第百八十五話 覚悟を決めて
綺麗な夕日に染まった住宅街を晴翔は綾香と手を繋ぎ歩く。
「今日の夕陽も凄く綺麗だね」
「そうだね」
晴翔の隣を歩く綾香は、幸せそうに彼の手をぎゅっと握り締めて空を見上げている。
「ちょっと陽が落ちるのが早くなったかな?」
「そうかもしれない」
「秋が近付いてきてるね」
「そうだね」
「秋は美味しい食べ物がたくさんあるね」
「うん」
楽しそうに話をする綾香。
しかし、晴翔は緊張で短い言葉を返すのがやっとの状態であった。
綾香から告げられた言葉。
プロポーズ同然の言葉。
それに対し、しっかりと自分の意思、想いを伝えないといけない。
そう考える晴翔は、今までの人生の中で一番緊張している状態であった。
緊張し過ぎて、彼はまるで雲の上を歩いていると錯覚してしまいそうなくらい、足元がフワフワしてしまっていた。
大好きな彼と手を繋いで散歩ができ、幸せそうにする綾香。
極度の緊張で、ガチガチになっている晴翔。
二人はゆっくりと、閑静な住宅街を歩く。
「……綾香は、秋になったら何を食べたい?」
晴翔は、緊張で若干声が上擦るがなんとか平静を装って綾香と会話する。
「う〜ん、迷うなぁ。でも、秋といえばさつまいもかな?」
「ということは、スイートポテトとか?」
「スイートポテト! 食べたいね!」
パッと表情を輝かせる綾香の反応を見て、緊張している晴翔もつられて笑顔になる。
「あとは栗も秋だよね。カズ先輩にモンブランの作り方を教わるのも楽しいかも」
「それ凄くいい! またみんなでお菓子作りしたいよね!」
キラキラと瞳を輝かせ、期待に満ちた表情を向けてくる綾香に、晴翔は自然と緊張が軽くなった。
見ているだけで幸せになるような、愛おしい笑顔。
晴翔は、それをずっと隣で見ていたいと思った。
自分が笑顔にしたいと思った。
彼女を幸せにしたい。それが自分自身の幸せにもなる。
晴翔は笑顔の綾香を見詰め、ぎゅっと優しく手を握った。
彼女と家族になりたい。
恋人としての時間を重ねて芽生えた綾香への想い。
それは、祖母が倒れた事でハッキリとした願いとなった。
自分の言葉で、しっかりと伝えたい。今の心の中にあるこの想いを。
そう決意した晴翔の視界に、公園が目に入った。
東條家のすぐ近くにある公園。それは、かつて晴翔が綾香に想いを告げ、そして恋人となった場所だった。
「……綾香、ちょっと公園に寄って行かない?」
「うん、いいよ」
綾香は素直に晴翔に手を引かれ、一緒に公園へと向かった。
夕暮れ時ということもあり、公園内に子供の姿はない。近くの街灯に明かりが灯り始めて、夜の訪れを知らせている。
「大きくなってから改めて公園に来ると、なんか狭く感じちゃうよね」
綾香は無邪気な表情で晴翔に言うと、滑り台の手すりをそっと撫でる。
「確かに、小さい頃は公園が凄く広くて、ワクワクする場所に思えてたのにね」
「うん。砂場とかももっと広々してたイメージがある」
「綾香は砂遊び派だったの?」
晴翔は彼女に尋ねながら砂場に目を向ける。
そこには、トンネルが開通した大きな砂山が壊されずに残っていた。
「うん。でも、咲と知り合ってからは、ブランコとかシーソーでたくさん遊んでたかも」
「そっか、藍沢さんって前は綾香の家の近くに住んでたんだっけ?」
「そうだよ。咲とは毎日一緒に遊んでたなぁ」
少し遠くを見詰めて、昔を懐かしむ綾香に晴翔は微笑みを浮かべた。
「ほんと、二人は仲良いね」
「晴翔も、赤城君とよく遊んでたんじゃないの?」
