第五十九話 それは溶ける様に甘く
何とも甘く感じるパンケーキを完食した後、晴翔と綾香は食後の飲み物をゆっくりと楽しむ。
「パンケーキ美味しかったね」
綾香は、紅茶の入ったカップを両手で包むように持ちながら笑みを浮かべる。
「このお店が人気なのも納得できる味だった」
晴翔は彼女の言葉に相槌を打ちながら、砂糖もミルクも入れずに、ブラックのコーヒーを飲む。
お互いにパンケーキを食べさせ合った後、晴翔は羞恥心から若干顔が熱くなっている気もするが、コーヒーの香ばしさと苦さが、彼の心を落ち着かせてくれる。
「そうだ、綾香に聞きたい事、というかお願いしたい事があるんだけど」
「ん? なに?」
ちょこちょこと少しずつ紅茶を飲んでいた綾香が、晴翔の言葉に顔を上げる。
「その……次の家事代行が休みの日に、ばあちゃんに会ってもらう事って出来るかな?」
「晴翔君の次の休みは、明後日だっけ?」
「うん。今日の朝、ばあちゃんが綾香に会いたそうにしてて」
祖母は直接会いたいとは口にはしていなかったが、家族である晴翔は、彼女の気持ちを何となく察している。
祖母に会って欲しいという晴翔のお願いに、綾香はグッと拳を握る。
「うん! 予定は空いてるし大丈夫だよ!」
気合の入った表情で綾香は頷く。
「今までの恋人の練習の成果を発揮する時だね!」
ふんすっとやる気満々の様子の綾香に、晴翔は少しだけ不安を感じる。
これまで彼女と行ってきた恋人の練習。
今まで恋愛経験が無い綾香は、晴翔の祖母に嘘がバレないか心配していた。そこで彼女から提案された、自然な恋人を演じるための練習。
その内容を思い返す晴翔は、無意識のうちにコーヒーを口に含む。
お互い恥ずかしがらずに『好きだ』と言い合う練習。膝枕をして頭を撫でたりする練習。そして、2人で協力して行ったカップルヨガ。
おそらく、今までの練習の成果を十分に発揮してしまうと、祖母は綾香に「うちのお嫁に来てくれないかい?」なんて事を言ってしまいそうだ。
彼女のフリをしてもらっている状態でも、申し訳なさで心が苦しいのに、それに加えてそんな事を言われてしまっては、晴翔はまともに綾香の顔が見れなくなってしまいそうだ。
「その、ばあちゃんには、付き合い始めたばかりって言ってるから、仲良すぎるのもちょっと不自然かなと……」
「そう……なのかな?」
晴翔の言葉に、綾香は小さく首を傾ける。
彼女の普通の恋人基準は若干フィクションが含まれていると晴翔は感じている。
綾香の部屋の壁際に置かれている本棚。
晴翔は、そこに並べられている本のラインナップを思い出していると、不意に綾香に真剣な眼差しで見つめられる。
「ねぇ、晴翔君」
「はい、何でしょう?」
「前にも聞いたかもしれないけど……晴翔君にとっての理想の恋人ってどんな人?」
そう尋ねてくる綾香の目には、少しだけ不安の色が滲んでいた。
「今まで恋人の練習してきたけど、私、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃってたのかなって……もしかしたら晴翔君は嫌だった?」
段々と自信なさげに声のトーンが落ちてくる彼女に、晴翔は綾香を不安にさせてしまった事に罪悪感を感じる。
「……嫌じゃないよ。全然嫌じゃない」
「ほんとう?」
「うん、本当」
晴翔がそう言っても、まだ綾香の不安は払拭されないのか、見つめる彼女の瞳は小さく揺れる。
晴翔は柔らかな表情で、綾香を安心させるように笑みを浮かべる。
「俺の理想の恋人だけど、前も言ったけど笑顔が可愛い子が好きだよ。あと、美味しいものを食べて幸せそうにする子も、隣でウキウキと楽しそうに手を繋いで、弾みながら歩いたりする子も、俺にとっては理想の恋人だよ」
「そ、そうなんだ……」
柔らかな笑みを浮かべながらも、真剣な声音で言う晴翔の言葉に、綾香はサッと頬を染めて俯く。
「だから、綾香の事は最高の彼女だって、自信を持ってばあちゃんに紹介できるよ」
