第五十二話 東條綾香の恋③
バーベキューと花火を楽しんだ後、晴翔君は自宅に帰って、咲はそのまま私の部屋に泊まる。
私はクローゼットの扉を開きながら言う。
「咲、掛布団いる?」
「いんや、わたしはタオルケット一枚あれば十分」
「ん、じゃあこれ使って」
「ほいほい、ありがと」
私は咲に普段使っていないタオルケットを手渡す。
久しぶりに咲が家に泊まる事に、私は嬉しくなっちゃって自然と表情が緩くなっちゃう。
咲が最後に私の部屋に泊まったのっていつ以来だろ?
確か引っ越しで家が離れるから、それが寂しくて私が咲に頼んで泊まってもらったのが最後かな?
あの時は本当に寂しくて、咲に抱き着いて泣いちゃったなぁ。
「ふぅ~今日は楽しかったね~」
「ね、本当に楽しかった」
咲はベッドの隣に敷いた布団にダイブした後に、私の部屋を見渡す。
「相変わらず、いいお部屋ですなぁ」
布団の上で足をバタバタとしながら咲が言う。
咲は壁際の本棚をザッと見渡して「あ、これ新刊出てたんだ」と言って私の愛読書にしてる恋愛漫画を手に取る。
「ねぇ、ちょっと読んでもいい?」
「うん、いいよ。じゃあ、私はその前の巻読もっと」
この漫画は本当に面白くて、何回も繰り返して読んでしまう。
少しの間、私と咲は無言で漫画を読む。
両片思いの幼馴染の高校生が、お互いにすれ違いながらも、徐々に距離を詰めていくストーリーに、私は何度読み返してもキュンキュンしてしまう。
私はパラパラとページをめくりながら、漫画を流し読みしてると、ふとあるシーンで手が止まった。
それは、幼馴染の2人が夜の公園で線香花火をするシーン。
線香花火を見つめている2人は、ふとした瞬間に同時に顔を上げて目が合い、その距離感にお互いに顔を赤くする。
初々しく、もどかしい2人の関係に、私は軽く悶絶する。
それと同時に私は気付く。
これ、さっきの私と晴翔君にそっくりな様な?
私の脳内に、晴翔君と一緒にした線香花火の情景が鮮明に浮かび上がってくる。
線香花火に照らされた晴翔君の横顔。
本当は顔を横に向けて真正面から、彼の事を眺めたかった。
でも、あの距離感で見つめ合う事が恥ずかしくって、私は横目でチラチラと盗み見る事しか出来なかった。
でも、もしあの時、晴翔君と見つめ合ってたら……。
淡く弾ける火花の明かりのもとで顔を寄せ合って……。
うぅ、想像するだけで顔が熱くなってきちゃった。
だけど、凄くロマンチックで良いかも。それこそ、この漫画みたいに、実は両思いで、その事にうっすらと気が付き始めちゃったりして。
……あれ? えーと、私は晴翔君の事が好き。それで、晴翔君も私に偽の彼女役を頼んできたという事は、もしかしたら私の事が好き?
……つまり両想い! 実は私、この漫画とほぼ同じ状況にいたって事!?
私はもう一度、漫画の線香花火のシーンを見返す。
お互いに意識して恥じらう二人。
肩が触れ合いそうな程近くに並んでしゃがむ二人。
はわわわッ、さっきの私達だ!
