第百八十四話 あれって、もしかして……
更新が遅くなってしまった申し訳ありません。
晴翔は、無事に目を覚ましてくれた清子との何気ない会話を楽しむ。
もしかしたら、いなくなってしまうかもしれない。
そんな経験をした晴翔は、こうして祖母と他愛もない会話ができることが、何よりも幸せなんだと実感する。
清子と2人、静かな時間を過ごしていると、学校を終えた綾香がお見舞いに来た。
「あら、綾香さん。お見舞いに来て下さってありがとうございます」
微笑みながら丁寧に頭を下げる清子に、綾香はにっこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「また清子さんの笑顔が見れてとても嬉しいです」
綾香はそう言いながら、手に持っていたお見舞いの花を清子に手渡した。
「早く元気になってくださいね」
「あらまぁ! ありがとうね」
綾香が持ってきたのは、ガーベラのフラワーアレンジメント。黄色などの明るい色を中心としたガーベラの束を見て、清子の表情も明るくなる。
「とっても綺麗ね。綾香さん、ありがとう」
「ありがとう、綾香」
清子に続いて晴翔もお礼を言うと、綾香は優しく微笑んだ。
「落ち着いたら、両親と涼太もお見舞いに来たいと言っていました。大丈夫ですか?」
「はい、とても嬉しいです」
「あ、そういえば、ばあちゃん。友哉と、それと雫もさっき連絡が来てお見舞いしたいって」
「咲も、もし迷惑じゃなければお見舞いしたいって言ってたよ」
「あらあら、もちろん迷惑なんかじゃありませんとも」
清子は「いろんな人に心配してもらえて、私は幸せ者だね」と笑みをこぼす。
そして、彼女は柔らかい微笑みを浮かべたまま、綾香の方を向いた。
「綾香さん、この度は本当にお世話になりました。ありがとうございます。このような格好で申し訳ないのですが、せめて感謝の気持ちだけでも伝えたいと思いまして。また、退院した暁にはしっかりとお礼をさせてください」
「いえいえ! そんなに畏まらないでください!」
綾香は深々と頭を下げる清子に「頭を上げてください」と言った後、少し恥ずかしそうにしながらもはっきりとした口調で話しだす。
「清子さんも、晴翔も、もう私達の家族のようなものですから……なので、困ったことや大変なことがあった時には、助け合うのが当たり前です。それが家族なので」
綾香はそっと手を伸ばして、清子の手を握る。
「感謝はとてもありがたく受け取らせていただきます。でも、恩を受けたと強く感謝され過ぎるのはちょっと……寂しいです」
「綾香さん……」
清子は綾香の言葉に心打たれたかのように、軽く目を見開く。そして、その視線をゆっくりと晴翔の方へと向けた。
「晴翔や、本当に綾香さんと出会えて、良かったね」
「うん。今回のことでは、本当に助けられたからね。綾香もそうだし、修一さんに郁恵さん、涼太君、本当にみんなに支えられたよ」
晴翔は清子の手を握る綾香に頭を下げる。
「ありがとう」
頭を下げる晴翔に、綾香は優しく笑みを浮かべた。
―…―…―…―…―…―…―…―…―
清子のお見舞いを終え、病院から帰る晴翔と綾香。
2人は並んで座り、路線バスに揺られる。
「清子さん、元気そうで良かったね」
「うん、診察でも順調に回復してるって言われたらしいし、もう問題ないと思う」
晴翔は、窓の外の真っ赤に染まった綺麗な夕日から視線を外し、綾香を見る。
「でも、入院期間はちょっと長くなりそう。回復は順調でも、ばあちゃんの年齢で手術は結構な負担だったから。リハビリが必要らしいんだ」
「そっか……でも、きっと清子さんならリハビリも順調にこなすと思う」
綾香は晴翔の手をぎゅっと握りながらそう言う。
