第四十六話 恋人の練習(中級編)
夏の昼下がり、強い日差しが部屋の窓から燦々と照りつけてくる。
しかし、窓は陽の光は通すものの、暑さはそこまで感じられない。
やはり、豪邸は窓も高性能なのか。
少し現実逃避気味に外に視線を向け、そんな事を考える晴翔。
そんな彼に、綾香が瞳を輝かせて話しかけてくる。
「ねぇ晴翔君? 聞いてる?」
「あ、ごめん……ちょっと考え事をしてて、もう一回言ってくれる?」
「普通の恋人同士はね、お互いに膝枕をよくすると思うの」
「そう……でしょうか?」
昨日に引き続き、今日も綾香の普通じゃない普通の恋人基準が炸裂している。
どうやら今日は膝枕のようだ。
膝枕をする恋人達。
皆無とは言わない。
きっと恋人同士ならば膝枕をする事もあるだろう。
しかし、その頻度については、晴翔は綾香の意見には共感することができない。
しかしながら、綾香は世の恋人達は常日頃から膝枕をしていると思い込んでいる様だ。
「そうだよ! だから、今日は膝枕の練習をしよう!」
ふんす! とやる気満々で、しかしながら恥ずかしさも多分に含んだ表情で綾香は晴翔に提案する。
「えと……これってばあちゃんに嘘がバレない様にする為の練習だよね?」
「うん、そうだよ」
「なら、ばあちゃんの前で膝枕する事は無いだろうから、さすがにそこまでの練習をしてもらうのは申し訳ないというか……」
それとなく、練習を回避する方向に話を持っていこうとする晴翔。
しかし、綾香は彼の意図を知ってか知らずか、膝枕練習を強行しようとする。
「たとえお婆ちゃんの前でやらないとしても、普段から、そういう事をしているからこそ出せる恋人の雰囲気ってあると思うの。そういうのがあった方がリアリティがあって良いでしょ?」
「まぁ……確かに……リアリティは出るけど」
綾香の説明に思わず晴翔は頷いてしまう。
綾香は完璧主義なのだろうか?
完全に晴翔の恋人に成り切ろうとしてくれている綾香。
意外と女優とか向いてるのかもしれない。
そんな事を思っている晴翔に、綾香が若干モジモジとしながら言う。
「じゃ、じゃあ……どっちが先に横になる?」
「あ〜……それじゃあ、俺が先に枕になります」
結局膝枕の練習をすることになった晴翔は、最初に枕になる方を選ぶ。
綾香の太腿に頭を乗せることに比べたら、自分が枕になる方が、まだ耐えられる様な気がする。
結局、交代したら彼女に膝枕してもらう事になるのだが、まだ心の準備ができていない。
「うん、わかった。え〜と……あ、膝枕ってクッションに座ってやるよりも、どこかに腰掛けた方がやり易いよね?」
「確かに、でも2人並んで腰掛けられる様な場所は……」
綾香の部屋にはソファなどは置かれていない。
したがって2人並んで腰掛けられる様な場所は一つしかない。
晴翔がその場所に目を向けると、綾香も同じ方向を見る。
「じゃあ……一旦ベッドに移動する?」
「……そう……だね」
晴翔は躊躇いがちに頷いてからベッドの方に移動する。
綾香も無言でその後をついてくる。
「…………」
「…………そ、それじゃあ、膝枕……どうぞ」
2人並んでベッドに腰掛けたところで、晴翔が自分の太腿を綾香に差し出す。
「う、うん……お、おじゃまします」
そう言いながら、綾香は恐る恐るといった様子で晴翔の太腿に頭を乗せる。
「……どう?」
綾香は反対方向を向いて横になっている為、晴翔からは彼女の後頭部しか見えず、その表情がどうなっているのか見ることが出来ない。
「……思ってたよりも、硬いかも……」
ポツンと呟く様に綾香は言う。
「ごめん。脚に力入れてたから……」
緊張から、太腿にも力が入っていたみたいで、晴翔は意識して力を抜くようにする。
「あ、ちょっと柔らかくなったよ」
そう言いながら綾香は僅かにグリグリと頭を動かし、収まりの良い場所を探す。
