第百四十九話 二つの傘(前編)
今回の話は前編と後編に分けさせて頂きます。
後編は遅くても明日には更新致します。
友哉はビニール傘越しに、ポツポツと雨を降らせる不機嫌な空を見上げた。
天気予報通り、土曜日は朝から雨が降り続いている。それでも貴重な休日に外出する人は多いようで、駅には多くの人が行き交っていた。
友哉は駅の中に入ると、ビニール傘を畳んで改札前まで移動する。
「ちょいと早く来すぎたかな?」
彼は改札の上に設置されている電光掲示板で、お目当ての電車の時刻を確認して呟く。
友哉は改札を出たところのすぐ近くの壁側まで移動すると、暇潰しにスマホを眺め、SNSを流し見する。
それから数分後。
「やっほー赤城君。待たせちゃった?」
「よっす藍沢さん」
友哉はスマホから視線を上げると、にこやかな笑みとともに片手を挙げて挨拶する。
「全然大丈夫。10分くらいしか待ってないから」
「あはは、結構待ってるじゃん! ごめんごめん。でもそこは『いま来たとこ』って言うところじゃない?」
「あそっか。ならいま来たことにしといてくれる?」
「おっけー」
そんな会話を交わしたあと、二人は顔を合わせて笑い合う。
「じゃあ綾香んちに行こっか」
「了解っす」
友哉は咲と並んで歩き出し、駅から出ると再びビニール傘をさす。
咲もカバンから折り畳み傘を取り出してさす。
少し無言で歩いたあと、友哉がおもむろに口を開く。
「なんかこう、しとしとと降り続ける雨ってテンション下がるよね」
友哉の言葉に、咲は傘越しにチラッと空を見上げる。
「そう? 私は雨はなんでも嫌だけど。逆にテンションの上がる雨ってある?」
「傘をさしてても意味がないくらいの突発的な土砂降りとか? なんかこう『うぉー!』って叫びながら外に飛び出したくなるじゃん?」
「あははは、なにそれ、全然共感できないんだけど」
咲は「意味不明すぎ」と笑いながら歩く。
「私、靴とか濡れるの結構嫌いなんだよね。乾かすの面倒くさいから」
「それはわかるわ。でも俺がさっき言った雨だと、靴どころかパンツまでビショビショだけどね」
「ははは、確かに。ってちょっと赤城君、レディに対してなんて話してるのよ」
「おっとごめんごめん」
「もう、淑女に対してパンツが濡れるとか下品よ?」
咲はわざとらしく怒った顔を作り、大袈裟に言う。
それに対して友哉はケラケラと笑いながら、彼女の話に合わせた。
「申し訳ございませんでしたお嬢様。先程の待ち合わせでも、バラの準備を怠ってました」
「そうよ。私と待ち合わせしているんだから、バラを100本くらい用意していて当然よ」
「申し訳ございません。平にご容赦を」
「仕方のない人ね」
仰々しく頭を下げる友哉に、咲は『ふん』というように鼻を鳴らす。その数秒後、堪え切れなくなった彼女が「ぷふっ」と吹き出してしまう。
「なにこの会話、これ私何者なのよ」
「あっはっは、どこかの社長令嬢的な?」
「現実にこんなコッテコテの令嬢なんていないでしょ」
「なのかな? そういえば、東條さんって一応社長令嬢ってことになるんだよね?」
「あぁ、確かに綾香はそっか。う~ん、綾香が令嬢ねぇ……なんかウケる」
咲は少し考えるように視線を上に向けたあとに「あはは」と笑った。
きっとこの場に綾香がいたら『なんで笑うのよ!』と抗議していただろう。しかし、いま咲の隣にいるのは綾香ではなく友哉である。
彼は、咲の言葉に「うんうん」と頷いてみせる。
「東條さんは令嬢って感じじゃないよなぁ。なんかこう、ぽわっとしてるっていうか、天然というか」
友哉は今まで、東條綾香という女の子のことをほとんど知らなかった。
学園で一番可愛い女子と噂され、多くの男子から告白をされる。しかし、絶対に首を縦に振らず、男子に興味を示さない。
これが、友哉が持つ『学園のアイドル』としての綾香のイメージだった。
それが親友である晴翔の彼女になり、それがきっかけで話をするようになって、今まで彼女に抱いていたイメージがガラッと変わった。
「なんかさ、東條さんって思ってたよりもずっと、可愛い人だよね」
今までは、近寄りがたい高嶺の花のようなイメージを持っていた友哉。しかし、実際の彼女はとても普通で、親しみの持てる性格をしていた。
そんなことを言う友哉に、咲がニヤッと口角を上げる。
「おやおや? 赤城君、もしかして綾香のこと好きになっちゃった? 大槻君と修羅場突入?」
「まさか。これはただの評価だよ。東條さんは魅力的な女の子かも知れないけど、俺が好きになることはないよ」
キッパリと言い切る友哉に、咲が少し興味ありげな視線を彼に向けた。
「ふーん? それって他に好きな子がいるとか?」
「それはどうでしょうね?」
友哉ははぐらかすように笑みを浮かべると、楽しそうに咲と視線を合わせる。
「もしかして俺の恋愛事情、気になっちゃう感じ? 」
「ぜーんぜん!」
「即答かいっ! もう少し俺に興味を持ってくれても良いんじゃないの!?」
友哉は大袈裟にショックを受けた風を装うと、それを見て咲がケラケラと笑う。
