第四話 学園アイドルの弟
男の子は大声を上げながら、凄い勢いで踵を返し、廊下を猛ダッシュする。
「ドロボー! おねぇちゃん! ドロボー!」
「ちがっ! ちょっと! 俺は泥棒じゃない!!」
晴翔は慌てて男の子の後を追いかけながら、必死に訂正する。
しかし、男の子の耳には全く届いていないようで、彼は「ドロボー!」と繰り返しながら階段を上ろうとする。
「涼太。何騒いでるの?」
男の子が階段の一段目に足をかけた時、声を聞きつけて部屋から出てきた東條が階段の上に姿を現す。
「おねぇちゃん! 大変だよ! 家にドロボーがいるよっ!!」
「はぁ、はぁ、ごめん東條さん、この子が俺を泥棒と勘違いしてるみたいで……」
男の子は後ろに追い付いた晴翔を指差しながら、東條に必死に訴えかける。
対する晴翔は、犯罪者になって堪るかと超ダッシュをかました後のため、息絶え絶えに状況説明をする。
「ぷふっ」
そんな2人の様子が東條には面白おかしく映ったのだろう。
彼女は口に手を当てて小さく吹き出した。
「おねぇちゃん?」
姉の様子に首を傾げる男の子。
東條は階段を降りて、男の子の肩に手をそっと添える。
「涼太、この人はね泥棒さんじゃないよ」
「え? ドロボーじゃないの? じゃあ、だあれ? おねぇちゃんのカレシ?」
「ぶふッ」
男の子の発言に、晴翔は思わず吹き出してしまう。
そんな彼とは対照的に、東條は至って冷静に弟の勘違いを訂正する。
「彼氏でもないよ。この人はね家事代行サービスの人だよ」
「かじだいこう……?」
姉の説明に男の子は首を捻る。
「私達の代わりにお掃除やお料理をしてくれる人なんだよ。わかった?」
東條の説明に男の子はコクンと頷く。
「ごめんね大槻君。この子は私の弟の涼太。まだ幼稚園生で細かい事が分からなくて」
「あ、いえ。誤解が解ければ俺としては何も問題ないです」
頭を下げる東條に晴翔はそう答えると、しゃがんで東條の弟、涼太と視線を合わせる。
「涼太君。さっきは驚かせてごめんね。俺は大槻 晴翔、よろしくね」
笑みを浮かべながら手を差し出す晴翔に、涼太は警戒を解いて彼の手を握り返す。
「さっきはおにいさんをドロボーって言ってごめんなさい」
ペコっと頭を下げる涼太に、晴翔は少し驚く。
「涼太君すごくいい子だね」
晴翔は隣に立つ東條に言う。
この年で自分の過ちに気が付いて、それを誰かに言われる前に謝ると言うのはなかなかできる事じゃない。
晴翔に褒められ、少し表情を緩ませる東條は照れ隠しのように少し困った顔をつくる。
「でもすごくヤンチャで、玩具とかもすぐ散らかすし」
「元気があっていいじゃないですか」
東條は笑みを浮かべたまま、弟の頭を撫でる。
それを見て仲のいい姉弟だなと晴翔も頬を緩ませる。
一人っ子である彼は、兄弟というものに少し憧れを抱いている。
「あ、そうでした。掃除が終わったので一度確認してもらっても良いですか?」
弟の涼太の登場で、忘れかけていた仕事を思い出す晴翔。
「もう終わったんだ。早いね」
そう言いながら東條はリビングへと向かう。
そして掃除された部屋を見て目を見開いた。
「え? すご……ピカピカだ」
埃ひとつないリビング、まるで鏡面仕上げを施したかのように綺麗なテーブルやシンクなどの水回り。
まるでモデルハウスかのようなリビングダイニングに、東條は小さく口を開いて感心する。
「掃除につきまして、何かご不満な点や要望がございましたらお申し付けください」
少し誇らしげなドヤ顔を浮かべながらも、マニュアルにある通りに対応する晴翔に、東條は首を横に振りながら答える。
「いやもう完璧。不満点なんてこれっぽっちも無いよ」
東條は棚やテーブルの上で指をスーと走らせてみるが、そこには一切のホコリも付着しない。
「うわぁ、大槻君って掃除得意だったんだ」