あの時の私達、実はとても良い雰囲気だったのでは!? あそこで、何かもう一押しできてれば、晴翔君の心を掴めたかもしれない。
で、でもあそこで積極的になるのはちょっと恥ずかしいし……でも晴翔君から告白してもらう為には頑張らないとだし……。
私が枕に顔を押し付けて「うぅ~」と唸っていると、漫画を読み終えた咲が「面白かった~」と満足そうに言う。
「いや~この漫画は続きが気になりすぎちゃって困るよね。この二人、はよ付き合えばいいのに」
漫画を棚に戻しながら言う咲は、まだ枕に顔を押し付けている私に「何してんの?」と呆れた声を上げる。
「はよ付き合えばいいのにといえば、綾香もさっさと大槻君と付き合っちゃいなさいよ」
「えぇ! でも大槻君から告白が……」
「いやまぁ、そうなんだけど。なんというかさ、綾香が大槻君といるのを今日初めて見たけどさ」
咲は腕を組みながら私にズバッという。
「あんたら二人の空気感がもう恋人そのものなのよ! 逆になんでまだ付き合ってないわけ!?」
「そ、それは……でも、一応私は晴翔君の恋人だよ? お婆ちゃんがいるとき限定だけど……」
「それよ! もうなんで大槻君は嘘なんてつくかなぁ。その嘘が全てを狂わせてんのよ」
咲は腕を組んだまま、プンスカと怒った表情を浮かべてる。
「大槻君はお婆ちゃんを悲しませたくなくて…」
「それは聞いたけど、本当にお婆さんの事考えてるなら、ちゃんと綾香に告って本物の彼女にしろっての! 綾香なんて、もうこんなにも大槻君にメロメロのぞっこん状態なのに」
「メロメロのぞっこん……私、そういう風に見えちゃってる?」
私自身も、晴翔君に対する思いを完全には隠しきれて無いと思うけど、こうはっきりと言葉にして言われると、カーッと体が熱くなっちゃう。
「だって綾香ったら、ずっと大槻君の事、目で追ってるでしょ?」
「なのかな……?」
「大槻君と話してる時もずっと満面の笑みだし」
「な、なんかね。最近、晴翔君の顔を見ると自然と口元が上がっちゃうんだよね。自分じゃ抑えられなくて……」
晴翔君の姿が視界に入っただけで、自然と表情が緩んじゃって、胸がドキドキしてしまう。
それに、なんだか晴翔君の周りだけ色彩が鮮明になっているというか、うまく言えないけど、キラキラしちゃってる気がするんだよね。
「それ、もう完全に恋する乙女じゃない」
「う、うん……」
晴翔君への気持ちを自覚してからは、日に日に彼に対しての想いも強くなっている気がする。
最近は、この気持ちが何処までいってしまうのか分からなくて、ちょっと怖くなったりする時もある。
なんだか、自分の中に別の誰かがいるような。
でも、やっぱりそれは、はっきりと自分の一部なんだと認識する事も出来て。
コントロールの利かない感情が、私の中に渦巻いていて、どうやって向き合えばいいのか分からなくなる。
「綾香はさ、実際に今どんくらい大槻君の事が好き?」
咲が布団の上で胡坐をかいて、ベッドの上にいる私を見上げながら聞いてくる。
「どのくらいって言われると……どうなんだろ?」
「ほら、一言で好きって言ってもさ、いろいろな好きがあるわけじゃん? 夏休み暇だから、彼氏欲しいなって感じの軽いやつから、もう運命の人だわこれ人生の伴侶見つけたわって感じの重たいやつとか。で、綾香はどうなの?」
「う~ん。たぶん、一夏の恋? 的な感じよりは、ちゃんと好きになってると思うけど……」
「じゃあさ、もしもだよ? 家事代行に来た人が大槻君とは別のクラスメイトの男子で、でもその男子も家事力Maxで落ち着いた雰囲気で大槻君みたいな人だったら、綾香はその人好きになってた?」
「えぇ……どうだろ?」
私のなかで、家事代行といえば晴翔君というイメージが出来上がっちゃってるから、それがもし他の人だったらと言われても、全然イメージが湧かない。
「晴翔君以外の人が想像できないけど、たぶん好きにはなって無いんじゃないかな?」
そうは言ってみるけど、正直分からない。
私の初恋の相手は晴翔君で、いま好きなのも晴翔君。
それが別の男の子だったらなんて、考えられない。
「そっか、やっぱり綾香は大槻君にメロメロのぞっこんだね」
「そのメロメロのぞっこんって言われるのは、ちょっと恥ずかしいな……」
「でも事実じゃん」
「そ、そうだけど……」
その後も、私と咲は夜遅くまで、恋バナに花を咲かせた。
次の日の朝。
カーテンの隙間から差し込む朝の陽ざしに、私は目を覚ます。
「んん……眠い……」
まだ体は睡眠を欲しているみたいで、なかなかベッドから起き上がれない。
実は昨日の夜、咲と恋バナをした後に寝ようとした時、ふと咲の言葉が頭に浮かんできた。
『じゃあさ、もしもだよ? 家事代行に来た人が大槻君とは別のクラスメイトの男子で、でもその男子も家事力Maxで落ち着いた雰囲気で大槻君みたいな人だったら、綾香はその人好きになってた?』