「私は綾香の親友として、友の恋路に障害が発生しないか心配しただけ」
「それは俺も同じだよ。ハルの幸せは壊したくないからな」
そういって、友哉は少しだけ真面目な顔をする。
「あいつは色々と大変な思いもしてきてるからな。東條さんみたいな大切な人ができて、本当に良かったよ。できることならずっとこのまま、二人で幸せになってほしい」
しみじみとした様子で言葉を紡ぐ友哉を咲はジッと見つめた。
「……赤城君って、思ってたよりも良い人だよね。ちゃんとしてるというか」
「え?」
「ちょっと、赤城君に対する印象が変わったかも」
「お? お?」
咲の言葉を聞いて友哉が嬉しそうに口角を上げた。
「それは良い印象になったって事ですか?」
「まぁ、そうね」
「よっしゃ! ちなみに、今までの藍沢さんの俺に対する印象はどんなだった?」
「うーん、チャラクズ男?」
「ちょっ!? 酷くねっ!?」
まさかの印象に、友哉は目を見開いて驚く。
その反応を見た咲は、楽しそうにお腹を抑えて笑った。
「あはははは! 冗談冗談!」
「ちょいちょいちょい! その冗談はキツいって」
「ごめんごめん。でも、もっと『ウェーイ!』みたいな人だと思ってたのは事実だけどね」
咲はニッコリと友哉に笑いかける。
「赤城君って、意外とちゃんと人の事を見てるんだなって」
咲にそう言われた瞬間、友哉はピタッと歩みを止める。
その瞬間にゴウッと突風が吹いた。
その風に煽られて、友哉のビニール傘がひっくり返り、骨組みが折れてしまった。
「ぬわっ!? 俺の心の友が折れたっ!」
使い物にならなくなってしまった安物のビニール傘を見て友哉が嘆きの声を上げる。
その嘆きに対し、咲は思わずツッコミを入れる。
「なんでビニール傘を心の友にしてるのよ。傘を心の友にするなら、もうちょっと丈夫で良いやつにしなさいよ」
「藍沢さん、友に値段はつけられないんだぜ?」
「あぁ、はいはい。わかったから、私の傘に入りなよ。このままじゃ、びしょ濡れよ」
咲は呆れた顔で、友哉を自分の傘の中に招き入れる。
「ありがとう。俺の藍沢さんに対する好感度が5ポイント上がりました」
「上がる好感度少なくない? そこは1000ポイントぐらい上げといてよ」
「それは上げ過ぎでしょ! この場でプロポーズしちゃうよ?」
「それはドン引きだからやめて」
咲はわざとらしく引きつった表情を作って友哉から距離を取る。
その反応に友哉は「酷くないっ!?」と、これまたわざとらしく嘆く。
そして、そのやりとりに二人は笑いをこぼす。
その後も友哉と咲は、冗談を言い合ったり他愛もない会話をしながら歩く。
「今日のお菓子作り楽しみだなぁ」
ニッコリ笑顔でそう言う咲を横目に見て、友哉が笑いながら口を開く。
「藍沢さんが楽しみなのは、作る方じゃなくて食べる方じゃないの?」
「こらこら赤城君。私はそんなに食い意地張ってないぞ? こう見えても私、料理はそこそこできるからね?」
「これは失礼しました。てことは、いつも昼休みに食べてるお弁当は自作だったり?」
「あれはもちろん、お母さん作です」
「自作じゃないんかい!」
友哉のツッコミに咲は笑いながら「ほら、女の子の朝って忙しいでしょ?」と言い訳をする。
「まぁ確かに、俺も朝は一分一秒でも長く寝てたいからなぁ」
「でしょ?」
咲は友哉に同意を求めるように彼の方に視線を向けた。
そこで、友哉が傘に入りきれずに片方の肩が濡れていることに気が付く。
「赤城君、肩濡れてるよ? もっとこっちに来たら?」
「ん? あぁ、ありがとう」
咲に言われて自分の濡れている肩を見た友哉は、お礼を言ってから、ほんの僅かに彼女の方に寄った。
咲がさしている傘は折りたたみ傘であるため、二人が完全にその下に入ろうとすると、かなり密着する必要がある。
咲は、先程とほとんど変わっていない友哉との隙間と、相変わらず雨にさらされている彼の肩を見る。
そこに、友哉が「あ」と何かに気づく。
「ごめん藍沢さん。傘、俺が持つよ」
そう言って手を差し伸べる友哉。
彼は咲よりも身長が高いため、彼女が傘を持っていると、少し腕を持ち上げないといけなくなる。
その事を配慮する友哉の目をチラッと見たあと、咲は「ふふ」と小さく表情を綻ばせた。
「ありがとう赤城君」
「どういたしまして」
傘を受け取った友哉は、咲が雨に濡れないように彼女よりに傘を傾けて待つ。
先程からずっと濡れっぱなしの友哉の肩を見て、咲が小さく言う。
「赤城君って、結構可愛いところあるんだね」
咲のその言葉に、友哉は軽くピクッと眉を動かしたあと、おもむろに自分の前髪を掻き上げた。
「ふっ、俺に惚れると火傷するぜ?」
なんとも気障な台詞と、ふざけた彼の仕草に咲は盛大に笑う。
「あははははっ! そんな簡単に惚れないよーだ! 私を舐めるな!」
彼女は楽しそうに笑いながら、友哉に対して「べーっ!」と舌を出す。
そんな彼女の反応に、友哉は「まだ好感度が足りなかったか」と一緒になって笑った。
東條邸に向かう一つの傘。
そこから漏れる愉快な笑い声は、不機嫌な空模様すらも楽しげなものにするようだった。