「えぇ、まぁ。そうじゃなければこのバイトを選んだりはしないので」
「あそっか、そうだよね」
「すご〜い! お部屋がピカピカだよおねぇちゃん!」
涼太が綺麗になったリビングにテンションが上がったらしく、ドタドタと音を立ててリビングの中を走り回る。
そんな涼太の行動に、晴翔は『掃除したばかりなのに埃が舞ってしまう……』と思いながらも、満面の笑みを見せる無邪気な子供の行動を制止するのは気が引けて、ただ笑みを浮かべて眺めるだけになってしまう。
「こら涼太。せっかく大槻君が掃除してくれたのに埃が舞うでしょ」
しかし、東條はしっかりと姉の役割を果たし、弟の行動を嗜める。
注意を受けた涼太も「はーい」と素直に応じて走るのを止める。
そんな光景を見て晴翔は思わず言葉が漏れる。
「東條さんはいいお姉さんだね」
「え? ……そうかなぁ?」
「うん、見ててそう思うよ」
「そ、そう? ありがとう……」
褒められた事が照れ臭かったのか、若干上目遣いでお礼を言う東條の姿に、晴翔は少し自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「おねぇちゃんはね、すごく良いおねぇちゃんなんだよ!!」
東條の可愛さに当てられ、瞬間的に思考停止に陥っていた晴翔の元に涼太がやってきて、満面の笑みで誇らしく言う。
「そうだね。涼太君のお姉さんは凄くいいお姉さんだね。でも涼太君も、とても良い弟だと思うよ」
晴翔はしゃがんで目線を合わせ、涼太の頭を撫でながら言う。
「ほんとうに? 僕っていい弟?」
「うん、涼太君はちゃんとお姉さんの言うことを聞けるいい弟だよ」
晴翔のその言葉に涼太はパァッと表情を輝かせる。
「おねぇちゃん! 僕いい弟だって!!」
「そうだね。涼太はいい子だよ」
「えへへぇ」
2人から褒められ、涼太はニヤニヤと幸せそうな笑みを浮かべる。
それに釣られて晴翔と東條も自然と笑みになった。
「あっと、そうだ。東條様、夕飯の献立ですが冷蔵庫の中にあるもので4人前作って欲しいとのことですが」
まるで天使のような東條の弟に癒されていた晴翔であったが、ハッと我に返って仕事モードに切り替える。
「一度冷蔵庫の中身を確認させて頂いても宜しいでしょうか?」
晴翔は祖母の教育の賜物で、和食から洋食そして中華料理と一通りの料理は作る事ができる。
しかし、食材がなければどうする事もできない。もしも食材が足りない場合は、買い出しに行かなければいけないのだが、これも家事代行サービスの業務の一環である。
「あ、えっと。ちょっと散らかってるけど。どうぞ」
「では、拝見させて頂きます」
少し恥ずかしげに了承する東條に、晴翔は若干の後ろめたさを感じつつも、ここは仕事だと割り切って冷蔵庫の扉を開く。
「えーと、卵と牛乳、玉葱にニンジン、キャベツ……お、挽肉もありますね。牛豚の合い挽きか……」
晴翔は冷蔵庫の中を確認しながら、見つけた食材で作れる料理の候補を脳内にいくつか上げていく。
「すみません、調味料系や香辛料系を確認してもよろしいですか?」
「うん、ここの引き出しに入ってるよ」
そう言って東條は調理台下の引き出しを開ける。
「おお! こんなに豊富な種類が!」
その引き出しには晴翔の想像以上の調味料や香辛料が入っていた。
「粗挽き胡椒に花椒、八角、カルダモンにグローブ、おぉ、ローリエもあるしジンジャーパウダーにシナモンスティック! これは、ナツメグか……」
料理を嗜む者として、豊富な香辛料を前にしてテンションが上がる晴翔。
そんな彼は冷蔵庫にあったものと、いま確認した香辛料で一つの料理を思いつく。
「夕飯の献立ですが、ハンバーグはいかがでしょうか?」
「ッ!! ハンバーグ食べたいっ!!!」
晴翔の提案に東條よりも先に弟の涼太が反応する。
