第二十八話 東條家にて朝食を
時刻は朝の6時過ぎ。
晴翔は身支度を整え、出掛ける準備を終えたあと、綾香にメッセージを送る。
――おはようございます。今からそちらに向かいます
――おはよう! うん、待ってるね!
返事はすぐに返ってきた。
その事に、晴翔は小さく笑みを浮かべ玄関に向かう。
「ばあちゃん、行ってくるよ」
居間の方に声をかけると、腰の後ろで手を組んだ祖母が顔を出す。
「はいはい、行ってらっしゃい。楽しんで来るんだよ」
「うん、行ってきます」
祖母に見送られ、晴翔は荷物を入れた少し大きめのリュックを背負って外に出る。
まだ時刻は朝の6時過ぎだと言うのに、すでに外は少し蒸し暑さを感じる。
「水遊び日和になりそうだな」
晴翔が空を見上げると、相変わらずの快晴が広がっている。
きっと、太陽が頂上に到達する頃には、冷水を頭から被りたいと思う程の暑さになるだろう。
そんな事を思いながら、晴翔は東條家を目指す。
そして、時刻は7時ちょっと前。
晴翔は、そろそろ見慣れてきた豪邸の前に到着し、スマホを取り出す。
――家の前に着きました
早朝というほどの時間ではないが、朝からインターフォンを鳴らすのはちょっと憚られた晴翔は、綾香にメッセージを送る。
すると、すぐにOK!のサインを出すウサギのスタンプが送られて来る。
その直後に、ガチャリと扉が開き綾香本人が顔を出した。
「おはよう。大槻君」
ニコッとはにかみながら挨拶をしてくる綾香。
これから料理をするからだろうか、背中の中程まで伸ばしている髪を今はポニーテールに纏めている。
「……おはようございます」
いつもとは違う髪型に、晴翔は少し見入ってしまい、一拍置いてから返事を返す。
綾香が「あがって」と言いながら扉を大きく開き、晴翔を家の中に招き入れる。
綾香以外の家族はまだ起きてきていないのか、家の中は静かである。
「パパ、ママは後もう少しで起きてくると思う。涼太が起きるのはまだまだ先かな」
キッチンに向かいながら、綾香が言う。
普通のサラリーマンであれば、もう出社準備に追われている時間帯の人も多いと思うが、東條夫妻は共に会社経営者という事で、重役出勤の日もあるという事なのだろう。
逆に、まだ暗いうちから出社する事もあるそうだが。
「それじゃあ、お弁当を作るついでに、皆さんの朝ごはんも作りますよ」
「え? いやいや! 大槻君は今日バイトじゃないんだから、そこまでしなくて良いよ?」
晴翔の提案に、綾香は両手を振る。
「実は、お弁当を作りながらだと朝ご飯作るのが大変かなと思って、昨日のうちに少し準備してたんですよ」
「あれ? そうだったの? なら……お願いしようかな。パパもママも大槻君の作った朝ご飯なら、大歓迎だろうし」
「分かりました。パパッと作っちゃいますね」
晴翔はそう言うと、冷蔵庫の中から昨日のうちに卵液に漬け込んでいたフランスパンを取り出しそれをフライパンで焼き始める。
「わぁ! フレンチトースト!」
卵と砂糖の甘い香りに綾香が表情を綻ばせる。
「東條さんも朝ごはんはまだですよね?」
「うん。大槻君は? もしかして食べてきちゃった? もしよかったら一緒に朝ごはん食べない?」
「良いんですか? じゃあお言葉に甘えてご一緒させていただきます」
「うん!」
嬉しそうに頷く綾香に、晴翔も自然と口角を上げる。
晴翔は続いて冷蔵庫の中から、昨日火を通して冷やしておいた鶏ハムを取り出し、それを薄くスライスしてお皿に盛り付ける。
「私も何か手伝う事ない?」
「あ、それじゃあトマトとレタスを切って、鶏ハムの隣に盛り付けてもらって良いですか?」
「分かった」
晴翔は冷蔵庫からヨーグルトを取り出すついでに、トマトとレタスも一緒に手に取って、綾香に渡す。