「まぁ、そうだね。というか、今でも遊ぶときは友哉との時が多いかな」
晴翔はそこまで友達が多い方ではない。特に友達作りが苦手という訳ではないが、自分から積極的にコミュニケーションを取りにいくような性格ではない。そのため、遊びに行くような間柄の友人は、友哉や石蔵、雫になってくる。
「今でも赤城君と公園で一緒に遊んだりする?」
「さすがにそれは無いかな」
少し揶揄うように聞いてくる綾香に、晴翔は苦笑を浮かべて答える。
「あ、でもこの前、意味もなく夜の公園で、二人でダラダラと話をしていたことならある」
「え、なにそれ。凄く羨ましい!」
「羨ましいの?」
「うん! 私も晴翔と夜の公園でお話したい!」
「でも、俺が綾香の家に泊まるときは、いつも話をしてるよ?」
「それはまた別だよ。夜の公園っていうシチュエーションが良いんだよ? 青春って感じがする」
綾香の言葉に、晴翔は「そうなの?」と首を傾げる。
「私ね、たまに赤城君が羨ましくなる時があるんだ」
「友哉を?」
「うん。赤城君とお話をしてる時の晴翔はね、すっごく自然体というか、安心してるというか、心を開いてるなって感じがするの」
綾香はゆっくりと歩いて、晴翔の目の前へと移動する。
「赤城君も晴翔に心を開いてるし、そんな何も隔たりがない二人の距離感が、良いなぁって思っちゃうんだよね」
「……俺は、綾香にも、もう完全に心を開いてるよ」
晴翔は真っ直ぐに綾香の目を見て言う。
「え?」
「俺にとって、綾香の存在はかけがえのない唯一の存在だよ」
「っ!? そ、そうなんだ……えへへ、嬉しい」
晴翔の言葉を聞いた綾香は、嬉しさを堪え切れずに表情を緩める。
少し恥ずかしそうに、モジモジしている綾香に晴翔は一歩踏み出して近付く。
「綾香、実は君に伝えたいことがあるんだ」
「は、はい……」
突然、晴翔の真剣な決意のこもった眼差しで見詰められた綾香は、軽く目を見開いて驚いたように返事をする。
「今回のばあちゃんのことで、俺、綾香に凄く助けられたんだ」
「うん……」
「そして、改めて気付かされた。俺にとって、綾香はとても大切な存在なんだって」
晴翔は一旦言葉を区切る。
綾香と話をしたことで和らいでいた緊張感が、再び高まってくる。その緊張で口の中が渇いてくる。
それでも晴翔は、自分の中にある想いを綾香に伝えるべく、口を開く。
「俺にとっての家族は、もうばあちゃんしかいなくて、ばあちゃんがいなくなったら俺は独りになるんだって思うと、物凄く怖かったんだ。でもあの時、綾香が言ってくれた言葉で俺は救われた」
「……ぁ、あれは、その……」
晴翔の言う『言葉』が何を指すのか察した綾香は、さっと頬を赤く染める。そして、少し困ったように視線を泳がせる。しかし、それは一瞬のことで、彼女はグッと表情を引き締めると、真っ直ぐに晴翔と目を合わせる。
「あの言葉は、私の本心だから。あの時の気持ちは、今も変わってないよ」
強い意志がこもった視線を向けられた晴翔は、同じくらいの決意が宿った眼差しで綾香を見詰める。
「ありがとう。そして、ごめん。あの時の俺は、自分のことばっかりで、綾香の想いに返事をすることができてなかった」
ここまで話して、綾香は晴翔が何を伝えようとしているのかを理解したようで、彼女の表情が期待と不安で揺れる。
「…………」
「綾香が“家族”として隣にいてくれるって言ってくれて、本当に救われた。そして、今の俺はこう思ってる」
晴翔は唾を飲み込み、早鐘を打つ心臓を感じながら、想いを告げる。
「俺も、綾香と家族になりたい」