「おねぇちゃん、今日の夜ご飯はハンバーグなの!?」
期待に満ちた表情を向けてくる弟に、東條は苦笑を浮かべながら晴翔に言う。
「今日の夕飯はハンバーグでお願いします」
「畏まりました」
東條の言葉に、晴翔は少し大袈裟にお辞儀を返すと、それを見ていた涼太が両方の拳を天に突き上げて喜びを爆発させた。
「いやったぁーーッ!! ハンバーグ!!」
涼太のその微笑ましい反応に笑みを浮かべながら、晴翔は早速夕飯作りに取り掛かる。
ハンバーグはつい先日、祖母と一緒に作ったばかりである晴翔にとっても大好物な料理の一つだ。
故に祖母の絶品ハンバーグを自分でも作れるように、幼い頃からかなり練習を重ねてきた自信のある料理の一つでもある。
晴翔は慣れた手つきでハンバーグ作りを進めていく。
無駄のない動作で料理を進めていく彼の様子を東條姉弟がダイニングテーブルに座りながら観察してくる。
『東條さん、今回は自分の部屋に戻らないのか』と思いながら料理を進める晴翔は、玉葱の微塵切りをしようと包丁を持った時、ふと視線を感じて顔を上げると、興味津々と言った感じでこちらをジッと見つめてくる涼太の姿が目に入ってきた。
晴翔はフッと口元に笑みを浮かべた後、少し大袈裟な包丁さばきで玉葱の超高速微塵切りを披露した。
途端「うわぁ〜!」と言う涼太の歓声が聞こえてくる。
「大槻君って料理男子だったんだね」
目をキラキラと輝かせる弟の隣で、東條も感心したように言う。
「掃除も完璧で料理もできるし、大槻君女子力高すぎ」
「今どき台所に立てない男の方が少ないと思いますよ?」
「そうかな? にしても大槻君のはレベル高すぎだと思うよ」
「お褒めに預かり光栄です」
弟の涼太だけでなく、東條も興味深そうに晴翔の手元に視線を送る。
2人の観客の視線を感じながらも、晴翔はハンバーグ作りを進める。
タネを捏ねる工程まできたところで、晴翔はボールに氷水を作り、そこに両手を突っ込んだ。
「?? おにぃちゃんは何をやってるの?」
晴翔の謎行動に涼太は首を傾げる。
「お肉の脂が体温で溶けないようにしてるんだよ」
「あぶらって溶けるの?」
「そうなんだよ。脂が溶けちゃったら美味しいハンバーグは作れないんだよ」
晴翔の説明に涼太はあまりパッとこないのか首を傾げたままである。
対する東條は「へぇ〜」と小さく頷いていた。
晴翔は氷水から手を抜くと、手の水分を拭き取って手早く捏ね始める。
先程までキンキンに冷えた氷水に手を入れていたせいで、彼の手は真っ赤になっていた。
「おにぃちゃん。手、痛くない?」
そんな晴翔を心配して涼太が声を掛けてくる。
「ありがとう涼太君。俺は大丈夫だよ。涼太君に美味しいハンバーグを食べてほしいからね」
晴翔は涼太の優しさに癒されながらハンバーグを捏ねて、粘り気が出てきたところで四つの塊に分け、それを小判型に広げる。
あとは焼くだけとなったところで、晴翔は東條に尋ねる。
「えーと、ハンバーグは四つ全て焼きますか? それとも二つ先に焼きますか?」
東條から依頼されている夕飯は4人前。
しかし、いまいるのは姉弟の2人だけ。
おそらく残りの二人前はご両親のものなのだろうが、まだその2人は帰ってくる気配がない。
作り手の晴翔的には、やはり焼き立てが一番美味しいので、東條のご両親にも焼き立てを召し上がってもらいところではある。
「あー、そうだね。2つ先に焼いてもらおうかな。でも……」
そう言いながら東條は少し不安そうな表情をする。
彼女はリビングの壁にかけてある時計を見る。
今の時刻は17時半過ぎ。
晴翔の契約時間は18時までなので、今両親が帰って来ないとなると残りの2つを焼く頃には、晴翔はいない事になってしまう。
「焼き方についてはメモを残しておきますので、その通りに焼いていただければ同じような仕上がりになりますよ」
