼女の名前を問いかける。
すると、まるで弾けたような咲の叫びが轟いた。
『おめでとう! そして、爆発しろッーーーーー!!』
咲の心の叫びに、私は思わず笑っちゃう。
『いいなぁ~。私も綾香みたいに、料理ができて家事も完璧にこなせて、大人っぽくて優しくて、頭が良くてイケメンな彼氏が欲しいよぉ~~』
「咲ならきっと素敵な彼氏が出来るよ」
『うん、頑張る……でも私、ダメ男の世話を焼くのが意外と好きだったりするのよね……』
さっきより少しテンション低めに言う親友。
「その……私が役に立つか分からないけど、いつでも相談に乗るからね?」
『うん、ありがと綾香。まぁでも良かったわね。これであなたも恋愛のスタート地点に立ったわね』
「え? 今がスタート地点なの?」
咲の言葉に私は少し驚いた声を出しちゃう。
晴翔君と想いが通じ合った今がスタート地点なの?
『そうよ、恋愛は付き合い始めてからが本番よ?』
「そ、そうなんだ」
『いま綾香は、大槻君と付き合えた事で喜び一杯だろうからあんまり余計な事は言いたくないけど』
咲はさっきまでのハイテンションから、少し真面目な声音に変えて話してくれる。
『これからは、時間を掛けて大槻君の事を見極めていく時期だからね』
「見極める? 何を?」
『何をって、それはもちろん彼が綾香にとって運命の人かどうかって事をよ』
「それってつまり……」
『将来の旦那になり得るかどうかって事』
咲の口から放たれた『将来の旦那』という単語に、私の心臓がトクンって跳ねる。
「そ、それはまだ早くない? 私達まだ高校生だよ?」
私がそう言うと、咲も『そうね』と返してくる。
『確かに、私もネットか何かで高校生カップルが結婚する確率は10%以下って見た気がする』
高校生の時に、お互いの事が大好きで付き合っても、いずれは分かれて別々の人生を歩む確率の方が高い。それは、高校生の私達にはこの先、進学や就職といった環境がガラリと変わる人生の転換期があるから。そこで、価値観なんかが変わったり、人間関係が変わったりして、それが別れに繋がっちゃう。
そんな感じの説明を咲が私にしてくれる。
『でもさ、逆に考えるとそれでも付き合い続けてたら、それはもう運命の人だって事で、もうゴールインするしかないでしょ?』
「ゴールイン……」
私の頭の中に、チャペルの鐘の音が鳴り響く。
『いうても、綾香の言う通り私達はまだ高校生だから。そんなに意識する事でもないんだろうけど。でも、そこまで遠い未来でもないから、少しは頭の片隅に置いておいても良いのかもよ?』
「そう……だね」
『いまの段階で考えると、大槻君は理想の旦那になりそうだしね。料理男子はマジで羨ましい』
「うん。晴翔君の手料理は毎日でも食べたいよね。でも、私の手料理も晴翔君に食べて欲しいな」
『なんか綾香と大槻君が結婚したら、周りが胸焼けしそうなくらいのオシドリ夫婦になりそう……』
「まだ結婚するかなんて分からないよ……」
私は恥ずかしさを隠す様に、ちょっと素っ気ない感じを意識して咲に言葉を返す。
『ま、未来がどうなるかは誰にも分からないけど、このまま綾香の気持ちが変わらなくて、大槻君も同じなら、そういう未来もあるよって事よ』
「そうだね」
その後も、咲と公園での出来事を話したりしていると、気が付いたら日付が変わる寸前になってた。
「咲、そろそろ寝る?」
『あれ? もうこんな時間?』
咲は少し驚いた様な声を出す。
『そうね。この続きはまた今度、直接会ってしようか』
「そうだね。じゃあお休みなさい」
『ほいほい、おやすみ~』
咲と通話を切った私は、ベットに横になりながらさっき言われたことを思い返す。
「晴翔君と……」
私はスマホのメモ帳を開くと、そこに文字を打ち込む。
――大槻 綾香
その文字を見た瞬間に、私は自分の顔が真っ赤になるのを感じて枕に顔を押し付けた。
まだ分からない! まだ分からないよ!!
それに、今からそんな感じを出してたら、晴翔君に重い女って思われちゃう!
でも……このまま、付き合い続ければ、いずれは……。
その未来を想像した瞬間、私は身体がふわりと浮いちゃうような幸福感に包まれる。
高校生の私にとって、まだまだ先の話。
でも、咲の言う通り想像が出来ないほどの遠い話でもない。
あと5年もしたら私達は社会人。
そうしたら、社会的にも独立して、いろいろと責任を負える立場になったら、そうしたら……。
もし、晴翔君が運命の相手なら……。
「あ、ちょっと姓名判断してみようかな……」
そのあと私は、日付を跨いでもなかなか寝る事が出来なかった。
綾香の晴翔に対する意気込み:あ、意外と姓名判断結果、悪くないかも……