彼女の手から伝わる温もり。その中には、綾香の確かな想いが詰まっていて、それが晴翔の心を満たす。
どんな時でも、側にいてくれる人がいる。寄り添ってくれる人がいる。
それがどんなにありがたいことなのか。そして、どんなに心強いことなのか。
晴翔は綾香に対する感謝と、そして、今回の件でより一層強くなった愛おしい気持ちを込め、彼女の手を握り返す。
「ふふ……」
綾香は嬉しそうに笑みをこぼすと、晴翔の方へ体を傾ける。
彼女に体重を預けられ、晴翔は自分の気持ちが喜びに満たされるのを感じる。
綾香と出会えて良かった。
綾香と恋人になれて良かった。
晴翔はしみじみと実感する。
彼女の優しさに触れ、心の広さを知り。晴翔の中で『綾香』と言う存在がかけがえのないものになっていく。
清子が倒れた時、晴翔はどん底に落ちた。
でも、ずっと綾香が寄り添ってくれた。そのおかげで、心が壊れずに済んだ。
晴翔は、綾香に言われた言葉をそっと心の中で繰り返した。
『晴翔は独りにならないよ。私がずっとそばにいるから。あなたの隣に家族として』
この言葉が、どれだけ晴翔の心を救ったか。
涼太が示してくれた純粋な想いと、綾香の包み込むような想いが、孤独と恐怖に飲み込まれそうになっていた晴翔の心を守ってくれた。
きっと、綾香から言われた言葉は、自分の人生の中で最も大切な言葉になる。
彼はそう感じていた。
『私がずっとそばにいるから。あなたの隣に家族として』
1人にならない、家族が常にそばにいる。
それは、幼い頃に両親を失った晴翔にとって、とても大きなことである。
『あなたの隣に家族として』
晴翔の心を強くしてくれる綾香の言葉。
彼にとって、心に刻まれるようなとても大切な言葉。
『家族として』
確かな温もりと、安心感をもたらしてくれる偉大なもの。
「………………ん?」
ここで、晴翔の思考がフリーズした。
綾香から告げられた言葉は、晴翔の心に刻み込まれている。それくらい、大切で大きな意味を持つ言葉。
では、何故そう感じるのか?
彼の中で自問自答が始まる。
あの時、自分はばあちゃんがいなくなるかもしれないと思っていた。怖かった、孤独に怯えていた。
そこから救ってくれたのが、あの言葉だ。
だから、あの言葉がとても印象的で、自分にとって大切なものになったんだ。
じゃあなんで、あの言葉に救われた?
それは、1人じゃないとわかったから。
孤独じゃないと、綾香が教えてくれた。
何故孤独にならないんだ?
綾香がそばにいてくれるから。
ずっと、隣に、どんな時も、家族として……。
つまり、それは……どういうことだ?
今まで接点がなかった人と出会い、
恋に落ち、想いが通じる。
そして、お互いにかけがえのない存在だと認識し、ずっと一緒に“家族”として過ごす。
それは、つまり……。
「妻じゃん……」
思わず晴翔の口からこぼれた一言。
唐突な言葉でよく聞き取れなかったのか、綾香が不思議そうな顔で晴翔を見る。
「ん? 何か言った?」
「あ、いや! なんでも……ないよ?」
「うん? そうなの?」
「うん、ちょっと考え事をしてて」
そう言いながら、晴翔は笑みを浮かべる。
その反応を見て、綾香は勘違いをしてしまったようで、そっと晴翔の手を握り、目を見て励ますように言葉を掛けてきた。
「清子さんはきっと大丈夫だよ。あんな大変な手術にも耐えたんだもん。リハビリだって問題ないよ」
「う、うん。そうだね」
相変わらず、包み込むような優しさで隣にいてくれる綾香。そんな彼女を強く抱き締めたい衝動に駆られながらも、晴翔はそれをグッと堪えて思考を整理する。
綾香は言った。
あなたの隣に家族として一緒にいると。
先程の自問自答が導き出した結論だと、それは『妻』になるということと同義である。
いや待て! 本当にそうなのか?
