第三十八話 東條綾香の恋①前編
閑静な住宅街に佇む一軒の喫茶店。
日差しが差し込む店内には、ジャズの音色が静かに流れ、暑苦しい夏から切り離されたかの様に、落ち着いた雰囲気が広がっている。
私は目の前のグラスに入ってるストローをゆっくりと回す。
カランと氷が涼しげな音を鳴らす。
そのまま私は一口飲む。
口の中に広がる紅茶とスパイスの香りに、私は表情を緩める。
今日頼んだのはチャイティー。
いつもなら、カフェオレとかを頼むんだけど、この前、大槻君が家でチャイティーを作ってくれて、それがすごく美味しかったから、ここでも頼んじゃった。
私はもう一口、チャイティーを飲みながら親友が来るのを待つ。
う〜ん。このチャイティーもすごく美味しいんだけど、やっぱり大槻君が作ってくれたやつの方が、ちょっと美味しいかな?
そんな事を思いながら時間を潰してると、私の親友、咲が店内に入ってきた。
「あ、こっちだよ」
私が手を挙げて場所を教えてあげると、咲は手で顔を仰ぎながら私の所までやってきた。
「ふひ〜、今日も暑いねぇ」
そう言いながら座った咲は、私が飲んでるチャイティーを見て、少し珍しそうな表情を浮かべる。
「あれ? アイスカフェオレじゃないんだ?」
「うん。今日はチャイティー」
「へぇ〜、なんで?」
私の対面に腰を下ろしながら、咲は首を傾げる。
「前に大槻君が作ってくれて、それがすごく美味しかったから」
「ほほう、惚気ですかそうですか」
「ち、違うよ! 別にそういうわけじゃ」
「あ〜はいはい、ご馳走様」
「むぅ……」
私は頬を膨らせて咲を睨むが、当の本人は全く気にした様子もなく、メニューを開いて何を飲むか吟味している。
「それ、美味しい?」
「うん、でも……」
咲に聞かれた私は『大槻君が作ってくれた方が美味しいかも』と言いそうになって慌てて口をつぐむ。
そんな事を言ったら、きっとまた惚気だどうだって言われちゃう。
「でも?」
言葉の途中で黙った私に、咲は不思議そうに聞き返してくる。
「ううん、美味しいよこれ。咲も飲む?」
取り敢えず笑って誤魔化した私は、軽くストローでチャイティーを掻き混ぜながら咲に勧めてみる。
「う〜む。いや……私はアーモンドオーレにしようかなぁ」
咲は開いていたメニューをパタンと閉じて「すみませ〜ん」と手を挙げてマスターを呼ぶ。
「咲も珍しいのを頼むね」
いつもは私と同じアイスカフェオレか、それかアイスティが多いのに。
「気分的にね、他の人がいつもと違うのを飲んでると自分も違うの頼みたくなるじゃん? あ、アーモンドオーレのアイスを下さい」
マスターに注文した咲は、お冷を一口飲んだあと「さてと」と言って私を見る。
「それで? 私にしたい重大な相談とは何ですかな?」
咲はウズウズとした笑みを浮かべながら、私に尋ねてくる。
実は昨日、大槻君のお見舞いから帰ったあと、咲にメッセージで「重大な相談があるから会いたい」と伝えていた。
「う、うん。そのね……え〜と……」
私は昨日、大槻君と交わしたやり取りを思い出して、自分の顔が赤くなるのを感じる。
「その、私ね……大槻君の……彼女のフリをする事になったの」
「………………ん? なんて?」
咲はポカンとした表情で聞き返してくる。
「だからね。大槻君の彼女のフリをするの、私」
「ふ〜ん…………ごめん、もう一回言って?」
「だ、か、ら。大槻君の、偽物の恋人を、演じる事になったの」
言葉を区切って、私はハッキリと言う。
対する咲はというと、私の言葉に少し混乱しているのか、おでこに片手を添えて俯いたり、視線を上に向けて考え込んだり、首を傾げて眉間に皺を寄せたりと、なんだか忙しない。
「ごめん綾香。まったくをもって意味がわからないんだけど? え? どゆこと?」
幾ら考えても、私の言った事が理解できなかったみたいで、咲は訝しげな表情で私を見てくる。
「えっとね。大槻君にも色々と事情があって、今の大槻君はお婆ちゃんと二人暮らしをしてるんだけど、その……大槻君がお婆ちゃんに、私が彼女だって言っちゃって、それで」