「っ!」
晴翔の想いに、綾香は息を呑み目を大きく見開く。
「家族として、これからも綾香の側にいたい。今回俺が助けられたように、綾香が悲しみや不安に倒れそうになった時は、俺が支えになりたい。嬉しいことがあったら、綾香と共有したい。君の笑顔を一番近くで見ていたい。その笑顔を一つでも多くみられるように、綾香を幸せにしたい」
ここまで一気に話した晴翔は、一度大きく息を吸い込んでから、呼吸を整える。
「ずっと、いつまでも。そう、心から思ったんだ。だから、俺と……家族になってくれますか?」
晴翔から告げられた言葉。
それを噛み締めるかのように、綾香は目を瞑って僅かな間だけ黙り込む。
そして、ゆっくりと目を開けると、大きく頷いた。
「はい。家族になります。晴翔と家族になりたいです!」
その返事を聞いた瞬間、晴翔は自分の心の中に大きな喜びが湧き上がってくるのを感じた。
それと同時に、大きく膨れ上がっていた緊張からも解放される。
晴翔は「はぁ~」と大きく息を吐き出した。
「良かった……もし嫌だって断られてたら、俺倒れてたかも」
「ふふふ、断るわけないでしょ?」
綾香は溢れ出る幸福をその笑顔から滲ませながら言う。
「でも、緊張はするでしょ? 人生に大きくかかわってくるんだし」
「そうだね。これからの人生を左右するんだもんね」
そう言い合った二人は、しばしの間無言で見詰め合う。
「…………」
「…………」
ジッとお互いの視線を絡めた後、晴翔が戸惑いがちに話を切り出した。
「その……つまり……俺達は結婚、をするってことになるよね?」
「う、うん。だよね」
「でも、さすがにまだ高校生だし、籍を入れるとか式を挙げるとは無理だから……」
「そっか、婚姻届けとかはまだ出せないよね」
「うん。だから、これからは結婚を前提としたお付き合いをするってことになるのかな」
「婚約ってこと?」
「そうなるね」
まだ高校生の二人。
お互いに家族になりたいという想いが通じ合っても、結婚というものがどういうものなのか、少し漠然としている。
そこで、晴翔が重要なことに気が付く。
「修一さんと郁恵さんに報告をしないといけないね」
「あ、そっか……パパとママにもちゃんと話をしなきゃね」
結婚となると、大槻家と東條家、両家の合意も必要になってくるだろうと晴翔は言う。
「ばあちゃんにも話をしないといけないけど、今から病院に戻るのも遅い時間になっちゃうし、まずは修一さんと郁恵さんに話をしようか」
「だね。パパとママ、なんて言うかな? 二人とも晴翔のことはとても気に入ってるから、反対はされないと思うけど……」
「自分達がまだ高校生ってところがね……」
「うん……」
時折、修一なんかは晴翔と綾香の結婚を仄めかすような冗談を言ったりしている。しかし、それはあくまで冗談で、本気で言っているものではない。と晴翔は考えている。
郁恵も同様に、よく冗談は言ってくるが、いざ本当の結婚となると晴翔と綾香の若さを理由に反対してくる可能性は十分にある。
「……まぁ、そうなったら必死に説得するよ。簡単に諦められるような想いじゃないからね。綾香と家族になりたいっていうのは」
「晴翔……」
綾香は感極まった潤んだ瞳で晴翔を見上げる。
「私も一緒に説得する! 絶対に晴翔と家族になりたいもん!」
「ありがとう」
晴翔は綾香の言葉に嬉しさを感じながら、彼女の手を握る。
「じゃあ、行こっか」
「うん」
二人は、同じ想いを胸に抱き、その決意を修一と郁恵に伝えるため、東條家に向けて歩き出した。