あの時の自分は相当に落ち込んでいた自覚がある。
それはもう、とても綾香を心配させたに違いない。
そんな自分を慰めるための言葉だったのかもしれない。
晴翔は早合点しようとする思考を押し留める。
自分達はまだ高校生だ。綾香もきっと、結婚はまだ早いと思っているはず。
あの言葉は単純に、自分を心配する気持ちから生まれた言葉であって、それ以上のものは込められていないかもしれない……。
そう考えた晴翔は、もう一度あの時の状況を思い出す。
そして、彼の脳裏にはっきりとあの言葉を言った綾香の表情が浮かび上がった。
まるで、人生の重大な決断をしたかのような、決意のこもった眼差し。想いをしっかりと込めたはっきりとした口調。
そして、彼女はあの言葉を言う前に、こうも言っていた。『さっき、涼太も言っていたけど』と。
涼太が晴翔に伝えた言葉。
それは『おにいちゃんとおねぇちゃんが結婚したら、僕たちは家族になる』だ。
晴翔は確信する。
それと同時に、異常なほどに鼓動が早くなる。
これ以上、あの言葉が単純な慰めの言葉に過ぎないだとか、変な期待を持つべきでないだとか、そんなことを考えるのは、綾香に対してあまりにも不誠実になってしまう。
あれは、彼女からのプロポーズだったのだから。
晴翔は「ふ〜」と小さく息を吐き出す。
そして、あの言葉を言われた時の、自分の返事を思い出す。
あの時の自分はなんと言ったのか?
綾香が覚悟を決めて言ってくれたプロポーズに対して、自分はどう返事をしたのか?
「……ありがとう、じゃないだろ。何やってんだよ俺ぇ」
晴翔はあまりにも不甲斐ない自分の返答に頭を抱えた。
プロポーズに対して『ありがとう』とは何事か。
返事は『はい』か『YES』の二択だろう。なのに、晴翔は『ありがとう』としか伝えていない。
あの時は、東條家の温もりと、寄り添ってくれる綾香の存在にとても感謝していた。
だから、その気持ちを伝えたかった。
……などという言い訳は通用しない!
「返事をしろ俺!」
「晴翔?」
自分がやらかした大失態に、セルフ突っ込みをしてしまう晴翔。
そんな彼に綾香が再び不思議そうな視線を向けてきた。
「あ、や、その……」
思わず口ごもる晴翔。
そのタイミングで、バスが東條家最寄りのバス停に到着した。
「あ、降りないと!」
「そうだね。晴翔、大丈夫?」
「う、うん。平気だよ」
心配してくれる綾香に、晴翔は無理やり笑みを作って答える。そして、バスから降りると、覚悟を決めて綾香と向き合った。
「綾香! その……」
「うん? なあに?」
「ちょっと、家に帰る前に……散歩、しない?」
「散歩? いいよ」
にっこりと笑って承諾してくれた綾香。
晴翔は緊張で高鳴っている胸の鼓動を必死に宥めながら、綾香と手を繋ぐ。
綾香はきっと、相当な覚悟を持ってあの言葉を言ってくれた。
ならば、自分もしっかりとそれに応えなければならない。
ちゃんとした言葉で、自分の思いを伝えなければならない。
晴翔は、もう単なる恋人以上の存在となった最愛の人の手を握り、そっと歩き出す。
「じゃあ、行こっか」
お読みくださりありがとうございます。
先日、本作の書籍版第5巻の情報が解禁されました。
発売日は11月15日頃となっております。また今回も大変ありがたいことに、メロンブックス様限定アクリルフィギュアを製作していただけることになりました。
こうしてグッズを製作していただけるのも、応援してくださっている皆様のおかげです。心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。