綾香の頭が太腿の上で動く度に、晴翔はどこかこそばゆい気持ちになり、視線を上に向ける。
少しの間、綾香は頭を少しずつ動かしていたが、やがて良い場所を見つけたのか、頭を動かす事をやめる。
「どうでしょうか? 俺の膝枕は」
「……うん。良いかも、です」
そう答える綾香の表情は、相変わらず見る事は出来ないが、髪の隙間から見えている耳が真っ赤になっている事から、彼女の心情は少しだけ窺い知ることができる。
かくいう晴翔も、今は心臓がバックバクに早鐘を打っている状態である。
彼は意識して上げていた視線をそーっと下に降ろす。
そして、自分の太腿に綾香の頭が収まっているのを視界にとらえた瞬間、ある衝動に駆られる。
頭を撫でたい……。
形の良い綾香の頭。
流れるような髪は晴翔の太腿の上に広がり、窓から差し込む光を反射して亜麻色に輝いている。
その髪を手櫛ですいたらとても気持ち良さそうである。
「……綾香?」
「ん?」
「頭……撫でても良い?」
晴翔の問いかけに、綾香は少し間を開けてから答える。
「……うん、良いよ」
彼女から許可を得て、晴翔はゆっくりと綾香の頭に手を伸ばす。
晴翔の手が彼女に触れた瞬間、太腿にピクッと振動が伝わる。
「嫌だったらすぐに言って、止めるから」
「……ううん、大丈夫。嫌じゃ、ないよ」
そう答える綾香に、晴翔はドキッとしながら、そっと綾香の頭を撫でる。
絹のように滑らかな綾香の髪がスゥと晴翔の掌を流れていく。
その感触がとても心地良く、晴翔は優しくゆっくりと綾香の頭を撫でる。
「どう?」
「ちょっと……くすぐったい……でも……凄く、心地いいかも」
そう答える綾香の耳は、頭を撫でる前よりも一段階赤味を増している。
それからおよそ数分間。
晴翔は綾香を膝枕しながら頭を撫でる。
「晴翔君……そろそろ交代……しよ?」
「あ、うん。おっけ」
綾香の頭を撫でる感触があまりに心地良く、晴翔は少し時間を忘れてしまっていた。
むくりと晴翔の太腿から上体を起こした綾香は、少し俯いたまま晴翔を見る。
「次は晴翔君が横になって」
そういう綾香は、顔だけじゃなく首元まで赤く染めていた。
膝枕に加え、頭を撫でるというのは彼女にかなりの羞恥心を与えてしまったようだ。
少し申し訳ない気持ちになった晴翔は、綾香に頭を下げる。
「ごめん、調子に乗って頭まで撫でちゃって」
「い、いや全然大丈夫だよ! それに、私も晴翔君の頭撫でさせてもらうし!」
顔を真っ赤にしながらも、両手をブンブンと振る綾香。
「い、いいよね? 私も頭撫でて」
「まぁ……散々綾香の頭撫でておいて、俺が断るわけにはいかないからね」
晴翔は、恥ずかしさを誤魔化すように苦笑を浮かべる。
そんな彼の言葉に、綾香は嬉しそうに笑顔を浮かべながら、自分の太腿をポンポンと軽く叩く。
「はい、どうぞ」
無邪気に誘ってくる綾香に、晴翔は彼女の太腿にチラッと視線を送る。
「やっぱり、俺の頭重たいかもしれないし、綾香の足痺れちゃうかもしれないから、止めといた方が…」
「全然大丈夫だよ。はい、どうぞ」
晴翔の言葉を遮るように綾香はニッコリと笑みを浮かべて言う。
彼女の和やかな笑みの裏に「逃さないよ?」というような圧を晴翔はヒシヒシと感じる。
「……じゃ、じゃあ……失礼します」
「はい、いらっしゃいませ」
晴翔は綾香の隣で横になると、ゆっくりと頭を降ろし綾香の太腿に乗せる。
「……重くない?」
ある程度頭を乗せたところで、晴翔が綾香に尋ねる。
「うん……大丈夫。晴翔君はどう?」
「えと……良いです」
晴翔にとって人生初の膝枕体験。
しかも、その相手は学校で1番可愛いと評判の綾香である。
思春期真っ只中の高校生男子である晴翔の感情は、恥ずかしさはあるものの、その大半は幸福感のようなもので埋め尽くされている。