2人で並んでキッチンに立ち、野菜を切って盛り付ける綾香の隣で、晴翔はヨーグルトに砂糖を加え、鶏ハムにかけるソース作りをする。
「あ、野菜を切り終わったら、これを鍋で煮出してもらってもいいですか?」
そう言って晴翔は、シナモンとクローブ、カルダモンの3種類のスパイスを綾香に渡す。
「? 何を作るの?」
「チャイを作ろうかなと」
「へぇ〜、チャイって家で作れるんだね」
「スパイスが揃ってたので、紅茶もアッサムでちょうどいいかなと思いまして」
「あぁ、紅茶はママがよくミルクティーを飲むから、ダージリンじゃなくてアッサムなんだよね」
「あぁ、なるほど」
そんな感じで会話を交わしながら、2人はキッチンで並んで料理をする。
そこに、目を覚ましてリビングへとやってきた修一が、キッチンに立つ晴翔を見てテンションを上げる。
「おお! 大槻君おはよう!」
「おはようございます。修一さん。後もう少しで朝ごはんが出来るので、ちょっとお待ちください」
「なんと! 朝ごはんを作ってくれているのかい!? 今日は家事代行の日じゃないのに申し訳ないね」
「いえ、大した手間ではないのでお気になさらずに」
「そう言えるのがすごい事だよ」
修一は感心したように言いながら、ダイニングテーブルに座る。
そして、晴翔の隣に立つ娘に笑顔を向ける。
「おはよう綾香」
「おはようパパ」
「2人並んでキッチンに立ってると、まるで新婚夫婦みたいだね。はははっ」
「ッ! ちょっとパパ変なこと言わないでよ!」
上機嫌に笑い声を上げる父に、綾香は抗議の声を上げる。
そこに、郁恵もリビングへと入ってきた。
「あら? なんか良い匂いがするわね?」
「おはようございます郁恵さん。朝ごはんが出来てるので、どうぞ召し上がってください」
そう言って、晴翔は完成した料理をダイニングテーブルに並べていく。
「まぁ! 朝ごはん作ってくれたの? 助かるわぁ! 今日はアルバイトじゃないのに申し訳ないわね」
東條家の皆から、同じような事を言われ晴翔は苦笑を浮かべる。
「これからお弁当作りで、キッチンを占領してしまうので」
「あらまぁ、そんなこと気にしなくて良いのに」
そう言いながら、郁恵はダイニングテーブルの席につき、並べられた料理に表情を輝かせる。
「まぁ! 美味しそうで素敵な朝ごはんね。ねぇ? あなた」
「そうだね。朝から大槻君の料理を食べたら、今日一日仕事の効率が上がりそうだよ」
朝ごはんのメニューは、フレンチトーストとヨーグルトソースをかけた鶏ハム。そして生野菜のサラダとなっている。
「飲み物はどうされますか? 一応チャイティーを作ってみたのですが。コーヒーの方が良いですか?」
「あら、なら私はそれを貰おうかしら? あなたは? コーヒー?」
「いや、チャイを飲むよ」
東條夫妻は揃ってチャイを選択する。
晴翔は隣の綾香にも尋ねる。
「綾香さんはどうしますか?」
「私もチャイがいいな。さっきからいい匂いがしてて」
綾香の言うとおり、キッチンには先ほど焼いたフレンチトーストの匂いに加えて、今温めているチャイのシナモンなどの香りや紅茶の上品な匂いが舞っていた。
「分かりました」
晴翔は良い色になったチャイに牛乳を加えると、茶漉しでスパイスや茶葉を取り除きながらコップにチャイティーを注いでいく。
「どうぞ。お待たせしました」
「んん〜、良い匂いねぇ」
「朝から贅沢だね」
満足そうな表情を浮かべる東條夫妻。
そこに綾香が言う。
「朝食、大槻君も一緒に食べて良いよね?」
「勿論だとも!」
「是非、一緒に食べましょう」
晴翔が朝食を共にする事を快諾する修一と郁恵。