「……う、うん…………」
俯いたままコクコクと小さく頷く綾香。
そんな彼女を見て、晴翔はハッとした表情になり、慌てて言葉を付け足す。
「もちろん綾香が本物の彼女じゃ無くて、恋人のフリをしてくれているっていうのは十分に承知しておりますので!」
「あ……うん。そ、そうだね」
綾香は嬉しいような、残念なような複雑な表情を見せた後、何かを決心したように晴翔に宣言する。
「私、もっと頑張る!」
「え? いや、さっきも言ったけど綾香は充分に理想の恋人だから、そんなに頑張らなくても大丈夫だよ?」
「ううん! もっと頑張らなくちゃダメなの。これは私の為でもあるし」
首を横に振りながら言う綾香。
晴翔は彼女から並々ならぬ覚悟を感じ取る。
「ありがとう。ごめん、俺の嘘にそこまで真剣に付き合ってくれて」
そう言って、晴翔は綾香に対して頭を下げる。
頭を下げられた綾香は、彼には聞こえないような小さな声で、自分に言い聞かせるように囁く。
「きっと……必ず『ごめん』って言われないようにするんだから」
「え? なんて言ったの?」
「ううん、気にしないで」
綾香はニコッと笑みを浮かべると、僅かに残っていた紅茶をクイッと飲み干す。
「晴翔君、アイス探しの続き行こッ!」
席を立ち、晴翔に手を伸ばしながら綾香は言う。
彼女の言葉に、晴翔も残りのコーヒーを飲み干して席を立つ。
2人は再び手を繋ぎ、限定味のアイスを探す為、真夏の太陽の下に出ていった。
―…―…―…―…―…―…―
真上から強く白い光を容赦なく降り注いでいた太陽も、気が付けば随分と低い位置まで移動して、あたり一面を燃やすような真っ赤な夕陽を作り出していた。
「全然見つからないね……」
「もう、スーパーとかには置いてないのかも」
夕日に染まる川沿いをゆっくりと並んで歩く二人の口からは、そんな諦めムードの言葉が漏れる。
といっても、その表情に悲壮感は全くない。
アイスが売られていそうなスーパーを回る途中で、アパレルショップや小物雑貨店を覗いたり、ゲームセンターやバッティングセンターで遊んだりと、目的のアイスを見つけられなかった代わりに、随分と充実したデートをする事が出来た。
「アイスは見つけられなかったけど、今日一日すっごく楽しかった」
最初と比べると、随分と自然に恋人繋ぎが出来る様になった綾香は、こぼれんばかりの笑みを浮かべながら言う。
「だね。まぁ、これでアイスも見つけられたら最高なんだけど」
そう言う晴翔は、赤く燃える空を見上げる。
もうそろそろ帰り始めないと、家に着く時間が遅くなってしまう。そうなると、郁恵や修一を心配させてしまう。
そう思い始めた矢先。帰路に就こうかと思い始める晴翔の目に、一軒の小さな商店が映る。
地元の子供たちが、駄菓子を求めて集まりそうなその商店を指差して、晴翔は綾香に言う。
「最後にあの店、見てみない?」
「うん、いいよ」
晴翔の言葉に頷く綾香は「アイスあるかな~」と楽し気に呟く。
夕方という事もあり、少しだけ暗く感じる商店の中には、晴翔たち以外のお客はいないようだ。
店内の奥、レジの横にお婆さんが一人座っていて、入って来た晴翔と綾香に「いらっしゃい」と声を掛けてくる。
こじんまりとした店内に、所狭しと並ぶ駄菓子に晴翔はどこか懐かしさを感じる。
「昔はよくこういうお店に来てたなぁ」
「私も。ママからお小遣い貰ったら何のお菓子買おうかいつも迷ってた」
「バイトをしてる今の財力なら、無双が出来る」
晴翔は陳列されているお菓子をザッと見回して、不敵な笑みを浮かべる。
幼少の頃は小銭を片手に握り締め、なんのお菓子を買うか吟味に吟味を重ねていた。
しかし、バイト代という収入を得られるようになった今の晴翔にとって、単価数十円の駄菓子など、即断即決で買い漁れるようになっている。箱買いだって夢じゃない。
そんな彼の思考を感じ取ったのか、綾香は苦笑を浮かべながら「無駄遣いは駄目だよ」と忠告してくる。
