第二百話 大人だぁ……
綾香視点はこれまで『東條綾香の〇〇』としてきましたが、ここからは普通のエピソードタイトルでいきたいと思います。
私はベッドの上で寝転がりながら、さっき晴翔としたハグの余韻を噛み締める。
「うふふ〜」
優しく抱きしめてくれる腕は、結構ガッチリしていて男の子なんだなぁって実感する。
「明日もハグしちゃおうかなぁ〜」
こんなに大好きな人が将来の旦那様だなんて、夢なんじゃないかと疑っちゃうくらいに幸せ。
「あ、そうだ」
私はあることを思い出して、スマホを手に取る。
「これを読まなくちゃ」
開いたのは漫画アプリ。
いろんな漫画が無料で読めるとっても便利なアプリで、私のイチオシポイントは女性向け漫画が多いこと。
しかも、普通の少女漫画だけじゃなくて、大人の人向けなものもたくさんある。
そう! 大人向けの恋愛漫画! これがとても重要!
私と晴翔はもう普通の恋人同士じゃない。
婚約者。つまり、将来の夫婦。
これって、私達は大人の恋愛をしているって解釈で間違ってないよね?!
なら、ちゃんと大人の恋愛を学んでおかないとね!
私は、お気に入り登録していた漫画を開いて早速読み始める。
「やっぱりこれ、面白いな〜」
私が読んでいるのは『理想の旦那様』という漫画。
もうタイトルを見ただけでビビッときちゃった。
これは絶対に読まないといけないやつだ! って。
「晴翔みたいでかっこいい」
主人公の女性は普通の会社員。でも婚約者は大企業の御曹司で、なんでもできちゃうハイスペ男子。まるで晴翔みたい。
「でも晴翔の方が素敵かな〜」
漫画の中の婚約者と自分の婚約者を比べながら私は呟く。
晴翔ほど魅力的な人はそうそういないもんね。
そんなことを思いながら読んでいると、ディナーデートのシーンになる。
庶民育ちの主人公は、お洒落で落ち着いた素敵空間にドギマギしてるけど、そこを婚約者がスマートにエスコートする。
「いいなぁ〜」
なんか、これぞ大人のデートって感じがする。
私もいつかこんなデートがしたいな。
夜景の見えるレストランで、ドレスなんか着ちゃって、晴翔はスーツで二人で静かにワインを飲む……。
「うふふ……」
想像しただけで顔がニヤけてきちゃう。
私はニヨニヨと口元を緩めながら漫画を読み進める。
ディナーを食べ終えた二人は、レストランが入っているビルの最上階のホテルに向かう。
夜景が一望できる素敵な部屋で二人っきりになる主人公と婚約者。
大人だなぁ〜、大人の優雅なデートだぁ。
「私も、大人になったら晴翔とこんなデートをするぞ!」
決意を胸に抱いて、私は漫画を読む。
二人っきりになったところで、婚約者が主人公に甘えるように抱きついた。
普段は大企業の御曹司として振る舞っているせいか、少しクールな印象がある婚約者。
そんな彼が甘える姿は、なかなかにギャップがあってより魅力的に感じる。
「いいなぁ〜、晴翔もこんな感じで私に甘えてきてくれないかな」
ベッドに二人で腰掛けて、婚約者に甘えられている主人公。
私は、そのシチュエーションに憧れちゃう。
晴翔はいつもしっかりとしていて、とても頼りがいがあってとっても素敵。
だけど、たまには甘えてきて欲しい。
「晴翔は完璧すぎるところがあるんだよね。なんかこう、私だけに見せてくれる我儘とか、子供っぽいところとかあるといいんだけど」
でも、そんな姿を見せられたら、私の理性が崩壊しちゃうかも。
晴翔に子供っぽく甘えられたら、もう私自身でも自分がどうなっちゃうのかわからない。
その時、ふと脳裏に記憶が蘇る。
それは、清子さんが倒れて弱り切ってしまった晴翔の姿。
あの時、彼は私に弱さを見せてくれた。
怖いって言ってくれた。
「……晴翔は強いけど、その分ちゃんと見て支えてあげないと」
誰かに甘えるのが苦手なんだよね晴翔は。だから、溜め込みすぎないように私がちゃんと見ててあげないと。そして、辛くなる前に「私もいるよ」って抱きしめられるようにしないと。
それが妻の役目だもんね!