不安を取り払うように言う晴翔の言葉に、東條は頷く。
「本当に? それじゃあ焼くのは私たちの分だけでお願い」
「畏まりました」
晴翔はフライパンに2つハンバーグのタネを入れて焼き始める。
焼き上がりを待つ間に、晴翔は並行して作っていたコンソメスープや付け合わせの野菜を皿に盛り付けていく。
そしてハンバーグが焼け上がり、ご飯を茶碗に装って、ダイニングテーブルに料理を全て並べたところで、契約時間である18時となった。
「それでは契約時間となりましたので、自分はここでお暇させていただきます」
調理後のフライパンなどを洗い終えた晴翔がいう。
途端に、出来上がりのハンバーグを目の前にして表情を輝かせていた涼太の顔がしゅんと暗くなった。
「おにぃちゃん帰っちゃうの? いっしょに食べないの?」
「ごめんね涼太君。ハンバーグは涼太君とお姉さんの分しか作ってないんだよ」
涼太と視線を合わせながら言う晴翔に、涼太は意を決したように言う。
「じゃあ、僕のをおにぃちゃんに分けてあげる」
大好きなハンバーグを分けてまで一緒に食べようと誘ってくれる涼太に、晴翔は苦笑を浮かべながらなんと断ろうか悩んでいると、そこに東條が助け舟を出してくれた。
「ダメよ涼太。大槻君も家に帰って家族とご飯を食べないといけないの。だからわがまま言っちゃダメ。わかった?」
「…………わかった」
しょぼんとした様子で渋々頷く涼太に、晴翔は思わず彼の頭を撫でながら謝る。
「ごめんね涼太君」
「ううん。また今度のときに一緒に食べようね」
「え、あ、うん。そうだね……また、今度……ね」
なぜ今回晴翔が東條家の夕飯を作る事になったのかよく理解していない涼太は、無邪気な顔で言う。
晴翔は若干言葉に詰まりながらもそんな彼の言葉に返事をする。
「大槻君、玄関まで送っていくよ」
「あ、うん。ありがとう」
涼太の無垢な気持ちに居た堪れなくなっている晴翔は、東條の申し出をありがたく受け入れる。
「バイバイおにぃちゃん! またね!」
「ば、バイバイ」
次に会うことは恐らくないだろうなと思いながらも、涼太を無視することも出来ず、晴翔は曖昧な笑みを浮かべながら手を振り返す。
「ごめんね。弟が迷惑かけちゃって」
玄関まで来たところで東條が晴翔に頭を下げる。
「いや、涼太君はすごく可愛くて良い子だよ。あ、そうだ」
晴翔は自分の荷物から一枚のチラシを取り出して、それを東條に手渡す。
「本日は家事代行サービスをご利用いただき誠に有難うございます。もし次回もご利用されるのでしたら、定期契約というのもございまして」
晴翔は東條に渡したチラシを指差しながら説明をする。
「こちら定期契約された場合、今回のような単位契約よりも料金の方がお得になっておりますので、次回ご利用の際はご検討ください」
マニュアル通りの営業をする晴翔に、東條は「くすっ」と笑みをこぼす。
「なんか大槻君、セールスの人みたい」
「まぁ、これも仕事ですので」
「クラスメイトにそうやって社会人? みたいな敬語使われると変な感じ。普通に喋っちゃダメなの?」
「ダメって事はないですけど。まぁ東條様はお客様ですので」
そんな晴翔の返答に、東條は苦笑を浮かべる。
「そっか……お客様……か」
「はい。あ、早く戻らないとハンバーグが冷めてしまいますよ?」
「あ、そうだった。それじゃあ今日はありがとうね大槻君」
「はい。またのご利用をお待ちしております」
晴翔は最後にもう一度深々と頭を下げて東條家を後にする。
顔を上げた瞬間、チラッと東條の表情が見えた時、彼女の顔が残念そうに見えたのは恐らく自分の見間違いだろう。そう言い聞かせて、晴翔は帰路についた。
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