「へ、へぇ〜」
私の説明に、咲は納得したのかしてないのかよくわからない反応をする。
「なんかよく分からんけど、取り敢えず大槻君が、自分のお婆ちゃんに、綾香が彼女ですって嘘をついてしまったと、そういう事?」
「まぁ、そういう事、かな」
私が頷くと、咲は腕を組んで考える様な仕草をする。
「そうなんだ……なんか意外だね。大槻君、そんな嘘をつくような人だとは思わなかったや」
そう言う咲の言葉には、ほんの僅かに軽蔑するような雰囲気が混ざってて、私は慌てて彼を擁護する。
「大槻君も悪気があって嘘をついたんじゃないんだよ? 彼にとってお婆ちゃんはとても大切な人で、その大切なお婆ちゃんの為に、思わず嘘をついちゃったみたいで、でもその後、私に凄く謝ってきたし、嘘をついた事をお婆ちゃんに打ち明けようとしたんだけど、そこで私が、その……」
「お婆ちゃんに打ち明けるのをやめさせたと?」
「うん……」
私はコクンと頷きを返す。
「なんか……色々と事情がありそうね」
私の必死の擁護に、取り敢えず咲の大槻君に対する評価は下がらずに済んだみたい。
できる事なら、大槻君のご両親の事とか、今の彼にはお婆ちゃんしか家族がいない事とかを話せば、きっと咲も彼に同情するはず。
でも、さすがに大槻君のいないところで、勝手にその話をするわけにはいかない。
「そうなんだよね。大槻君にも色々と事情があって、だから、彼の嘘も、その……お婆ちゃんを思っての嘘で、別に私を無理矢理、彼女にしたいとかそういうのじゃ無くて」
「なるほど……まぁ、その事情とやらはよく分からないけど、取り敢えず綾香はその嘘については不快には思ってないのね」
「うん」
頷く私に、咲は少し安心したような表情を浮かべた後に、不思議そうな目で私を見る。
「でもさ、大槻君が嘘で綾香を彼女って言うって事はだよ? それって綾香のこと好きってことじゃない?」
「や、やっぱり咲もそう思う?」
親友も同じ考えだった事に、私の鼓動は早くなる。
「普通はそう思うよね? まぁ、私は詳しい事情を知らないから強くは言えないけどさ。でも、嫌いな人を自分の彼女ですとは紹介しないでしょ? 嘘とはいえさ」
「だ、だよね?」
咲の言葉に、私は何度も頷きを返す。
そんな私に、咲は首を傾げたまま言う。
「綾香さ、大槻君がその嘘をついた時に『私、実は大槻君のこと好きなの』って告白してれば、付き合えたんじゃない?」
「私も……そう思った……」
「え? じゃあ、何で告白しなかったん? せっかくの初恋が実るところだったのに」
そう言われて、私は思わず俯いてしまう。
咲に相談したかったのは、まさにその事についてだった。
「だって……あの時告白してたら、私の本当の気持ち、伝わらない気がしたんだもん……」
「ん? それはどういう事?」
咲の疑問に、私は昨日の大槻君が嘘について謝罪してきた時の様子を説明する。
「大槻君、嘘をついてた事に対して、私に凄く負い目を感じてて、そんな状態で告白してもさ、大槻君はきっと『自分の嘘に合わせて告白してくれてるんだ』って感じちゃうじゃん? 私は本気で大槻君の事が好きで告白してるのに」
あの時、告白すればきっと大槻君は私を彼女にしてくれた。
でもそれじゃあ、純粋な"好き”という感情だけでは無くなってしまう。
大槻君は『自分が嘘をついてしまったから、その嘘に合わせてくれている』という負い目を私に感じたまま、付き合う事になる。
そして、優しい彼のことだから、罪滅ぼしのつもりで私に対して完璧な彼氏を演じようとしてくれるかもしれない。
でも……。
私が求めているのは、そんなんじゃない……。
純粋に、大槻君には私のことを好きになってほしい。
嘘とか、そんな負い目を感じずに、好きだからという理由だけで、わたしを彼女にして欲しい。
だから、私はあの時、彼に思いを打ち明けなかった。
打ち明けたくなかった。
大槻君の純粋な気持ちが欲しかったから。
私は欲張ってしまったのだ。