「……でも、やっぱりこんな感じでも甘えられたい〜」
現実は現実としてちゃんと考えないといけないけど、やっぱり願望というか理想も捨てられないよね。
漫画の中の二人は見つめ合っていい雰囲気になってる。
すっごく大人の世界って感じがする。
お互いに近付いて、口付けを交わして、腕を絡めて抱きしめ合って、そしてゆっくりと上着を脱いで……。
……えっ!?
ちょっ! ちょっと待って!?
え? え? そういう感じっ!? そういう感じなの!?
二人はさらに情熱的にキスをする。
止まらない二人。
スマホをスワイプする私の指も止まらない。
お、大人だぁ!
大人の世界だぁー!
って、待って待って待って!
これってそういう漫画なの!? 私は別に、そういうつもりで読み始めたわけじゃなくて。
純粋に勉強のつもりで……。
で、でも、大人の恋愛ってことは、やっぱりこういう感じなのかな?
おしゃれなレストランでディナーを楽しんで、夜景の見えるホテルでロマンチックな時間を過ごして、そして……。
私は漫画を読む手を止める。
主人公と婚約者の二人は、もう寸前の状態……なのかなこれ?
たぶん、もう1ページ進んだらきっと二人は本格的に愛を確かめ合うことを始めちゃいそう……。
ど、どうしよう。
読むのやめようかな? だって私は、普通の漫画を読むつもりだったんだし。
ただ大人の恋愛を勉強したくて……。
でも、これも勉強……かな?
そ、そう、勉強。
勉強は大事だよね。
い、1ページだけ! 次の1ページだけ見てみようかな? 1ページだけね。
私は意を決して、ゆっくりとスマホの画面をスワイプした。
すっごい心臓がドキドキしてる。
けど、これは勉強だから。勉強だから!
そして捲られた1ページ。
その瞬間に、画面一杯にメッセージが表示された。
――続きをご覧になる場合は、コインをご購入ください。
「……………………」
うわぁーーー!
なんか、なんか……すごく恥ずかしい!
心臓がバクバクしてるのも恥ずかしい!!
私はベッドの上で悶絶してゴロゴロと転がり回る。
「もう! なら最初からコイン使わないと読めないようにしてよー!」
なんか、今まで経験したことがないようなメンタル状況。
ドキドキとモヤモヤ、恥ずかしさと不満がごちゃ混ぜになって胸の中で暴れ回ってる。
と、その時。
ノックする音が突然聞こえてきた。
『綾香? ちょっといいかな?』
は、晴翔っ!?
私は慌てて起き上がると、バクバクと暴れてる胸を押さえつけて返事をする。
「どうしたの?」
『ちょっと……話がしたいなって思って』
どど、どどどうしよう……きっと顔も赤くなってるし、胸が痛いくらいに鼓動が激しくなってる。
こんな状態を見られたら、変だって思われるかも……。
でも晴翔から私の部屋に『話がしたい』って来てくれるなんて、こんなチャンスを逃すのは絶対にイヤ!
「う、うん。いいよ入って」
私は深呼吸を繰り返しながら晴翔を部屋に迎え入れた。
な、なんだろう、晴翔の顔を直視できない……。
「す、座る?」
「うん」
私は彼と一緒にベッドに腰掛ける。
晴翔は私の顔を見て小さく首を傾げた。
「なんか顔赤い?」
「へっ!? あ、いや、これは……ヨガをしてたの!」
私は心臓が口から飛び出そうになるけど、それを慌てて飲み込んで言い訳をする。
「寝る前の日課にしようかなって思って!」
「そっか、でもあんまり激しすぎると続けるのが大変になるよ」
「う、うん。そうだね!」
ふぅ〜なんとか誤魔化せた。
私は小さく息を吐き出す。でも激しい鼓動はさっきから全然落ち着いてくれない。
「それで、話がしたいって……」
「あぁ、うん。ちょっとね。その、なんと言うか……」
晴翔はなんだか言いづらそう、というか恥ずかしそう?
「もう少し綾香と、えと……愛情ホルモンを共有したい、ってそんな感じで」
「え!?」
私と愛情ホルモンを共有したいって、それってハグをしたいってこと?
「だからさ、綾香がイヤじゃなければ、その……抱きしめてもいいですか?」
っ!?
晴翔が、私を抱きしめたくて部屋まで来てくれた!? それって、つまり……私に、甘えに来てくれたっ!?
「う、うん……いいよ」
「ありがとう。じゃあ……」
晴翔は少しだけ躊躇ってから、ゆっくりと腕を広げる。
彼の胸に私がそっと抱きつくと、逞しくて優しい温もりに包まれた。
幸せ空間だ〜!