晴翔は「お邪魔させてもらいます」と言いながら、ダイニングテーブルに、綾香と自分の分の朝食も並べる。
全員が席に着いたところで、修一が手を合わせる。
「それじゃあ、いただきます」
彼に続いて、皆も手を合わせて「いただきます」と言う。
「う〜ん。このフレンチトーストは絶品だね。外はカリッとしてるけど、中はトロッとして味もよく染みてる」
「鶏ハムもしっとりしてて美味しいわぁ。ヨーグルトの酸味と甘味も絶妙で、ねぇ大槻君、今度このレシピ教えて?」
「はい、簡単なのでぜひ作ってみてください」
朝食を絶賛する修一と郁恵に、作り手である晴翔は嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんな彼の隣で、綾香はチャイティーを一口飲んで、ほぅと息を吐く。
「おいし……」
一言つぶやいた後に、彼女はもう一口チャイティーを飲む。
「いやぁ、こうしているとなんだか大槻君が我が家の一員になったみたいだね」
そう言って、修一が楽しそうな表情を浮かべる。
「確かにそうねぇ」
修一の言葉に郁恵が同意した後、彼女は晴翔にニコッと笑いかける。
「いっその事、本当に家族になっちゃう? 大槻君?」
そんな郁恵の発言に、綾香が顔を赤くして反論する。
「ママ! やめてよ! なんで私と大槻君が結婚する事になってるのよ!」
「あら? 別に綾香と結婚しなくても大槻君は私たちの家族になれるわよ? 養子になるとかね」
「よう……し……」
小さな呟きと共に硬直してしまった娘に、母はニッコリと笑いかける。
「でも、もし綾香が大槻君のハートを射止めることが出来たら、私達は大歓迎よ。ね? あなた」
「そうだね。その時は喜んで大槻君を息子として迎え入れよう! はははっ」
楽しそうに会話を交わす東條夫妻に、晴翔は苦笑を浮かべ、綾香は顔を赤くする。
「もう! 本人を前に普通そんな会話しないでしょ!」
娘の必死の抗議も、両親はサラッと受け流して楽しそうに朝食を食べる。
賑やかで、楽しい? 朝食を終え、東條夫妻は仕事に向かう。
再び2人きりになったキッチンで、朝食の食器を洗いながら、綾香は晴翔に謝罪する。
「ごめんね。いつも両親が変な事を言って」
「あはは、いえ、まぁ嫌われるよりかは、今みたいな方が全然良いですからね」
晴翔は卵焼きを作りながら、そう言う。
「そうだけど……パパもママも本当に大槻君のことを気に入っちゃってて」
「ありがたいですよ。それは本当に」
ヒョイっと器用に卵を返しながら、晴翔は綾香に言葉を返す。
そんな彼に、綾香は少し顔を赤くしながら、声を小さくして言う。
「このまま、あの2人を好き勝手させてたら、私たち本当に結婚させられちゃったりして……なんてね!」
綾香は自分の発言を誤魔化すように、最後は極端に明るい声を出す。
それに対して、晴翔は視線を若干上に向けながら、少しぼーっとした様子で返事をする。
「もしばあちゃんを結婚式に呼んだりしたら、すごく喜ぶんだろうなぁ……」
「え!? お、おばあさん?」
まさかの肯定的とも取れる晴翔の発言に、綾香は思わずドギマギとしてしまう。
そんな彼女の様子に、晴翔はハッと我に帰った後に、苦笑を浮かべる。
「まぁ、結婚なんて自分達にはまだまだ先の話で、想像もできないですけどね」
「そ、そうだよね! 私達まだ高校生だもんね!」
晴翔の言葉に、綾香は何度も頷きながら答える。
しかし、彼女の頭の中には先程の彼の発言がずっと残っていた。
その後も、綾香は1人顔を赤くしながら、チラチラと晴翔の表情を窺いながら、弁当のおかずを作っていくのだった。
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