第百八十六話 ご両親への報告
晴翔は東條家が近付くにつれて、いまだかつてない程に緊張していく。
比喩とかではなく、本当に口から心臓が飛び出すのではないのかと心配になるくらいに、彼の心臓が暴れていた。
「晴翔、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫……」
晴翔から発せられる高密度な緊張感は、すぐ隣の綾香にも伝わっているようで、彼女は心配そうな表情を彼に向ける。
晴翔は綾香を安心させようと、精一杯に強がって笑みを浮かべた。
先程、綾香に『家族になってください』と言う直前が、人生での緊張のピークだと晴翔は信じて疑っていなかった。
しかし、綾香との婚約を修一と郁恵に報告するという緊張感は、彼女へのプロポーズの緊張感を軽く凌駕してきた。
「パパもママも、晴翔のことをすっごく気に入ってるから、きっと大丈夫だよ」
「う、うん」
修一と郁恵に好印象を持たれている。
それは晴翔自身も自覚がある。
しかし、今晴翔を襲っている緊張は、たとえ未来予知で綾香との婚約が大賛成で迎え入れられるとわかっていたとしても、きっと1グラムも軽くなる事はない。
婚約の報告を恋人の両親にする。
この行動自体に、膨大な緊張感を生み出す何かがあるのだ。そこに、受け入れられるや反対されるといった、報告に対する結果は、あまり関与していないと晴翔は感じていた。
「ふぅ~、着いたね」
晴翔はもう何度も訪れ、最近は『ただいま』という場所にもなっている東條邸の玄関扉を見詰める。
「……なんか、私も緊張してきた」
「ごめん、伝染させちゃったかも」
「ううん、これは私達二人の話だからね、ちゃんと緊張も共有しないとね」
「ありがとう」
晴翔は健気に寄り添ってくれる綾香に微笑みを向けると、意を決して玄関扉に手を掛ける。
これまでに何度も開けてきた東條邸の玄関扉。
何気なく開けていたその扉が、今の晴翔の手にはとても重く重厚なものに感じられた。
ゆっくりとした動作で扉を開け、これまたゆっくりと家の中に入る晴翔と綾香。
二人が玄関で靴を脱ごうとしたその時、リビングの扉が勢いよく開け放たれ、それと同時に涼太が矢の如く突進してきた。
「おにいちゃん! おねえちゃん! おかえりーーッ!!」
猪の突進も可愛く見えてしまう程、物凄い勢いで廊下を走ってきた涼太は、そのままの勢いで晴翔にタックルをする。
「おっと! 元気だね涼太君」
「うん!! ねぇねぇ! お祖母ちゃんは元気だった? おみまいに行ってきたんだよね?」
「うん、元気だったよ」
晴翔がそう答えると、涼太は満開の花のような笑顔を見せる。
「じゃあ、またすぐにみんなでご飯が食べられるね! よかったねおにいちゃん!」
「ありがとう、涼太君」
歓喜一色に染まった涼太の様子に、晴翔も釣られて明るい笑顔を浮かべる。
そこに、晴翔と手を繋いだままの綾香が涼太に尋ねる。
「ねぇ涼太。パパとママはもう帰ってきてる?」
「うん。リビングにいるよ」
「そう」
神妙な面持ちで頷く姉の姿に、涼太はコテンと首を傾げる。が、すぐに合点がいったらしく、喜びが爆発したように瞳を輝かせた。
「けっこんだ!! そうでしょおねえちゃん! けっこんの話をお父さんとお母さんにするんでしょ!?」
「そ、それは……」
スーパーハイテンションな涼太に、綾香は気圧されたように口籠る。
代わりに晴翔が涼太に話をする。
「そうだよ。綾香と結婚したいですって、修一さんと郁恵さんにお話をしたいんだ」
「やっとおにいちゃんが本当のおにいちゃんになるんだね!!」
「うん、そうだね」
晴翔が頷くと、涼太はその場でぴょんぴょんと跳ねだした。
「じゃあ、早くお父さんとお母さんに言わないと!! 早く早く!!」
涼太は晴翔と綾香の腕をつかみ、グイグイと引っ張り始めた。
「ちょ! 待ちなさい涼太! まだ靴を脱いでる途中だから!」
「早く早く!!」
「あっ! もう!」
涼太に引っ張られて、綾香はバランスを崩しながら慌てて靴を脱ぎ捨てる。
晴翔も同様に、急いで靴を脱ぎ捨てる。そして、二人は乱雑に重なり合った靴を玄関に置き去りにして、涼太に引っ張られてリビングへと向かった。
「お父さん!! お母さん!! おにいちゃんとおねえちゃんからお話があるって!!」
リビングに入るや否や、涼太は大声で修一と郁恵に報告をする。
東條家に入った途端、心の準備も何もないまま突き進むことになり、晴翔は内心でジェットコースターだなと苦笑した。
公園から東條邸までの道のりが、ジェットコースターでいうところの最初の上りだ。ガタゴトとゆっくりと上昇していって、一番ドキドキして心臓に負担が掛かるところである。
そして、涼太に捕まった瞬間から、坂は上り切り落下が始まったのだろう。
こうなってしまえば、もうノンストップで激しいアップダウンの繰り返しだ。引き返すことはできない。