「でもなんか、小さい頃はこういうお店も広く感じてたけど、こうやって大きくなってからくると、少し狭く感じちゃうね」
「そうだね。自分達も年を取ったんだね。ってなんか凄い年寄臭い会話なっちゃってるけど」
「まだ私達、高校生なのにね」
そう言って晴翔と綾香は笑い合う。
「お、綾香。こっちにアイス売ってるよ」
「ほんと? 探してるアイスはありそう?」
「う~ん、あんまり種類は置いてなさそうだけど……あ!」
店内の隅の方に置かれている冷凍ストッカーは、そこまで大きなものではなく、こじんまりとしたものだった。
あまり期待せずにその中を覗き込んだ晴翔は、驚いた様な声を上げる。
その声に、綾香も急いで彼の元に駆け寄る。
「え!? もしかしてあった!?」
晴翔のすぐ隣にきて、一緒になって冷凍ストッカーを覗き込んだ彼女は、その瞬間に喜びの声を上げる。
「うそ! あった! あったよ晴翔君!!」
二人の視線の先には、ずっと探し求めていた限定味のアイスが一つだけ置かれていた。
それを見た瞬間に、綾香は嬉しさのあまりピョンピョンと小さく飛び跳ねる。
「まさかこんな所で見つかるとは」
晴翔も驚きつつも、その顔に笑みを浮かべる。
今日一日デパートやスーパー、通りすがりのコンビニなどを散々回って探しても見つからず、ほとんど諦めかけていただけに、こうしてようやく見付ける事が出来た事に対しての喜びは、彼が思った以上に大きかった。
「晴翔君! 早く買わないと!」
「そうだね」
自分達の他にお客は誰もいないのに、綾香は少し焦ったように晴翔に催促する。
しかし、その気持ちは晴翔も同じなのか、彼は急いで手を伸ばして目的のアイスを確保する。
晴翔はそのまま、足早にアイスをレジのお婆さんの所に持っていき会計を済ませる。
その後、お婆さんの「ありがとうね」という言葉を背に受けながら二人は外に出た。
「どこで食べようか?」
店を出たところで、晴翔が辺りを見渡して言う。
「私はそこのベンチで良いよ」
彼の隣で綾香は、商店の前に設置されている古びたベンチを指差して言う。
「おっけ。じゃあそこで食べようか」
綾香の言葉に頷き、二人は少しペンキが剥がれて錆が浮いているベンチに腰掛ける。
頭上では、商店の軒先から下げられている風鈴が、夕方の風に揺れてチリンチリンと涼し気な音を奏でている。
「念願のアイスが目の前に……」
綾香は探し求めていた限定味のアイスを感極まったかのような眼差しで見詰める。
「やっと食べられるね」
「うん!」
以前、晴翔と二人で買い物に行くために泣く泣く犠牲にした、美味しいと話題沸騰中の限定味アイス。
綾香はそれを晴翔から受け取る。
高級カップアイスの今夏限定アップルパイ味。遂に食べる事が出来ると、綾香は嬉しそうにカップアイスの蓋を取る。そして、プラスチックのスプーンで表面をすくい口に運ぶ。
「うんん~!」
綾香は、お昼に食べたパンケーキの時と同じような反応を見せる。
彼女の美味しそうに食べるその姿に、晴翔も楽しそうに笑みを浮かべる。
「どう? 美味しい?」
「すっごく美味しい!」
満面の笑みで返す綾香は、更にスプーンでアイスをすくうと、それを晴翔の口元に持ってくる。
「俺は前に一回食べたから、綾香が食べていいよ」
「こういう美味しいのは、シェアして食べたほうが美味しく感じるんだよ」
「そうなの? 本当に?」
「うん、私を信じて?」
ニッコリと笑いながら更に晴翔の口にアイスを近づけてくる綾香。
晴翔はそんな彼女の楽しそうな表情をチラッと見た後に、アイスを口に含む。
「ね? 美味しいでしょ?」
「……前食べた時よりも甘く感じる」
パンケーキの時で、綾香の「あーん」には大分耐性が付いて慣れてきたと思っていた晴翔だったが、どうやらこれに慣れるという概念は無いのかもしれない。
以前に食べた時よりも、数倍美味しく、そして甘く感じる晴翔は、再度綾香によって口元に運ばれてくるアイスを眺めながら、そう思うのであった。
お読み下さり有難うございます。