この質問について、考えていたら中々眠れなくなっちゃった。
私が晴翔君以外の人と恋に落ちる可能性。
もし家事代行が晴翔君以外だったら……。
そんな事を考えていたら、全然眠れなかった。
「ふぁ~……二度寝、しちゃおっかな……」
そんな事を考えていたら、布団の上で咲がもぞもぞと動き出した。
「んにゃ? ……あれ?」
むくっと上体を起こした咲は、半目の寝惚けた様子で私の部屋をキョロキョと見渡している。
「おはよう咲」
「……おはよう綾香? ……あぁ、そっか泊まってたんだった」
現状と頭の中の認識が一致したみたいで、咲は一つ大きな伸びをする。
「んん~! ふぃ~目覚めたわ~」
「よく眠れた?」
「もちろん、金持ちの布団はフカフカで寝心地最高でした」
冗談半分に言う咲は、グッと私に親指を立てる。
「そのお布団はお値段以上だからね。咲はもう起きる?」
「うん、目も覚めたしね。綾香は?」
「私はまだちょっと眠いけど、お腹も空いてきたから起きようかな」
私は咲と一緒に洗面台で顔を洗って歯を磨いた後に、リビングに向かう。
そこにはもうママが起きていて、ダイニングテーブルに座ってパソコンを眺めながらミルクティーを飲んでた。
「あら、咲ちゃんと綾香。おはよう」
「おはようございます」
「おはようママ」
「二人ともお腹空いてる?」
ママは椅子から腰を上げながら私達に聞いてくれる。
「うん、私は空いてる。咲は?」
「わたしも空いてきたかも」
そう言ってお腹をさする咲に、ママはニッコリと笑みを浮かべる。
「分かったわ。すぐ準備するから座って待っててね」
「ありがとうございます! ご馳走になります!」
咲はママにお礼を言いながら、ダイニングテーブルに座る。
私も咲の隣に腰を下ろして、キッチンに立つママを見る。
「ママ、今日は和食?」
「そうね。咲ちゃんも朝はお米で良いかしら? それともパンが良い?」
「いえ、お米が良いです。ありがとうございます郁恵ママ」
咲の返事を聞いたママが早速朝ご飯を作り始める。
そして、ものの数分でテーブルの上に次々と朝食のおかずが並べられていく。
まるでファストフード並みの速さで出てくる朝食達に、咲が驚いたような表情を浮かべてる。
それが面白くて、私はクスッと笑いを浮かべちゃう。
「え? え? 何か朝食出来るの早くない? こんな品数をこんな短時間で作れる? どんな時短テク?」
テーブルに並べられているのは、ほうれん草のお浸しに大根と人参のなます、筑前煮、そして豆アジの南蛮漬け。そして、お味噌汁に炊き立てのご飯。
朝から出てくる豊富なおかずに咲は呆気に取られちゃったみたい。
「これ……もしかして全部作り置きとかですか?」
咲にそう言われたママが「正解」と笑顔で答える。
「実はこれね、大槻君が家事代行で来てくれてる時に作ってくれてるのよ。もう朝忙しい時は大槻君の作り置きが大活躍でね、本当に楽をさせて貰ってるわ」
「へぇ~大槻君の家事力恐るべし」
「しかもね。晴翔君の料理はどれもすごく美味しんだよ」
晴翔君の料理は今まで美味しく無かった事が無い。
本当にどれも美味しくて、食べ過ぎないように気を付けないと危険なくらい。
「じゃあ、いただきます」
咲は手を合わせてから、まず最初に筑前煮に箸を伸ばす。
「っ!? え? うまっ」
咲は軽く目を見開いた後に、他の料理にも箸を伸ばす。そして、それを口に運ぶ度に「うまっ」と小さく溢す。
晴翔君の料理が褒められると、なんだか私まで嬉しくなっちゃう。
「ね? 美味しいでしょ?」
「うん、ヤバい。えぇ~これはちょっと羨ましいかも。うちも大槻君に家事代行お願いしようかな?」
咲のその言葉に、私の中に若干の焦りが湧き上がる。
「は、晴翔君は私の……じゃなくて、東條家で専属契約結んでるから、家事代行頼むなら他のスタッフさんにしてね?」
「あ! この料理を独り占めするなんてずるいぞ!」
「ず、ずるくないもん! 専属の定期契約っていうちゃんとした契約なんだもん!」
ずるい、ずるくないと言い争いをする私達に、ママが笑いながら茶碗蒸しを持ってきてくれる。
「咲ちゃん。これも大槻君が作ってくれたやつなんだけど、美味しいから食べてみて」
「いただきますッ!」
咲は出された茶碗蒸しをさっそく食べ始める。
一口スプーンですくって口の中に入れた途端、咲は表情をほころばせる。
「滑らかな喉越しと濃厚な卵のコク、優しい出汁の風味……ねぇ、綾香。ちょっとだけ大槻君を…」
「ダメッ! 絶対にダメだからねっ!」
咲の言葉を私は途中で遮る。
大槻君は、私だけじゃなくて、東條家に欠かせない存在なんだから!
私に晴翔君のアルバイト先を決める権限なんて全然ないけど、でもやっぱり彼には東條家の専属でい続けて欲しい。
そんな独占欲を覚える程に、彼の料理は魅力的だった。
綾香の晴翔に対する意気込み: 家事代行の晴翔君は誰にも渡さないんだから!