晴翔は「ふぅ」と小さく息を吐き出して呼吸を整える。
ジェットコースターも、終わってしまえば『楽しかったね』と笑い合える。今回の報告も、いい思い出として綾香と振り返られるよう、突き進むだけだ。
晴翔は覚悟を決めて修一と郁恵の二人を見る。
修一は突然の涼太の言葉に、少し驚いているようだが、晴翔と目が合うと朗らかな笑みを見せた。
郁恵は、いつもと変わらないニッコリとした笑みを浮かべている。
「おかえり晴翔君」
「ただいま、修一さん」
「涼太の言っていた話というのは?」
「はい、実は……綾香さんとのことで、お二人に報告したいことがあります」
真剣な眼差して言う晴翔。
その様子に、修一と郁恵の二人は何かを察したようにお互いに目配せをした。そして、郁恵がニッコリとしたまま口を開く。
「なんかとても大事そうなお話のようだから、和室で座ってお話しをしましょうか」
「はい」
郁恵の提案に晴翔と綾香が頷き、皆はリビング横の和室に移動をした。
緊張した様子で並んで座る晴翔と綾香。
その対面には、修一と郁恵が座る。
修一は、真面目そうな顔付きをしているが、どこかウキウキとした様子が滲み出ており、若干口元が緩んでいる。対する郁恵は、先程からずっと同じニッコリ顔である。
そんな晴翔、綾香。修一、郁恵を交互に見ながら、涼太は輝く笑顔で両者の間に座っている。
少しの間、全員が座る和室に沈黙が流れる。
やがて、その沈黙を静かに修一が破る。
「それで、晴翔君の言う綾香とのことでの報告とは、一体どんなものなのかな?」
「はい、それは……」
修一に促された晴翔は一旦言葉を区切り、唾を飲み込み再三の深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開く。
「今回、祖母が倒れたとき、皆さんにはとても助けられました。本当にありがとうございました」
晴翔は深々と頭を下げる。そして、顔を上げてから再び話し出す。
「そして、今回の件で改めて実感しました。自分にとって、綾香さんという存在がとても大切だということに。彼女は自分にとってかけがえのない存在です」
晴翔はいつもよりも早く息が切れるのを感じながら、それでも必死に呼吸を整えて言葉を紡ぐ。
「祖母が倒れたとき、綾香さんはずっとそばで支えてくれました。彼女がいなければ、自分はどうなっていたのか、想像するのも恐ろしい程です。綾香さんは自分の心の支えです。だから……今度は自分が綾香さんを支えたい。幸せにしたい」
晴翔は緊張で暴れる心臓を宥め、深呼吸を挟んで言葉を続ける。
「俺は……綾香さんを愛しています。心から。ずっと彼女と一緒にいたいと思っています。家族として。なので……綾香さんと結婚したいと思っています! どうか、お願いします!」
最後の言葉を振り絞って頭を下げる晴翔。
彼の言葉を聞いた修一は、晴翔の隣に座っている綾香に視線を向ける。
「綾香はどうなんだい?」
「私も晴翔と家族になりたい。私も晴翔を……愛してるから。だから、これからもずっと晴翔と一緒に家族として人生を歩んでいきたい」
「ふむ、そうか……」
二人の主張を聞いた修一は、腕を組んで目を閉じると、何度かゆっくりと頷く。
そしておもむろに目を開けると、満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしいッ!! いやぁー晴翔君! うちの娘を選んでくれてありがとう!!」
修一は人生最高の瞬間とばかりに、大喜びをする。
「今日はめでたい日だ! 宴をしないといけないね!!」
「うたげっ!!」
お祭り気分な修一に、涼太もとても楽しそうに瞳を輝かせる。修一の反応を見て、晴翔の緊張も少しは和らいできた。
と、そこに郁恵の落ち着いた声が響いた。
「ちょっと待って」
その一言に、ウキウキ全開となっていた修一がピタッと動きを止める。
「ん? どうしたんだい?」
「あなた、一旦落ち着いて。座ってちょうだい」
「……うむ、わかった」
郁恵の言葉に、無意識のうちに膝立ちとなっていた修一が座り直す。
それを見てから、郁恵は晴翔と綾香の方へと視線を向ける。
「晴翔君」
「はい」
「そして綾香」
「なに?」
「あなた達二人が、人生においてとっても大事な決断をしたことは、親として、そして大人として、尊重します」
郁恵は静かな口調で、子を諭す親としての表情で話を続ける。
「でもね。同じく親として、そして結婚をして子を持つ人生の先輩として、今ここで、この場で、あなた達の結婚に対して『はい、わかりました』と言うことはできないわ」
そう言われた瞬間、晴翔の胸がズンと重くなる。
少し和らいだ緊張感が再び大きく膨らんできた。
隣では、綾香が驚いた表情を浮かべている。