でもなんで? なんで晴翔は私に甘えてくれてるんだろう?
彼の腕に包まれながら見上げると、至近距離で目が合う。
「晴翔からハグしたいって言ってくれてすごく嬉しい」
「うん、ちょっとね。俺たちはもう婚約してるわけだし、なら少しくらいは綾香に甘えてもいいのかなって」
恥ずかしいのか、晴翔はほんのりと頬を赤くして目をそむけながら言う。
か、可愛い〜っ!!
え? うそっ、やばい、今の晴翔が凄く愛おしい!
全力で抱きしめて、頭をナデナデしてあげたい!
「嬉しいっ! 少しじゃなくていっぱい甘えてくれていいよ!」
感情の爆発を抑えきれずに、私は晴翔にギュッと強く抱きつく。
「いっぱいはちょっと、恥ずかしい……」
顔を逸らしたまま、ボソッと答える晴翔。
んんぅ〜!
恥ずかしがってる晴翔最高! 可愛すぎて辛い!
晴翔のギャップに悶絶していると、私はふとあることに気づく。
二人しかいない空間。
ベッドに並んで腰掛けてる。
普段しっかりしてる婚約者が甘えてくれてる。
大人だぁー!
いまここが大人の空間になってる!
あの『理想の旦那様』と同じシチュエーションだ!
こんな奇跡ってある? だって、違いといえば夜景が見えないことだけ、いや、カーテン越しに街灯の灯りがぼんやりと映ってるから、これは夜景が見えているも同然!
つまり完全一致だ!
……ということは?
え? ええ? ということは!? そういうことっ!?
私は思わず晴翔を見つめちゃう。
「ん?」
「っ……」
もう晴翔と目が合っただけで胸が飛び跳ねる。
ドキドキじゃなくて、バクンッバクンッってなってる。
でもでもでも! 私たちはまだ付き合い始めて一ヶ月くらいだし……。
は、晴翔がどう思ってるかも大事で……。
「綾香」
「なっ!? なに!?」
「愛してるよ」
「っっ!!」
微笑みながら愛を囁かれたっ!
これは! これはもう、そういうことなのかな!?
でも、だって! 教本ではそうだもん!
それが大人の恋愛ってことだもんね!?
「私も……愛してるよ」
それに、晴翔が悪い。
だって、無理だよこんなの。
お、女の子だって狼になっちゃうよ!
がっ、がおぉ〜〜!!
おまけショートストーリー『理性』
〜綾香脳内・理性管理司令部〜
「感情が漫画シーンとのシンクロを開始、興奮レベルが上昇しています」
「対象コードHARUTOへの密着欲増大中です」
「ふむ、総員! この難局、落ち着いて乗り越えよう。循環系は心拍数、血圧を細かくモニタリング。呼吸制御はいつでも深呼吸コマンドを実行できるように準備しておくように」
「了解です司令官」
「内分泌管理室より入電! ノルアドレナリンの分泌が開始されました! オキシトシンの増量も続いてます!」
「さすがは第1級警戒対象コードHARUTOだ。皆、気を緩めるな!」
「循環系より報告。心拍数の上昇継続中! 上昇率18%!」
「副交感神経レベル低下、交感神経優位に変動中!」
「落ち着くんだ。まだ我らのコントロール下だ」
【綾香】
【なっ!? なに!?】
「対象より名前呼び信号確認! 心拍上昇! 動揺しています!」
【愛してるよ】
「ーーっ!?」
「対象コードHARUTOの愛情、直撃ですっ!!」
「ダメージコントロールッ!! 各部、被害状況を直ちに報告せよ!」
「感覚セクションより報告! 瞳孔、急速拡張中! 視界が対象一点に固定されています!」
「循環系! 心拍数、急上昇! 血圧も上がってます! 平常値を大きく逸脱!」
「呼吸制御! 呼吸が浅く速くなっています! 深呼吸コマンドを受け付けません! 制御不能ですっ!!」
「内分泌管理室より! オキシトシン分泌量、基準値を超過! 加えて――ノルアドレナリンとドーパミンの大量分泌を確認!」
「安心系と覚醒系が同時に来ているだと!? この組み合わせは……まずいぞ」
「司令官! 感情レベルが限界値に達しています!」
「思考パターンピンク! 本能です!」
【がっ、がおぉ〜〜!!】
「まさか、これは……暴走っ!!」
次回
「綾香の暴走、追い込まれる理性」
……逃げちゃダメだ…… 逃げちゃ、ダメだ!!