しかし、確かに幸福感はあるものの、膝枕自体が心地良いかといわれると、それには少し疑問が生じていた。
「本当に重くない? 脚、痺れたりしてない?」
「全然、大丈夫だよ」
しきりに綾香の脚を気にする晴翔。
綾香の太腿は、それはもうとても魅力的な柔らかさではあるのだが、そこに頭を乗せると晴翔の想像以上にムニっと頭が沈み込んでしまうので、血流が止まったりしていないか凄く不安になってしまう。
晴翔はどこまで体重をかけて良いのか分からず、中途半端に頭を支えようとして、若干首が痛くなっていた。
このまま膝枕してたら、首が筋肉痛になりそうだと思い始めた晴翔に、上から綾香が話しかける。
「ねぇ……頭、撫でて良い?」
「あ、うん……どうぞ」
晴翔が返事をすると、少しだけひんやりとした綾香の指先が、晴翔の髪に優しく絡みつく。
「晴翔君って、結構髪質柔らかいんだね」
「そうなのかな?」
「うん、なんか晴翔君の頭撫でるの、ちょっとクセになりそう」
「……頭撫でられるのは恥ずかしいから、できればクセにならないで欲しいのですが……」
「えぇ〜」
とても残念そうな声を上げる綾香に、晴翔は苦笑を浮かべる。
しょっちゅう彼女に頭を撫でられていたら、羞恥で禿げてしまうかもしれない。
そんな事を思っている晴翔に、綾香が彼の側頭部にそっと手を当てて言う。
「晴翔君、ちょっと力入ってない?」
「え? あぁ……少し頭重いかなと思って」
「さっきも言ったけど、全然重くないから力抜いて良いよ? 本当に大丈夫だから。もっとリラックスして?」
「そ、そう? ……じゃあ……」
綾香にそう言われて、晴翔は戸惑いがちながらも徐々に力を抜いていく。
そして、完全に力を抜いて頭の重さを全て綾香の太腿に預けたあと、晴翔は再び確認する。
「重くない? 大丈夫?」
「うん。へーきだよ」
晴翔が横目に綾香の方を見ながら言うと、ニコッとした笑みで見下ろされる。
彼女の太腿から見上げる綾香は、晴翔の目にいつもより何故か可愛らしく映ってしまい、彼は慌てて目線を逸らす。
そんな晴翔の反応に綾香は「ふふふ」と小さく笑みを溢す。
そして、彼の頭を優しく撫で始める。
何度も繰り返し、優しい手つきで頭を撫でる綾香。
彼女の手の感触が、とても心地良いのと同時に、それと同じくらい気恥ずかしさも湧き上がってくる。
晴翔はゆっくりと深呼吸を繰り返し、なんとか平常心を保とうとする。
そこに、綾香が彼の心を大いに掻き乱す行動を取る。
「あ、晴翔君って福耳なんだね」
そう言うと、綾香は頭を撫でていた手を移動させ、晴翔の耳たぶをそっと摘み、フニフニと感触を楽しむように優しく握ってくる。
「――ッ!?」
耳たぶを誰かに触られるという経験を今までほとんどした事がない晴翔は、その新鮮で慣れない感触に思わずビクッと肩を揺らす。
「あ、ごめんね。くすぐったかった?」
「いや……くすぐったくはないけど……」
「じゃあ、もうちょっと触ってても良い?」
おねだりするように言う綾香に、晴翔は若干言葉を詰まらせながら返事をする。
「……良いけど、そんなに触り心地良いの?」
「うん! すっごく良いよ!」
とても良い笑顔で言葉を返す綾香に、晴翔はダメとも言えず、黙って耳たぶをフニフニされ続ける。
と、飽きずに晴翔の耳たぶを触っていた綾香が不意に言葉を漏らす。
「なんか……晴翔君の耳、美味しそうに見えてきちゃった……」
「……かじったりはしないでよ?」
「え? う、うん……さすがにまだ、そこまではしないよ……」
まだ、という事はそのうちは齧り付いてくるのだろうか、という危機感が晴翔の中に湧き上がってくる。
そうなる前に、この『恋人の練習』をバカップル路線から、清く正しく奥ゆかしい恋人路線に軌道修正しなくては。
綾香に膝枕されたまま、晴翔は心にそう強く刻むのであった。
お読み下さりありがとうございます。