「なんで!? ママだって晴翔のことを気に入ってたでしょ! 結婚したら? とか言って揶揄ってきたじゃん!」
「それとこれは別よ」
「どうして! 意味わからない!」
憤りを露わにする綾香。
そんな彼女を止めるように、晴翔が郁恵に言う。
「郁恵さん。自分と綾香さんとの結婚を認められないというお気持ちはよくわかります」
晴翔はギュッと拳を握り締めて、郁恵を説得する言葉を口にする。
「自分はまだ高校生で、なにも責任を負える立場にありません。それに、自分にとって綾香さんは初めての恋人で、そんな人生の経験も碌にない自分が愛しているだなんて言っても、納得してもらえないのは重々に理解しているつもりです。でも!」
晴翔は少しても自分の覚悟が伝わるように、力を込めて郁恵と視線を合わせる。
「それでも自分は綾香さんと家族になりたいんです! 何を根拠に言っているんだと思われるかもしれませんが、もう自分には綾香さんしかいないと思っています! 人生を掛けます! 全てを掛けて綾香を幸せにします! だからどうか! 彼女との結婚を認めてはくれないでしょうか!」
晴翔は想いの全てを言葉に乗せて郁恵にぶつけ、そして頭を下げる。
そんな必死な姿に、綾香も彼に続いて頭を下げた。
「お願いママ!! 私も晴翔を愛してるの! 彼しかいないの!」
晴翔と綾香の二人に頭を下げられた郁恵は、それでも変わらぬ様子で静かに告げる。
「二人とも、頭を上げて」
郁恵に言われて、晴翔と綾香はゆっくりと頭を上げる。彼女はその二人と交互に視線を交わすと、ゆっくりと話し始めた。
「あのね。私は晴翔君をとても気に入ってるわ」
「じゃあ!」
母の言葉に反応する綾香。しかし、郁恵はそれを視線で制して話を続ける。
「それに、晴翔君が高校生の立場だからだとか、人生経験うんぬんで頷けないって言ったんじゃないの」
「じゃあどうして?」
納得がいかないという表情を見せる綾香に、郁恵は柔らかく微笑む。
「清子さんが倒れて、晴翔君は恐怖に襲われて、孤独に苛まされたわよね。不安で心が揺れ動いたと思うわ。その時に、綾香が大きな支えになったというのは、きっとそうなのでしょうね。綾香だって、そんな晴翔君を見て、これからも支えていきたいと思ったのは確かだと思うわ」
郁恵は晴翔と綾香の二人としっかりと目を合わせて言葉を続ける。
「晴翔君と綾香が、お互いに愛しているというのを私は疑ったり、軽んじるつもりは全くないわ。あなた達二人が、そういった想いに達したということに、親としてとても嬉しく思うもの」
「なら何でママは晴翔との結婚を否定するの?」
そう言う綾香の言葉に、郁恵は小さく首を振った。
「私はね。あなた達の結婚を否定はしないわ。ただ、さっき言ったのは、今この場では頷けないって言ったの」
「……どういうこと?」
首を傾げる綾香。
郁恵は、結婚している人生の先輩として、若者二人に話をする。
「結婚というのはね。恋人になる、付き合うというのとはわけが違うの。結婚は、あなた達二人だけじゃなくて、東條家、大槻家の問題にもなってくるの。そして、法的にも色々な変化が起きるわ。そして、その先の人生を大きく変化させるものなの。今回の清子さんのことで、二人がお互いに大切な存在だと気が付いて、結婚したいという結論に至ったのは素晴らしいことだわ。その時の決断が間違っているとも、私は言わないし思わない。けどね、この先の、寿命を迎えるまでの長い人生に大きな影響を与える決断を、今あなた達はしようとしているの」
一旦郁恵は話を区切り、晴翔と綾香をそれぞれじっと見詰めてから、再度口を開く。
「だからね、一旦落ち着いてじっくりと考えて欲しいの。結婚とは何か、家族になるとはどういうことか。一人で、自分自身と対話をして考えてもいいし、私や修一さん、その他の人に相談してもいい。とにかく、明日一日を掛けて、落ち着いた状況で考えてみてちょうだい。その後に、もう一度あなた達の想いを、決断を聞かせてちょうだい」
そう言った後、郁恵は少し茶目っ気を出して話を締めくくる。
「この先何十年もの人生に関わる決断だもの。一日くらいかけても問題ないでしょ? ね、あなた」
最後に話を振られた修一は、厳かな顔付きで大きく頷く。
「うむ! 母さんの言う通り! まったくその通り! 重大な決断には勢いも大事だが、慎重に見つめなおすことも、とても大事である!」
先程大はしゃぎをしてしまったことを取り返すように、必死に威厳を放出する修一。
晴翔は、郁恵の話を自分の中に大切に落とし込んで頷いた。
「……わかりました。しっかりと綾香さんのこと、結婚のこと、そして家族というものについて考えたいと思います。あの、ありがとうございます」
「私も、もう一度しっかりと考える……」
素直に頷く子供達の姿に、郁恵は嬉しそうにニッコリと笑みを浮かべた。
お読み下さりありがとうございます。